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アルノー・ベルティエが朝から屋敷を訪ねてくる日は、たいてい何かある。
ただし、その何かがセラフィーナにとって都合の悪いものとは限らない。
応接室へ入ると、アルノーは挨拶を済ませたあと、一通の封書を卓上へ置いた。
王室監察局の封がある。
「市場での活動について、正式な申し立てがありました」
若い書記の顔が僅かに強張った。
セラフィーナは封書を見る。
「わたくしに対して?」
「正確には、あなたが現在行っていることが、外国高位貴族による国内市場への不当な介入に当たらないか確認してほしい、という申し立てです」
「なるほど」
意外ではなかった。
比較重量を試し始めた時点で、可能性の一つには置いている。
地方の正式単位そのものは変えていない。
税にも触れていない。
市場役の許可を得ている。
参加する商人も任意。
それでも、結果として取引の方法には変化が出始めていた。
遠方商会との商談が早く進んだ。
帰り荷へ商品を載せる商人が現れた。
ほかの商会も比較帳票を使いたいと言い始めた。
外国から来た公爵令嬢が、入国して間もないうちに国内市場へそこまで影響を与えれば、
本当に放置してよいのか。
と考える者がいる方が自然だった。
「どのような点が問題とされていますの?」
アルノーは封書を開いた。
「主に四つです。あなたの身分を利用して商人へ参加を事実上強制していないか。地方市場の正式な計量権を、比較重量という別の基準によって形骸化させようとしていないか。市場役へ公的な決定を促す政治的働きかけを行っていないか。そして、あなた自身の資金を使って商人や運送業者へ便宜を与え、影響力を買っていないか」
どれも筋の通った問いだった。
若い書記は不満そうだったが、セラフィーナはむしろ安心した。
犯罪者だ。
国外へ追い出せ。
という感情的な申し立てではない。
何を問題としているのかが明確である。
なら確認できる。
「申し立てをされた方のお名前は伺えます?」
「正式な手続き上、あなたへ開示してよい範囲は後ほど書面で渡します。ただ、複数です」
「では今は結構ですわ」
相手を知ったところで、調査内容は変わらない。
誰が言ったかより、何を調べるのかの方が重要だった。
アルノーが続ける。
「監察局としても、確認する必要があります」
「もちろんですわ」
若い書記が思わずセラフィーナを見る。
もう少しくらい反発するとでも思ったのかもしれない。
だが、自分がグランデル側でも確認する。
外国の大貴族が、国内商人の帳簿へ新しい欄を作らせ、物流へまで影響を出し始めている。
監察官が、
本人が善良そうだから問題なし。
と済ませる方が怖い。
「何をご覧になります?」
「市場とのやり取り。試験帳票を作った経緯。参加した商人との書簡。金銭の授受。あなた側の帳簿。それから関係者への聞き取りです」
「わたくしの個人口座まで?」
「市場活動と関係のある資金移動だけです。無関係な個人資産全体まで調べる権限は、今回の申し立てだけではありません」
境界を自分から言う。
セラフィーナは少しだけ満足した。
「承知しました」
「それと」
アルノーが一枚の文書を差し出す。
「確認対象と期間を書面にしました。足りない資料があれば、追加理由を付けて別途要求します」
セラフィーナは受け取って読む。
比較重量の試験を始めた日から現在まで。
市場役との接触。
試験参加商人との接触。
運送業者との接触。
試験に関連する支出。
帳票作成に関する指示。
ほぼ妥当だった。
「問題ありませんわ」
署名する。
アルノーが一瞬だけこちらを見る。
「早いですね」
「何がでしょう?」
「もう少し範囲について交渉されるかと思いました」
「必要な範囲ですもの」
自分の権利を守ることと、何でも拒絶することは同じではない。
広すぎれば削る。
妥当なら受ける。
それだけだった。
「書記」
呼ぶと、若い書記が立つ。
「比較重量に関する帳簿と、市場役から頂いた書簡、商会との往復書簡をお願いします。それから、荷車の件で受け取った輸送記録も」
「すべてですか?」
「今回の対象期間に入るものは」
書記が僅かに迷う。
「こちらに有利なものだけを選ばなくてよろしいのですか」
アルノーが無言で書記を見る。
セラフィーナは思わず笑いそうになった。
「それをしたら、調査の意味がなくなるでしょう?」
「……失礼いたしました」
「エティエンヌ様から頂いた反対意見も入れてくださいませ」
今度はアルノーの方が僅かに眉を動かした。
「あれも?」
「比較帳票の問題点について、最も具体的に指摘してくださった方ですもの。除く理由がございませんわ」
自分の案へ反対した文書を隠せば、一見有利になる。
しかし、後で存在が分かれば、
都合の悪い意見だけ抜いた。
という別の問題を作る。
それ以前に、エティエンヌの指摘によって、麦以外へ無制限に比較重量を広げることを止めた。
その経緯まで見れば、
問題が指摘された時に修正した。
という事実もそのまま残る。
隠すより見せた方が安かった。
午前中のうちに、応接室の卓上へ書類が積まれた。
とはいっても、膨大ではない。
始めてからまだ日が浅い。
比較重量を記した試験帳票。
市場役との照会。
参加した三商会との書簡。
エティエンヌの意見。
倉庫の魔術秤についての確認記録。
帰り荷を積んだ際の取引記録。
セラフィーナ側の支出台帳。
アルノーは一枚ずつ確認した。
セラフィーナは向かいに座っていたが、説明を始めなかった。
質問されたら答える。
そうでなければ黙っている。
やがてアルノーが支出台帳の一箇所で指を止めた。
「帳票の紙代は?」
「最初の試験分だけ、こちらで作った見本に使っております。その後の用紙は市場側と各商会ですわね」
「商人への報酬は?」
「ありません」
「参加謝礼も?」
「ございません」
「運送業者へ、帰り荷を載せるための補填は?」
「しておりません」
アルノーが輸送記録へ目を移す。
「では、あの御者が通常より安い運賃で引き受けたのは?」
「空で帰る予定だったからです。金額は商人と御者の方で決めました」
「あなたは交渉へ?」
「入りませんでした」
「紹介だけ?」
「空の荷車があることと、同じ行き先へ送りたい商品があることを、それぞれへ伝えました」
アルノーは短く記録する。
次の紙。
「比較帳票を使うよう、商人へ要求したことは?」
「ございません」
「最初の三商会へは?」
「試験への参加をお願いしました。断っても不利益はないと先にお伝えしております」
「実際、一人は最初の遠方取引で従来形式を使った」
「ええ」
「そのことで何か不利益を与えましたか?」
「わたくしからは何も」
「買い手が別の商会を先に選んだ」
「それは買い手の判断ですわ」
アルノーはまた書く。
セラフィーナはその手元を見ながら、少し面白く感じていた。
市場で起きた時には、一つ一つ別の出来事だった。
比較しやすい帳票を作る。
使うかどうかは商人へ任せる。
買い手が自分で選ぶ。
帰り荷を探す。
御者と商人が自分で運賃を決める。
エティエンヌが反対する。
問題を指摘されれば試験範囲を狭める。
今、第三者が並べると、それらは一つの特徴を持っている。
セラフィーナ自身が決定者になっていない。
もちろん、それは偶然ではない。
公職も権限もない外国人が、自分にない権限を使おうとすれば問題になる。
だから、必要な人間へ必要な選択を返してきた。
ただし、
いつか調査された時のため。
だけを目的にしていたわけでもない。
その方が安い。
その方が長く続く。
現場を知る者自身が利益を感じなければ、セラフィーナ一人が毎日市場を回って帳票を書かせることになる。
そんな仕組みに価値はない。
昼前になると、アルノーは書類を閉じた。
「次は関係者へ話を聞きます」
「わたくしも参ります?」
「いいえ」
「そうですか」
「あなたが横にいれば、商人が自由に話せない可能性があります」
もっともだった。
セラフィーナは素直に頷く。
「では、お任せしますわ」
アルノーが少し訝しそうな顔をした。
「心配では?」
「何をですの?」
「あなたのいない場所で、何を言われるか」
「わたくしが同席していなければ困るような聞き取りなら、その時点で問題でしょう?」
商人たちへ、
こう答えてください。
などと事前に言ったこともない。
なら本人が見たことを話せばよい。
自分に有利な答えになる保証はない。
参加したことを後悔している商人がいるかもしれない。
市場役が、
思ったより手間だった。
と話す可能性もある。
それも含めて調査である。
「必要なら、聞き取り結果に対するわたくしの説明は後からお答えします」
「分かりました」
アルノーは書類を持って出ていった。
その日、セラフィーナは市場へ行かなかった。
行けば、
調査中の商人へ圧力をかけた。
と解釈される可能性がある。
絶対に禁止されているわけではない。
だが今行く利益もない。
急ぎの用事もなかったため、屋敷で別の書類を処理した。
若い書記は、午後になっても落ち着かなかった。
「大丈夫でしょうか」
「何が?」
「皆さんが、正確にお話ししてくださるか」
「さあ」
「さあ、ですか」
「わたくしはその場におりませんもの」
知りようがない。
若い書記は困った顔をした。
「もし、悪く言う方がいたら?」
「事実なら直しましょう」
「事実でなければ?」
「ベルティエ様が確認なさるでしょう」
答えてから、セラフィーナは書類へ視線を戻した。
監察官を信用している。
という言い方は少し違う。
アルノーという人物が自分へ好意的かどうかは、重要ではない。
これまで見てきた限り、
規則を守る。
存在する事実を記録する。
自分に必要な権限と、ない権限を区別する。
その行動が安定している。
だから、その職業上の判断を予測できる。
人間への信用は、好意と同じではなかった。
夕方、アルノーは戻ってこなかった。
翌日も来ない。
その代わり、市場へ行く許可も移動条件も変わらなかった。
監察局から、
調査中につき活動停止。
という命令もない。
つまり現時点では、止めるだけの根拠を認めていない。
セラフィーナは普段通り市場へ出た。
ただし、新しい地域へ比較帳票を広げるようなことはしなかった。
元々その予定もない。
既存の試験結果を見るだけ。
商人たちの態度にも、特別な変化はなかった。
最初の三商会のうち、中規模商人がセラフィーナを見つけて声をかける。
「昨日、監察官が来ましたよ」
「ええ」
「随分聞かれました」
「何とお答えに?」
商人は笑った。
「それを本人に聞くんですか」
「いけません?」
「圧力をかけたと言われますよ」
「では、聞かなかったことにいたしましょう」
本当にそこでやめる。
商人は一瞬ぽかんとしたあと、また笑った。
「変な人だなあ」
失礼な言い方ではある。
しかし悪意はない。
セラフィーナも気にしなかった。
三日目の午前。
アルノーが再び屋敷へ来た。
今度は最初から書類を一冊持っている。
応接室へ入るなり、セラフィーナは尋ねた。
「終わりました?」
「ひとまず」
「結果を伺っても?」
アルノーは座り、書類を開いた。
「市場役。最初に参加した三商会。帰り荷を載せた商人と御者。倉庫技師。ロシュ氏。それぞれへ確認しました」
エティエンヌまで含まれている。
適切だった。
一番反対していた人物を外せば、調査とは呼びにくい。
「何か問題は?」
アルノーは一枚目を見る。
「まず、参加の強制について。確認できませんでした」
淡々とした声だった。
「最初の三商会は市場役から参加の打診を受けていますが、拒否可能だと説明されている。実際、一社は最初の取引で従来の帳票を選び、それによるあなた側からの不利益は受けていない」
次の項目。
「地方計量権への侵害。これも確認できません。正式な契約数量、課税数量、市場の公定単位は変更されていない。比較重量は参考値として併記されているだけです」
さらに紙をめくる。
「市場役への政治的圧力。確認できません。あなたから王権、レグリエ王家、アルディエール公爵家の名を使った要求はない。ヴァルクレール辺境伯家の権限を代理使用した事実もない」
若い書記が、僅かに息を吐いた。
アルノーはまだ続ける。
「資金供与による影響力獲得についても該当する支出は確認できません。商人への謝礼、運送費補填、損失補償はなし。あなた側が負担したのは、試験開始時の見本帳票に使った紙と、あなた自身の書記の労務だけです」
そこで一度書類を閉じた。
「現時点では、監察条件への違反も、グランデル法上ただちに問題となる行為も確認できませんでした」
若い書記の表情が明るくなる。
セラフィーナはそこまで大きな感情を示さなかった。
予想していた範囲ではある。
ただし、予想と正式な調査結果は価値が違う。
「ありがとうございます」
「礼を言われることではありません」
「では、調べてくださったことには」
「それも仕事です」
「そうでしたわね」
アルノーらしい。
セラフィーナは少し笑った。
「申し立てをされた方々への回答は?」
「同じです。調査した範囲と確認した事実を返します」
「問題なし、と?」
「その書き方はしません」
アルノーが即答した。
セラフィーナの目が少し細くなる。
ここが重要だった。
「なぜ?」
「私が確認したのは、今回申し立てられた行為が違反に当たるかどうかです。あなたの活動全体が将来にわたって何の問題も起こさない、と保証する仕事ではありません」
正しい。
比較帳票が今後どこまで広がるか。
別の商品へ使った時に問題が出るか。
地域権益へどのような影響を出すか。
それは別の話。
監察官が保証できるはずがない。
アルノーは書類を開き、一行を指で示した。
「報告はこうします」
セラフィーナも文字を見る。
『本件申し立てにかかる対象期間及び確認範囲において、監察条件並びに現行規則への違反は確認されず。』
それだけだった。
善良。
無実。
有益。
正しい。
そんな言葉は一つもない。
だからこそ強かった。
アルノーがセラフィーナを庇った文書ではない。
監察官が、自分の職務として調べた結果を書いた文書。
セラフィーナはその一行をしばらく見た。
「写しを頂くことは?」
「当事者ですから、正式な手続きを踏めば渡せます」
「お願いします」
「何に使うつもりです」
警戒する声音ではない。
用途確認だった。
セラフィーナは考える。
現時点で誰かへ見せびらかす必要はない。
茶会の夫人たちへ、
ほら、わたくしは安全です。
と送りつけるのも不自然。
市場へ掲示する必要もない。
だが、今後同じ疑念を持つ者が現れた時、
一度も確認されたことがない。
状態と、
一度正式に調査され、その範囲では違反なし。
状態では大きく違う。
「保管いたしますわ」
「それだけ?」
「今のところは」
嘘ではない。
アルノーは数秒こちらを見たあと、頷いた。
「分かりました」
若い書記が少し不思議そうな顔をしている。
セラフィーナには、その理由も分かった。
せっかく有利な文書を得たのに、すぐ使わない。
勿体なく見えるのだろう。
しかし信用は、使えるからといって毎回使えば減る。
必要な時まで置いておけばよい。
「もう一つ」
アルノーが言った。
「ロシュ氏から補足があります」
「エティエンヌ様?」
「比較重量そのものには今も条件付きでしか賛成しない。ただし、あなたが自分の利益のために商人を従わせている、という見方には同意しない、と」
セラフィーナは少し意外だった。
「そこまでおっしゃったのですか」
「本人の言葉です」
「理由は?」
「『あの女は、使えないと分かった部分は俺が言えば止めた。人の話を聞かないならもっと簡単に反対できる』と」
少し笑ってしまった。
エティエンヌらしい評価だった。
好かれてはいない。
全面的に賛成もされていない。
けれど、自分が見た事実については曲げない。
そういう人間は価値がある。
「報告書へ入るのです?」
「補足証言として」
「それはありがたいですわね」
「だからと言って、次に何か始める際の許可にはなりませんよ」
「存じております」
「本当に?」
「わたくしを何だと思っていらっしゃるの?」
アルノーは答えなかった。
その沈黙が少し失礼だった。
けれど、ここ数日の自分を考えれば、強く否定もできない。
アルノーが帰ったあと、若い書記が正式な写しの申請文を作り始めた。
「申し立てをした方々は、セラフィーナ様の活動を止めたかったのでしょうか」
「分かりませんわ」
「でも、調査を求めています」
「心配だっただけかもしれません」
外国の大貴族が、国内市場で影響力を持ち始めている。
地方権利が強いグランデルなら、確認を求めるのは不自然ではない。
それを敵意と決めつける必要はなかった。
「結果的には、こちらに有利な記録が残りましたね」
「ええ」
そこは否定しない。
誰かが申し立てた。
監察局が調べた。
市場役も商人も御者も技師も、反対していた専門家まで話を聞かれた。
帳簿も資金移動も確認された。
それでも、
違反は確認されず。
という一行が残る。
セラフィーナ自身が、
わたくしは規則を守っています。
と百回言うより価値があった。
「不思議ですね」
若い書記が言う。
「何がですの?」
「止められるかもしれなかった調査なのに、終わってみれば前より動きやすくなったような」
「まだ動きやすくなったとは決まっておりませんわ」
そこは訂正する。
正式調査を受けたからといって、次の行動が何でも許されるわけではない。
今回の範囲で違反がなかった。
それだけ。
ただし、その「それだけ」は小さくない。
「次に同じことを言われた時、最初から全部説明し直す必要がなくなっただけです」
「十分大きい気がします」
「そうかもしれませんわね」
その日の午後、市場へ行くと、雰囲気は普段と変わらなかった。
調査を受けた三商会も営業している。
比較重量を使う店も、使わない店もある。
帰り荷を探す商人もいる。
誰もセラフィーナへ、
監察局のお墨付きを得た方。
などとは言わない。
それでよい。
公式記録とは、毎日振り回すための旗ではない。
必要になった時、そこにあることが大事だった。
市場役だけは、セラフィーナを見つけると近づいてきた。
「調査、終わったそうですね」
「ええ」
「こっちにも回答が来ました」
「ご迷惑をおかけしました?」
「面倒ではありました」
正直だった。
「申し訳ありません」
「でも、まあ」
市場役は少し考える。
「一度整理できたのは悪くなかったですよ。こっちも、どこまで試していいのか曖昧なまま進めてたところがあったんで」
「何か変えます?」
「比較値を正式数量と誤解されないよう、帳票の見出しを少し分かりやすくします。あと、別の商品へ使う時は商品ごとに市場側で確認する」
セラフィーナは頷いた。
監察局から命じられたわけではない。
調査を受けた市場側が、自分たちで安全な運用へ一段整えた。
それも悪くない。
「その方がよろしいと思いますわ」
「公爵令嬢の制度なのに?」
「まだ制度ではございません」
市場役が笑う。
「そこはずっと言いますね」
「事実ですもの」
帰り際、セラフィーナは市場の掲示板を見た。
比較帳票について、新しい短い注意書きが出ている。
『比較重量は参考表示であり、正式な契約数量及び課税数量は各市場の公定単位による。』
分かりやすい。
これなら、以前より誤解しにくい。
申し立て。
調査。
確認。
市場側の修正。
誰もセラフィーナから命じられていない。
それでも最初より仕組みが少し丈夫になった。
若い書記が横で掲示を読む。
「調査される前より、良くなっていませんか?」
「そう見えますわね」
「狙っていたのですか?」
「まさか」
そこは即答した。
申し立てが来る可能性は考えていた。
だが誰が、いつ、どの内容で申し立てるかなど知るはずがない。
調査されても困らないようにしていただけ。
現実がこう動いたなら、今後利用できる結果として覚えておけばよい。
何でも最初から予定通りだったことにするのは、賢さではない。
市場を出る前に、アルノーの言葉を思い出す。
問題ありません。
ではない。
善良です。
でもない。
ただ、
違反は確認されず。
その一行。
セラフィーナは気に入っていた。
人から好かれたという記録より、ずっと使いやすい。
なぜなら好意は変わる。
噂も変わる。
政治状況も変わる。
けれど、ある時点で正式に調査され、その範囲では違反が見つからなかったという事実は、後から好き嫌いで書き換えにくい。
レグリエで、自分が散々やってきたことと同じだった。
何か起きる前に。
都合の悪い物語を作られる前に。
後から確認できるものを残す。
違うのは、それを残したのが今回は自分ではないこと。
グランデルの監察官が、自分自身の職務として残した。
その違いは大きかった。
セラフィーナは屋敷へ戻る。
机の上には、茶会の礼状。
市場の帳簿。
アドリアンから届いて保管されたままの手紙。
そして間もなく、監察局から正式な調査報告の写しも加わる。
グランデルへ来た時、この机にはほとんど何もなかった。
今は少しずつ増えている。
自分で書いた評価ではない。
商人が選んだ結果。
人が送ってきた招待。
専門家が残した意見。
監察官が調べた記録。
他人が自分の意思で残したものばかりだった。
それが一番よかった。
信用とは、自分で名乗るものではない。
調べられても、残るものだった。




