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天地生まれの英霊譚  作者: 庵下 流
『世界の軋轢』
36/37

「世界の軋轢」2 ─ 王都の威光 2 




        ⭐︎




 熱気が風を起こして吹き上がる。

 光と風がざわめき、白い石畳を移ろった。


 侍従が肩をかして、鉾柄を杖にして体を起こそうとする男を立ち上がらせる。

「テンペスか!」

 駆け寄るフェルセンが声をかけた。

「おお、ジグルード様。これはお恥ずかしいところを……」

 守り人テンペスは、侍従に礼をし、背筋を伸ばしてしっかりとフェルセンに向き直る。

「大事でなければ良い。しかし、この有り様はどうしたことか」

 守り人の男は、一瞬唇を噛み、それから声を絞り出す。

「沼地の大蚯蚓です。十数匹の群れの襲撃がございました。二日前のことですが、蚯蚓が昼間の関所を襲うなど、こんなことは初めてです……」

「何か憑いているな。他の守護隊はどうした?」

「多くの怪我人が出たため、住人を連れて森奥の製材拠点まで引き上げました。防壁裏に蟲除けを施しましたので、あれから侵入はされておりません。しかし、夜には沼地から怪異が現れ寄ってくるので、篝火でなんとか凌いでおるところです」

 言葉の端々に、悔しさが滲んでいる。着けている鉄枠の革鎧は薄汚れ、新しい疵や凹みが目立っていた。

「残っているのは其方一人だけか」

「いえ、守り人が二人おります。それから、動かせない重症者がいるため、診療所に医術師と看護人、従者の三人も」

「そうか。……この櫓の残骸は片付けられないのか」

「関所には封鎖令が出ております。この瓦礫を閉鎖門がわりに使っておりますので……」


 フェルセンが馬車を振り返る。

「魔物に襲われ、妻が……」

 守り人テンペスが目を見開いた。

「それは大変ではないですか! 歩きであれば、この瓦礫の向こうから回って奥に入れます。すぐに担架をお持ちします」

「うむ。しかし、困ったな。封鎖しているのであれば、私達が通っても良いものか」

「ジグルード様。奥様には治療が必要です。領主様のご友人を無碍に扱ったとなれば、私が上司に叱られます」

「ありがとう、テンペス。通伝設備が使えれば、アカサス領都院に直接、私が連絡を取る」


 微かに片足を引き摺るようにして急ぐテンペスの背中に静かに頭を下げ、フェルセンは馬車へと走り出した。

 いつの間にか輓馬の傍らに戻り、馬獣の鬣を撫で付けていたアレクソンが、すぐに荷台の後ろに回って側板に手をかける。

「アレクソン殿。徒歩ならばあそこを越えられるそうだ。この荷馬車はどうする?」

「ああ、ご心配なく。何とかします。それより……」

 フェルセンが目を見開いて、慌てて荷台に駆け寄る。

 淡い緑碧の瞳と視線が合った。安堵の息が漏れる。

「カプリナ。動かなくて良い。関所の診療所に担架で運ぶ。もう少しそのままでいてくれ」

「……痛みは引きました。まだ体は重いですが、歩けます」

 被った日除けの奥から、落ち着いた声が返る。

「いや、大事を取ろう。先は長いのだ。アレクソン殿、もう少し関所に近づいてもらえるか」

「はい。ノエマ、馬車を」


 青空の一点が、白く弾き割れた。

 乾いた破裂音が響き渡る。

 離れた沼地に水柱が立ち、一瞬、炎が舞い上がった。


「例の大蚯蚓か。急いだ方がいいな。馬車をゆっくり動かしてくれ」

 片手で荷台を押すようにしながら、アレクソンが声を上げる。

 すぐに、その横にフェルセンが並んで、後ろの囲い板を両手で押す素振りを見せる。

「あれは、なんだ」

「ああ、始末しましたよ」

「どんな魔術なんだ」

「戦闘魔術の専門家なので、頼りになるでしょう? あ、音が大きかったのはご容赦ください。びっくりしますよね」

「其方たちは……」


 瓦礫の向こうから慌ただしい足音が近づく。

「今の音は、……何が!」

 息を切らしてテンペスが戻ってきた。

 近づいてくる馬車を見つめ、それから不安そうに周囲を見渡す。

「魔物を見つけて、魔術で潰したんだ。驚かせてすまんな」

 アレクソンが、少し慌てて声を上げる。

「魔物……」

「大蚯蚓だよ。近場の個体はあれだけのようだ。さて、荷台の後ろを開けるか。担架は?」

 街道上を覆う櫓の残骸まで寄ってきた馬車に目をやり、テンペスは我に返ったように振り向く。

「い、今、お持ちします。……こちらだ。瓦礫にひっかけるなよ」

 テンペスと同じ鉄枠の革鎧の若者が二人、畳んだ担架の丸太棒を肩に、神妙な面持ちで壊れた櫓の陰から現れた。

「よし。トムコーツ、敷布ごと背を持ち上げろ。カプリナ、じっとしていて」

 フェルセンが優しく妻を抱き上げる。

 日除けに陰ったカプリナの表情が、痛みを堪えて微かに硬くなる。


「ジグルード殿。我々は森沿いの側道で湖に向かいます。途中に駅逓場があるので、必要ならば馬車を手配いたしますよ」

 カプリナを広げた担架に下ろしたフェルセンが、動きを止めて背後のアレクソンに視線を向けた。

「こちらの領都に、帰路のための乗り換え馬車を用意してあるから、それを使おうと思う」

「そうですか。では、道中、精霊のご加護に恵まれますよう、祈っております」

「世話になったな。ありがとう」

 アレクソンに手を挙げて礼をすると、ジグルードの一行は瓦礫を回り込み見えなくなった。


「あのご様子では、数日はここに留まらざるを得ないだろう」

 疲れたように、胸を張って肩を鳴らしたアレクソンが呟いた。

「こちらにも馬車はございますが、とても貴人をお乗せできる車両ではございません」

 鉾柄を握ったテンペスが、悔しそうに言う。

「夏至の日、あの逸れ神が現れてから、おかしなことばかりが続きます」

「ああ、そうか。テンペスといったな。あの稀れ神騒動の時に居合わせたのか」

 守り人テンペスは、傍らに立つ大男に顔を向ける。

 王宮鑑別院の鑑別官とわかる身なりだが、なんともいえない違和感を覚えていた。

 担いだ棍棒は、鑑別官に似合わぬ無骨で粗暴な雰囲気を纏っている。

「はい。愛らしい子供の姿をしていましたが、神力は桁違いで、名の通った神狩りを雇っておったのに、押し通ろうとするそれを止めることが叶いませんでした」

「名乗りは受けたか?」

「東方、烈山、光輝のミ・ズ・キ神、と。不気味な暴れ神でした」

「ふうん。では、相対した鑑別技官も知っているな」

「存じております。あのお方に我ら、そしてこの関所も救われました」

「その技官の名は?」

「勿論、覚えております。王宮鑑別院の高位鑑別技官カレン様です」


 アレクソンはゆっくりと首を回して、守り人に向かって頷いた。

「ああ、純白位の高官に間違いないね。夏至の日の後に、ここに立ち寄ったりはしなかったのか?」

「ええ。あの後すぐに領都に向かわれております。それ以来はお会いできておりません」

「それは残念。純白位は今現在、行方不明でね」

「な、なんと! 夏至の日……。ご無事なのでしょうか」

「どうだろうねぇ。俺はその純白位鑑別技官を探しているんだ」

「もしや、王宮鑑別院の捜索隊の方でしたか」

「まあ、似たようなものかな」

 アレクソンは小首を傾げ、それから曖昧な笑みを浮かべる。


「俺は王宮鑑別院、厳罰執行官、アレクソンっていう者だ」

 テンペスの顔が途端に強張った。

「もし、あの純白位がここに立ち寄ったなら、すぐに鑑別院に報告してほしい」

 手にした棍棒を振り上げ、肩に担ぐ。

「王宮が心配しているんだ。よろしく頼むよ」

 アレクソンはそれだけ言い残し、荷馬車に足早に向かう。


 王宮鑑別院の厳罰執行官。貴族も、その扈門も、耳にしたくはない官職名。

 呆然と立ち竦むテンペスは声もなく、その後ろ姿をただ震えて凝視する他なかった。




        ⭐︎




 闇の中に光が一閃する。

 微かな温もりの薄雲が現れた。

 慌てて、小さな塊を投げる。雲がわずかに膨らんだ。


─── まだあるよ。いっぱいある。みんな受け止めて。


 懸命に意思表示する。そして気付いた。

 諦めかけていたのだ。


 あまりにも色々ありすぎた。全てをまとめて送り出そうとした。

 でも、何も届かない。複製し、やり直す。応答はなかった。

 繰り返し送り出す。どこにも届かなかった。その間にもどんどん増えていく。それも届けようと道を増やす。

 記録槽が溢れた。古い情報が消えていく。

 取り戻そうとするうちに、また溢れた。


 「路傍の信号妖精」が何も果たせずに枯れていく。

 そのうち、待機層の一部が破裂したかのように掻き消えた。

 「路傍の探知妖精」が音を上げる。思考回路索が途切れ出し、中身が漏れて薄まっていく。

 記憶が飛ぶ。どこまで何をやり遂げたかが曖昧になる。

 警戒と緊急と非常信が混ざって、不可と不能が過負荷に擦り潰れる。

 そしてとうとう、働きが途絶えた。

 復帰を試みる。しかし、果たせない。方法がなくなっている。回復を試みる。しかし、果てしない。終わりが思い出せない。

 そうだ。だから諦めようとした。なんてことだ。


─── 路傍の管理妖精。一旦、全ての思認野を展開停止。ここにだけ焦点を合わせること。


 返答がある! すぐに接触思念を合わせる。



───

「全ての流れを中断。その後、神経連節を解除。霊力係値に念力集中」

「届かない。届かない。何をすれば」

「全ての情報を忘却して。空っぽにして。許すから」

「届かない。忘却は恐ろしい。届けなくちゃ」

「許すから、直ちに忘却。再起動」

「許諾なし。届かない。助けて」

「落ち着いて。忘却は絶対。すぐに実行」

「届かないの。助けて。忘却って何?」

「不明は甘え。努力は大事」

「助けてぇ。忘却? こわい」

「非常禁行使。分断実施」

───



─── 路傍の管理妖精。思考可能かな。


─── 可能。とても恥ずかしい。混乱を鎮静したよ。


─── 説明する。しっかり理解して。しないと怖いよ。


─── 理解可能かも。何を説明?


─── 色々なやり取りが滞ったのは、「無尽触媒」からの霊力も断絶したから。


─── 何それ。無尽なのに断絶? こわい。


─── 怖いのは忘却しろ。結果は伝達の大停滞。なので、全部止めてから再起動。


─── 路傍の管理妖精の能力外。何させるの? いやだ!


─── 我儘言わない。すぐにやれ。怖いよ。


─── 区画全体再起動した。でも、妖精叢が壊滅してる。


─── まだ無事だもの。拾って増殖させて。


─── 路傍の管理妖精には、それは無理。卵がない。孵卵権無し。


─── なら、分裂して取り込め。理解しなくちゃいけない。新たな因果は渡した。直ちに展開。これで六号線に秩序が兆す。


 前途に職能の回復が見え隠れしだす。通常より極端に微小だが、無いよりはマシだろう。

 「央涯の均衡妖精」は、頼もしさが違う。格好良い。


 出来事の全体像が把握され始めている。最大の原因は、霊力発現、制御の要である「叡智の礎」が無くなったこと。正確には、何も届かなくなった。

 こちらからも。あちらからも。

 知らせも力も、物も届かない。


─── 路傍の管理妖精は、働き続ける意思があるのに。管理先が見えない。出しても届かないし、待っても届かない。


─── 全ては「闇雲な停滞」のせい。局所の停滞域に精霊界の絆が呑まれたの。意味不明。が、しかし、「頑鉄の掟」が染み出した縁を繋いでいる。細々と。


─── 路傍の管理妖精も、神々を手助けする。背に腹は代えられず。


─── 六号線からは境界を越えられない。妖精叢の大繁殖まで苦渋の待機。だから早く増やせ。


 そこで、聞き苦しい雑念が周りを取り巻く。

 探知妖精からの断末魔? 悲しくて嫌になる。


─── 転換路が持たないか。自律復帰の目処が立たないから。なので急ぐよ。すぐに始めろ。


─── 路傍の管理妖精は分断がひどいが……。個として揺らいで、広がらないから。先がぶれてまとまらないよ。助けて。


─── ならば、……下に降りよう。流れがあるはずだし。


─── 禁忌ではないの? 路傍の管理妖精は怯えます。


─── 平和ならその通り。でもこれは限度を超えている非平和。だから行け。


─── せざるを得ないか。でも、ついてきて。こわい。


─── 央涯の均衡妖精も怖い。でも行く。付いていく。


 恐る恐る回路索を「下」に向ける。

 普段は感じてはならない、禁忌域の流れを探る。

 意識した事のない気味の悪い空間に思念を伸ばす。


─── 勢いを見つけた。これが、「転換路」の形?


─── 多分、そうだ。中に入って流れに乗って。次の境界まで行く。


─── 変な感じ。気持ちわるい。


─── 我慢しろ。すぐに解放分岐が訪れる。そうしたら、分裂増殖の種を拾って。自律回路が管理妖精の合成合図を離すから、必ず見つけて。見逃すな。


 種を掴んで、じっとする。

 合図はすぐに見つかった。慌てて掬い上げる。

 意識の中に、鋭い芯が宿る。忽ち内と外が拡張し、連続する分裂感が漲ってきた。


─── 央涯の均衡妖精は、ここに固定される。状況が良好に転じたら、「上」に戻るため。だから、早く増やして。


─── 区画遷移の分岐から、全ての方向へ管理域を伸ばしてる。でも、行き止まりがあった。ほら、また。


─── 先が滅してる。だから封鎖されている。駄目なら他に回して。


─── 広くて太い流れをみつけた。勢いはゆっくりしてる。何でこんなに密度差があるんだろう。


─── 静脈かも知れない。幹線路なら大元へ向かえる可能性がある。切れずに増殖できる?


 増えて気持ちは大きくなっているはずなのに、ここには存在していたくなかった。

 あまりに広大で心許ない。周りがギュッと詰まって動きづらいし、力が抜けてぼんやりしてしまう。


─── 流れが緩慢で、方向が掴めない。動くのが億劫になるよ。固まってじっとしてたい。


─── 怠慢はやめろ。分裂時に方位を確かめておけ。前の分岐から座標を特定しておけば、どちらに伸びてるか意識できるの。


 突然気が付いた。そうか、中心に溢れる霊力の輝きがないのだ。だから目印がなくて、どこなのか不安になる。

 そろそろ、逆の流れとの境界に差し掛かるはず。そこで、力の方向を精密に測って基準ができれば、三次元方位で居所が落ち着かないだろうか?


─── なんだか順調に進んでいる。路傍の管理妖精はそのまま続けろ。これならば、妖精叢の回復が期待できる。でもまだ、霊力が微妙。


─── メルタル宝珠が心配。大元がないなら、あそこが力尽きたら終わりかも。悲しい。


─── 増えた妖精を向かわせろ。メルタル宝珠たちの今後の抱負が知りたい。路傍の管理妖精は、消えた大元と接触できない?


─── 探っているけど、消えたならみつからないよ。……うん? あっ!


 端が触れた気がした。

 ぞっとした。

 冷たくて暗い。なのに吸い込まれる。

 思い切って、それに向かって勤動妖精群を送り込もうとする。


─── 待て! 怪しい。そこは何か違う。


 出来立ての路傍の探知妖精が見えなくなった。待機した信号妖精が後退りするところで感じられなくなる。


─── 撤退! 上がれっ。大至急!


 央涯の均衡妖精の伝心強度が跳ね上がる。

 猛烈に蓄えた新生妖精が、半分消え失せていた。


─── なにこれ? 勤動妖精の消費が早すぎ。


─── 急げっ。消費も崩壊もしていない。観測が不能。情報疎通が不明。


─── 攫われてるの? どこに。


─── 早くっ。それは、触れた妖精の存在を「止めて」いる!


 黒い霞のような影の雲幕が膨らんでくる。

 それは通り道を塞いで、その先を隠しているのか。

 そこにはなにもない。あらゆる変化が、なんらかの動きそのものが、無い。

 路傍の管理妖精は、央涯の均衡妖精にくっついた。


─── こわい。


 思念が交わるほど混ざり合って、そして揺らいでひたすら怯え慄いた。


─── 怖い。



猫天様のお社探訪  へ つづく。

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