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星姫 〜天の星、地の人〜  作者: 猫様のしもべ
第3章 “星姫”の成せる限り
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第37話 雨音よりも、賑やかに

「龍とは、なぜあれほど美しいのでしょう……!」


 雨音が、窓の向こうで絶え間なく響いていた。


「ええ、わかります! 雄大なる翼も、夜空を翔ける姿も、実に素晴らしいものです」


 夕暮れの皇都を、突然襲った大雨。


 迎えの車を頼めば帰れるはずのふたりは、それでも龍のグッズを前に、もうずいぶんと長いこと熱く語り合っていた。いつしか雨音さえ遠ざかったように、楽しげな声が店内に響いている。


 そして、彼らの向かいには。


「……ふぅん?」


 どこか不思議そうな表情を浮かべた、“龍姫”の姿。

 セフィリアは、小首を傾げながら会話を聴いていた。


 マナは、小さく微笑んだ。


 こんなことになったのは、今朝のこと──

 星焰連邦国から、ふたりの少女が留学してきたことが始まりだった。


 ◇


「本日から、ふたりの留学生が仲間になります」


 先生がそう告げると、生徒たちの視線が一斉に教室の扉へと向けられた。


 静かに扉が開かれ、ふたりの少女が姿を現す。


 先に歩み出た少女の真紅の髪が、ふわりと揺れた。凛とした佇まいには気品が漂い、どこか年相応の可憐さも残されていた。


「──初めまして」


 教室は、自然と静寂に包まれていた。


「星焰連邦国から来ました、星玉婷《シンユーティン》ですわ」


 少女は優雅に一礼する。


 彼女が顔を上げると、澄んだ黄金色の瞳が、教室に集う生徒たちをゆっくり見渡した。


 その隣には、燃えるような鮮やかさを宿した碧眼の少女。紺色を基調とする制服に、その瞳はひときわ美しく映え、明るい笑みと共に輝いて見えた。


「同じく、春莉雅《チュンリーヤー》です!」


 こちらは、弾むような声。


 ふたりはそっと顔を見合わせると、まるで合図を交わしたかのように、声を揃えた。


「よろしくお願いします」


 ◯


 放課後、マナたちは廊下を歩いていた。


 天花祭を終えた学園には、穏やかな時間が戻りつつあった。窓辺に結ばれた花飾りや、天井に浮かんでいた星の風船などが、生徒たちの手によってひとつずつ外されていく。


 色鮮やかだった廊下も、見慣れた姿に戻っていた。

 賑わいの名残が消えていくのは、少し寂しくもある。


 けれど、変わっていくものばかりではない。

 すぐ前には、新たな友だちとなったふたりの少女が歩いていた。


「玉婷様、莉雅さん、このあとお時間ありますか?」


 ソフィが明るく問いかけた。


「ええ。本日は、ゆっくり学友の皆さまとお話したいと思っておりましたの」

「それなら、私たちが皇都を案内します!」

「あら、よろしいんですの?」

「もちろんです!」


 いつの間にか、ずいぶんと仲良くなっていた。


 朝から何度か言葉を交わしていたらしいが、まだ出会ってから半日も経っていない。ソフィの社交性には、たまに驚かされる。


 そんな会話を聞きながら、マナはふと足を緩めた。


 通りかかったホールの扉は、開け放たれていた。

 その中心には、満開に咲き誇った天花樹。


 少し前と変わらず、広げられた枝には数えきれないほどの星花が結ばれ、差し込む陽光を受けて淡い煌めきを返していた。


 マナは、その中に見覚えのある花を見つけた。


 控えめに飾られた、星染花。


 柔らかい花びらの中に小さな青い星を隠し、揺れるたび、星光のような微かな輝きを零していた。


 ──私を信頼してください。


 僅かにぎこちない声で、差し出された花。

 そのときのことを思い出し、マナは小さく微笑んだ。それから、友だちを追って歩き出した。


 背後では、たくさんの願いを抱えた天花樹が、静かに揺れていた。


 ◯


 皇都には、秋の柔らかな陽光が降り注いでいた。


 頬を撫でる風には少しずつ冷たさが混ざり、街路樹もいつしか季節の深まりを感じる色へと染まり始めていた。足元では、風に運ばれた落ち葉が乾いた音を立てて転がっていた。


 街に詳しいソフィが、明るく案内をしていく。


 玉婷は、公の立場で訪ねることを避けたいらしい。

 鮮やかな髪はウィッグに隠し、目元には伊達メガネ。さらに帽子まで目深に被っているものだから、教室で見せた気品ある姿とは、どこか印象が違っていた。


 マナも、なるべく彼女の役に立ちたいと思っていた。


 そう、思っていたのだが。


「……あ」


 鮮やかな看板が、目に飛び込んできた。


 店先に大きく掲げられているのは、新作ゲームの予約販売を知らせる広告。以前から楽しみにしていた作品が、色鮮やかに描かれていた。


 まだ知らない物語、新しい冒険。

 どんな世界が広がっているのだろうか。


 気づけば、マナの足は自然とそちらへ向かっていた。


 吸い込まれるように、一歩。

 けれど、不意に裾が小さく引っ張られた。


「マナ」


 振り返ると、笑いを堪えた表情のソフィがいた。


「ゲームが気になったの?」

「うん、前から楽しみにしてたの」

「ふふっ、やっぱり」


 ソフィは笑いながら、カメラをそっと下ろした。


 いつの間にやら、撮られていたらしい。


 そして、さりげなく正しい道へと促された。

 毎日学園に通っているはずなのに、なかなか寄り道の足は止まらず、迷うことも少なくはない。


 マナはほのかに頬を赤らめ、歩みを正した。


(玉婷様なら、寄り道とかしないのかな)


 あれほど上品な彼女なのだから、好奇心に負けてしまう自分とは違うのだろう。


 そう思った矢先だった。


「あれは……!」


 今度は、玉婷の足が突然止まった。


 その視線の先には、金色に輝く龍の飾り。


 窓辺には翼を広げた龍の置物や、大小さまざまなぬいぐるみが並んでいる。店内の棚には龍の鱗や羽を模した装飾品まで飾られ、龍にまつわる伝承らしき本もあった。


 玉婷の瞳が、みるみる輝いていく。


 ──もっとも、それは彼女だけではなかった。


 隣では、普段上品に佇んでいるサフィールまでもが、店先に並ぶ龍たちをじっと見つめていた。


「莉雅」

「ノエル」


 ふたりの声は、ほとんど同時だった。


「少しだけだから……!」


 期待に満ちた眼差し。


 対して、答える声はほぼ真逆だった。


「ぜひとも、入り浸りましょう!」

「少しだけ、ですよ」


 莉雅とノエルは、言い終えてから目を合わせた。


 片方は満面の笑みを浮かべ、もう片方はどこか諦めたような表情だった。


 そんなふたりをよそに、玉婷とサフィールは嬉々として店内へ足を踏み入れた。


 棚には、龍を模した品々が所狭しと並んでいた。


 星を抱いて眠る龍、宝石のように美しい龍、翼を広げて天を仰ぐ龍。愛らしいぬいぐるみから精巧な装飾品まで、その種類は実に多彩だった。


 玉婷は、ひとつの飾りに釘付けに。

 まるで宝物を見つけたように、金の瞳を輝かせる。


 星焰連邦国に住まう、炎神龍のぬいぐるみだった。


 どれほど荘厳な龍でも、丸みを帯びたぬいぐるみになってしまえば、ずいぶんと可愛らしいものだった。


「莉雅、この子をお迎えしましょう!」

「はい、もちろんです!」


 答えには、一切の迷いもなかった。


 一方、少し離れたところでは。

 呆れたような表情の護衛が、皇子を見守っていた。


「ノエル、これかっこよくない?」

「数秒前にも、同じ言葉を聞きました」


 サフィールの碧眼が、少し不満そうに訴えかける。

 けれど、そんな視線を向けられても、鉄壁の護衛は微動だにしなかった。


 マナは、思わず笑みを零した。


 ふと、動きを止める。


(……殿下の誕生日、何も渡してないな)


 目の前には、龍の装飾品が並んでいる。


 きっと、どれを贈っても喜んでもらえるだろう。


 数秒だけ、指先が宙を彷徨った。

 周りをそっと見回し、誰も見ていないことを確かめてから、手早くそれをレジへ持って行った。


 選んだのは、ひとつのキーホルダー。


 金色の龍を模した剣の中央に、青色のビーズが嵌め込まれている。光を受けると、澄んだ青が煌めいた。


 ささっと鞄に突っ込み、平静を装う。


(……なんでコソコソしてるんだろう)


 自分でも、よくわからなかった。


 そんな疑問も抱きつつ、本物の龍のそばへ。

 セフィリアは、棚から取り出した“龍姫”の伝承とされている本をじっくりと見つめていた。


 そっと覗き込んでみると、古めかしい言葉で彼女の功績を讃える文章が長々と書き綴られていた。


『……“龍姫”様は迷える人々に、1人残らず手を差し伸べて回られたのである』


 だいぶ、大袈裟な気がする。


 そばには、“龍姫”とされる肖像画が描かれていた。


 どことなく面影はあるものの、変な方向に美化されていた。華美な羽衣を纏い、背後に光輪を背負う姿は、どう考えてもセフィリアの好まないものだった。


 セフィリア本人も、首を傾げている。


「……ボクに似てるかな?」


 マナは、沈黙しか返すことができなかった。


 そのとき。


 ぽつり、ぽつりと微かな音が聞こえた。

 顔を上げると、窓の奥に小さな雨粒が落ちていた。


 やがて雨は勢いを増していき、数分もしないうちに激しい音を立てて窓を叩きつけ始めた。石畳には雨水が跳ね、通りを行く人々が、慌てて軒下に駆け込む。


 誰も、傘を持ち合わせていなかった。


 とはいえ。


「わぁ、すごい雨だなぁ」


 どこかわざとらしい澄んだ声が響いた。


「こうなったら、帰れないね!」


 玉婷と莉雅も、何度も頷いている。

 もはや、笑みを隠しきれていなかった。


 だが、鉄壁の護衛は揺らがない。


「全員、迎えを頼めますよ」


 至極もっともな指摘だった。


 サフィールは、慌てて首を振った。


「せ、せっかくだから……!」


 ◯


 こうして、しばらく留まることに。


 硝子を伝う雫が、窓の向こうの街並みを淡く滲ませていた。軒先から落ちる水滴は絶え間なく石畳を叩き、街路樹の葉も、雨粒の重みに深く垂れ下がっていた。


 けれど、店内には賑やかな声が響く。


「いやぁ、おふたりとも詳しいですねぇ」


 気づけば、店主まで輪に加わっていた。


 古代の龍にまつわる伝承、各地域に残る目撃談、五神龍についての記録や歴史まで、話題は尽きることなく広がり、すっかり意気投合していた。


 ソフィは、たまに会話に加わっていた。

 フィーユは、並んだ商品を眺めていた。


 セフィリアは、聞けば聞くほど首を傾げた。

 本物の龍がすぐそばにいるのに、龍に会いたいと熱心に語り合っている。


 マナには、そんな光景が少しおかしかった。


「五神龍は1000年ほど前に突如として現れたとか」


 店主が、古い書物を開いて語った。


「ええ、何かを探し求めるように、美しき翼で夜空を舞うのだと聞きましたわ」

「一度でいいので、間近で見てみたいものです」


 玉婷の言葉に、サフィールが深く頷いた。


 セフィリアは、僅かに瞬きをして細い腕を組んだ。


「何かを探す五神龍……」


 小さな声が雨音に消えた。

 思い当たるものでもあるのだろうか。


 時が経つにつれ、雨はだんだん弱まっていった。


 窓を伝う雫は細くなり、いつしか静かな水音へと変わっていった。街灯の光が雨粒を透かし、硝子には幾筋もの淡い輝きが揺れていた。


 雲の向こうから、夜の気配が降りてくる。


 雨が止んだころには、月明かりが差していた。


 店を出ると、ひんやりとした夜風が頬を撫でた。濡れた石畳には影が細長く伸び、静寂が漂っていた。


「……不思議ですわね」


 玉婷は、月を見上げてつぶやいた。


「どれほど雨が降り続いても、こうしてお友だちと歓談の炎を灯せるなんて」


 先ほどまで、あれほど熱心に龍について語っていた声とは違い、どこか静かで、柔らかい響きがあった。


 隣では、莉雅も明るい笑顔を浮かべていた。


「──とても、嬉しいものですわね」


 楽しそうに笑うソフィと、穏やかに微笑むフィーユ。セフィリアは少し眠たそうに夜空を見上げ、マナは少しだけサフィールに目を向けた。


 間もなく、迎えの車が到着した。

 玉婷と莉雅は、滞在先のホテルへと向かうらしい。


「それでは皆さま、また明日」

「はい! また遊びましょうね!」


 ソフィが明るく答えると、ふたりは嬉しそうに笑う。彼女たちを乗せた車は、雨上がりの通りを静かに走り去って行った。


 ソフィとフィーユも、それぞれの車で帰って行く。


 人が減るにつれ、静けさが戻っていた。


「それでは、僕も帰りますね」


 サフィールは、静かにそう告げた。

 けれど、その視線はどこか名残惜しそうに、先ほどまでいた龍の店を見つめていた。


 マナは、少し視線を彷徨わせた。


 迷うように鞄に手を添える。


 そして、意を決したように口を開いた。


「……殿下、これどうぞ」

「えっ?」


 差し出した手の上には、小さなキーホルダー。

 金色の龍を模した剣に、嵌め込まれた青いビーズが街灯の光を受けて煌めいていた。


「星染花のお返しみたいなやつで……」


 早口で、適当な言い訳をした。


 サフィールは、しばらく手を止めていた。


 ただ、数回瞬きをして。


 キーホルダーを、そっと受け取ってくれた。


 顔を上げた彼は、とても嬉しそうに微笑んだ。


「……お返し、ありがとうございます」


 マナは、ほっと息をつく。


 サフィールは、もう一度キーホルダーに目を落とすと、大切そうに手で包み込んだ。


 そして、いつものように穏やかな笑顔で手を振った。


「それでは、また学園で」

「……はい、また明日」


 車が遠ざかるのを、ゆっくり見守った。


「じゃあ、帰ろうか」

「うん」


 雨上がりの皇都は、昼間の賑わいをすっかり手放していた。街明かりの滲む夜空には、月だけが淡く浮かんでいた。


 家までの道のりは、まだ少しある。


 けれど、友だちの声は耳に残り続けていた。

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