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幕間②「揃いすぎた拍手」【四】

翌日の昼。


『はぐくみナビ』の事務所は、雑居ビルの小さな一室だった。机が数台、子供用の絵本、開いたままのノートパソコン、冷めたマグカップ。真野(まの)が十年かけて、夜中の母親たちへ言葉を届けつづけてきた場所だ。


徹夜明けの(みお)は、ノートパソコンを開き、真野に画面を見せた。


「結論から言います」澪の声は、もう迷っていなかった。「サイトの“おすすめ”がおかしくなったのは、バグでも、協調フィルタリングの読み外れでも、あなたのせいでもありません。誰かが外から、ニセの人気を注ぎ込んだ。――データ汚染、と言います」


真野が、目を見開いた。


「ニセの……人気?」


「ええ」澪は、画面に二本の折れ線を並べた。一本はぎざぎざと不規則に上下し、もう一本は定規で引いたようにまっすぐ高い。「上が、本物の人気記事。話題になれば数日で跳ね、飽きられればすっと沈む。人間の興味は、こんなに汚くて移ろいやすい」


澪は、まっすぐな下の線を指でなぞった。


「これが例の抱っこ紐。この数か月、判で押したように高いまま、一度も沈まない。誰にも飽きられない人気なんて、生き物の世界にはありません。機械が、点けっぱなしにしているだけ」


澪は、抱っこ紐に高い星をつけたアカウントの一覧を開いた。どれも登録はここ最近だ。


「この数十人が正体です。一人ずつ覗くかぎり、どの子も真っ当な利用者。感想も当たり障りなく、叩いても埃ひとつ出ない。束ねるまでは、絶対に捕まらない」


澪は、画面を群れごと引いて見せた。


「でも、束ねると別の顔が出ます」


澪は二枚のグラフを並べた。横軸に、一日の時刻。縦軸に、その時間帯にどれだけ手が動いたか。群れが「いつ」拍手しているかを、丸一日ぶん束ねた絵だ。


「本物のお客さんはこう動きます」澪は片方の波を指した。深夜に、大きな山がひとつ。昼と夕方に、小さな谷。「真夜中、授乳と夜泣きの時間に、寝不足の指が一斉に伸びる。昼間は手が離せなくて凪ぐ。ぎざぎざで、生活のにおいがします。人間の一日は、こんなに偏っている」


澪は、隣の線を指した。朝も、昼も、真夜中も、定規を当てたように同じ高さで、どこまでも平らに続いている。


「これが、あの抱っこ紐を担いだ群れ。夜中の三時も、正午も、寸分変わらず手が動く。山もない、谷もない。気味が悪いくらい、平らです」澪の声が低くなった。「人間は、眠ります。この群れは、眠らない。一人ずつは本物そっくりに化けても、束ねた“時計”だけは隠せなかった。二十四時間を、のっぺり均してばら撒いた跡。――機械には、夜がないんです」


「偽装しようと思えば、できます」澪は先回りして付け足した。「夜に山を作り、昼に谷を彫る。一体なら簡単。でも、何万体ぶんの“生活リズム”を、本物そっくりに、何か月も保ちつづけるのは高くつく。数で殴る商売ほど、そこを手で抜くんです。だから、束ねると出る」


真野の顔が、青ざめていった。


「……この子たち、お母さんのふりをして入り込んでたってこと」声が震えた。「本物の、寝不足のお母さんたちに混じって」


「ええ」


「どうして、そんなことを……」


「あなたのサイトは、似た利用者が好んだものを薦める仕組み。優秀ですが、急所がある。“似た利用者”のふりをした票を外から大量に流し込めば、誰に何を薦めるかを丸ごと乗っ取れる。――その無名の商品を売りたい業者でしょう。あなたの十年ぶんの信用に、ただ乗りした」


御子柴(みこしば)が、柔らかく補った。「真野さん。あなたは間違っていない。むしろ信用されていたから狙われた。空き巣は、中身のある家を狙う」


真野の目に、じわりと涙がにじんだ。


「……てっきり、私が何かやらかしたんだと」


「いいえ」澪が即座に否定した。「あなたは被害者です」


御子柴が腕を組んだ。「その業者を、回線ごと締め出せないのか。アクセス元を塞げば終わりじゃ?」


「真っ先に試したけど、無理だったわ」澪は首を振った。「群れの出どころは、日本中の関係ない家庭に、ばらばらに散らばっていたんです」


「家庭?」真野が眉を寄せた。


「ウイルスに食われた“賢い家電”です。乗っ取られた見守りカメラやルーターが踏み台にされている。それから『歩くだけでお小遣い』みたいな無料アプリ。あの手のいくつかは、こっそり利用者の回線を又貸しする。タダで入れた善良な人の回線が、業者の隠れ蓑です」澪は続けた。「アクセス元で殴れば、罪のない家庭ごと巻き添え。犯人は盾のずっと後ろです」


澪は画面を切り替えた。組み直したおすすめの一覧。もうあの抱っこ紐は居ない。代わりに、ずぼらな母親向けの「手抜き離乳食」が、上のほうへ戻っていた。


「ここの汚れは私が落としました。でも、また同じ手で来ます。だから置いていくのは、薬じゃなくて仕組みです」


澪は、画面の隅に小さなボタンを一つ出してみせた。地味な、けれどはっきりした文字で、〈これ、おかしいかも〉。


「記事の隅に、報告ボタンを付けました。読んでいて『この“おすすめ”、なんか変』と感じたお母さんが、押すだけでいい。理由も長い文章も要りません」


「それを、どうするんですか」真野が訊いた。


「あなたが見ます」澪は運営側の画面を開いた。報告の集まった記事と、担いだアカウントが紐づいて並ぶ。「一つずつ確かめて、本物の売り込みなら、担いでいたアカウントの評価をまとめて下げる。担ぎ手の票が軽くなれば、おすすめの目方も自然に沈みます」


澪は、真野をまっすぐ見た。


「機械には、最後の判を任せません。任せれば、昨日の私みたいに、いちばん大事な常連さんをサクラと間違えて切る」澪はわずかに目を伏せた。「十年、母親たちを見てきたあなたが、一件ずつ決めてください。あなたの“似てる”を、二度と外から汚させないために」


真野は、組み直されたおすすめを長いこと見ていた。手抜き離乳食。安い肌着。夜泣きの乗り切り方。――十年、彼女が夜中の母親たちのために選んできたものたちだ。


「……このサイト、私が困ってたとき、欲しかったものをぜんぶ集めた場所なんです」真野は、画面を見たまま言った。「夜中に子供が泣きやまなくて、誰にも頼れなくて。ほっとできる場所が、知らない誰かの売り込みに変わって。お母さんたちに嘘をついてる気がして、ずっと苦しかった」


真野は、ようやく顔を上げた。目元が濡れていた。


「……これで、また嘘をつかずに済みます。夜中のあの子たちに、胸を張れる。ありがとうございます」


***


数日後。『はぐくみナビ』の片隅で、〈これ、おかしいかも〉のボタンが、ぽつ、ぽつ、と押されはじめた。夜泣きに付き合う母親たちが、寝かしつけの合間に違和感を送ってくる。真野とスタッフは朝ごとに一つずつ捌いた。黒と判が押されるたび、担ぎ手の票が軽くなる。あの無名の抱っこ紐は、日に日にランキングの底へ沈んだ。たくさんの寝不足の手が、毎日ひと押しずつ、サイトをもとの場所へ戻していった。


ほどなく受託料が振り込まれた。金額は大きくない。けれどメモ欄に、真野からの一行が几帳面な文字で添えられていた。〈うちのサイトの“本物”を、見つけ直してくれて、ありがとう。〉


「また一人、味方が増えたな」御子柴は、その一行を長いこと見ていた。「広告じゃ買えない信用が、一件ずつ積み上がるんだ」


澪は横で聞きながら、別のことを考えていた。


データが、外から歪められた。誰かがニセの行動を流し込み、判定を乗っ取った。初めてはっきり触れた“汚染”だ。守るための仕組みは、必ず悪用のされ方も持っている。澪は、その手触りを、ほかの数字とは違う場所へそっと格納した。どこに繋がるのかは、まだ見えていない。


「データが、外から歪められた」。守るための仕組みは、必ず悪用のされ方も持っている――初めて触れる“汚染”の手触りにゾクッときたら、【びっくり】を! この種がどこで芽吹くか、ブックマークで。

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