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親善の客人

ノルディア王国から親善使節団が到着したのは、よく晴れた春の日だった。


王宮正門にはレグリエとノルディア、二国の旗が並んでいる。


甲冑姿の衛兵。


礼装した官僚。


使節団を迎える王族と高位貴族。


広場を囲む回廊からは、招かれた貴族たちも到着の様子を眺めていた。


セラフィーナもその中にいた。


「思っていたより人数が多いな」


隣でアドリアンが言った。


「親善だけが目的ではありませんもの」


「交易交渉もあるからな」


「それに、陸軍の演習日程についてもお話になるのでしょう?」


「ああ。父上はそちらを先に片づけたいらしい」


ノルディアは北方の鉄、木材、軍馬を多く産する。


レグリエはそれらを買い、代わりに南方の港と商路を通じて、ノルディアの品をさらに遠くの国々へ運ぶ。


互いに必要としている。


だから二十年以上、大規模な戦争は起きていない。


しかし、必要としていることと信用していることは同じではなかった。


ノルディアの陸軍はレグリエより強い。


レグリエは海運と交易で優位に立つ。


片方が剣を抜けば、もう片方も無傷では済まない。


友好と警戒が、いつも同じ卓についている。


午前の政治史で教師に教えられた内容を、こうして現実として見ることになるとは思わなかった。


「セラフィーナ?」


「何でしょう?」


「また難しい顔をしている」


アドリアンがこちらを見ていた。


「使節団を見ていただけですわ」


「知ってる。君は人を見る時、ちょっと目が怖い」


「まあ」


「悪口じゃないぞ」


「先日も似たようなことを仰いませんでした?」


「君を褒めるのは難しいんだ」


「もっと練習なさってくださいませ」


アドリアンが笑う。


その間に、使節団の馬車が王宮前へ止まった。


最初に降りてきたのはノルディアの外務高官。


続いて軍関係者。


商務官。


数人の高位貴族。


そして最後の馬車から、一人の若い令嬢が降りた。


セラフィーナとそう年の変わらない娘だった。


艶のある淡い栗色の髪を背中へ流し、薄青のドレスの上には、ノルディア式の白い外套を羽織っている。


立ち姿に隙がない。


美しいというだけなら、王都にもいくらでもいる。


目を引いたのは、馬車を降りてから王族の前へ進むまで、一度も周囲を不必要に見回さなかったことだった。


初めて訪れた外国の王宮。


普通なら、ほんの一瞬くらい視線が動く。


けれど彼女は、自分が今見るべき相手だけを見ている。


誰がどこへ立っているかを、馬車の中ですでに確認していたのかもしれない。


「エステル・オルセーヌ公爵令嬢だ」


アドリアンが小声で教えた。


「ご存じなのですね」


「名前だけだ。オルセーヌ公爵家はノルディア王家にかなり近い。今回の使節でも、王族に準じる扱いになる」


エステルは国王夫妻への挨拶を終えると、順番にレグリエ側の高位者へ礼を取った。


やがてアドリアンの前へ来る。


「お初にお目にかかります、アドリアン王太子殿下。エステル・オルセーヌと申します」


「遠路、ご苦労だった。レグリエで不自由があれば遠慮なく申し出てほしい」


「ありがとうございます」


エステルの微笑みは自然だった。


作りすぎてもいない。


控えめすぎてもいない。


そのままセラフィーナへ向き直る。


「そして、ようやくお会いできました」


「わたくしに?」


「ええ。アルディエールの白薔薇のお噂は、ノルディアまで届いておりますもの」


セラフィーナは微笑み返した。


「まあ。随分遠くまで咲いてしまったのですね」


エステルが楽しそうに笑った。


「想像していたより、お話ししやすい方で安心いたしました」


「どのような女性をご想像でしたの?」


「完璧すぎて、近づいただけで礼法を直されてしまうような方を」


「それでは一日で声が枯れてしまいますわ」


「ふふ。違いありません」


感じの良い娘だった。


少なくとも、この短いやり取りだけなら。


午後、王妃の主催する小規模な茶会が開かれた。


使節団全員を招く正式晩餐とは違い、参加者は若い王族や令嬢を中心に十人ほど。


異国から来たエステルが王都の社交界へ馴染めるように、という名目だった。


セラフィーナの席はエステルの向かい。


隣にはアドリアンもいる。


紅茶が運ばれ、最初は無難な話が続いた。


王都の庭園。


ノルディアの雪景色。


春祭り。


流行している菓子。


エステルは会話が上手かった。


自分ばかり話さない。


相手の話を奪わない。


知らないことは素直に尋ね、その返事を次の話題へ自然につなげる。


隣国の公爵令嬢として教育を受けてきたのだろう。


「ところで、セラフィーナ様」


エステルがカップを置いた。


「王都で救護院を支援なさっていると伺いました」


「支援というほど大したものではございませんわ。家の事業の一つですもの」


「ご謙遜を。治療だけでなく、働けるようになった後の職業訓練まで行っているとか」


そこまで知っているらしい。


「病気が治っても、その後の暮らしが成り立たなければ、また同じ場所へ戻ってしまいますでしょう?」


「なるほど」


エステルは本当に感心しているように見えた。


「ノルディアにも似た救済院はありますが、仕事まで結びつける例はまだ多くありません。ぜひ詳しく伺いたいですわ」


「公開している仕組みでよろしければ、いくらでも」


「王太子殿下も、そうした事業にはよく関わられるのですか?」


質問の向きが少し変わった。


セラフィーナは紅茶を飲んだ。


「殿下は王家のお仕事でお忙しいですもの。直接運営していただくことはありませんわ」


「では、セラフィーナ様がお一人で?」


「一人では何もできません。救護院には医師がおりますし、仕事を教える職人もおります。運営を担当する者も別におりますわ」


「確かにそうですわね」


エステルは素直に頷いた。


そこで会話が終わるかと思えば、今度はアドリアンを見る。


「王太子殿下は、先日のリューネ川の件をまとめられたと伺いました。素晴らしいお考えだったとか」


アドリアンが少し照れた。


「まだ試しただけだ。成果が続くかは見なければならない」


「一度に全て変えず、まず一部だけで試されたとも聞きました。ノルディアでは、王族の方がそこまで細かな実務へ入られることは少ないものですから」


「僕も専門家へ任せるところは任せている」


「では、最初の方針だけを?」


「いや、それも――」


アドリアンがこちらを見る。


嫌な予感がした。


「セラフィーナに一つ質問されてな」


「殿下」


「事実だろう?」


「質問をしただけですわ」


エステルが興味深そうにこちらを見る。


「どのようなご質問だったのです?」


別に隠すほどのことでもない。


「上流で採れた小麦は、どこから運ばれるのかと伺っただけです」


エステルは一瞬、何も言わなかった。


それから地図を頭に浮かべたように視線を少し下げる。


「……それで、港と農地が互いに必要だと殿下がお気づきになったのですね」


「ええ」


理解が早い。


アドリアンが嬉しそうに言った。


「セラフィーナは昔からこうなんだ。答えを言わずに、変な質問だけする」


「変ではございませんわ」


「僕が悩んでいる時だけ、妙に簡単なことを聞く」


「簡単なことを見落としていらっしゃるからでしょう?」


「ほら、こういうところだ」


エステルが口元へ手を添えて笑った。


「仲がよろしいのですね」


「幼い頃からですから」


セラフィーナが答えると、アドリアンも当然のように頷いた。


エステルはその二人を見た。


ほんの短い時間だった。


笑みは消えない。


視線も変わらない。


けれど、その後の質問は少しだけ方向が整ったように思えた。


「王太子殿下は、普段からセラフィーナ様へ政策のお話をなさるのですか?」


「何でもというわけではありませんわ」


「それはそうですわね。国家機密もございますもの」


「ええ」


「では、殿下が特に興味を持たれている分野だけ?」


質問そのものは不自然ではない。


未来の王太子妃と王太子が、どの程度政治的に協力しているか。


外国の高位令嬢なら関心を持ってもおかしくない。


ただ、救護院の話から始まったはずの会話が、いつの間にか、


アドリアンがどこまでセラフィーナへ相談するのか。


セラフィーナがどこまで王太子の判断へ関与するのか。


へ移っている。


エステルが何を知りたいのか。


まだ分からない。


分からないものは、分からないままでよい。


セラフィーナはテーブルの上の焼き菓子を一つ取った。


「最近でしたら、南部の港についても資料をご覧になっていましたわね」


アドリアンがこちらを見る。


「そうだったか?」


「三日前、執務室にございましたでしょう?」


「ああ。三港の入港報告か」


「ええ」


事実だった。


アドリアンは南部港湾全体を巡る大政策を始めているわけではない。


王太子として定期的に届く報告を読んでいただけ。


特別な意味などほとんどない。


「レグリエの港は有名ですものね」


エステルは自然に応じた。


「ノルディアの商人も、南へ品を出す際には随分お世話になっています」


「ですから殿下も、日頃から確認なさっているのでしょう」


「王太子殿下はお忙しいのですね」


「まだ父上ほどじゃない」


アドリアンが笑った。


話題はそのまま南部の海へ移り、やがて王都で食べられる海産物の話になった。


茶会が終わるまで、エステルが同じことを聞き直すことはなかった。


夕方。


帰宅する前に、セラフィーナは使節団の接遇を担当している王宮官へ声を掛けた。


「少しよろしいでしょうか」


「はい、アルディエール公爵令嬢」


「オルセーヌ公爵令嬢が南部の港にご興味をお持ちのようでしたの」


官僚はすぐ意味を理解したらしい。


「資料をご希望になる可能性がありますか」


「分かりません。ただ、もしお尋ねになった時に、公開済みの年報をすぐご案内できた方が親切でしょう?」


「三港の公開年報でしたら、文書室にございます」


「でしたら、それだけ分かるようにしておいていただければ。お願いするほどのことではありませんけれど」


「いえ。どうせ使節団から交易資料の閲覧希望はいくつか出ております。目録へ加えておきましょう」


「ありがとうございます」


それで終わった。


資料を捏造する必要はない。


相手が欲しがるかもしれない本物の公開資料を、見つけやすい場所へ置くだけ。


希望が出なければ、そのまま文書室へ戻せばいい。


翌朝、セラフィーナが王宮へ着くと、昨日話した官僚の方から声を掛けてきた。


「アルディエール公爵令嬢」


「どうかなさいました?」


「昨日のお話ですが、早速役に立ちました」


差し出されたのは、使節団から届いた資料閲覧申請の控えだった。


希望資料は、南部三港の過去数年分の入港船数と主要取扱品目。


公開資料だけで足りる内容だった。


「朝一番で申請がございました。準備してありましたので、すぐお渡しできました」


「それはよかったですわ」


セラフィーナは申請書を見る。


ノルディア商務官の名がある。


エステルの名はない。


当然だった。


彼女は商務官ではない。


昨日の茶会で港の話をしたことと、今朝の正式な申請が、本当に繋がっているのかどうかも分からない。


使節団は最初から同じ資料を求める予定だったのかもしれない。


エステルが茶会の内容を共有した可能性もある。


単なる偶然も、まだ捨てる理由はない。


セラフィーナは申請書を官僚へ返した。


「他には何か?」


「今のところは。軍関係の資料は当然お断りしておりますし、商務関係も公開済みの範囲だけです」


「それでよろしいと思いますわ」


「承知いたしました」


官僚が去っていく。


セラフィーナも王宮の廊下を歩き出した。


曲がり角の先には、ノルディア使節団の滞在区画がある。


昨日、エステルは一度も不躾な質問をしていない。


嘘もついていない。


自国のために情報を集めているとしても、それだけなら外交使節として当然の範囲だった。


だから敵だとは決めない。


けれど、覚えておく価値はある。


セラフィーナが何気なく口にした南部の港。


翌朝には、ノルディア側の正式な関心として書類になって戻ってきた。


偶然なら、それでいい。


偶然でないなら、昨日の茶会でどの言葉がどこまで運ばれたのかを一つ知ることができた。


廊下の窓から、王宮庭園が見える。


人は、目の前に道があれば歩くことがある。


ただし、道を作ったからといって、必ずそこを通るとは限らない。


だからセラフィーナは、行き先を決めつけない。


危険のない道を一本置いておく。


誰かが自分からそこを歩いた時に、初めてその足跡を見ればよかった。


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