第35話 咲き誇る花に隠れて
「ようこそ、“夜空を描くカフェ”へ」
マナは、緊張で早くなる鼓動を感じる。
胸の前でそっと手を組み、店を訪れた客に告げた。
「わぁ……!」
自然と零れた感嘆の声。
客は扉を開けた先で、ほんの少し立ち止まった。
店内は決して暗すぎない。
歩くことに困らない程度の明るさを残しながら、天井にだけ静かで、神秘的な夜空を描いていた。
ここでだけは、皇都の明かりにもかき消されない。
球体型の照明には、生徒たちが何日もかけて星座の形を写し取り、穴を開けた黒い紙が被せられている。
そこから描かれる夜空には、無数の星が煌めいていた。
生徒たちの描く星座には、少しいびつな形もある。
けれど不完全だからこそ、暗く冷たい本物の夜空にはない、どこか暖かい雰囲気が教室に満ちていた。
「星型の明かり、すごく綺麗だね」
客のひとりが、そうつぶやいた。
各テーブルには、星型の小さな照明がある。
豆電球に、半透明の紙を一枚一枚切り抜き、立体の星型へ組み上げたものを、被せただけの簡易照明。
けれど柔らかな光が木目を照らし、星森を思わせる。
窓は厚手のカーテンで覆われていた。
さらに光を遮れる“星の祝福”持ちの生徒が協力し、昼間であることを忘れてしまいそうな夜を作り上げていた。
どれも決して高価な材料を使ってはいない。
腕利の職人に頼んだわけでも、得意なわけでもない。
それでも。
誰かと考え、誰かと作り、誰かと過ごす。
そんな時間があるからこそ、美しいのだろう。
「こ、こちらのお席へどうぞ」
練習はしたものの、うまく接客ができない。
それでも、客の少女たちは笑っていた。
案内された少女たちは、天井を見上げた。
「えっと、こちらがメニューになります」
「ありがとうございます」
「ご注文がお決まりの際は、こちらのボタンを押して、お知らせください……!」
なんとか最後まで言い切った。
注文するためのボタンもあるが、電光掲示板に番号が表示されるみたいなものでは、もちろんない。
押したら真上にまっすぐな光を放つ、それだけ。
100均で買えるような、簡単なライト。
けれど雰囲気のおかげで、夜空に光の柱が立つみたい。
声と視線で呼ぶには、少し暗かったための代替案だ。
「えーっと、こちらが“月夜の誘い”です」
セフィリアが、月の絵を描いたラテを運ぶ。
「ありがとうございます!」
「じゃあ、“夜空の星に愛されますように”」
「え、かわいい……」
セフィリアは、きょとんと首を傾げる。
最後の言葉は、“夜空を描くカフェ”の合言葉。
単純な“願いが叶いますように”では、どこか物足りない気がするという生徒の発言から、こんな言葉になった。
星に愛されたら、願いが叶うだろうという意味だ。
ちなみに事実、星に愛されているマナがやるとちょっと効果が出たりするので、マナは案内だけに努めている。
“夜空を描くカフェ”は、行列ができるほど人気だった。
◯
しばらくして、客足も落ち着いてきた頃。
「マナ、お疲れさま!」
ソフィが、明るい笑顔で駆け寄る。
シフトの時間が終わったので、交代だ。
「マナと一緒に遊びたかった〜!!」
ソフィは、大切な役割のための下準備。
そのために、今からシフトとなるので遊べない。
彼女はカメラを握りながら、悔しそうに叫んだ。
セフィリアもまた、別の用事がある。
ちょっと残念そうだったが、また後で楽しめるだろう。
「フィーユ、一緒に行こっか」
「……うん」
ふたりだけで、天花祭を楽しもう。
秋の暖かい陽光に、学園が照らされていた。
まだ少し暑いが、夏よりは過ごしやすい。
いつも穏やかなマーラプアが、活気に満ち溢れていた。
校門には、色鮮やかな花飾り。
噴水の水面には、花びらが散りばめられている。
明るい曲調の音楽がどこからともなく流れ、生徒や保護者に限らず、近隣住民までもが楽しそうな笑顔だった。
マナたちは、まず中庭に出てみた。
中央の噴水前に、スタンプ台が置かれている。
“星花巡り”と呼ばれるもの。
星と花を組み合わせたスタンプを、マーラプアの各所を巡りながら集めていく、観光兼スタンプラリー。
それぞれのスタンプには、意味が込められている。
「これは、アサガオと青色の星だね」
「意味は、“永遠の絆”だって」
「……いいね。次のところ行こうか」
ふたりで中庭を離れ、各地を巡り歩く。
最初に向かったのは、図書室だった。
数多の本が、ズラリと並べられている。
普段は静かな図書室も、今日ばかりはほんの少しだけ、絵本を読む親子などがいて賑やかになっていた。
本棚の間には、小さな花の飾りが添えられている。
受付の机には、星を模した栞があった。
記念にひとつだけ、もらえるらしい。
マナは、栞をひとつ手に取った。
頭上に掲げて、光を透かしてみる。
透明なフィルムの隙間に、シャラシャラと音を立てる、星屑のような細かい粒が光を受けて揺らめいていた。
花びらも数枚だけ、閉じ込めてあった。
本を大切に思う生徒たちの、手作りだった。
フィーユは、花びらが少なめのものを選んだ。
「これがあれば、きっと読むのを忘れないね」
彼女は栞を手に、小さくつぶやいた。
図書委員にスタンプをもらい、図書室を後にする。
ここは、ラベンダーと淡い紫色の星。
その意味は、“繊細さを隠した沈黙”だった。
マナは密かに、ソフィを思い浮かべる。
次の場所は、訓練場らしい。
歩いていく途中、小さな人だかりができていた。
看板には、イラスト部作品展示と書かれている。
「……少し覗いてみてもいい?」
マナは、そっと尋ねてみる。
ここにはきっと、フィーユの絵もあるだろう。
「少しだけなら」
マナは小さく頷き、中に入る。
壁に飾られた絵、床に立てられた絵。
絵によって、色の使い方やデザインが違うのに、どれも誰かの大切な想いが込められているような気がした。
それらの中に、ひとつの絵を見つけた。
慎重に使い分けられた色、繊細な筆使い。
名前には、フィーユ・ラピュセルと書かれていた。
小さな泉に映り込む、美しい星空。
水面の揺らめきも、雲の映り方も、描くすべてがどこか1人きりで見上げているような切なさが感じられた。
しばらく、マナはじっと見つめていた。
何かを話すこともなく、ふたりはイラスト部を離れた。
訓練場に着くと、石畳の上にスタンプ台がある。
「ここ、セフィリアが壊したとこ……」
スタンプ台の前に、剣先型の穴がある。
文化祭後には埋められるので、一時的な名所だった。
スタンプは、サザンカと赤色の星。
意味は、“困難に打ち克つ”だ。
確かに訓練場に相応しい意味を持っていた。
「最後は、メインホールだね」
そこには、1番美しいフォトスポット。
天花祭の象徴とも言える、天花樹がある。
廊下を進み、人が集まっているところへ。
天井に届きそうなほど、枝を伸ばした樹。
天花樹に星花を飾ると、意味が自分の力になってくれるという言い伝えがあるため、生徒たちは喜んで飾る。
天花樹は、いつの間にか星花で満ちていた。
色彩豊かな花と星に囲まれ、緑色の葉は隠れている。
まるで星空と花畑が、寄り添っているかのよう。
幹には、模様のように蔦が巻かれていた。
生きた樹と、願いが紡ぐ景色。
あまりの美しさに、しばらく見惚れた。
花びらが、ふわりと舞い降りる。
そのとき。
フィーユが、動きを止めた。
遅れてマナも、中心の人物に気がつく。
僅かに金色の混ざった茶髪。
エメラルドのような、鮮やかな緑眼。
花びらを手に取る姿も絵になる。
完璧と言われた美少女──
フィーユの姉である、クオーレだった。
優しい笑顔で、案内をしている。
けれど、どこか気になった。
そっと片手を天花樹に添えていた。
よく観察すると、指先に淡い光が宿っていた。
次の瞬間、クオーレがこちらに目を向けた。
「お姉さま……」
フィーユが、微かにつぶやく。
ふたりの目が合う。
一瞬だけ、沈黙ができた。
ほんの、小さな一瞬。
クオーレは、天花樹から手を離した。
刹那、ピシッと音が聞こえた。
マナは、顔を上げた。
天花樹が、ゆっくりと傾いていた。
幹が軋んで、枝が揺れる。
「フィーユ……!」
天花樹が、倒れてくる。
フィーユの周りに、大きな影ができた。
星花がひとつ、足元に落ちる。
手を伸ばしても、間に合わない──。
そのとき。
クオーレだけが、迷わなかった。
「……咲いて」
静かだけど、強い声が響いた。
命令ではなく、願うような声だった。
次の瞬間。
天花樹が、無数の花を開かせた。
星花に隠れていた蕾が、満開に咲き誇る。
柔らかい青色の花が、静かに揺れる。
幹を覆っていた蔦が、急速に太さを増した。
弱っていた幹にも力が戻り、だんだんと起き上がる。
ゆっくりと、元の位置に戻った。
花びらは、まるで雪のように舞い散る。
窓から差し込む陽光が、柔らかく照らした。
ほんの数秒、静寂が包み込んだ。
次の瞬間、ホールに歓声が響き渡った。
その場にいた生徒たちが、大きく拍手をした。
「これが“花の力”なのね!」
「さすがクオーレ様だ!」
「妹さんを助けるために……!」
クオーレにも、フィーユにも人が駆け寄る。
「フィーユさん、怪我していない?」
「怖かったよね……」
安心させるように、肩に手を置く人。
優しく手を差し伸べる人。
みんな、それぞれで心配していた。
フィーユは、輪の向こうにいる姉を見た。
クオーレも、そっと妹を見る。
一瞬、視線が重なった。
けれど、どちらからともなく目を逸らした。
マナは、何を言えばいいかわからなかった。
何を言っても、違う気がした。
ようやく出てきたのは、普通の言葉。
「……その、大丈夫?」
たった、それだけ。
なのに。
フィーユは、ほんの少しだけ──
安心したかのように、微かに笑みを浮かべた。
「……うん」
マナは、ほっと安心する。
なぜ、そんな表情をしたのかわからない。
気づけば、クオーレが目を向けていた。
驚くように、僅かに目を見開いて。
すぐに視線を落とし、小さく息をつく。
そして、静かに背を向けた。
先生の方へ、歩き出す。
舞い散る花びらだけが、寄り添っていた。
拍手がだんだんと消えていく。
胸の奥に残された小さな痛みだけが、誰にも気づかれることがないまま、静かに降り積もっていった。




