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私の人生は常にどん底  作者: 生きていない人間
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4/5

離婚してから

母が中絶し、落ち着いたころ、同じ市内の物件で家族4人で暮らすことになった。

新しい小学校に転校し、弟たちも同様に違う環境へ。


母は、祖母から虐待を受けて育ったため子どもには絶対に暴力はふらないと決めていいた。

母の生きた時代はまだ児童相談所や児童福祉法など法律もできていなかったため、

母を守る人はいなかった。でも、母も大人になっても祖母がどんなに酷いことをしてきても

切れずにいた。祖母は男狂いだった。母も祖母を見て育ち、親となり切り離せない何かが

あったのだろう。母も何歳になっても親に愛されたかったのだろう。


そう気づいたのは小学校5年生だった。


母は昔から虚弱で体が弱く、月に何度も高熱を出す。でも水分もご飯も食べずにいた。

母は父と離婚してから、引っ越して新しい土地でやり直そうとしていたのかもしれない。

いろんなアルバイトを掛け持ちしていた。だが、下の弟もまだ幼かったため、

体調が悪くなると子供を預ける人がいないため、たびたび休むことになる。

何度もバイトを首になっていた。幼い子供を抱えながら自分自身も虚弱で子供3人を養うことは正直困難だった。


母が高熱が出ると、次第にいろんな男が家に来るようになった。

看病してくれていたとわかっていたが、子供の私には、女の顔を向けて男が母を触るのが見ていて気持ち悪かった。その男は既婚者だった。


母はどんなにお金がきつくても生活保護だけは絶対に嫌だと頑なに言っていた。


私はどうすることもできなかった。


祖母が釈放されてから、定期的に家に来るようになった。

母が祖母に子供をみてほしいと頼み、仕事に行くようになった。

だが、祖母が何をしにくるのか私は知っていた。


孫たちを面倒見るからと言いながら、家の中の引き出し等をあさりまくって、

金目の物を盗みに来ていた。私にばれないと思っていた祖母が浅はかに見えた。


いつの日か母が祖母に我慢の限界で喧嘩した時もたびたびあったが、

関係は切れなかった。


ある冬の日、次の日の学校の授業で絵具セットをもっていかなければいけなかった。


私はちょうど母が高熱を出していたことを知っていたので、

一緒に買いに行けないなら一人で百均に買いに行くといった。


母は普段子供にそこまで心配する様子もなかったので、一人で買いものに行くぐらい何ともないだろうと私は思っていた。少し吹雪いている中、歩いて1時間ぐらいかかる百均まで出かけると、高熱の母がふらふらしながら私の後ろに着いてきた。「熱あるんだからママは家にいなよ」ときつく言ったが、帰らなかった。私も意固地になりそのまま歩いた。母が倒れそうだったので母の携帯を借りて祖母に連絡した。

すると、祖母を乗せた黒い車が迎えに来た。


母は泣きながら祖母に息を切らしながら言った。

「あんた、まだその男と一緒にいるの、何回私を裏切るんだよ!!!!!」と叫んだ。

どうやら母が小さい時から知っている祖母の男らしい。

その男は既婚者で祖母からお金を巻き上げて、祖母を性のはけ口にしていたらしいのだ。


外で吹雪の中、母と祖母と男が言い争う。


結局絵具セットは買えず、とにかくふらふらの母をその男の車に乗せて家まで送ってもらった。

その日は罪悪感で眠れなかった。






しばらくしたころ、離婚したはずの父が新居に入り浸るようになった。

また再婚するといってから地獄の再来が訪れた。

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