第二十四章 あの女が戻ってきて、再び鍵をかけ直すという件
1
午後三時。
玄関のチャイムが鳴った。
俺はソファに座り、腕に柴犬を抱いたまま、動かなかった。
チャイムがもう一度響いた。
立ち上がり、玄関へ向かう。ドアを開ける。
詩織が玄関に立っていた。ベージュのコートを着き、足元に小型のスーツケースが置かれている。髪は出ていた頃より少し伸び、肩まで垂れていた。
「ただいま」
「おかえり」
彼女は家の中に入り、腰を曲げて靴を履き替える。出て行く前と変わらず、ゆっくりとした動作だ。
スーツケースを玄関の隅に置くと、体を起こし、俺を見つめた。
頭からつま先まで、じっくりと眺め、また顔に視線を戻す。
「やせたわ」
「別に」
「私がそう言うんだから、やせたの」
彼女はリビングに入り、部屋中をぐるりと見渡す。カーテンは開かれ、陽光が床に降り注いでいる。キッチンのカウンターには開かれた本が置いてある——宗一郎の本だ。
彼女はその本をちらりと見たが、何も言わなかった。
振り返って俺を見る。
「宗一郎は?」
「帰ったよ。昨日の夕方に」
「そう」
彼女はソファに腰を下ろす。俺は彼女が入ってきてからずっと、その場に立ったままだ。腕の中には柴犬がいる。
彼女が手を差し出した。
俺は腕から柴犬を渡す。
彼女は犬を受け取り、膝の上に乗せ、お腹を軽くつまむ。
「まだここにいるのね」
「うん」
「あなた、この子のことが好きなの」
「……まあ、普通だよ」
詩織がこちらを一瞥する。その瞳に笑みは宿っていなかった。
2
「こっちに来なさい」
俺は歩み寄り、向かい側に座る。
彼女は数秒間、俺を見つめ続けた。品定めというより、吟味するような視線だ。
俺は思わず俯き、自身の服を見る。濃いグレーのパジャマだ。上下セットで、以前彼女が買ってくれたもの。
「これ、君が買ってくれたんだ」
「うん。でも、着方が違うわ」
「え?」
「襟元がめくれている。私が教えた通りに着ていないの」
俺は無意識に襟元に手を伸ばす。
「暑かったから」
「そう」
彼女はそれ以上問いただすことなく立ち上がり、玄関へ行ってスーツケースを開ける。白い小さな箱を取り出し、戻ってきてテーブルの上に置き、俺の方へ押しやる。
「開けてみなさい」
箱を手に取る。マットな白い紙製でロゴなどはなく、銀灰色のサテンリボンが結われている。
リボンをほどき、蓋を開ける。
濃い紺色のベルベットの裏地の上に、イヤリングが一対置かれていた。
プラチナの台座に、小さな雫型の宝石が二つ埋め込まれている。深い赤ワインのような色をしており、光が当たると淡い紫色の輝きを放つ。宝石の周囲に飾りは一切なく、台座にぴったりと張り付いており、全体で爪の先ほどの大きさしかない。
この宝石の名前は知らない。
だが、相当高価なものだと直感した。
3
「お土産よ」と詩織が言う。
「ピアスの穴を開けたんだから、つけないのはもったいないわ」
俺はそのイヤリングを見つめる。
「高すぎる。受け取れない——」
「受け取れるかどうかなんて、聞いていないわ」
彼女の声に起伏はない。怒っているのではなく、事実を告げるような口調だ。
「つけてみなさい」
片方を手に取る。とても軽い。
俯いてピアスの穴を探すが、手が震えてうまく合わない。
詩織が立ち上がり、近づいてくる。
「じっとして」
彼女がイヤリングを受け取り、身をかがめる。
指先が俺の耳たぶに触れる。冷たい感触だ。
ピアスの針が穴を通り、台座が耳たぶの表面に密着、宝石が外側を向く。もう片方も同じようにつけられる。
彼女は一歩下がり、俺の顔を眺める。
「うん」
指を伸ばし、右のイヤリングをそっと弾く。宝石が揺れ、わずかな光を屈折させた。
「よく似合うわ」
彼女はソファに座り直し、コップの水を口にする。
「これからは外出する時、必ずつけなさい」
俺は黙った。
耳たぶに微かな重みが残っている。軽いけれど、そこにあることがはっきりと分かる。
4
「ここ数日、何をしていたの?」
「別に、何も」
「宗一郎が連れ出したりしたの?」
「ディズニーランドと、箱根に行った」
「箱根?」
「うん。一泊した」
彼女はコップを置く。
「どこに泊まったの?」
「季の湯 雪月花だよ」
「ああ、あそこは良い旅館だわ」
口調は平坦で、感情は読み取れない。
「彼も、いい場所を選ぶものね」
彼女は立ち上がり、窓際へ行き、背中をこちらに向ける。
「悠真」
「うん」
「こっちに来なさい」
俺は歩み寄り、隣に立つ。
陽光が二人の体を包む。彼女は俺より半頭ほど背が高い。
「あなたの体から」、彼女は振り返らずに言う、「私の匂いが薄れたわ」
「え?」
「雰囲気が、全然違ってしまったの」
彼女は振り向き、俺を真っ直ぐに見つめる。
「私がいない間、彼はあなたに何をしたの?」
「料理を作っただけ。カレーを一緒に作った」
「それ以外は?」
「何もない」
彼女は数秒間黙り込む。
「すぐに元に戻るわ」
手を伸ばし、俺の襟元を整える。指は冷たい。
以前と同じ、優しく、それでいて拒むことのできない仕草だ。
5
「晩ご飯は何が食べたい?」
「何でもいい」
「なら、執事に届けてもらおう」
彼女はリビングの隅にある固定電話を取り、番号をダイヤルする。
「今夜は二人分の食事を、いつも通りの内容で届けて」
電話を切る。
「七時に届くわ」
「うん」
ソファに座り直し、柴犬を膝の上に乗せる。
「この子、名前は?」
「まだつけていない」
「ずっと『柴犬』って呼んでいるの?」
「うん」
彼女は柴犬の耳を軽くつまむ。
「宗一郎が縁日で捕まえてきたの?」
「そうだよ」
「彼も、人の機嫌を取るのが上手だわ」
俺は返答しなかった。
6
夕飯が届いた。和食だ。焼き魚、煮物、お吸い物、ご飯。
二人は食卓に向かい合って座る。
彼女はゆっくり食べる。一口ご飯、一口おかず。箸を置き、また持ち上げる。
俺も同じようにゆっくり食べた。
「悠真」
「うん」
「私が留守の間、一つ考えたことはある?」
「何?」
彼女は俺を見つめる。
「あなたは、誰のものなのかって」
俺の箸の動きが一瞬止まるが、すぐにまたおかずを取る。
「……分からない」
「構わないわ」
彼女は焼き魚を一切れ、俺の皿に乗せる。
「ゆっくり考えればいいの」
7
食事が済むと、執事が食器を片付けに来た。
詩織はソファでスマートフォンを操作している。俺は柴犬を抱き、向かい側に座る。
「明日からレッスンを再開するわ」
「礼儀作法のレッスン?」
「そう。一週間休んだから、遅れた分を取り戻さなくちゃ」
「それから」、彼女は顔を上げてこちらを見る、「明日からは毎日このイヤリングをつけなさい。あの濃いグレーのコートに合わせて」
「……うん」
彼女はスマホを置き、立ち上がる。
「早く寝なさい。明日は八時からだから」
「おやすみ」
「おやすみ」
彼女は廊下へ進み、客室のドアが閉まる。
腕の中に柴犬がいる。耳たぶの微かな重みは、まだ残っていた。
俺は寝室へ行き、ベッドに腰を下ろす。右手で右のイヤリングに触れる。宝石は滑らかで、冷たい。
鏡の前へ行く。
鏡の中の自分は濃いグレーのパジャマを着き、耳に二つの深い紅い光が揺れている。
どこが悪いとは言えない。ただ、違和感がある。
あまりに目立つ。自分の体についているものとは思えなかった。
鏡を二秒ほど見つめた。
そしてイヤリングを外す。片方、もう片方。
箱の中に戻し、蓋を閉める。リボンは結び直さなかった。
箱をナイトテーブルの上に置く。
ベッドに横になる。
天井にわずかな光が差し込んでいる。
明日は八時。礼儀作法のレッスン。
彼女が戻ってきた。
すべてが元通りになった。
いや。
以前よりも、強く、きつく縛り上げられた。




