創作物:かわひらこ
声に色をつけるなら、目の前に居るおばさんの声は金色だ。
夢川冬治は訪問販売員のおばさんの声に耳を塞ぎたかった。一月の寒さをものともせず、薄手のコートでよく耐えられるものだ。
「この壷、この幸せを、幸福を運ぶ壷が四万、四万よ。この機会に買うといいわ」
縄文辺りに人を入れていそうな壷……つまり、でかい、でかすぎる。一体どこにおけというぐらいの大きさがあった。部屋の雰囲気を一発で変えてしまう圧倒的存在感である。
「帰ってください」
玄関先でのやり取り。一匹の蝶がおばさんの後ろを飛んでいった。どこか遠くから工事の音が聞こえてくる。いつもの昼下がり、化け物の叫び声が聞こえてこない辺り、世界は平和である。
壷はどうにか玄関を通るのではないか……ぎりぎり入るぐらいの横幅。重そうで、おばさんがこの階まで一人で運んできたのかと疑問を覚える。こんなものを運べば、薄手のコートでも寒くないかもしれない。
「いや、ね、話をもっと聞いて欲しいの」
「帰らないと地球防衛軍呼びますよ」
半分ふざけた返答をして、どうにかおばさんを帰らせることに成功。しかしながら二十万円はする壷を置いて帰ったのだ。無料でいい……そういっていたが、おばさんは諦めた表情をしていない。いずれまたくるつもりなのだろう。一度食いついたら放さないすっぽんのようなおばちゃんだった。
「また撃退すれば良いか」
置いていった壷は少し大きい程度のものだ。ぎりぎり邪魔にはならないぐらいのサイズ。これで二十万もするなんて一体誰が買うのだろうと冬治は首を傾げる。
これはいいものだと言われたところでわからないひとには分からない。価値判断基準なんて千差万別としか言いようが無いのだ。
結構な額という壷を別室の押入れに突っ込む。いつか使用する時期がくるだろう。つっこんでふすまを閉めると同時に、電話がなった。
「はい、夢川探偵事務所、夢川です」
「地藤グループの小林です。至急、羽津第五ビルに来てください」
「わかりました」
緊急事態の際、地藤グループから連絡が入ると大抵が小林さんという男性の方である。顔は見たこと無いものの、切れ者の雰囲気を声から漂わせていた。
指定された場所にタクシーで冬治は向かう。お金を渡し、ビルへと向かう。
「何だかおかしくないか?」
いつもと違う雰囲気に気づき、ビルの中へと入った。
「……そうか、人が少ないんだ」
完全に居なければ、ビルに入ってすぐ拳銃を引き抜いていた。まばらながらも人が居て、ビルはかすかに生きている。
「すみません、夢川です」
受付の女性と話、地下室へと案内される。
「ここです」
最下層となる地下四階へとやってきて、冬治は普段とはまた違った静けさの第四研究室へと入る。
「あ、夢川さん」
「どうも」
数人の研究員がベッドに寝ている一人の研究員を見ていた。四十代後半の男性だ。頭には便所においてあるかっぽんを被っている。かっぽんから伸びたケーブルは黒くて大きな箱へと繋がっていた。
「何があったんですか」
「夢を現実化させようとして、こうなりました」
全くの説明になってない。冬治は首を振った。
「詳細をお願いします」
「実は人の夢を現実にしようという実験をしていました。まぁ、具現化させるのは無理でしたので一旦は仮想世界……このコンピュータ内部に出力、世界を再構築させようとしたのです」
冬治にとって、実験の失敗から始まる仕事だ。責任の追及などはまた別の人が行う仕事である。
「その実験中に気絶したと?」
「いえ、その……間違って僕の集めた怖い画像百選というフォルダが吉野さんの頭の中に入ってしまったようでして」
すみません。それだけいって研究員は静かになった。
「で、どうすればいいんですか? 何か方法、あるんですよね」
冬治としてもそれだけ聞いたところで分かるわけもない。不明であるならもっと別の方法を試すしかないのだ。
「はい、あります。これを被って吉野さんを助けてください」
「わかりました」
便所のかっぽんを手渡されても冬治は逡巡することは無い。一分一秒で状況は変わったりする。
自分の手の中に納まる範疇で、助けられる人間は助けてあげたい。冬治の頭によぎるのは一人の少女の影だ。回りくどいことをせずに、助けるときは助ける。それが今の冬治の心情。
「いきます」
かっぽんを頭にはめた瞬間、冬治の意識が吹き飛んだ。
「これがコンピュータの中、ねぇ」
周囲を見渡して、普段の世界とどこが違うのか確認してみる。周囲には何も無く、箱型の実験施設のようなものしかない。
「夢川さん、聞こえますか」
脳内に直接響く声が聞こえてくる。
「聞こえていますよ」
「今から吉野さんと直結します。これから現れる一体の化け物を倒してください。そうすれば、吉野さんは目覚めるはずです」
「はいよ。ところで、武器は?」
「夢川さんが望めば、どんな武器でも再現されます。何せ、ここはあなたの夢の中ですから」
子どもが聞いたら喜びそうな一文だった。
「……無難なところ、これかな」
アサルトライフルを手にして、冬治は部屋の隅のほうへと移動する。
「準備はいいですか」
「いつでもどうぞ」
五秒開始のカウントダウンが流れ、ゼロと同時にそれは現れた。
「んだ、こりゃあ」
人は何故、恐怖するのか。理解ができないものだからか……目の前に現れた中年男性はおよそ人の形をしていない。
「吉野さんはまんじゅうが怖いそうです」
「そんなばかな」
饅頭だった。茶色い、饅頭だ。
「……遠慮は要らないか」
饅頭なら動かれる必要も無い。アサルトライフルを背中に回し、今度は対戦車ライフルを構える。
「今だっ」
動かない相手に今だも何も無い気がする。饅頭がいい動きをすることもなくそのまま爆砕。こうして、冬治は夢の中の事件をあっさりと解決してしまった。
現実世界に戻って数分後、冬治はスーツの男と話をしていた。
「こういうことがあったんですよ」
「なるほど、それはご苦労様でした」
安っぽい冬治の事務所のインスタントコーヒーとは違うコーヒーに冬治は口をつける。香りも良く、色も違う。どこがどう違うんだといわれたら詳しく答える自信はないが。
「すみませんが、実はこれ、夢なんですよ」
「え?」
「試しに、頬をつねってもらえますか」
「わかりました」
冬治は自分の頬に手を持っていき、軽くつねった。
「ん?」
眼を覚ますといつもの部屋だった。首から下を見ると寝巻き姿……時刻は六時六十五分。窓の外は秋風が吹いていた。
「変な夢を見たもんだ」
違和感を覚えてリビングへ繋がる扉をあけた。
「これもまた、夢か……夢だよな」
冬治の目の前にあったもの。階段だ。どこまでも奥底にいける螺旋階段。冬治が居る場所から底は見えない。
現実だったら、怖い話だ。後ろにあったはずの扉消えて、螺旋階段の途中に立っている。無限に見える螺旋の先、少しの光が見えていた。あの場所を目指さなくてはならないのか。
「……どうせ夢だ。飛び降りよう」
階段の手すりに手を置き、軽く力を入れる。たったそれだけで、自由落下を開始する。
奇妙な浮遊感。しばらく落下を楽しんだ後、世界が暗転。背中から落ちたらしい、痛みが走った。
「いたっ」
背中をさすって立ち上がる。スーツ姿で、探偵事務所のソファー近くに立っている。どうやら、ソファーで寝ていたらしい。
「……夢中夢か。疲れてるのかね」
テーブルの上においてあった仕事の書類をつまみ上げ、眺める。かわひらこという蝶を探して欲しい。そういう依頼だ。人の精神を徐々に壊すという危険な存在らしい。
「どうしたもんか」
奇妙な夢のことを忘れ、冬治は仕事のことを考える。
「ごめんくださーい」
そのとき、チャイムと同時に声が聞こえてきた。色に例えると金色の声だった。
夏の真っ盛り、冬治は冷房をつけたままチャイムのするほうへと歩いていった。




