第三節 ―拠点にて― 歓迎 ①
「お茶っ! いいね!」
ミナコはソファから跳ねるように立ち上がった。
「しよっか!」
「ふふ、良かった。嬉しいわ」
「こういうのなんていうんだっけ? ……テータイム?」
ミナコは、背伸びをしながら問いかける。
カルラは少し考えてから、「楽園だと……ティー、かしら。それか、お茶会。まあ、なんでもいいわね」
「十二番戦線生まれだと、そういうのも知ってるよねー」
「ええ。でもね、そっちへは行ったことはないの。
――じゃあ、準備してくるわね。ちょっと待ってらして」
「わかった!」と言ったミナコは、食卓の方へ向かった。
カルラは、穏やかな笑みを浮かべてそれを見届けると、居室を出た。
出る直前に、ちらりとヴァンを見やり――
「ヴァンも、よろしくて?」
にこやかに、そう言い残して。
「あ……」
意外なことに――ヴァンは、ためらいを顔に浮かべていた。カルラの問いかけに、すぐには答えられなかった。
ヴァンは机を見下ろす。リオナの手紙ではなく、その隣の、書きかけの一枚を。
それは、あの手紙による混乱が始まる前、夢中で書き進めていた――
いや、ほとんど白紙だった。罫線の上に、数行だけがぽつんと乗っただけの。
彼は、分類学者であり、作家であった。
どうやら、自身に課しているノルマが終わっていないらしい。
――予測しがたい人物である。
先ほどのカルラとの会話で、あれほど気遣いを見せたなら、お茶会の流れになるのは当然だった。
リオナへの抗議も、ずいぶん熱を帯びていた。組織に入ってまだ一か月の新入り――カルラに向けた一種のパフォーマンスだったのかもしれない。
遠征から戻ったカルラは、ようやく姿を見せたばかりだった。
食卓として並べられた長テーブルのひとつに澄まして座る彼女。そちらをチラチラ見ることはなくとも――
熱烈に歓迎したのは、他でもないヴァンであったのに。
それなのに、彼はまだ視線を下ろしている。
「はやく書かないと、また忘れていってしまう……
もうすぐ、完成なんだけどな……」
ぽつりと、そうつぶやいた。
「はやく、こいやあ!」遠くからミナコの声が響く。
ヴァンは、ふっと笑った――
「……バカか俺は。今より大切な時なんてないだろうが」
首を振って、机から離れた。
食卓についた時には、すべてが吹っ切れたような、晴れやかな顔になっていた。
*
ミナコは机に頬杖をついて、
「すごく、おとしやかだねー」
そう言いながらも、カルラの一連の所作から目を離せずにいた。
彼女の立ち居振る舞いは、優雅でありながら、どこまでも丁寧だった。すべての動作が流れるように滑らかで、洗練されていた。
微笑みを絶やさず、指先は柔らかく、しかし軌道には一切の迷いがない。
それは、十九歳らしい気負いとは無縁だった。
「紅茶……って言うの? こういうの初めて見るよ。街のドリンク屋には置いてないもん」
そう言ったミナコは、「大変じゃない?」と、続ける。
「小さい頃からやっていたの」
カルラは穏やかな表情を崩さずに答える。まるで会話すらも、所作のひとつであるかのように。
「もう、自分でやらないと落ち着かなくて」
「すごいよね」ミナコは、ヴァンに問いかける。
「……さっきから黙ってるけど、どうしたの?」
ヴァンは、カルラの動きをじっと見つめながら答えた。
「……ほんの僅かでいいから、お前にも、お淑やかさと慎みがあってほしいもんだな」
その視線は、彼女の動作に宿る何かを、ひとつ残らず拾い上げようとしていた。
まるで、奥に潜む本質を、ひとつたりとも見逃すまいとしているかのように。
思えば――
カルラが居室へ戻ってきた瞬間から、部屋の空気は変わっていた。
言葉にするわけでもなく、何かを感じ取ったふたりは、自然と背筋を伸ばしていた。
足音を響かせず歩くカルラの手には、黒漆のトレイが静かに乗っていた。その上には、白磁のティーカップとソーサーが三組。深紅のポット、『こうちゃ』と書かれたティーキャディー――
それらは寸分の狂いもなく、整然と並べられていた。
カルラの纏う朱色のドレスだけが、動くたびに柔らかく揺れている。
髪色に似た濃い朱の布には、胸元から袖にかけて繊細なフリルが幾重にも重なり、炎のような揺らぎを生んでいた。
動作が重なるたび、衣はカルラの気配に呼応するように揺れ、空間に言いようのない静かな緊張感を滲ませていく。
その揺らぎは、彼女の存在を美しく彩りながらも、内に秘めた力の存在を仄かに示していた。
それは、気品の奥に潜む、揺るぎなき戦士の気配――。
――ただひとつ、それを明確に漂わせていたのは、ドレスの影に添えられた、二本の剣だった。
彼女はそれを、常に身に帯びていた。
四角く、柄も刃も持たない無垢な白の棒。無骨な鞘に収められた白い――剣は、沈黙のまま圧倒的な威圧を放っていた。
それこそが、静かなる強者――彼女の刃。
そう。
カルラが居室へ入った瞬間からすでに、優雅さの奥に潜む刃は、誰にも見えぬまま、空間全体を染め上げていた――。
「いかがかしら」
ミナコとヴァンの前に、カップがそっと置かれる。
白磁のティーカップは、金彩の縁取りが施されたソーサーの中心に、わずかな揺れもなく収まった。
「お口に合うといいのだけど」
カルラは、ふたりに視線を向ける。目元に柔らかな笑みを灯したまま。
「ありがとー!」ミナコは声を弾ませ、笑みを返した。
カルラは、長テーブルの正面に澄まして座り、朱色のドレスの裾を音もなく整えた。
「……ヴァンは、どうしたのかしらね? 私を、見すぎではなくて?」
自身のティーカップに視線を落とし、穏やかに、どこかおどけた調子で言う。
ヴァンは、カップを押さえるカルラの両手から、まだ何かが現れるのを待っているようだった。
「どうしたんだろうね、ヴィンヴァンさんは」と、ミナコが言った。
「その名前で呼ぶんじゃねえや……」
ヴァンは、ようやく顔を上げ、ゆっくりと息を吐いた。
「天才が何かをし始めたならな、俺たちは黙って見ておくもんなんだよ」
沈黙が生まれた。
ヴァンの言葉の余韻が場に纏わりつく中、ミナコはカルラを見て、肩をすくめる。
その目には、戦闘態勢に入ったかのようなきらめきが潜んでいた。
ヴァンは、独り言のように、「……よし、いただくか……」と言った。
――ふたりが紅茶を一口飲んだ瞬間、迸る感嘆。
そして、それぞれの言葉で、カルラに感謝と賛辞を述べた。
ヴァンは、おもむろに――カルラの腰に添えられた剣を指しながら、
「――そうだよな。
全部、型ってやつだ。
……殺気と気品が、同じ手の中に収まってる。 まるで、刃を包む絹のように、だ」
ミナコが何か言いかけたが、遮るように話を続ける。
「柔らかさの奥に、太い芯がある。
決して揺るがない戦いの本能が、大地深くまでぶっ刺さってる」
カルラは、視線を落とし、ただ微笑みを返すだけだった。
「やれやれ! まーた何か言ってますぜ、このボケは」
とうとう、ミナコが放たれる。緊張を破るのが使命だと言わんばかりに一撃を飛ばす。
カルラはすぐさま淑やかな所作で口元を手で押さえ、吹き出すのを耐えた。
ミナコが親指でヴァンをくいっと指す。
「カルラ? こいつ、作家」
ミナコは急に、椅子の背に身を預けるようにのけぞった。
「はあー! 絵本を書けや、やさしい絵本をよお!」
「ンプッ! ンククククッ……!」
カルラは、机に顔を突っ伏した。
朱のドレスがふわりと揺れ、笑いの震えが肩にまで伝わっている。型が、崩れかけていた。
ミナコとヴァンは顔を見合わせる。
そこにあったのは――何かを確かめる者同士の、無言のやりとりだった。
――これで分かった。
――カルラは、笑いに弱い。
それも、ミナコが崩し手らしい。なぜ戦線にいるかも分からない、この幼な顔の十五歳がやることに意味があるらしい。
――でも、まだだ――。……もう少しだ――。
ふたりは、こくりとうなづいた。
ヴァンはカルラに顔を向けて、
「――それで、十二番戦線で待ってるのは誰なんだ?」
何気ない口調が、場の呼吸を静かに整えた。




