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第八節 風が舞う

 時が止まったような感覚。


 それもそうで、ランドが下を向いて草地を見たまま動かなくなってしまったから。それはほんの一瞬のあいだなのかもしれないけれど、わたしにとってはとても遅く感じたよ。って、そういう話――。



「おれは、止すよ」


 …………。



「……あ……そ、そうなの……?」


「……ああ」


「……ほんとに……?」


「悪いが……とくに生活を変えようと思ってない」


 えっ……それだけ……?


 でもわたしは、「……わかった……」と言って、うなづいた。


「……今日のわたしみたいに、調査依頼とかがあったときは、冒険できるよ?」と、わたしは言った。


「……別に……」


「あっ……! あのっ、さっきの空を想うの語りとかさ、リーダーと話し合うと思うんだよね。


 あっ、リーダーっていうのはわたしたちの組織のリーダーで……三つ目の名を持つ英雄(トライアド)だよ。とんでもない魔力で……世界さいきょうの――」


 なにいってるんだわたしは。


「ごめん……関係ないよね……


 さみしくはないの? ひとりで?」と、わたしは言った。


 ランドは、視線を上のほうに戻した。「さみしいは……ないな……もう五年ぐらいになるけどな」


 ……五年……? また気になることを言いだして……聞いてほしいの?


「……さっきは、焦りすぎてて聞けなかったけれど……ランドっていったい何者なの? 五年前まではどこにいたの?」


 ランドは手を後ろについた格好のまま、こっちを見た。今回は取り乱さなかった。さっきは不意打ちだったからかな。


「聞いたら……倒れるぞ?」


「またまたあ」


 聞いたあと、たおれればいいんでしょ。倒れれば。


 いいよ。教えて。と言おうと思ったら、


 わたしを見るランドは、まったく冗談を言う感じではなく、真剣な顔をしていることに気がついた。



 ……あーあ。



 なんかさぁ……。



「……ランド、やっぱり、いいや……」


 なんか、ランドを誘おうとひとりで盛り上がってたわたしがばかみたいに思えたんだよね。


「……そうか。わるかった」。なんでランドが謝るんだろう。


「……今日はね……疲れちゃった」と、わたしは言って、


「……でもさ、また、来てもいいかな? 聞きに……」と、ランドの様子を見ながら、小さな声で言う。


「ああ。いつでも」


 ランドは微笑んで、そう言った。


 ……うん。おわりだね……。きょうは……。


「じゃあ……ありがとう。そろそろ――」



 何事も、予定通りにはいかないものだと思った。



 わたしが気配を感知するのと同時に、森に咆哮が響き渡った。



 それは、間違いなく黒い森の魔獣の咆哮。



 わたしは瞬時に思考を開始する。


 やっぱりいたんだ。迂闊だった。不思議なことは、気配を遮断する黒い森を貫くほどの怒気がこっちに向かっていないこと。突然膨れ上がった怒気。でも気配はひとつ。


 ちょうどわたしの正面、魔獣のいる所に()()ある。


 わたしは魔力を足に(まと)い、跳躍する。態勢を整えると同時に、通り過ぎざま横にいるランドを見る。


「ランド! あっちになにが――!」と、指をさし――


 驚いた。ランドは、そこにいなかった。すでに駆け出していた。魔力を使わない素の走り。向かっているのはもちろん気配の方向で、もう広場を抜けかかっている。


 わたしは足に纏う魔力を強め、宙を蹴ってランドに追いつく。


「この先に何があるの!」わたしはランドの斜め上から呼びかける。


「ああ! 嗅いだ魔獣を凶暴にする、草だ!」ランドは走りながら答えた。


「くさっ?

 

 ――了解っ! わたしに任せて!」驚いている暇はない。初めて聞く、魔獣を凶暴にする草。それも、遺物なんだ。


 わたしは一段上昇、走るランドを後にして、魔力を放ち、速度を上げる。


 ――ランド、あたったらごめんね。あと、ただの走りで、なんでそんなに速いの。


 後ろに放った魔力の圧――風圧で、黒い木が揺れ、葉が一斉に吹き飛んだ。


 集中力が高まっていく――


 まるで、空の道が見えるかのよう。舞うように、木々の間を縫って空中を飛びぬける。


 木があまり生えてなくてよかった。そこがわたしの独擅場になるから。


 わたしの魔力は――風。空気を押し出し、浮遊の特性を持つ唯一の属性。



 ――見つけた!



 徐々に減っていく木々の隙間から見えてくる、彼方にいる巨大な魔獣を認識する。


 向かう先は開かれた地形だってこともわかる。ランドは草と言ってたけれど、おそらく花だ。不気味な紫色の花が、一帯を埋め尽くすほど群がって生えている。


 速度を緩めず、開けた場所へ突き抜ける。その地形をひと目で把握する。


 そこは傾斜のついた地形で、全面に紫の花が咲く丘だった。果てにそびえるのは、切り立った崖。その上にまで黒い木が生えてるものだから、わたしの跳ぶ高さではその全容が見えない。左右にあるのは、とてつもなく密集する黒い木たち。3方を濃い闇に覆われた、広さおよそ五百メートル四方の場所。

 

 わたしは、眼前の魔獣を視界にとらえながら、上昇を始める。


 丘の斜面にいる魔獣は暴れまわっている。熊種で、黒い甲殻に覆われた腕であたりの花や地面をがむしゃらに薙いで、叩きまわっている。あちこちで暴れた形跡があった。


 ランド……凶暴にするんではなくて、狂わせるんだ。わたしにすら気づいてないから。魔獣はそもそも凶暴で、光の大地にいるわたしたちが憎いのか、見た瞬間襲いかかってくる。


 上昇を続けながらふわりと横向きに回転し、優雅に――踊るように右手をかざして魔力の矢を形成する。ある程度の高さで勢いをつけ降下。かざした右手から出る魔力の残滓は、空中で縦の放物線を描いた。


 そして、魔獣のちょうど真上にきたところで、


 ありったけの魔力を込めた矢を――わたしの身長の倍以上はある巨大な矢を、



 放つ!



 一撃で仕留める。このレベルの魔獣なら、わたしの敵じゃない。


 叩きつけるように投げた矢は、魔獣を上からぐにゃりとさせ、一瞬停止、すぐさまべったりと地面に押し付け、魔力による衝撃波を周囲に巻きおこす。


 吹きすさぶ風の威力で周囲の花がばらばらになって、はるか上空にまで飛び散った。


「あっ……! ……っ……!」やばっ! そっちにばかり気を取られて、花の密集地に突っ込んでしまった。花は思ったより背が高くて、茎と葉はやっぱり黒い。


 すぐに体を(ひるがえ)して、そこから抜け出す。宙を蹴って、地面に倒れた魔獣の背中に着地する。


 いっそのこと、深く呼吸をする。


 花の影響で体に異常は――なさそう。よかった! 本当に魔獣にしか効果がないらしい。ランドは知っていたんだ。おそらく前にもここに迷い込んだ魔獣がいたのかも。


 わたしは、足元の魔獣を見る。十メートルの体躯。大魔巨獣級かな。侵攻の途中でこの森に気づいて隠れ込んだんだと思う。


 舞い落ちる紫の花の雨のなか、ランドを待つ――


 と思ったら、すぐに来た。


 ランドはこの開かれた場所の入り口のあたり、花の生えていないところで止まった。


 わたしのいるところを見て、すぐに状況が――すごい有り様だもんね……わかったんだと思う。息を切らしていた。手には木の杖を持っている。


 でも、ここからではよく見えない。わたしのいる丘の中腹から百メートル以上離れているから、この距離では声も届かない。


「ランドーッ!」


 わたしは声を張り上げた。


 ばかなのか大声出して。他にも魔獣がいるかもしれないのに。それに、この魔獣がこの花の丘に迷い込んだのってわたしが来て騒いだせいじゃないかな。タイミングがよすぎるもの。


 もう……知るか! 他にも魔獣がいたって、未知のものだってぜんぶ倒してやる!


 ――うん。魔力をいきなり使ってテンションがおかしくなってる、わたし……。


「空葬が始まらないと思ったー! そうだよっ! ここでこいつを殺したら、わたしの満たされた気分が終っちゃう気がしたからっ!


 それに、明日の朝だって目覚めがわるそう! ランド言ってたよね! ぜんぶ自分勝手なエゴなんだって! わかった気がするっ! ほんとにいやになっちゃうよ!


 だから結局はやりたいようにやるしかないんだよねーっ!


 でも、この先こんなことが二度とないように願ってるっ! 組織のみんなにあわせる顔がないからーっ!」


 ちゃんと聞こえてると思いたい。ランドの反応は、あった。なにやら動いている。ランドが声をだしていたとしても、まったく聞こえない。


「さっきも言ったけど、本当にまたくるから!


 なんかわたしっ! ランドのことがほっとけないみたい! 上から目線でごめんねっ! なんでだろー!」

 

 こんな恥ずかしいこと、近づいたら言えない気がしたんだよね。


 花の雨は、やっと止んだらしい。


 そのとき――足元の魔獣がふわりと浮いた。


 ――えっ……空葬? そんなはずは……。


 そう思って下を見たら、地面から伸びる四本の木が、ねじれながら魔獣の体を取り巻いていた。


 木の魔力……まさかランドが……?


 あそこから、この距離まで魔力を操作してるの? ええっ……?


 魔力の木は、魔獣をどんどん上へ持ち上げていく。わたしは、ランドがなにをするのか、なんとなくわかる気がした。魔獣から離れて空中に浮遊する。


 木がしなる。これでもかというぐらいに弓なりになる。


 あの距離から、魔獣のこの体躯を、支えて持ち上げて、しならせて。


 強いのか、って聞いたとき、おそらくって言ってたけど、ほんとだったんだ……。


 魔力に込める力の密度――それができる技量と、魔力操作の精度がすごく高い。性質は、たぶん放出。素質はあきらかに操作。木の属性の特性は……成長だったっけ。


 押さえていた糸が切れたみたいに木が弾かれて、魔獣が空へ飛んでいった。わたしたちの左側の、黒い木が密集する方へ。


 魔獣は遠くまで飛んでいった。落ちていく地点は真っ暗で見えない。そのあと、何本もの木が砕けて割れる音、地響き、次々と木が倒れる音、また地響き。


 しばらくして、森がまた静かになったとき、わたしはまだ宙に浮いたまま呆然としていた。


 ……あの杖、てっきりあれで殴るのかと……。



 ――つかえそう……。



 首を振った。まず思いつくことがそれって、わたしはどうかしてる。



 そんなことじゃなくて……!



 ……というかさ、なんだったんだろう? なに、生活を変えようと思ってないって。さっきは聞き流したけれど、それって断る理由になってなくない?


 それに……それにさっ!


 ――どばっと感情があふれ出してくるのがわかる。


 わたしは、おかしくなってる。


 

 ――あああああああああああああああああああああああ!



 もうっ!



 行ったり来たりする感情。自分でもよくわからないよ。わたしはそんな感情が薄いって、自分でよく分かってるから。そういう感情を押し殺してるかもしれない。


 わたしはこのままずっと変わらないかもしれない。それでも――


 

 ほっとけないって思ったのは、本心だから!

 

 誘いたいと思ったんだから! やりたいようにやるから!



「あー! もうッ!」


 宙を蹴って、足から魔力を放つ。とてつもない速度で、ランドめがけて降下する。

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