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星姫 〜天の星、地の人〜  作者: 猫様のしもべ
第3章 “星姫”の成せる限り
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第26話 波に呑まれる足跡

夕陽が輝く海を、茜色に染めていく。

優しく揺れる水面は、だんだんと凪いでいた。


昼間の賑やかさは少し落ち着き、波も冷え始める。

空と海の色が似るほど、溶けるように滲む。

夜に近づく空には、星がひとつ、小さく煌めいていた。


昼間はあんなにも遊んでいたが、今や疲れ切っている。

マナたちはホテルへ向かい、歩き出した。


「姫様、楽しかったですか?」

「はい!久しぶりに楽しめました」


優しい問いかけに、ルティアナは笑顔で答えた。


けれどそれは、子どもらしい笑顔ではなかった。

民を導かんとする、“皇女”の微笑みだった。

そうあろうとしている彼女に、少し胸が痛んだ。


ホテルの部屋に戻ると、すぐ風呂に入った。

塩まみれになった身体を、丁寧に洗う。


太陽も地平線に隠れ、闇が覆い始めた。

マナたちは皇族一家に誘われ、一緒に食事することに。

案内されたのは、海の見える広い個室だった。


皇族一家は、後から部屋に来た。


浴衣を着たサフィールと目が合い、思わず逸らした。

少し頬を朱色に染めたまま、席に座った。


「いただきます」


声を揃えて、挨拶する。


机には、美しく並べられた料理。

海鮮料理がほとんどで、米料理もたくさん。

子ども用にか、ジュースも多めになっている。


皇族たちは、みんな作法が丁寧だった。

フォークやナイフの音が、ただ響いていた。


それよりも驚いたのは、ルティアナも完璧だったこと。


背筋を伸ばし、音を立てず、小さな手を動かす。

まだ幼いはずなのに、たくさん練習したのだろう。

皇女として、皇族のひとりとして、並ぶために。


マナは、ほんの少し胸が痛んだ。

けれどそこに、同情はあまりなかった。


(私は“星姫”たるために、どこまで努力してるーー?)


幼き皇女と、思わず比較してしまった。


一生懸命に、料理を口に運ぶルティアナ。

そのとき、柔らかい笑顔で皇妃が声をかけた。


「ルア、あまり緊張しなくていいわよ」

「は、はいっ・・・!」


ルティアナは、慌てて答える。

微笑ましいはずなのに、どこか硬かった。


そんな空気をあまり気にしない、セフィリア。

3つめのケーキに手を伸ばそうとしていた。

そんな様子に、皇妃は笑顔を浮かべる。


「セフィリアちゃん、お菓子好きなのね〜」

「うん、美味しいから」

「ふふ、羨ましいわぁ」


メリアは、優しく微笑み続ける。

それなのに、丁寧な所作は崩れない。


まさに、“完成された皇妃”だった。


ひとしきり料理を食べ終えた。

空と海は、どちらも暗闇に沈み、境目がわからない。

皇族、セレスティア家はそれぞれの部屋に戻った。


けれどーー。


マナはひとり、夜の海辺に来ていた。

皇都と違って、ここは星がよく見えるから。


ほんのり塩を含んだ夜風が、髪を撫でた。

小さな波が立つたび、水面に映る星が歪んだ。

月明かりだけが、一際美しく輝いていた。


マナは、そっと息をついた。


昼間はたくさん笑って、楽しんだ。

あれだけはしゃいだのは、いつぶりだろうか。


けれど夜になれば、不思議と心が静かになる。


吹きつける風は、少しひんやりとしていた。

地平線の先まで続くような群青に、星屑が散っている。

マナは波打ち際まで、ゆっくりと歩いた。


そのとき。


静かな声が響いた。


「マナさん・・・?」


驚いて振り返ると、そこにはルティアナがいた。

月明かりに照らされた、白いワンピース。

麦わら帽子をかぶり、リボンのついたサンダルで歩く。


言うまでもなく、海の似合う美少女だった。


少し離れた場所には、護衛もいた。

けれどこちらへ近づこうとはしない。


ルティアナは、少し目を見開いていた。


「姫様、どうしてここに?」


問いかけると、ルティアナは海へ視線を向けた。


少し理由を探すように、沈黙した。

そして、小さな声で答えた。


「なんだか、星を眺めたくなったんです」


マナは少し迷ってから、隣に並んだ。


ルティアナの足跡が、砂浜に残る。

けれど次の瞬間、押し寄せた波が消し去った。


まるで、歩んだ道のりも残らないかのように。


静寂が支配する海に、波音だけが響いていた。

何かを話すべきだろうとは、思った。

けれど何を言えばいいのかわからなかった。


ふいに、ルティアナが口を開く。

残ることも許されない、足跡を眺めて。


「お兄さまは、いつも“完璧”なんです」


マナは思わず、立ち止まった。


『・・・クオーレさんはね、“完璧”な方なの』


ソフィの一言が、脳裏に浮かんだ。


影を落とすルティアナの瞳に、フィーユが重なった。

剣術も、勉強も、作法も、なんでもできる。

誰より近くにいるはずなのに、1番遠くに感じる。


なんとなくわかるけれど、言葉にならなかった。

だからこそ、また、違うことを返してしまう。


「・・・姫様も、ずっと頑張っていると思います」


言葉に出してから、違和感を感じた。


ルティアナの笑顔が、一瞬だけ陰った。

けれどすぐに、皇女らしい笑みを浮かべる。


「ありがとうございます」


打ち寄せる波が、静かに足元を覆った。

ルティアナは驚いたように、身を引いた。

そしてまた、そっと波打ち際に近づく。


そんな仕草だけは、年相応に見える。


なのに笑顔や所作は、皇女のそれだった。

マナはひとつ、尋ねた。


「もしかして、足りてないって思っていますか?」


ルティアナは、ほんの少し肩を跳ねさせた。


しばらく沈黙して。


波立つ水面と、揺らされる星を眺めた。

そして、微かな声でつぶやいた。


「・・・自分では、認められないんです」


マナは、息を呑んだ。


誰よりも優秀な存在が、そばにいること。

どれだけ努力しても、追いつけない背中。


けれど、絶え間なく努力していることを知っている。


届くはずもないのに、手を伸ばさないことはできない。

もしかしたら、フィーユも同じ気持ちなのだろうか。

誰にもわかってもらえないのに、自分も認めないーー。


「もし、理解してくれる人がいたらーー」


ーーほんの少しでも、認められるかもしれない。


そう言おうとして、言葉にならなかった。

声にならない息遣いだけが、音もなく零れた。


(理解してくれる人・・・?)


そんな存在がいるなら、自分だってほしかった。


友達を失ったあの日。

母親にさえ、理解してもらえなかった日。

“星姫”という名で期待されるたび、自分を失いかける。


理解してほしかった。

受け入れて、支えてほしかった。


けれど、わかっている。


(だって、誰がそんなことできるのーー?)


ルティアナが、顔を上げて夜空を見上げた。


つられるようにして、マナも視線を上げる。

煌めく星は、ひとつひとつの光を放っていた。

数は多くないけれど、輝きはとても美しい。


ルティアナは、迷うように唇を結んだ。


そして。


「・・・星姫様なら」


波音に紛れるような、小さな声。


「理解してくれるのでしょうか」


その瞬間、胸がドクンと鳴った。

鼓動が速まるのを感じると同時に、痛みもあった。


星姫様なら。


そう思うのは、きっと当然のことだった。

誰よりも特別で、みんなを救うことのできる存在。

本当なら、理解してあげることができたのだろう。


もし“星姫”にすらできないなら、人にはとてもーー。


(でも、私には・・・)


マナは、小さく俯いた。


そんな表情に気づいたのか、ルティアナは立ち上がる。

慌てていつもの笑顔を作り、砂を払い落とした。


「ご、ごめんなさい・・・!」


まだ9歳にも満たない子が、手を差し出した。


「話しすぎちゃいました」


無理をしてでも、笑顔を浮かべる。

幼さを許されない、皇族の微笑みだった。

自分よりもずっと、強さを抱えている。


マナは何も言えなかった。


ルティアナは、小さく頭を下げた。

ひらりと麦わら帽子を揺らし、護衛のもとへ走る。


ふと。


マナはホテルの裏手側に、振り向いた。

そこには、月明かりを反射する金髪が一瞬だけ見えた。

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