↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
28/41

第4話「信頼は複利」

問題は、目の前の運転資金だった。


運営は、回り始めた。十人分を、三人と、エージェント群で回せるようになった。人件費は、消えた社員のぶん、根こそぎ軽くなった。だが、入ってくる金そのものが、まだ細い。会社が回ることと、その会社が黒字であることは、別の問題だった。


「給料は」


(みお)は、ふと口に出した。澪自身は、無職のときと同じで、給料に未練はない。だが、(あや)はそうではないはずだった。


「出る」御子柴(みこしば)が、正直に言った。これだけは、嘘を混ぜなかった。「来月は、以前と同じ額を、約束できる。……ただ、その先は、正直、保証できない」


「皮肉な話だが、社員が皆辞めていって、運営費がごっそり軽くなった。そこへ、澪のおかげで、この人数でも運営が回る。支出の骨格そのものが、変わった。しかし、仕事が入ってこないと正直厳しい。彩、君には――」


「言わなくていいよ」


彩が、モニターから顔を上げて、御子柴を遮った。サバサバした声のまま、けれど、いつもの茶々とは違う芯があった。


「私は、澪ちゃんのUIを作るって決めてるから、ここにいるの。沈むならそれまで、心中してあげる。安売りしないでよ、私の覚悟」彩は、肩をすくめた。「――ま、それにさ」


彩は、澪のほうを見た。


「澪ちゃんが、まだここで楽しそうにコード書いてるってことは、この会社は、まだ大丈夫ってことでしょ。私はその顔を信じてるだけ。難しい経営判断は、そっちの二人でどうぞ」


「私は、楽しそうにはしてないわ」


「うん、知ってる」彩は、すこし笑った。「あんな顔で三日も徹夜しといて、よく言うよ。もー、ほんと、澪ちゃんはそういうとこだよ」


澪には、彩がなぜそんなに嬉しそうなのか、よくわからなかった。論理的には、笑う局面ではない。けれど、彩が残ると言うなら、それでいい。そう思った。そういう不可解さを、澪は、嫌いではなかった。


***


出資の道は、すでに、潰えていた。


御子柴が当たったベンチャーキャピタルは、軒並み首を横に振った。理由はどこも同じだ。同じ領域に、コトバが桁違いの資本を張っている。「勝ち目のない喧嘩に、金は出せない」。正論だった。半年前なら笑顔で名刺を差し出してきた相手が、今日は同じ事業計画を最後まで開きもしない。札束の津波は、客だけでなく、金の出し手の腰まで先回りして攫っていた。出資による救済は、ない。


御子柴が悪戦駆動している中、繋いだのは、思いがけない一本の電話だった。


大畑(おおはた)です。豆腐の」


御子柴が応対し、すぐに澪を手招きした。スピーカーから、しわがれた、しかし張りのある声が聞こえた。創業して初めての売上を、澪たちにくれた、あの豆腐店の主だった。


「あんたら、危ないんだってな」大畑は、前置きもなく言った。「うちの(せがれ)が、若い連中の集まりで聞いてきた。コトバとかいうでかい会社に、潰されかけてるって。最近やたら『詐欺広告ゼロ』だのと派手に触れ回ってる、あれだろう。ありゃあ、金で大きいだけだ。中身がねえ」


「……お耳に入っていましたか」御子柴が、苦笑した。


「あんたらが、田所(たどころ)の朝を見つけてくれてから、もう一年半だ」大畑の声が、少し低くなった。「あれから、うちは持ち直した。死んだあいつの勘が、毎朝、画面に出る。倅が、それを見て育ってる。あんたらがくれたのは、機械じゃねえ。あいつの三十年だ。――忘れちゃいねえよ」


「大畑さん」


「金は、出せねえ」


御子柴が、わずかに身構えたのが、澪にもわかった。


「豆腐屋に、エンジェル投資だのなんだのは、できねえよ。柄じゃねえ。だがな」大畑の声が、太くなった。「仕事なら、出せる。倅が、店を広げてえと言ってる。惣菜も始める。仕入れも、客足も、また読めなくなった。――あの朝を、もう一度組んでくれ。田所の勘を、新しい店の分まで。施しじゃねえ。本当に、要る仕事だ」


御子柴は、すぐには答えなかった。


「それに、声をかけといた。何人かな」大畑は続けた。「コトバの安売りに流れた連中もいる。だが、流れなかった連中が、何件か残ってた。値段じゃねえ。あんたらだから、また頼みてえって連中だ」


「大畑さん」御子柴は、声を整えてから言った。義理の仕事を、ありがたく受けて終わりにする男ではなかった。「一つだけ、聞いてください。――それは、僕らを食わせるための、情けの仕事ですか。それとも、本当に要る仕事ですか」


電話の向こうで、大畑が、短く笑った。「本当に要る仕事だ。だが、頼む相手は、あんたらじゃなきゃ駄目だ。――両方だよ。あんたら、もう客は逃げ切っちゃいねえだろう。安いだけのところに、流れねえ客が、残ってる。そういうことだ」


御子柴は、澪の画面に視線を投げた。澪が四晩かけて守り切った、あの中核の群れ。倍のポイントを積まれても針一本動かなかった人々。その帯だけは、流出の折れ線の中で、ぴくりとも下を向いていなかった。


「……ええ」御子柴は、その数字を見ながら答えた。「この会社は、底の抜けたバケツじゃない。これまでしてきた仕事が、ちゃんと続きを生む形には、なっています」


「だろうな」大畑の声に、満足が滲んだ。「だから、あんたらに頼みたい」


御子柴は、しばらく、何も言えなかった。いつも言葉に詰まらないこの男が、受話器を握ったまま、目を伏せていた。


「……ありがとうございます」


絞り出した声は、いつものクールな王子のものではなかった。澪の前でだけ崩れる、あの素の声に、近かった。


***


澪は、その電話が続いている間、もう、収支のモデルを組み替え始めていた。


大畑が回してくれる数件を、いまのコスト構造に当てはめる。ここが、勝負どころだった。同じ数件でも、乗せる先の造りが違えば、答えはまるで別のものになる。


以前のマコトなら――十人がかりで運用を回していた、あの頃のコスト構造なら、この数件は、赤字の穴をわずかに浅くするだけで終わっていた。人件費が、受託の粗利を、片端から食い潰していたからだ。継続発注は、ありがたいが、延命の点滴にしかならなかった。


けれど、いまは違う。澪は、四晩かけて、その前提そのものを組み替えていた。十人分の運用が、エージェントと三人で回る。人件費という、いちばん重い錘が、根こそぎ外れている。この痩せた骨格の上になら、大畑の数件は――延命の点滴ではなく、そのまま利益に化ける。継続発注は、一度きりの金とは違う。毎月、薄くても確かに入り、次の月も、その次の月も、積まれていく。


澪は、二本の線を、もう一度重ねた。支出は底が抜けたように軽く、収入には毎月の継続が積まれていく。答えは、一つしかなかった。


「……黒字。それも、伸びていた頃より、ずっと高い利益率で」


残高の折れ線は、底へ向かう傾斜を失い、それから――ゆっくりと、上を向き始めていた。第一話でユーザー数のグラフが下を向いた、あの折れ線と、正反対の向きに。


会社は、生き延びるのではなかった。痩せて、強くなって――以前よりも高い率で、黒字に転じていた。


「……信頼は、複利ね」


澪の呟きに、御子柴が、受話器を置いてから、小さく笑った。


「複利、か」


「ええ」澪は、画面を指した。「続いた信頼が、次の信頼の元手になる。利息が、利息を生む。掛け算で増える。長く待てるほうが、勝つ。目先の安売りに乗らず、逃げない客に賭けたあなたの判断は――長期で見れば、いちばん利率のいい投資だったわ」


「……そういう言い方をされると」御子柴は、口の端で笑った。「経営判断として、悪くない響きだ」


***


逃げない客が、残っていた。それは、数字の話である前に、この一年半が間違っていなかったという、たった一つの証だった。


澪は、次のことを考えていた。


黒字に転じた。落下に怯える局面は、抜けた。なら、考える余裕がある。


前に、頭の片隅に貼った付箋がある。詐欺グループと、どこかの誰かの、不自然な繋がり。それと、コトバに見つけた「きれいすぎる広場」。門番がないのに、詐欺広告が溢れない。二つの違和感が、まだ繋がってはいないが、近い場所に並んでいた。


「……そろそろ、本気で追ってみようかしらね。この攻撃の、出どころを」


澪は、付箋の貼られたフォルダを、ようやく開こうとした。攻撃の構造が、面白くなってきていた。使命感ではない。ただ、面白い。それが、澪という人間の、変わらない動力だった。


その矢先だった。


画面の隅で、マコトの検知ログが、小さく跳ねた。


弾いた記録の山の、いちばん新しいところ。見慣れない顔が、ぽつりと混じっていた。澪のエンジンが「詐欺だ」と覚えている形の、ほんの数センチ外側を、正確に歩いている顔が。


最近、ニュースは連日、投資詐欺の急増を報じていた。その波が、“詐欺ゼロ”を掲げるマコトの門にも、本格的に手をかけ始めている。


「……さあ、次のゲームの始まりね」


澪は、すり抜けてきた見慣れない顔を、画面いっぱいに呼び出した。


世界の音が、ほんの少しだけ、遠のいた。


延命ではなく、黒字転換。一件ずつ積み上げた信用が、複利になって効いてくる――働くすべての人にじんわり刺さったら、【にこにこ】か【泣ける】を! ここまでの歩みに、ブックマークで一票を。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。