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幕間②「揃いすぎた拍手」【一】

マコトの利用者が二百に届こうかという頃の、ある午後のことだった。


五反田のオフィスは、最初のワンフロアから一歩も広くなっていない。長机が一つ、椅子が三脚。増えたのは机の上のディスプレイだけだ。会社が回り始めた手応えは、家賃ではなく画面の枚数で測れる。


その片隅のサブ画面で、相撲中継が流れている。(みお)の数少ない趣味だった。


「相撲はね」澪が、取組を見ながら、誰にともなく言った。「八百長が、起きやすいように、できているの。――だから、素晴らしいスポーツよ」


「……今、協会の人が聞いたら卒倒する誉め方したよ、澪ちゃん」(あや)が、色校から顔を上げた。


(けな)してないわ。設計の話よ」澪は淡々と続けた。「八勝で勝ち越し、番付も給料も上がる。七勝八敗なら落ちる。だから七勝七敗で千秋楽を迎えた力士には、最後の一番に全部がかかる。――でも、もう勝ち越した相手に、九勝目の価値は低い」


「片方だけ、必死ってこと」


「そう。利害が片側にだけ重い。なら今日は星を譲って、別の場所で返してもらう。八百長せずにいるほうが難しいくらいよ」


「えげつないこと言うね」


「えげつないのは私じゃない。数字よ」澪は、勝負を決めた力士の背を、温度のない目で追った。「千秋楽の七勝七敗は、八割勝つ。過去の対戦から計算した期待勝率は、五割を切るのに。――借りを、星で返しているの」


「で。澪ちゃんの趣味は、それを眺めること?」


「眺めるだけじゃないわ。当てるの。誰がいつ星を貸し借りしているか、並びだけから言い当てる。――勝ち星は、数えても本物とは限らない。利害が、数字を歪めるんだから」


「……じゃあ、訊くけどさ」彩が、半分おもしろがって身を乗り出した。「八百長、あるの? 今場所」


澪は、すぐには答えなかった。画面の中で、次の力士が塩をまいている。それから、ほんの少しだけ口の端で笑った。


「それは、秘密よ。――ただ、過去に問題が明るみに出てから、分布は正常化してきている。とだけ言っておくわ」


その、めったに見ない笑みに、彩が一瞬、言葉をなくした。


御子柴(みこしば)は、その隣でストップウォッチを握っていた。力士が立つ瞬間に親指を落とし、土俵を割った瞬間に止める。立ち合いから決着までの秒を、一番ごと手帳へ書きつける。もとは澪が「八百長は、たぶん時間にも出る。筋書きをなぞる相撲は、妙に短いか、妙に長い」と漏らして計りはじめた趣味だ。それを彼が取り上げていた。澪の指をこんなグランジ仕事に使わせるのは、会社にとって高くつきすぎる。


「……ねえ社長。さっきから何やってんの、それ」彩が、手元のストップウォッチを胡乱(うろん)げに見た。


「測ってる」御子柴は画面から目を離さない。「もとは氷室の趣味だ。本人に押させては、その時間ぶん高度な仕事が止まる。手の空いた人間が肩代わりすればいい。合理的だろう」


「ストップウォッチ睨んで相撲を一番ずつ計ってる経営者が、合理の塊ねえ」棒読みの彩に、御子柴は崩れない。「効率化だ」


澪はそれを、上司が部下の趣味を管理しているのだ、と処理した。リソース配分として、むしろ正しい、と。秒を刻む親指が、土俵のどの力士よりも几帳面に同じ拍子を打っていることには、気づかない。


***


「ねえ社長。これ、却下ね」


彩が、壁一面の付箋から一枚を剥がして、御子柴の机に貼り直した。マコトのフィード画面のラフだった。


「『あなたへのおすすめ』を、もっと上に。もっと大きく。滞在時間が伸びる――って、誰が言ったんですか」


「データが言ってる」御子柴は、付箋を見もせずに答えた。「おすすめを上に出すと、利用者は長く留まる。事実だ」


「だから却下なんですよ」


彩は、男物のスウェットの袖をまくった。澪がキーボードから手を止めた。彩がこの口調になるときは、たいてい聞いておく価値のある話だった。


「長く留まらせるのが目的になった瞬間、SNSは中毒製造機になるの。コトバがそうだった。怒りと不安が、いちばん伸びる。だから感情を(あお)る投稿を上に積む。人は怒りながら、夜中までスクロールするわけ」


御子柴が、ようやく顔を上げた。


「マコトは、それをやらない」彩は付箋を指で弾いた。「声の大きい一割に、残り九割の見えるものを決めさせない。多数派の声がデカいだけのものを、本物の人気みたいな顔で並べたくないの。それが、私の設計の柱」


彩は、剥がした付箋の隣に、別の付箋を二枚並べて貼った。フィードの天辺に、タブを二つ。


「だから、こうしたい」彩は左のタブをつついた。「天辺の『おすすめ』一本を、やめる。代わりに、タブを二つ。『注目』と『フォロー中』」


「二つ、何が違う」御子柴が訊いた。


「『フォロー中』は、利用者が自分で選んだ相手だけ。時系列でただ流れる。機械が間に手を突っ込まない、自分で決める棚」彩は右のタブを叩いた。「『注目』は、いま外で何が騒がれてるかを覗く窓。でも、天辺に勝手には積まない。覗きたい人が、自分の足で覗きに行く。――どっちも、声のデカい一割を、みんなの天辺に居座らせないための設計よ」


澪は、ぽつりと技術の言葉を返した。


「――『おすすめ』も、足していいと思う。協調フィルタリングで」


「お」彩が振り向いた。「澪ちゃん、それ何。おすすめは、私がさっき却下したやつでしょ」


「却下したのは、万人にたったひとつの人気ランキングでしょ。声のデカい一割が、全員の天辺を独り占めするやつ」澪は淡々と答えた。「そうじゃなく、一人ずつ別の棚に替えるの。あなたと“似た人”が好んだものを、あなたにだけ薦める。――口コミを、機械が肩代わりするだけよ」


「似た人、ねえ」御子柴が頬杖をついた。澪の早口が始まると、彼はいつも一言も逃すまいという顔になる。「で、それ、具体的にどういう仕組み?」


「町じゅうの買い物カゴを、こっそり覗いて回る仕組みよ。あなたとカゴの中身が似ている人を探して、その人がもう一つ手に取ったものを、あなたの棚にも並べる」


「便利なの。でも、代償がある。棚が、あなた色に染まりすぎること。“似た人”の好みばかり寄せ集めるから、違うものがだんだん視界から消える。居心地のいい、タコつぼね」


「それ、フィルターバブルって言うんだろ」御子柴が引き取った。「居心地はいいが、気づけば、違う考えの人間が一人も見えなくなる」


「だから、彩の『注目』が効くのよ」澪が言った。「自分の泡の外で、いま何が騒がれているか。覗きたい人だけが、覗きに行ける。――最初にあの窓を開けておいたのは、正解だったわね」


彩が、にっと笑って、付箋にもう一枚タブを書き足した。「やっぱ澪ちゃん、私と気が合うわ。じゃあ決まり。『フォロー中』は、自分で選んだ時系列の棚。『注目』は、泡の外を自分の足で覗きに行く窓。そこに『おすすめ』を足す――協調フィルタリングで、一人ずつの棚としてね。万人にひとつの人気ランキングは、もう天辺に置かない。――これで、声のデカいだけの一割は、みんなの天辺から消える」


「彩の声の方が、五倍デカいわね」澪は短く言ったが、否定はしなかった。


彩は、缶コーヒーを一口あおった。「結局ぜんぶ一緒。利害でデカくなっただけの星を、本物の人気みたいな顔で並べる――それが、私はいちばん許せないの」


御子柴は、二人のやりとりをコーヒー越しに眺めていた。彩が澪に近づくたび、彼の視線は決まってその距離を測りに動く。澪は気づかない。御子柴の本命は彩だという推定が、とうに既定値に収まっている。


相撲中継を肴に、彩が吠える。「利害でデカくなった星を、本物の人気みたいに並べるのが許せない」――“揃いすぎた拍手”の話に頷いたら、【笑える】か【いいね】を! 次の受託事件はブックマークで。

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