「世界の軋轢」3 ─ 猫天様のお社探訪 1
─「猫天様のお社探訪」─
大樹の木洩れ陽の下、低木の幹と競い合うように茂った草叢の中が怪しげに動く。
「女だ!」
「本当か。……うおっ。こりゃ絶品!」
「待て待て。遠眼鏡をかせ」
鼻息荒い若者の興奮を押し留めるように、しゃがれた威圧声が割って入る。
「……ああ。若い娘に、荷物持ちの男か。これは獲物だな。もっと近付くまで動くなよ」
「護衛もつけずに、よくもまあ、ここまで来られたものだ。お頭、仔細を教えてください」
落ち着いた低い声が、遠眼鏡をじっと覗き込む精悍な男に尋ねる。
「男は結構な量の荷物を担がされている。威光街道で待ち伏せに襲われて、こちらに逃げてきたか。女は、……いい体格だ。武家の娘かも知れん。あのはち切れんばかりの……」
「夏至の日防衛の仕事帰りか……。武装はどうです」
「ああ、ええと。男は古びた革鎧を着けている。腰に短剣ひと振り。両腕は革袋を二つ肩に担いでいる。女の方は軽装備だな。武器は無し。何やら畳んだ日除け傘のようなものを持っている。肌は滑らかで、二の腕はしなやかな筋肉が見惚れるほど……」
「お頭。その日除け傘とはなんですか」
低い声が、遮るように問いかける。精悍な男は遠眼鏡から視線を外した。
「ああ、貴族の女達が日差しを避けるために使うやつだ。こう、長い柄の先から伸びた骨組みに、布を広げた……」
「いえ、日傘の構造はわかります。なぜそんなものを」
「戦利品か、褒美だろう。もしかしたら、名のある職人の仕立てた品なのかも知れんぞ」
「この日差しの中で、それを畳んだままとは奇妙では?」
思案げな気配でさらに声は低くなる。
「高値で売るつもりなら使う訳がなかろうよ。なに、五人でかかればすぐに終わる。野郎どもは男を倒して荷物を奪え。俺は女を取り押さえる」
「……合点、承知」
訝しんでいる時間はないと意を決して、背後を振り返った。
「仕掛けるぞ。まずは、荷物を担いだ男の背後に煙玉を打つ。『先駆け』は、そちらだ。打ち手、二拍おいて女の前に二発目」
段取りを確かめる低い声に、お頭が気を吐いて続ける。
「男は仕留めろ。奪って、捕らえて、すぐ戻る。お前ら拍子を違えるなよ。さあ、散れ」
「お頭。念のため、これを」
護法を宿した魔剣を差し出す。
「女が暴れたら意識を落とすわい。……だが、念のため、だな」
「始末がすんだなら、すぐに『鞍』と『車』に合図を打ちます」
「よし。お前も紛れろ。さあ、始めるぞ」
⭐︎
大樹の木洩れ陽の下、低木の幹と競い合うように茂った草叢の奥で、影が近づく。
「あれですか」
「間違いない。術師に伝えろ。突撃隊は配置につけ。まだ始めるなよ。辺りに気を配れ」
大樹の膨れた根元で、鉄兜と革鎧が幾つも動いて四方に離れた。
「どうやら、道向こうの森陰に潜んだ奴らも気付いたようですぜ」
「なら、其奴らに先手を譲ろう。作戦には邪魔だからな。足留め程度にはなるだろうて」
いくつもの指輪をはめた筋張った無骨な指で、顎鬚を撫でる。
薄く張り付くような黒革の手袋で、小ぶりの直剣を納めた鞘を握る姿が身じろぎした。
「さあて、どうでしょう。隙はできるかも知れませんが、逃げられると厄介だ」
「生け捕りできずとも、骸が残ればよいのだ。容易かろう?」
「技流帑がこれだけ支払う獲物ですぜ。女は凶暴だし、男は傭兵上がりだ」
「だから、精鋭を連れて来たのだ。抜かるなよ」
「わかっていますが、まさか神憑きとは……」
「ほれ、始まるようだぞ。街道筋の追い剥ぎ連中の手並み拝見といこうか」
うっすらと揺らぐ木陰の下は、それきり静まり返る。
⭐︎
暑さに目が眩みそうになる。
両肩に担いだ二つの荷物袋は、やたらと重い。
疲れの残る顔から汗を垂らしながら、男は歯を食いしばった。
威光街道から脇道に入り、もう半刻ほど歩き続けていた。
離れて前を行く、狼憑きの危ない女を眺める。重い防具を外して軽やかに進む姿に、恨めしげな溜息が漏れた。
夏至の夜が明けた朝。
眉間に皺を寄せたジジイは、案の定、日が昇っても寝床から出てこないブライナを叩き起こす。 どう見ても寝ぼけている。この状態の彼女は覚醒するまで待つしかないとわかっていたが、この時ばかりは出発を遅らせる訳にはいかなかった。
どうしたものかと案じていると、ブライナは神妙な面持ちで、静かに立ち上がったのだ。
あり得ない事態に言葉を失った。
「ジジイ。話があるんだけど。……なんて顔してるの。大丈夫か?」
「お、おお、珍しいこともあるもんだと……」
「ちゃんと起きてるね。じゃあ、出発の前に言うよ。あたし達、ここで別れよう」
その瞬間、男の頭の中が真っ白になった。
設置罠を踏み抜いて、顔面に神経毒を喰らったあの時のように、一瞬意識が途切れかけた。
体は咄嗟に動いて、革帯から解毒針を引き抜き、首筋に打ち込みそうになっていた。それに気づいてゾッとしたため、なんとか気絶を免れた。
「はっきり思い出したんだ。猫天様のお社の場所。あたしはこれから、急いでそこに向かう」
「あ? ……なんだって?」
「今回の報酬は、ジジイが全部受け取ってくれ。あ、筋肉痛に効く塗り薬は全部貰ったから。ジジイとは、またどこかで会えたらいいな。それじゃ元気でね」
深みのある琥珀色の長い髪が、女の背をふわりと揺れて隠した。編んだ鎖が静かに鳴って、重い靴音が戸口へと向かう。
ジジイの顔から血の気が引いた。破滅の音が耳奥で轟いていた。
ブライナが、行ってしまう。
正直、世話を焼かねばどうなってしまうのかわからない、手の掛かる女だった。疎ましくもあったし、妬ましくもあった。
戦士として恐ろしく強いが、我を忘れて突っ走る。
底なしの体力と、その持久力。間合いの絶妙さと、無駄のない動き。しかも速い。体の捌きにそつが無く、俊敏さは残像すら残さない。
魔物だろうが怪異だろうが、恐れず立ち向かう。神の類いにすら挑みかかり蹴散らす。躊躇がなく容赦しない。
こいつが敵として向かってきたら、自分なら迷わずにすぐさま逃げ出す。怖いし、面倒臭い。
ただ、笑うと可愛いのが憎たらしい。たまに見せる照れた仕草は愛らしい。物思いに耽る横顔はとても美しく、「お腹減ったかな」なんて思っているだけなのがわかるが、それも愛おしい。
心と体の芯まで魅了されている。でも解呪されたくはない。
もう、息絶えるまでそれでいいと覚悟していた。
なのに、起こしてすぐに別れ話を切り出された。だから、思わず口走ってしまったのだ。
「や、やめて! おれを捨てないでくれぇぇぇぇ」
あの時のブライナの、振り向いた顔が忘れられない。
ちょっと唇を噛んで、笑い出しそうな口元も忘れられない。
ああ、恥ずかしい。情けない。
その後の、限りなく優しい眼差しも、もう忘れられない。
そして、精悍な元傭兵だったはずの男は、荷物持ちの人夫として、女についていく事になった。
夏至の日の雇い主は、約束通りに残りの賃金を「大王貨」で支払ってくれた。前金の「トクリ貨」と合わせても、次の仕事まで食い繋ぐギリギリの報酬だ。次も頼むと言われたが、まだ生きていたらな、と答えるしかなかった。
ブライナは本当に一枚も報酬を受け取らなかった。そして、猫天様のお社を本気で目指そうとしている。
ジジイは、懸命に引き留めようとした。
無理なのは知っている。とにかく頑固なやつだ。
しかし猫天信仰の神社なんて、このご時世に廃れず残っているはずがない。
大国同士の大規模な総力戦など、数千年前に尽きている。
この大陸の生き物達は、そんな愚かではないのだ。
動乱の戦神「戎尼神将」を祀る、戦勝祈願の古代宗教。「猫天様」は、先鋒神将「猫天刄」を本尊とする必勝神のお社だ。
それなりの平和な世の中で細々と続いていたのは、強くて愛らしい幼女童神の御姿が人気だからだろう。
「あたしの心の恩神なんだ」
「おまえは狼憑きだろう。そっちの神様はいいのか?」
「狼は血筋の守護神様だ。なんていうか、別腹?」
「食い物の話はしてないぞ」
二人が組んで間もない頃、魔物退治に向かった洞窟の近くで野営していた時、ブライナの方から話を振ってきた。
「御神像も作っているんだ。いつか奉納したくて」
そう言って、懐から何かを取り出して、目の前で握った拳を開く。親指の長さくらいの小さな塊があった。
「奉納絵を見て彫った。彫刻刀や針なんて使ったことがないから、できは悪いけど」
「へえ。人型か。結構器用なんだな」
「十個目だよ。やっと人っぽくなった」
ジジイは覗き込む。胴体と手足、それに頭らしき部分は辛うじて判別できた。
「もっと大きい材料のほうが、最初は作りやすいと思うぞ」
「ジジイの頭くらいの硬木材だったよ。削ってたらこうなった」
「……まあ、持ち運びやすいから、いいんじゃないか」
ブライナは、手の中のそれをじっと見つめて、それから大切そうに仕舞い込む。
「一度、街中の骨董屋にでも立ち寄って、手頃な大きさの猫天像を手に入れたらどうだ。それをお手本にして作ったらいい」
「そうか。絵よりそっちの方がいいかも。ジジイは賢いな!」
冷静沈着が取り柄と自負していた男は、そう言って笑顔を向けるブライナに、なんだか体が熱くなったのを自覚していた。
空が一瞬翳った。
ブライナが視界から消える。
ジジイは膝を折って身構える。
空を切る羽音。そして猛烈な突風が襲ってくる。
唸り声から絶叫、地響きに似た揺らぎが辺りを包んだ。
踏み固められた地面に、赤褐色の羽根が舞い降る。
血の匂いがして、大きな翼が力尽きた。
「大鷲にしては、形が不穏だな」
奇妙な刃型の黒鉄の得物が、吹き出す気の揺らぎを徐々に鎮めてゆく。
鎗にしては短い、鈍く黒光る柄を左手に持ち替えて、ブライナは首を傾げて「それ」を見る。
「翼の下に人の腕が隠れてる。『鷲翼魔』か何かの妖精。体を乗っ取られてるよ」
腰を落とした姿勢のまま、ジジイは異形を睨む。
「まだ動きがある。怪異に変わる前に仕留めてくれ」
道に広がって戦慄く、鷲の魔物の首が飛ぶ。
「上にまだいるね。見えないけど」
明るく眩い抜けるような空。ジジイは首を回して、目を細めて上空を見つめる。確かに何も見えなかった。
「見事な魔術幻影だ。いやだな、知恵をつけた猛禽は」
「知恵があるなら、もう襲ってこないよ。それより、ほら」
ブライナが、森の中を真っ直ぐに続く道の先を指差した。
薄汚れた石積みの灯籠がある。そこから森の奥に向かって、草に埋もれた分かれ道らしきものが見えた。
「あれが猫灯籠だ。本当は道の左右にひとつずつ建っているんだけど」
「お社参詣路か。しかし、あそこに入っていくのは……」
「参詣路でそんな仕事する愚か者はいないよ。祀っているのは戎尼神将の先鋒戦神なんだから」
ジジイは、もっと手前の森陰を窺って言い返す。
「じゃあ、彼奴らはなんだ。鷲の化け物が突っ込んで来なけりゃ、あのどちらかが襲ってきただろうに」
片方は野盗の類い。だが、右手の森に潜む気配は、もっときな臭い。
「猫天様の御慈悲かな。命拾いしたんだから、きっと改心して足を洗うさ」
ブライナは、流れ出る血が広がっていくのを一瞥し、微かに顔を顰めて再び歩き出す。
「魔物だの野盗だのが集まってくる前に、森に入るよ。参詣路を進めばもうすぐだ」
男は腰を上げ肩を揺すって、担ぎ上げている荷物の位置を正す。
言い出したら聞かない女だ。ついていく他ない。
「ジジイが勝手に、ついてきたんだよね。ここで置いていってもいいけど」
「さあ、急ぎましょうぞ」
ジジイはあらためて観念した。
足取りは重いが、向かうしかない。
猫天様のお社に。
⭐︎
大樹の根元に辿り着く。
五人ともに、迷わず揃って戻ることができた。
「お頭、馬車はまずいです」
「わかってる。空の様子を見て、なんとか持ち帰る。先に小屋まで戻って逃げ道を確保してくれ」
「承知。……しかし、これでは」
低い声が溜息に変わる。
「ああ、商売上がったりだ。魔物どもがこの時間から動き出している。まあ、今回はそれに助けられたが」
「あの怪物を一瞬、ですからね」
「魔剣の警戒反応がなけりゃ、地面に転がっていたのはこっちかも知れん」
丸太を下の川沿いまで運び出す集材の跡地に、馬車と騎馬が隠れていた。手ぶらで戻った男達は、急いで撤収の支度を整える。待機していた馭者も黙って手助けする。
「……あの女、神憑きですか」
「わからん。指輪の警告信はなかっただろう。制御しているなら、神魔調教か何かだな。それよりあの日除け傘だ」
「あんな物、見たことないです。聞いたことすら」
周りで動く野郎どもに聞こえないように、しゃがれ声が小さく呟く。
「……ああ、嫌だ嫌だ。もう、道を行く連中は、あんな奴らしかいないのか。こっちも命懸けは覚悟してるが、多少なりとも勝ち筋が見えなけりゃ、ただの死に損だ」
「威光街道が、儲け街道だったのも、十日で終いとは」
「いっそ、足を洗うか」
冗談に聞こえないお頭の口調に、低い声が慌てる。
「マジニ山の方では、まだ混乱が続いているようで」
「地震に嵐だろう。道が分断されてたら、辿り着けるかどうかも怪しいぞ」
「この辺りで燻っているよりかは、マシかもしれません」
「……そうだな。向かってみるか」
馬の背に跨った男が手を差し出して言う。
「そうだ、お頭。お貸しした魔剣を」
「ああ、これか」
お頭は、護法念呪の貴重な短剣を、名残惜しそうに見遣った。
⭐︎
「さっさと戻るぞ。威光街道に出て、そのまま本隊に合流する」
「……無駄足でした。本番前のいい稼ぎになるかと出向いたのに」
森の中に打ち捨てられ崩れかけた製材所の跡地に、戦支度の姿がいくつも現れては消えていく。それを見守る人影が二つ、小声で話し合う。
「技流帑にしてやられたな。どこからの口利きだ?」
「フブラム商会の情報屋でして。下手な凌ぎを持ってくるところじゃないんだが」
「ここのところ、でかい話がいくらでも湧いてくる。この証文内容ならば旨みがあるが、あれは駄目だ。こちらを足止めする、仕掛け罠ではあるまいな」
開封済みの「文筒」を取り出し、片膝立ちで畏まる黒尽くめの男に差し出す。
「技流帑の証文付きですぜ。……確かに、神憑きとは聞かなかったが」
「憑き物相手でも、こちらには魔導院の術師がいる。だが、あの男が曲者だ。元傭兵だと? なりはお粗末だが、一瞬で魔術防御を張ったぞ」
「二重対抗呪に、魔障盾を展開。他にも何か発動してますぜ」
「女への戦闘補強術だろう。だが、術跡が見えなんだ」
顎鬚を撫でて、しばし動きが止まった。
黒尽くめの男が、薄い革手袋を脱いで、文筒を静かに受け取る。
「あの女の武器、あれはなんですか」
「おまえ、『魔獣憑きの狂戦士』を知っているか」
「噂は何度か。……まさか」
「伸縮自在の黒鉄の柄。神すら一撃で倒す長鎗を使う、山岳民の女戦士だ。行方知れずのはずだが」
黒い巻き頭巾の頭が、深く下を向く。
「片手間に関わる相手じゃありませんでした。面目ない」
「話に乗ったのは俺だ。証文の返約金は出す。無傷で本隊に戻れるだけ運がいい」
黒い姿がさらに首を垂れて呟く。
「しかし、証文付きの仔細情報が当てにならないとは」
「普段ならば信用問題だからな。何やら技流帑の内側も騒がしい。わざとではないにせよ、情報査定に粗が見え始めた。仕事が増すのは大歓迎だが、思わぬ落とし穴も増えそうだ」
二頭の馬が静かに、従者に引かれて近づいてくる。
黒尽くめが顔を上げると、顎鬚の男はすでに馬の背に跨がっていた。
「何、腐ることはない。『魔獣憑きの狂戦士』の目撃情報ならば、高く売れるだろうて。それで返約金を取り戻してやろう」
鹿毛の体を翻して、勢いよく騎馬が走り出した。
猫天様のお社探訪 2 へ つづく。




