SS その後の僕ら
※この作品は既に完結した『入れ替わった僕達は、それでも恋をする』のショートストーリーになります。宜しければ上記作品を読んだ後、このSSを楽しむことをお勧めいたします。
朝六時、アラームと同時に目を覚ますと、僕は一階へと降りて、欠伸と共に洗面所へと向かった。スマートフォンを鏡の前に置き、適当な動画を流しながら、真水で顔を洗う。
(ふぅ)
鏡に映る僕はいつも通りの姫野宮素直なのだけど、最近、顔の輪郭が変わってきている気がする。直兄と一緒にバスケをやり始めてから、身長も伸びたし筋肉も付いてきた。人って運動するだけでここまで変わるのかって、正直驚きだ。
「あ、素直さん、おはようございます」
とたとたと二番目に降りてきたのは、義妹であり恋人の真冬ちゃんだ。
僕の隣に立つとヘアバンドで前髪を持ち上げて、彼女も顔を洗い始める。
高校生になり、また一段と真冬ちゃんは綺麗になった。
切れ長の瞳に長い睫が踊り、凛と通る鼻筋にまで光沢が残る。
可愛らしいピンク色のボーダーの寝巻の膨らみは、本人曰く、中学校二年生の頃から成長していないらしい。それでも充分にあると、僕は思えてしまうのだけど。視線が自然と顔から下へと下がってしまいそうになるので、意識して視線を上へと持ちあげる。
「綺麗な妹は、好きですか?」
大好きです。
あ、違う、これ真冬ちゃんがモデルになったCMだ。
新作リップを手に持った制服姿の真冬ちゃんが、振り返りながら微笑んでいる。
「あ、私のCM、やだな素直さん、恥ずかしいからスキップして下さいよ」
画面に映る自分を見て、真冬ちゃんは頬を染めながら視線を逸らした。
高校入学してすぐに読者モデルにスカウトされて、掲載された雑誌が話題になりテレビにも出演するようになって、あれよあれよという間に気付いたらCMに抜擢されているのだから、さすがは真冬ちゃんと言ったところか。
でも、凄いのは真冬ちゃんだけじゃない。
このCMのイメージソングに抜擢されたのは、flow rabbitこと伊静流さんなのだから、やっぱりこの二人は他とはレベルが違う。武道館ライブも成功させてしまったし、高校生にして全国ツアーまでこなしてしまっているのだから、もはや天上人とも言えよう。
そういう視点で考えると、顔が変わっただけの僕は、そんなに変化が無いのかも。
などと、一人しょげていると。
「もう、なんでスキップしてくれないんですか」
真冬ちゃんに肘で突かれてしまった。
スキップをタップし、スマートフォンをポケットに仕舞う。
「いや、二人とも凄いなって思ってさ」
「どれだけ凄くても、私は別に、芸能界にどっぷり浸かるつもりは無いですよ」
顔を洗い終わると、真冬ちゃんは下していた髪を縛り、後ろで一つにまとめた。
細い首筋が露わになると、僕はまたしても、彼女に見惚れてしまう。
「さて、今日は私がご飯作りますから、素直さんは洗濯、お願いしますね」
高校生になってから、真冬ちゃんは家事を手伝うようになってくれた。
家事って大変なんですから、当番制にするべきです! なんて言ってくれたけど。
相変わらず母さんの仕事は不規則な時間に家を出ることが多いし、義父さんだって家に帰ってくるのが遅い。直兄の家事レベルは小学生レベルから成長していないし、桃子と杏子だって、帰宅直後にはランドセルを放置して、どこかへと遊びに出てしまうんだ。
現に、この時間に起きているのが僕と真冬ちゃんだけなのだから、当番制にしたところで、きっとそれは形だけで終わってしまうのだと思う。最近では真冬ちゃんも諦めたのか、何も言わなくなってしまったけど。
「あ、素直君、おはよう!」
庭で洗濯物を干していると、佐保さんが声を掛けてきた。
走ってきたのか、冬用のウインドブレーカーをまといながらも、額には汗が残る。
肩までぐらいの髪、後ろだけは縛っているけど、前は垂らしたままだ。
手にある洗濯物をカゴに戻し、久栗さんへとぺこりと頭を下げる。
「佐保さん、おはようございます。毎朝のマラソン、精が出るね」
「ありがと。部活は引退したけど、走らないと何か調子悪くてさ」
既に季節は二月下旬、僕たちの高校生としての活動は、ほぼほぼ終わりを迎えている。
全国大会を荒らした夏のインターハイも、既に過去の話だ。
「入直は全然、ジョギングに付き合ってくれなくなっちゃったけどさ」
「あはは……直兄、まだ部屋で寝てるけど、起こしてこようか?」
聞くも、佐保さんは両手を組んで伸びをしながら、眉をハの字にして苦笑した。
「ううん、いいよ。授業もないし、大学受験も終わったしね」
「わかった、じゃあ起きたら佐保さんが文句言ってたって、伝えておくね」
「ふふっ、宜しくね。……って、その服装、今日も素直君は学校に行くの?」
「ああ、うん。真冬ちゃんが最終日まで一緒に登校したいって言うからさ」
返事を聞くなり、佐保さんはなぜか柵を飛び越えて、僕の前に降り立った。
「相変わらずの、彼女想いの彼氏さんですねぇ」
口元に手を当てながら「いひひ」と、いつかの笑みと共に肘で突いてくる。
それに対して、僕も後頭部に手をやり「えへへ」と微笑み返した。
「浮気ですか」
「おわ、真冬ちゃん」
エプロン姿の真冬ちゃんが、いつの間にか僕たちの真横にいた。
オタマで自分の肩をトントンしている辺り、いつでも殴れるって感じだ。
そんなジト目の真冬ちゃんの肩を、佐保さんは笑顔でぽんぽんと叩く。
「浮気とかじゃなくて、二人はいつも仲が良いねぇって感心してたところ。っていうか、私から見たら二人とも義妹と義弟になるんだから、浮気する訳ないじゃん」
「まぁ、そうですけど。直兄、起こしてきましょうか?」
「あははっ、それ、素直君にも同じこと言われたよ。二人お似合いだねぇ」
なんとなく真冬ちゃんと目を合わせて、微笑んで、なんとなく視線を逸らした。
そして無言のまま、パンパンと、佐保さんは僕達の肩を叩く。
「じゃ、お義姉さんはそろそろお暇しようかな、学校頑張ってね」
ひらひらと手を振りながら玄関まで行き、もう一度僕達の方を見ながら手を振って、そしていなくなった。
「まったく、油断も隙もないんだから」
「いやいや、佐保さんも言ってたけど、何もないから」
「わかってますけど、それでも心配なんです」
「心配って」
とたとたと近寄ると、腰に回した手で、真冬ちゃんは僕を引き寄せる。
「だって素直さん、カッコいいから」
言いながら、耳を真っ赤に染めると、真冬ちゃんはそのまま体全部を僕に預けた。
僕がカッコいい。
これまでの人生で一度も言われたこと無いよ、そんなの。
でも、真冬ちゃんは結構な頻度で僕のことを褒めてくれる。
それが嬉しくもあり、恥ずかしくもあり。
「……ありがとう」
こんな風に返すので、精一杯になってしまうのであった。
「桃子、杏子、学校遅れるよ」
「はーい、大丈夫、ちゃんと時間見てるから」
小学四年生になった二人は、相も変わらずのランドセル姿だけど。
「杏姉、私の髪、大丈夫かな?」
「桃は前髪命だもんね。うん、大丈夫、今日も可愛いよ」
「ありがとう。杏姉も髪、綺麗だよ」
「にへへへ、じゃ、行こうか」
既に髪型やファッションに気を遣う、立派なレディに育ちつつある。
この二人も、真冬ちゃんみたいに芸能人レベルに可愛くなるんだろうな。
そのうち、彼氏とか出来ちゃったりして?
なんて、四年生じゃ、さすがにそれはないか。
「彼氏ですか? 二人とも、もういるみたいですよ」
高校の食堂にて、真冬ちゃんから驚愕の事実を聞いてしまった。
桃子ちゃんと杏子ちゃん、彼氏いるの?
「え、でも、まだ四年生だよね?」
「素直さん、さすがに認識が古いです」
「古い?」
「最近だと、一年生でも、彼氏彼女の関係になったりしますよ?」
「小学校の?」
「小学校の」
「えと、付き合って、何するの?」
「別に、何もしないですよ。ただ、彼氏がいるってことがステータスになるみたいです。でも、世の中は広いですからね。小学生同士で妊娠、なんていうのも現実にはあったりするらしいので、桃子と杏子に関しては、ちゃんと私とお義母さんとで、釘を刺してありますよ」
あ、お母さん、ちゃんとお母さんしてるんだな。
っていうか小学生同士で妊娠とか、考えたくもないね。
「でも、さすがは素直さんのお義母さんって感じですよね。二人に彼氏がいるの、お義母さんの方が先に気付いたんですよ? 普段全然家にいないのに、些細なことにはすぐに気が付くみたいで、主婦として勝てないなぁって、最近思います」
「ああ、母さん、細かいところに気が付く人だからね。僕と直兄が入れ替わっていた時だって、何も伝えてないのに僕だって気づきかけてたし。あの時は心の底から驚いたけどね」
既に、僕達に入れ替わりから二年が経過しようとしている。
時の流れを早く感じるのは、毎日が充実しているからなのだろうけど。
「でも、真冬ちゃんだって負けてないと思うよ?」
「そうですか? 具体的にどこの辺りが負けてないと思います?」
目を輝かせながら、ぐっと、僕との距離を詰めてきた。
「料理の腕前とか。このお弁当だって、物凄く美味しいよ?」
「それは、教えてくれた人が良かったからじゃないですか?」
「いやいや、ホウレンソウの和え物にキンピラごぼう、唐揚げに卵焼き、全部が美味しいと思えるんだから、真冬ちゃんは間違いなく、良いお嫁さんになるよ」
確かに教えたのは僕かもだけど、真冬ちゃんはそこから更にアレンジを掛けてるんだ。
卵焼きにはチーズが混ぜてあるし、唐揚げだって一口サイズで食べやすいし美味しい。
キンピラごぼうの黄金比、酒三、醤油二、砂糖一、これだって忠実に守られている。
家庭の味というよりも、お店の味レベルの美味しさだ。
伊静流さんの歌と同様、お金が取れるレベルのお弁当だと、僕は思う。
「……」
あれ? でも、真冬ちゃん、なんか髪で顔を隠し始めちゃった。
「ごめん、僕、何か変なこと言った?」
「いえ、別に」
「でも、顔見せてくれないし」
「今は、ダメです」
「どうして?」
「……お嫁さん」
「ん?」
「私、良いお嫁さんに、なれますか」
「ああ、うん、なれると思う」
「それって、素直さんのお嫁さん……ってこと、ですよね」
………?
…………。
…………!
確かに、そう捉えることが出来る。
真冬ちゃんが、僕のお嫁さん。
うお? おおおお!?
僕は一体、何を言ってるんだ!?
「あ、あの真冬ちゃん」
「大丈夫です、分かってますから」
「そ、そう?」
「はい、あの、素直さん」
「な、何かな?」
「子供、何人欲しいですか?」
話し飛びすぎぃ!
そんな赤らんだ顔で聞く内容じゃないでしょ!
というか、ほんの少し前に小学生の性事情について語ったばかりなのに!
「私、妹二人いるので、男の子が欲しいです」
「あ、ああ、うん、いいんじゃないかな?」
「本当ですか? ……でも、二人きりの時間も欲しいので、出産は二十七から三十歳くらいにしたいです」
「ああ、うん、そうだね」
「それと、結婚してからの新婚生活も送りたいので、二十五歳で結婚したいと思います」
「うん、それがいいかもね」
「だとすると、お付き合いの期間が高校一年からだから、七年になっちゃいますね。素直さん」
「はい」
「我慢、出来ますか?」
何を我慢するのかな?
返答に困っていると、真冬ちゃん僕の手を握り締めて、自分の胸へと引き寄せた。
「私は、我慢できそうにありません」
「……う、うん?」
「なので、結婚は二十歳になったらに、しませんか」
「二十歳か、真冬ちゃんが二十歳なら、僕はちょうど大学卒業だね」
答えると、さらにぎゅーっと、僕の手が真冬ちゃんの胸に沈む。
もう、真冬ちゃん、耳どころか首筋まで真っ赤だ。
忘れちゃいけない、ここは高校の食堂だぞ。
会話内容が突飛過ぎて、必要以上に注目を集めてしまっている。
楽しいし嬉しいけど、そろそろ会話内容を変えないと。
そう思っていたのだけど。
柔らかな胸に沈んでいた手が、ふわっと離れてしまった。
「真冬ちゃん……?」
彼女は手を離し、背もたれに寄りかかるようにし、そして視線を泳がせた。
「……新卒一年目で奥さんなんかいたら、ダメですよ」
泳がせていた視線を僕へと戻し、そしてまたにこやかに微笑む。
少女のように振る舞いながらも、その実、中身はしっかりとした大人だ。
彼女のやたら大きい振れ幅に振り回されながらも、僕はそれでも彼女を受け入れる。
「別に、いいんじゃないかな」
「……え?」
「新卒一年目で奥さんいた方が、きっと真冬ちゃんも安心する」
「素直さん」
もうなんか、このまま挙式しちゃいそうな雰囲気だけど。
残念なことに、ここは高校の食堂だし、真冬ちゃんはまだ高校一年生だ。
二十歳まで三年以上あるし、その時間は、きっと僕達にとってとても長い。
「だから約束。二十歳になったら、結婚しよ?」
「……はい、ありがとう、ございます」
そして湧き上がる拍手と喝采の声。
僕が自殺未遂高校生として話題になった以上の歓声が、僕達を包み込む。
楽しくて仕方がない生活なのだから、意外と三年なんて、あっという間かもしれないな。
それから三年後。
真冬ちゃんとの結婚を三か月後に控えた、ある日のことだ。
「……ん?」
いつもの部屋、いつもの景色なのだけど、何かが違う。
僕と真冬ちゃんは結婚するにあたって、同じ部屋で眠る生活を送っている。
だから自分の部屋っていうのは分かるのだけど、何かが違う。
ぼんやりと天井を眺めながら、ふと、顔を横に向けた。
僕がいた。
目を閉じ眠る、僕がいた。
僕が……いた?
「え、なんで」
ぱちくりしていると、自分の声が甲高いことに気付く。
起き上がり、自分の服を見る。
もふもふのピンクのボーダー、これ、間違いなく真冬ちゃんのパジャマだ。
「え、ちょっと、え?」
慌てていると、眠っていた僕が、欠伸と共に起き上がる。
黙ったまま眺めていると、僕の姿をした僕は、伸びをして、目をこすりながら挨拶した。
「……ん、おはようございます、素直さん…………さん?」
「お、おはよう……あの、真冬ちゃん、だよね?」
「はい……え? あ、あれ? 私、あれ!?」
「真冬ちゃん……」
「はい……」
「もしかして、何か悩みごと、あった?」
結婚三か月前にして。
僕と真冬ちゃんは、入れ替わってしまっていた。
次話『入れ替わった僕達は、それでも結婚する』
すいません、次はいつになるかわかりません!
鋭意執筆させていただきます!