幕間②「揃いすぎた拍手」【二】
「さて。本題だ」
御子柴が、コーヒーを置いて、タブレットを机に立てた。
「彩。お前の伝手から、相談が来てるんだろう」
「うん」彩の声から、軽さが少し引っ込んだ。「真野さんっていう人。前の現場で一緒だった、三十代、二児の母。十年前に『はぐくみナビ』っていう子育て情報サイトを立ち上げて、今は小さな会社にして回してる」
彩は、タブレットにそのサイトを呼び出した。やわらかい色づかいの素朴なページ。離乳食のレシピ。夜泣きの乗り切り方。型落ちで安くなったベビー用品の見つけ方。書き手は真野さんひとりじゃない。日本中の母親たちだ。広告は、隅に控えめな一枠きり。
「始まりは、真野さんが自分の子育てで困って、地べたを這って調べたことを書き溜めたブログ。だから文章に嘘がない。やがて『私も書きたい』ってママたちが集まって、知恵を持ち寄る場所になった。藁にもすがる夜中に母親が開くサイト。十年で、登録した常連が何万人」
「いい仕事だな」
「いい仕事なんですよ。だからこそ」彩は唇を噛んだ。「真野さん、泣きそうな声で電話してきた。『うちのサイトの“おすすめ”が、いつの間にか、すっかりおかしくなってた』って」
御子柴が、相談メールの要点を、声に出して読み上げた。
「『この数か月、じわじわと、利用者への“おすすめ”が、見たこともない無名のものばかりになってきた。聞いたこともないメーカーの二万円近い抱っこ紐。原材料も効能もまともに書いていない海外製の育児サプリ。それが人気ランキングの上位にぴたりと居座って、何週間経っても動かない』――」
「で、苦情が殺到」彩が引き取った。「『最近のおすすめ、感じが悪い』『このサイト、業者に乗っ取られたんじゃないの』――そんなメールが毎日。何人かは、もう来なくなった。真野さんとママたちが十年かけて積み上げた信用が、この数か月で溶けかけてる。真野さんは、コードを一行も触ってないのに」
澪は、添付されたログを取り込んだ。アクセスの時系列。記事ごとの閲覧数。商品の「いいね」とブックマークの数。数字の列が、頭の中で勝手に棒グラフへ組み変わっていく。
ある無名の抱っこ紐が、突き抜けて高い「いいね」を持っていた。閲覧も多い。数字の上では、どこにも文句のつけようがない人気商品だ。なのに、澪の指がそこで止まった。
「……不可解ね」
「お」御子柴が片眉を上げた。「氷室の、面白がってる声だ」
「数字は、どこも悪くないの」澪は、その抱っこ紐の数字を指でなぞった。「閲覧も、評価も、ブックマークも、ぜんぶ健康そのもの。叩いても埃ひとつ出ない。――なのに、指が止まる。どこが、とは言えない。ただ、何かがおかしい気がするの」
「数字が完璧なのに?」彩が首をかしげた。
「ええ。それが不可解なところよ」澪は正直に答えた。「数字は嘘をついていない。けれど、この引っかかりの正体が、まだ言葉にならない」
御子柴が立ち上がった。
「受けよう」彼は迷わなかった。「十年が数か月で溶けるのは見過ごせない。氷室、頼めるか」
「断る理由がないわ」澪は、もうログの底へ潜りかけていた。「揃いすぎた拍手には、必ず仕掛け人がいる。私は、その手を見つければいい」
彩が、エナジードリンクの缶を、澪の机の端にそっと置いた。
「澪ちゃん。真野さんのこと、お願い」声が、めずらしく真剣だった。「あの人、悪いことなんて一個もしてないの。今でも夜中に、ママたちの言葉と向き合ってるだけの人なの」
「知ってるわ」澪は、画面から目を離さない。「真野さんのせいじゃない。それだけは確か。――でも、誰かの仕業と決まったわけでもない。ただのバグか、設定のほころびかもしれない。それを、まず見極める。もし誰かの手なら、必ずどこかに痕跡が残る。私は、それを見つければいい」
その跡が悪意の足跡なのか、ただの綻びなのか。澪の指先は、まだ掴めていなかった。
育児相談アプリの推薦が、なぜか乗っ取られている。「真野さんのせいじゃない。でも誰かの仕業と決まったわけでもない」――悪意か綻びか、その宙づりにドキッとしたら、【びっくり】を! 続きはブックマークで。




