創造物:レギオン
「あの子はね、本当はとても優秀なの」
「は、はぁ」
この家にやってきて、かれこれ一時間と三十分。俺は中年女性の背後にある壁掛け時計を見た。
どこか汚れたリビング、散らかった洗濯物に、ラップのかけられた食事がテーブルの上に置かれていた。
「今はちょっとね、高校で嫌な事があったから塞ぎこんでいるだけ。あの子も寂しいかもしれないけれど、私のほうが寂しいわ」
俺の資料で高校に通っていないのは既に二年になる。多分、同じ高校での進級は不可能だろう。
「会って、説得をして欲しいの。あなた、探偵さんなのでしょう?」
探偵とそれは全く関係ないだろうに。それに、俺はそもそも探偵という業務を知らないのだ。
私はちゃんとした探偵じゃありませんから知りません。
この返答は、クレームまっしぐらである。地藤グループを通して俺に依頼が入ったのだ。俺が拒否すれば、地藤グループにクレームが入るだろう。
「じゃあ、会ってくださる?」
「わかりました」
階段を二人で上るにつれて、騒がしさが酷くなる。
大量の生き物が、二階に居るような気がするのだ。話し声というよりも、息遣いとか、身体と身体が擦れるような音……別に、身体を重ねているなんて言うつもりじゃないぞ。ただ、なんと言うか……安心できる雰囲気も漂っていた。
「この部屋です」
俺の目の前には何の変哲もない茶色い扉があった。修一の部屋と書かれたコルクボードは色あせていた。
「その、あけてもいいものなんですかね」
開けたらぶち切れるなんて勘弁してもらいたい。
「大丈夫。あの子、とても大人しいの……変なくらいに」
「変?」
「以前は活発で、サッカーをしていたんだけど……ある日を境に、出てこなくなって」
とても重要な話を今更聞いた。
「下で、待っていますから」
そういってお母さんは居なくなった。残ったのは当然俺だけ。助手が居れば、こういった寂しさからも解放されるのだろうか。
「……寂しい?」
ふと沸いた感覚に首をかしげながら、ドアノブを捻る。ゆっくりと中に押し込んで、それが引き戸であることに気づいた。
「ふむ」
引いて、中を確認する。
いた、部屋の隅っこで膝を抱えて、うずくまっていた。
「修一君?」
「……」
髪の毛は白く、肌も白いし、服も白い。病的。そんなイメージが頭に浮かぶ。人とは違う、希薄な感じ。一歩部屋に足を踏み入れた瞬間に声がきこえてきた。
「……寂しい」
「は?」
青年が発した声は全てを物語っている。寂寥感と、無力感、何かを求めてさまよっていた。
改めて気づいたことがあって、俺は声を発したほうをみた。そっちにはぼさぼさに生えた髪の毛に無精ひげ、うつろな眼をした男の子がただ虚空を眺めている。
「淋しい……」
また修一はその言葉を口にした。
「修一君」
「……」
話しかけても、俺のほうを見てくれない。また一歩、俺は部屋の中に足を踏み入れ、扉を閉めた。
「寂しい」
「またか」
「寂しい、寂しい、寂しい、寂しい、寂しい、寂しい、寂しい、寂しい、寂しい、寂しい、寂しい、寂しい、寂しい、寂しい、寂しい、寂しい、寂しい、寂しい、寂しい、寂しい、寂しい、寂しい、寂しい」
「一人は寂しい」
「一人は嫌だ」
「一人は辛い」
「一人は怖いぃ」
永遠続く言葉だった。
扉を閉めた影響なのか、信じられない光景を目の当たりすることとなった。
「んだ、ありゃあ……」
片隅にうずくまっていた青年は消えていた。今では、修一君の頭に上に、乳白色の生物が群集していたのだ。その大きさは直径五メートルほどだろうか? 天井なんて存在せず、ただただ寂しい黒い空間が広がっているだけだった。
虫、魚、鳥、動物……ジャンルを問わず、蠢いている。およそ、人の脳みそでは理解できないようなそれをずっと見ていては脳に影響を与える。直感的にそう思えた。
目があるものは全てうつろで、どこを見ているというわけでもない生きることを諦めた表情。そのくせ、死んでいるというわけではないのだ。
「あいつは、なんだ」
「レギオン」
「え?」
それまで静かだった修一はうつろな目で立ち上がっていた。
「レギオンだよ。俺のために来てくれたんだ」
レギオン。一度聞いたことがある。どういう意味だったか。
「来てくれたって……」
「呼んだんだよ」
まるでデリバリーピザみたいな言い草だな。そんな軽い調子で呼んでくるのなら、大事になってるぜ。
「とりあえず外へ」
「無駄だよ。ここはもう、元の世界じゃないもの。レギオンが居る世界なんだ」
「わけわかんねぇ事を言うんじゃないよ。ったく、世話の焼ける子どもだ」
さして俺と年齢は変わらないはずなのに、まるで小学生を見ているような変な感じだ。
すぐ近くにあるドアノブを捻っても、開くことはない。
「……こっち、こっちよ」
モザイク絵のようなレギオンは球体を維持しつつ、個体を成して、群集を見せ付ける。やさしげな女の声で、耳朶を響くのだ。
抗いがたい、声音だった。
「うん、今行く」
「駄目だって、行っちゃ駄目だろ。おいっ」
うつろな眼をしているくせに、しっかりとした足取り。抑えると俺が引っ張られる。
「おいってば……くそっ」
懐から拳銃を取り出して発砲。魚と鹿、サルに当たったもののどれもがレギオンから落ちて真っ黒になった。そして、消滅する。
「……相手がでかすぎる」
歩を進めるたびに青年の姿は漂白されていく。目標もなく、誰かを守るためでもなく、生きるためにただ生きる……そんな人間を見ている気がしてならない。
どの集団にも、生きる意味を見失った存在が居るのだろう。あれは、そういう奴らの塊なのだ。
「どうしようもねぇな」
無力感に苛まされ、俺はため息をついた。気づけば修一の姿は見えず、レギオンは浮上を開始する。完全に闇へ消えると、俺は一室に座っていた。部屋には俺ともう一人が残されている。
それから一ヵ月後、俺の元へ感謝の手紙が届けられた。
「レギオンにあったそうじゃないですか」
「ええ」
「……よく、連れて行かれませんでしたね」
「どの集団にも、はぶられるやつは存在しますよ」
「そうですか」
スーツの男はそういって俺を見た。
「戸田修一君、元気らしいですよ。ただ、以前と違った趣味をしているとのことです」
レギオンにはぶられた奴は俺だけじゃなかったのだ。
俺には、今の修一が修一なのか、それとも別の存在なのか……知る手段はない。




