幕間①「心電図みたいな在庫」【三】
調査は、二人で手分けして進めることになった。
御子柴は、店の人たちに話を聞いて回った。発注は誰が、いつ、どう決めていたのか。仕込みの段取り。職人たちの一日の流れ。亡くなった田所が、どんな男だったのか。――数字にならない泥臭いところを、彼は嫌な顔ひとつせず、笑顔で拾い集めていく。澪には、絶対に真似のできない芸当だった。
一方の澪は、奥の事務所を借りて、過去三年ぶんの出荷帳簿と在庫の時系列を、ひたすらノートパソコンに流し込んでいた。
考え方そのものは難しくない。過去の数字の並びには、繰り返しの「波」が隠れている。曜日ごとの波。月初・月末の波。季節の波。それらを見つけて足し合わせれば、「次にいつ、どれだけ売れるか」がおおよそ読める。在庫を、心電図のように読むのだ。
日が暮れる頃、御子柴が事務所に戻ってきた。湯気の匂いを、上着に染み込ませていた。
「どうだ。何か見えてきたか」
「途中。あなたのほうは」
「面白い人たちだったよ」御子柴は、パイプ椅子を引き寄せて腰かけた。「田所さんって人ね。社長とは、三十年来の相棒だったらしい。無口で、頑固で、でも仕込みのことになると人が変わるって。豆腐の出来で、その日の機嫌が顔に出る職人だったそうだ」
「機嫌という数値は、ここには記録にない」
「そうだな」御子柴は、澪の素っ気なさに、なぜか少し笑った。「でも、こういうのは、どうだ。古参の工員さんが言ってたろう。田所さんは、毎朝かならず外に出て、空を見上げてた、って」
「聞いたわ」澪は、画面から目を離さなかった。「天気と、冷え込みで、仕込みをさじ加減していた、と」
「そう。誰にも教えずに、頭の中だけで。――それって、君の仕事に、何か関係あるか?」
「わからない」
澪は、正直に答えた。空を見上げる習慣。それは、出荷帳簿のどこにも書かれていない。澪はその一言を別の場所に格納したまま、まだ、どこへ繋げばいいのか掴めずにいた。
いまは、目の前の波形だ。澪は、再び画面に潜った。
***
翌週の頭。澪は、一つの当たりをつけた。
過去三年の欠品日を、片端から並べてみる。すると、ある「曜日」に、欠品が偏って見えた。それも、月のなかでも特定の週――おおむね第二週から第三週にかけての、火曜と金曜に、寄せ豆腐の品切れが集中している。
「……当たりは、ついた」
澪は、その曜日に発注と仕込みを厚くするモデルを組んだ。過去三年のデータに当てはめると、これ以上ないほどきれいに合った。曜日の波、月内の位置の波。足し合わせると、過去の欠品がほとんど説明できてしまう。
「過去データとの一致率、ほぼ完璧。これで欠品は防げる」
澪は、めずらしくわずかな手応えを覚えた。これで終わる、と思った。早すぎる、と頭の隅で警告が鳴ったが、当てはまりの良さがそれを黙らせた。
だが、その手応えは、あっけなく滑り落ちた。
モデルに沿って試験的に仕込みを組んだ翌週、大畑豆腐店はまた欠品を出した。澪の予測が「厚くすべき」と告げた火曜には、寄せ豆腐がだぶついて廃棄になり、何も告げていなかった水曜に、その寄せ豆腐が早々に売り切れて欠品した。予測が、現実で、ぐらりとずれた。
「……合わない」
澪は、画面を睨んだまま、低く呟いた。
「過去には、完璧に当てはまったのに」
ありえない、と思った。三年ぶんの欠品が、曜日と月内の位置だけであれほど綺麗に説明できたのだ。なのに、いざ翌週を予測させると、まるで使い物にならない。
澪は、モデルの中身を一行ずつ点検した。火曜の係数を下げてみる。第三週の重みを削ってみる。何度組み替えても、過去の山にはぴたりと吸いつくのに、来週の谷だけが、するりと指のあいだを抜けていく。
「……パラメータ調整の問題じゃない」
澪は、いったん曜日を脇に置いた。御子柴が拾ってきた一言が、頭の隅に引っかかっていた。田所は毎朝、空を見上げ、その日の天気と冷え込みで、仕込みを加減していた、と。
ならば、空だ。過去三年ぶんの天気と気温を、出荷の隣に並べ直す。まず、天気。晴れ、曇り、雨――その日の空模様で、寄せ豆腐の出方が変わるのか。次に、気温。その日が、何度だったか。
どちらも、欠品の山を、説明しきれなかった。
ゆるやかな底上げくらいなら、見えなくはない。暑い盛りには、冷奴の寄せ豆腐が、全体に出やすい。それだけの傾きは、たしかにある。けれど澪が掴まえたいのは、そこではなかった。
問題は、いつも、急に来る。
帳簿の波形には、なだらかな平地のあちこちに、突き上げるような尖りがあった。ある一日だけ、需要が跳ね上がり、仕込みが追いつかず、寄せ豆腐が品切れる。欠品は、決まってその尖りで起きていた。なのに、曜日も、天気も、当日の気温も、その尖りの前日では、何ひとつ特別なことを示していない。穏やかな晴れの、ありふれた一日。それが翌日、突然はねる。
「……三つとも、急な山には届かない」
澪は、背もたれに身体を預けた。天井を見上げ、しばらく動かない。曜日は過去をなぞるばかりで未来の山を外し、天気も気温も、そもそも山の在処を指してくれない。手を動かすほどに、過去への当てはまりだけが良くなって、肝心の跳ね上がりからは遠ざかっていく。その感触には、覚えがあった。
――前職で、何度も踏んだ罠だ。
「……過剰に、なぞってる」
澪は、両手で顔を覆い、指のあいだから、もう一度画面を睨んだ。
現場から戻った御子柴が、その背後に立ち、横顔を覗き込んだ。
「曜日でも、天気でも、気温でもない。この、急に立ち上がる山は、それじゃ説明できない」
澪は、御子柴に向けるでもなく、低く漏らした。
「で。氷室の今の、僕にもわかるように噛み砕くと?」
澪は、少し言いよどんだ。自分の読み違いを、言葉にするのは、得意ではない。指先で、こめかみを一度、押さえた。
「……欠品は、いつも、需要が急に跳ね上がる日に起きてる。なのに、その日を、私はまだ言い当てられない。曜日は、過去に合わせて形を削っただけ。過去にはぴたり合うのに、明日の山は外す。天気も、気温も試した。けれど、晴れか雨か、その日が何度か――そういう“その日の様子”そのものは、跳ね上がりと繋がらなかった」
「過去には当たるのに、明日の急な山には、当たらない、と」
「そう。曜日でも、天気でも、気温でもない。この、需要を一日だけ突き上げている何かが、まだ別に隠れているのよ」
澪は、画面の折れ線をもう一度なぞった。乱れ方には、確かに規則がある。なのに、その規則を生んでいる本体が掴めない。
データは、嘘をついていない。三年ぶんの数字は、どれも正確だ。なのに、合わない。その手触りの悪さが、指先にざらりと残った。
「……不気味ね」澪は、ほとんど無意識に呟いた。「正しいデータが揃っているのに、足りない。何かが、この帳簿に、最初から載っていない」
泥臭い聞き込みは御子柴、帳簿は澪。「正しいデータが揃っているのに、足りない」――その不気味な手触りにゾクッときたら、【びっくり】か【いいね】を! 正体が知りたくなったらブックマークを。




