第38話 誰よりも、知っている
「……“星姫”様みたい」
小さな言葉が、耳に飛び込んできた。
思わず足を止めて、廊下の奥を振り返る。
けれど、声をかけられたのはマナではなかった。
柔らかな色合いの石造りの建物。中庭へと通ずる回廊の下に、ひとりの少女がゆっくり歩んでいた。
肩先にかかる髪は、雪を思わせるほど白い。淡い青灰色の瞳には、薄く色づいた眼鏡がかけられていた。彼女は静かに周囲を見渡すと、小さく息をついた。
「すごく綺麗で、羨ましいな……」
ふたりの少女が、離れた場所から見つめていた。
純粋な憧れのこもった言葉だった。
けれど、視線の先にいる少女はーー
服の裾を僅かに握って、歩み去って行った。
ここは、強力な“星の祝福”を持つ子どもたちのため、皇宮が正式に運営する訓練施設だった。幼いころから“星の祝福”と向き合い、扱い方を学ぶための場所。
そして、莉雅がかつて通っていた場所でもある。
「少し離れただけなのに、懐かしい気がしちゃう」
莉雅が、ぽつりとつぶやいた。
廊下の向こうには、管理の行き届いた中庭があった。葉を散らし始めた木々の間には、小さな噴水が水飛沫を上げ、花壇には色鮮やかな花が咲いていた。
せっかくだから、莉雅のいた場所を見たい。
そんな玉婷の希望から、今回の訪問に至った。
「莉雅は、ここで訓練をしていたのですね」
「はい! 5年ほどお世話になりました!」
玉婷は、お淑やかに微笑んだ。
訓練施設の中には、子どもたちの声が響いていた。まだ小さい子だと、7歳近くの子もいるのだという。
廊下の壁には細かな予定表が掲示され、訓練の時間から休憩、学習、食事まで丁寧に区切られていた。窓の向こうでは、教官に見守られながら、それぞれの“星の祝福”を操っていた。
やがて、ひとつの部屋に案内された。
部屋の四方は、防火性能の施された灰色の壁に囲まれていた。ところどころに、焦げた跡のようなものが残され、莉雅の努力を静かに物語っていた。
「私は、いつもここで練習してたの」
莉雅は、目を細めて笑った。
「……“炎の力”は、施設を燃やす危険があったからね」
それ以上は、続かなかった。
教官さえも、ガラスひとつ隔てられた場所で見守る。たったひとりで、ひたすらに能力を扱い続ける日常が、どんなものだったのかは想像に難くない。
「そういえば!」
莉雅が、明るい声を上げた。
「そろそろ実技試験が始まります!」
「あら、莉雅の後輩たちのですわね?」
「はい! みんなで見に行きましょう」
玉婷は、笑顔で頷いた。
「ええ、もちろんですわ」
◯
一行は、広く整備された場所へ来た。
実技試験場には、十数人ほどの子どもたちが集まっていた。緊張した面持ちの子も、自信に満ち溢れた子も、中央に立つ莉雅へ興味深そうな視線を向けていた。
試験が始まる前、教官から莉雅に“星の祝福”の扱い方を実演してほしいと頼まれたらしい。
莉雅は、少し楽しそうに片手を掲げた。
「じゃあ、まずは私が見せるよ!」
次の瞬間。
指先に、小さな炎が灯った。
淡い青色の輝きを放つ炎は、ゆっくりと空中へ浮かび上がり、やがて幾筋もの細い炎へと分かれていった。
まるで螺旋を描くように、莉雅の周囲を巡る。
互いに触れ合うことなく、繊細な曲線を成していく。細やかな輪を結んだかと思えば、小さく弾けて、花が咲くようにひとつ、またひとつと開いた。それらは、炎の花が踊るように空中を移動していった。
最後には、並んで莉雅の指先へ戻っていく。
一斉に拍手が広がった。
とても、幻想的な景色だった。
「私もね、初めからできたわけじゃないの」
莉雅は、少し照れたように笑った。
彼女の言葉に、子どもたちはどこか真剣な表情で頷いていた。あの頑丈な部屋ではなく、こうして人前で操れるのは、彼女の努力の証でもあった。
続けて、実技試験が始まった。
子どもたちは順番に、“星の祝福”を披露していく。
小物を浮かせる子、風で旗を揺らす子、影を操る子。成功する子もいれば、途中で力を乱してしまう子もいた。
そのたびに、教官たちは穏やかに声をかけていた。
やがて、ひとりの少女が呼ばれた。
「では次に、ミーティアさん」
「……はい」
教官が装置に触れると、天井の光が和らいだ。
立ち上がったのは、先ほど見かけた少女。落ち着いた足取りで中央に向かうが、指先は僅かに握られていた。
四方には、標識が立てられていた。
「では、指定の範囲に“霞の力”を広げてください」
ミーティアは、こくりと頷いた。
やがて、彼女は両手をゆっくりと伸ばした。
白い霞が足元からふわりと広がり始めた。水面を滑る朝霞のように、柔らかく床を覆っていく。
少女の周りだけが、淡い雲に包まれていく。
光を透かした霞は、淡い銀色の煌めきを帯び、揺らぐたびに輪郭を変えながら範囲内に漂っていった。
どこか神秘的で、美しい光景だった。
「わぁ……!」
どこかから、感嘆の声が聞こえた。
「なんだか、神様みたいだね」
誰かが、何気なくつぶやいた。
憧れるような、褒めるような言葉。そこに悪意が含まれていないことは、声色からもわかった。
けれど、その瞬間。
ミーティアの指先が僅かに揺れた。
足元の霞が、ふわりと膨らむ。指定された範囲の外側へ、薄い霞が流れ出した。
「あっ……!」
ミーティアが、小さく声を零した。
慌てて両手を閉じたものの、霞の動きは止まらなかった。薄かった白は次第に濃さを増し、幾重にも重なって実技試験場の床を覆い隠していく。
「ミーティアさん、落ち着いてください」
教官の声が響いた。
「ご、ごめんなさい……!」
ミーティアは、両手を重ねて胸元に当てた。
けれど、途端に霞は勢いを増していった。白い幕が周囲を呑み込み、先ほどまで見えていた標識も、子どもたちも、少しずつ隠されていく。
やがて、実技試験場の扉が閉まった。
霞に、危険はないとわかっているのだろう。
教官たちは、落ち着いた様子で子どもたちを集め、お互いの居場所を確かめ合っていた。
霞が生み出す静けさの中では、誰かの小さな息遣いでさえも妙にはっきりと聞こえた。
そのとき。
霞の向こうから、掠れた声が届いた。
「ごめんなさい……!」
ミーティアの声だった。
姿は霞に隠され、見えなかった。けれど繰り返される微かな声だけが、白い霞を通り抜けてくる。
マナは、僅かに息を呑んだ。
意思に反して、広がり続ける力。止めたいとどれほど願っていても、どうしても止まらない恐怖。
ーーあのときも。
胸の奥で、遠い記憶が揺らいだ。
けれど、その先を思い出すより早く。
「待っててね、私が行くから!」
莉雅の声が、静寂を破った。
彼女はそっと片手をかざし、炎を灯した。
淡い青色の輝きが、白い景色へ少しずつ滲んでいく。炎は燃え上がることもなく、指先の動きに合わせて静かに揺らめいていた。
炎の熱が、ゆっくりと霞を導いていく。
白い幕に隙間が生まれ、そこから床の木目が覗いた。細い光がいくつも分かれ、霞の奥へ進んでいく。
柔らかな炎の照らした先。
しゃがみ込んでいるミーティアの姿を見つけた。彼女は顔を両手で覆っていた。
「……ミーティア」
莉雅が、柔らかく声をかける。
ミーティアは、顔を上げなかった。薄く色づいた眼鏡が床に落ち、白い髪がその表情を隠していた。
「……止まらないです」
震えた声が、指の隙間から零れた。
莉雅は、彼女の前にしゃがみ込む。
指先に灯した炎が、ゆっくりと花開く。淡い青色の光は、幾重にも重なった花びらを揺らしながら、ミーティアの背後に隠れ、静かに彼女を暖めていた。
「“星の祝福”は、お友だちだよ」
莉雅は、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「あなたのことを護ろうとして、頑張りすぎちゃったみたい」
ミーティアが、僅かに顔を上げた。
霞に隠された場所で、彼女の淡い青灰色の瞳がまっすぐに、どこか不安そうに、見つめていた。
莉雅は、急かすことなく微笑んでいる。
程なくして、ミーティアは恐る恐る片手を伸ばした。眼鏡を手に取り、そっと掛け直した。
「……お友だち」
彼女は、小さく息をついた。
両手を伸ばして、白い霞に触れた。何かを確かめるように、自身の手元へ目を落とし、指を少しずつ開く。
やがて、彼女の足元で僅かに霞が薄くなった。
ほんの小さな変化だった。
それでも、少しずつ霞が揺らいでいく。光が淡く霞を照らし、床の木目が現れ、標識の輪郭が戻り始めた。
ミーティアの周囲から、霞が引いていく。
最後に残った霞は、しばらく彼女のそばを漂ったあと、雪が溶けるように消えていった。
莉雅は、そっと微笑んだ。
「お友だち、わかってくれたかな」
ミーティアは、ゆっくりと顔を上げた。
「……はい」
先ほどの炎のように、小さいけれど確かな声だった。
細い指先が、白い髪に絡む。
ミーティアは少しだけ口を結んでから、莉雅へ目を向けた。眼鏡の奥で、淡い瞳が揺れていた。
「……わたしは、アルビノなんです」
とても、静かな声だった。
「……うん」
莉雅は、短く答えて次の言葉を待つ。
ミーティアは、白い髪へ触れていた指を下ろした。彼女は、どこか迷うように少し声をくぐもらせていた。
「……わたしが他と違うことは、わたしが1番よくわかっています」
マナは、無意識に胸元へ手を当てた。
ーー“星姫”様みたい。
廊下で聞こえた言葉が、耳の奥に残っていた。
銀髪が神聖とされる星で、それに近い髪を持って生まれたこと。きっとそれだけで、彼女へ向けられる視線は、普通とは違うものになったのだろう。
褒められて、羨ましがられて。
そのたびに、自分が他の子とは違うのだと、望んでいなかったとしても、改めて教えられる。
そんな想いは、少しだけわかる気がした。
「だから、隠れたくなっちゃって」
ミーティアは、眉を下げて微笑んだ。
「……“霞の力”が叶えてくれたみたい」
少しだけ、困ったような響きが含まれていた。
やがてミーティアは、窓の向こうへと視線を向けた。秋の陽光が、薄い雲を透かして差し込んでいる。
その表情は、先ほどよりどこか穏やかだった。
◯
ミーティアは、再び訓練へ戻っていった。
教官に付き添われながら、他の子どもたちのもとへと歩いていく。途中で振り返り、莉雅へ手を振った。
マナは、しばらく彼女の背を眺めていた。
施設を離れる頃には、もう陽が傾き始めていた。陽光は柔らかかったが、風は少し冷たくなっていた。
「……そういえば」
莉雅が、何かを思い出したように顔を上げる。
「ここにはね、殿下もいたんだよ」
「……えっ?」
マナは、思わず目を見開いた。
サフィールへ視線を向けると、彼はどこかいたずらっぽく微笑み、腰に提げた剣へ手を当てた。
その動きにつられて、マナも視線を落とす。
そこには、小さな飾りが揺れていた。
龍の意匠を施した、小さな金色の剣。その中央に嵌め込まれた青色のビーズが、陽光を受けて煌めいていた。
マナが贈ったものだった。
「僕だって、練習するんですよ?」
マナは、少しだけ目を瞬かせた。
「……はい」
マナも、小さく笑みを返した。
莉雅も、そんなふたりを眺めながら、口元を緩めた。
「私、よく殿下に星焰や玉婷さまのことを話していたんだ」
彼女は、懐かしそうに笑った。その声には、幼いころの思い出を辿るような柔らかな響きがあった。
マナも、話に耳を傾けた。
幼いころに、故郷を離れて来た莉雅。知らない土地と人に囲まれて暮らすのは、簡単ではなかっただろう。
サフィールは、何度も彼女の話を聞いてくれたそう。
莉雅が懐かしそうに、時に寂しそうに語るたび、彼は穏やかに頷き、慰めながら聞いてくれたらしい。
「そしたら殿下が、星焰に外交で行くから来ないかって誘ってくれて!」
莉雅が、嬉しそうに笑った。
「……そうだったんですのね」
玉婷は、柔らかく微笑んだ。
一行は、訓練施設の敷地外へ出た。施設の窓からは、まだ子どもたちの声が響いていた。
ーー“星の祝福”は、お友だち。
マナは、そっと自分の手元へ目を落とした。
何度も隠してきた。誰にも知られないように、もう怖がられないように、心の奥へしまい込んできたもの。
いつか、自分も向き合えるようになるだろうか。
(……私も、友だちになれるかな)
秋の空には、夜の気配が滲み始めていた。




