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11/30

わたくし抜きの会議

翌朝、父の執務室へ王宮から会議資料が届いた。


北方関係についての正式協議。


昨日までに報告された国境演習の長期化、鉄価格の提示保留、軍馬の出荷遅延、通商協議の日程再調整について、関係部門と有力貴族を交えて対応を検討する。


父は朝食の席で封を切り、最初の一枚へ目を通したところで眉を寄せた。


「どうかなさいました?」


セラフィーナが尋ねる。


父は黙って資料を渡した。


会議開始は正午。


出席者として国王、王太子、外務、財務、軍務関係者、北方交易に関係する数名の貴族が並んでいる。


アルディエール公爵の名もあった。


さらに、最初の一部に限って意見聴取を行う人物として、


エステル・オルセーヌ公爵令嬢。


その名が記載されている。


セラフィーナは二度読んだ。


自分の名前はなかった。


「昨日は最終名簿を見ていないと仰っていましたわね」


「ああ」


父の声は低かった。


「昨夜の時点では、俺にもこれ以上は来ていなかった」


記載漏れという可能性もある。


王太子婚約者である以上、すべての政策会議へ出るわけではない。


父が出席するならアルディエール家から二人出す必要はない、と判断された可能性もある。


ただし今回は、昨日の小会合でセラフィーナ本人の名前が北方関係の文脈へ置かれ始めていた。


しかも、外国側の当事者と見なされ得るエステルからは意見を聞く。


それでいてセラフィーナには出席予定も、意見提出の依頼もない。


「確認なさいます?」


父が尋ねる。


「お願いできますか」


「俺が直接聞く」


「その前に、会議の議題一覧も見せていただいてよろしいでしょうか」


二枚目を開く。


軍事。


資源。


軍馬。


通商。


そこまでは昨日までの延長だった。


最後に、


『王都における対ノルディア感情悪化の要因整理、および今後の宮廷行事・外交接触における対応』


とある。


セラフィーナは指先でその行を押さえた。


「こちらは、具体的に誰について話すのでしょう」


「書いていない」


「そうですわね」


父の怒りは分かりやすかった。


セラフィーナ自身は、まだ怒るほどの材料を持っていない。


正式な議題名に自分の名前はない。


昨日確認した通り、ノルディアから自分への正式抗議もない。


処分要求もない。


ならば、まず確認するだけでよかった。


そこへ侍女が入室した。


「お嬢様、オルセーヌ公爵令嬢よりお手紙でございます」


父の顔がさらに険しくなる。


「随分早いな」


「通しなさい」


封筒は王都にあるノルディア使節団の滞在先から届いたものだった。


公的な外交書簡ではなく、令嬢同士の私信として整えられている。


セラフィーナは封を開いた。


文章は短い。


本日の北方関係会議に、ノルディア側の事情を説明するため一部出席するよう王宮から求められた。


昨日、セラフィーナの名前が北方問題と結びつけられる可能性について話題になったため、自分の出席によってセラフィーナへ余計な負担をかけることを心配している。


もしセラフィーナが望むのであれば、自分から王宮へ出席辞退を申し出る。


ただし、決定は王宮へ委ねるつもりである。


最後には、


『わたくしの存在によってセラフィーナ様が弁明を迫られるようなことだけは、望んでおりません』


とあった。


父が読み終える。


「断らせろ」


「お父様」


「昨日も同じだ。こいつはお前を庇う顔をして」


そこで父は言葉を止めた。


セラフィーナはもう一度手紙を読む。


エステル自身が会議を設定したとは書かれていない。


実際、王宮から要請された可能性は高い。


そして出席を辞退すると申し出る権利も当然ある。


問題は、セラフィーナへ選択を渡してきたことだった。


エステルへ辞退を求めれば、


セラフィーナがノルディア令嬢の意見聴取を嫌がった。


という事実が残る。


辞退しなくてよいと答えれば、エステルはそのまま王宮で意見を述べられる。


返事をしなければ、


エステルは配慮を申し出たが返答がなかった。


という形にもできる。


どれを選んでも、エステル側の振る舞いは友好的なままだった。


「良いお手紙ですわね」


父が娘を見る。


「本気か?」


「ええ。わたくしなら、もう少し露骨になってしまうかもしれませんもの」


「褒めている場合か」


「上手な方を下手だと思う方が危険ですわ」


セラフィーナは便箋を用意した。


返事は三行ほどで終わった。


本日の会議への出席についてお気遣いいただき感謝する。


王宮から求められた意見聴取である以上、出席の可否は王家の判断へ委ねるべきと考える。


自分から変更を求める意思はない。


それだけ。


エステルに来てほしいとも、来てほしくないとも書かなかった。


「これでいいのか」


父が読む。


「わたくしが決めることではございませんもの」


エステルの出席を決めたのは王家である。


それなら、王家に決めてもらえばよい。


自分から責任まで引き取る必要はない。


返書を出したあと、父は王宮へ使いを送った。


戻ってきた答えは簡潔だった。


本日の正式協議について、アルディエール公爵令嬢の出席は予定されていない。


必要が生じた場合には、別途意見を求める。


父はその文を読み、


「俺は行くのをやめてもいい」


と言った。


「いけませんわ」


「お前を外して、お前の話をする会議だぞ」


「まだ、わたくしの話をすると決まったわけではございません」


「議題を見れば分かる」


「分かるように見えることと、決まっていることは別です」


父は苛立ったように息を吐く。


セラフィーナは続けた。


「それに、お父様まで出席しなければ、アルディエール家の意見が本当に一つもありませんでしょう?」


その方が悪い。


「何を聞かれても、その場で無理に返事をなさらなくて結構です。わたくしについて何か提案が出たなら、本人へ確認が必要だと仰ってくださいませ」


「当たり前だ」


「でしたら、お願いいたします」


父は納得したわけではなさそうだった。


それでも王宮へ向かった。


正午を過ぎても、セラフィーナの日常は止まらなかった。


救護院から届いた冬季予算の確認。


領地から上がってきた収穫報告。


使用人の配置変更。


王太子妃教育の課題として以前から預かっていた交易資料の整理。


どれも昨日までと同じ仕事だった。


ただ、時計を見る回数が少し増えた。


自分のことが話されているかもしれない。


そう思うだけで、手が止まるわけではない。


止めたところで会議の内容が分かるわけでもない。


午後の半ば、マルタが茶を運んできた。


カップを置いたあと、少しだけ迷う。


「お聞きしてもよろしいですか」


「どうぞ」


「今日は王宮へ行かれないのですか?」


「行きませんわ」


「昨日は、北方のことで会議があると」


「お父様が出ています」


マルタはそれ以上聞かなかった。


セラフィーナは茶へ手を伸ばしてから、


「今日のことを報告するなら、わたくしが会議へ出席していないことまでは書いて構いません」


と付け加えた。


マルタが驚く。


「それもですか?」


「あなたが知っている事実でしょう?」


「はい」


「なら構いません」


なぜ外されたのか。


会議で何を話しているのか。


そこまでは書かせない。


マルタは知らないからである。


敵が知りたがっていることへ、こちらから推測を添えてやる必要はなかった。


日が傾き始める頃、父が戻った。


予定より遅い。


執務室へ入ってきた時の顔を見て、良い内容ではなかったことだけは分かった。


セラフィーナは書類を閉じる。


「お疲れ様でした」


「茶より酒が欲しい」


「夕食までお待ちくださいませ」


「お前は本当に俺の娘か?」


「そのはずですわ」


父は椅子へ座り、しばらく何も言わなかった。


セラフィーナも急かさない。


やがて父が、会議資料の控えを机へ置いた。


「最初にオルセーヌの令嬢が呼ばれた」


「何と?」


「昨日と同じだ。お前を責めるつもりはない。自分はお前から直接害を受けたとは考えていない。自分のせいでお前が不利益を受けることも望んでいない」


「そうですか」


「ただし、ノルディア国内では王都で起きたことが一件ずつではなく、まとめて受け取られている可能性があるとも言った」


セラフィーナは黙って聞く。


席の変更。


返却された贈答品。


園遊会での騒動。


エステル本人はセラフィーナを責めていない。


しかし国外から見れば、


ノルディアの高位令嬢がレグリエで繰り返し不快な扱いを受けた。


という一つの物語にまとめられる可能性がある。


エステルは、そう説明したらしい。


「証拠があるとは?」


「言っていない。むしろ、自分には断定できないと言った」


それも上手だった。


「それから、今後自分が宮廷行事へ出ることで問題が大きくなるなら、親善日程の一部を辞退しても構わないと」


昨日の小会合と同じ提案である。


「王家は?」


「断った」


予想通りだった。


外国から招いた公爵令嬢へ、


レグリエ国内で噂が出たから人前へ出るな。


とは言いにくい。


親善のために呼んだ客人を自分たちで隠せば、それこそ外交上の問題になる。


「エステル様は、それで退出を?」


「ああ。あいつがいなくなってから国内の話になった」


父の声がさらに低くなる。


「そこで、お前が出た」


セラフィーナは父を見る。


「どのように?」


「最初は名前じゃない。『王都での対ノルディア感情を刺激する要因』という言い方だった」


外務側から、今後の宮廷行事ではノルディア関係者とセラフィーナの直接接触を減らした方がよいのではないか、という意見が出た。


軍務側は、それ自体で国境の兵が減るわけではないと慎重だった。


財務側も、鉄や交易の問題を一令嬢へ結びつけるのは根拠が薄いと指摘した。


それでも外務側は、


事実関係ではなく、相手国の受け取り方を管理する必要がある。


と主張した。


「アドリアン殿下は?」


父は少し黙った。


「最初に反対した」


その答えに、セラフィーナの胸がほんの少しだけ緩んだ。


「お前に正式な非がない以上、処分のような扱いをするべきではない、と」


それは昨日の彼の言葉とも一致する。


「それから、お前本人を呼んで話を聞くべきだとも言った」


「では、なぜわたくしは呼ばれなかったのでしょう」


「国王が止めた」


父の指が机を叩く。


「これはお前の罪を審理する会議ではない。ノルディアとの関係をどう管理するかを考える場だ、と」


セラフィーナは、その言葉を頭の中で一度繰り返した。


罪を審理する場ではない。


だから本人の弁明は要らない。


「外務も同じだった。お前がいれば、誰も率直に『セラフィーナを一時的に外交の前面から下げる案』を議論しにくくなると言った」


「そうですか」


不合理ではない。


企業でも家でも、本人の処遇を本人の前だけで決めるとは限らない。


国家ならなおさらだろう。


ただし。


その処遇が本人の名誉や将来へ直接影響するなら、話は別だった。


「何が決まりました?」


「最終決定は持ち越しだ」


父が答える。


「国王が明日までに整理すると言った。だが、案はいくつも出た」


ノルディア関係の宮廷行事から一時的にセラフィーナを外す。


王太子妃として行っている一部の対外活動を停止する。


エステルとの直接接触を減らす。


場合によっては、王太子妃教育そのものを一時休止する。


そこまで話題に上がった。


「お前は何もしていない」


父が吐き捨てるように言った。


「正式抗議すらないんだぞ」


「ええ」


「なのに、あいつらはお前をどう動かせば向こうが静かになるかを話している」


そこだった。


セラフィーナはようやく、朝から感じていた違和感の形を掴んだ。


昨日までは、


セラフィーナが何か悪いことをしたのか。


という話だと思う余地があった。


だから正式な抗議はあるか。


告発はあるか。


処分要求はあるか。


と確認し、全部ないことを記録へ残した。


しかし今日の会議で扱われたのは、そこではなかった。


セラフィーナが何をしたかではない。


セラフィーナをどこへ置けば、ノルディアとの摩擦を減らせるか。


その話へ移っている。


事実の問題から、配置の問題へ。


本人の責任から、国家にとっての使い勝手へ。


「会議録は残ります?」


「ああ」


「わたくしが出席していないことも?」


父が眉を寄せる。


「当然だ。出席者名簿がある」


「でしたら、控えをいただけますか」


「そんなもの、何に使う」


「今のところは何にも」


セラフィーナは穏やかに答えた。


「ただ、自分についての処遇が検討された時に、自分がその場にいなかったという事実は残しておきたいですわ」


父はしばらく娘を見た。


「抗議するのか」


「まだ」


「まだ?」


「何が正式に決まるのか分かっておりませんもの」


提案が出たことと、決定されたことは違う。


今ここで王家へ、


自分を外すな。


エステルを外せ。


と抗議すれば、それ自体が次の判断材料になる。


何より、まだ王家がどこまで踏み込むつもりなのか分からない。


だから先に動かない。


「では、何をする」


「明日呼ばれる可能性は高いでしょう?」


父は嫌そうに頷いた。


「おそらくな」


「なら、聞かれた時にすぐ確認できるものだけ用意します」


大量の反論書は要らない。


悪評一つ一つへ百枚の証拠を積んでも、今日の会議が真偽を決める場所ではないなら意味が薄い。


必要なのは、王家自身が容易に確認できるものだけ。


王妃側が決めた座席変更の記録。


外国からの高額贈答品を規則通り返却した受領・返却記録。


園遊会での件について、エステル本人が署名した証言の写し。


それで足りる。


普通に調べれば分かることを、普通に確認できる状態にしておく。


そのうえで王家が何を選ぶかを見る。


「エルンストを呼んでいただけます?」


ほどなくしてエルンストが入ってきた。


セラフィーナは必要な三点だけ告げる。


「それだけでよろしいのですか」


彼も驚いた。


「ええ」


「噂については他にも記録がありますが」


「必要になれば出します。最初から全部持って行けば、こちらが何十件もの嫌疑へ弁明する場のように見えてしまうでしょう?」


自分はまだ告発されていない。


そこを自分から崩す理由はない。


父が深く息を吐いた。


「お前は落ち着きすぎだ」


「怒っておりますわよ」


父が少し驚く。


セラフィーナは微笑んだ。


「でも、怒っている時ほど順番は大切でしょう?」


否定はされなかった。


エルンストが退出したあと、父は今日の会議資料を机へ残していった。


セラフィーナは一人になってから、出席者名簿をもう一度見る。


国王。


アドリアン。


父。


外務。


財務。


軍務。


そして冒頭だけ、エステル。


そのどこにも、自分はいない。


エステルは自分を責めなかった。


むしろ守った。


自分のせいでセラフィーナが不利益を受けるのは嫌だと言い、自分が席を外してもよいとまで申し出た。


だから王宮の誰も、エステルを攻撃者として扱わない。


当然だった。


観測できる範囲では、彼女はずっと礼儀正しく振る舞っている。


その一方で結果だけを見るなら、昨日までは存在しなかった選択肢が今日の会議で正式に口にされた。


セラフィーナを外交の前面から外す。


王宮での役割を止める。


エステルとの接触を減らす。


王太子妃教育まで休止する。


エステルがそれを命じた証拠はない。


むしろ自分が退くと申し出ている。


それでも、彼女が退く案は王家自身によって拒まれ、代わりにセラフィーナを動かす案が残った。


セラフィーナは、そこまで整理して紙を閉じた。


見事だった。


誰かへ刃を向ける必要すらない。


自分は悪くない。


相手も悪くない。


皆が困らない方法を探しましょう。


そう言い続けていれば、周囲が自分から、


では誰を動かすのが一番安いか。


を考え始める。


ただし、それがエステル一人の設計なのかどうかはまだ分からない。


ノルディアの政府。


情報機関。


使節団。


王都の噂。


王家自身の保身。


それぞれが別々に同じ方向へ動いている可能性もある。


むしろ、その方が厄介だった。


一人を止めれば終わる問題ではなくなる。


扉を叩く音がした。


マルタだった。


「報告が届きました」


ノルディアからの通信紙を持っている。


セラフィーナは受け取った。


内容は短い。


『本日の会議において対象は出席せず。オルセーヌ公爵令嬢は予定通り意見聴取を受けた模様。対象の今後の宮廷活動に変化が生じた場合、優先して報告せよ』


セラフィーナは最後まで読んで、マルタへ返した。


「向こうは、もう知っているのですね」


マルタが不安そうに言う。


「会議の出席者程度なら、使節団から分かっても不思議ではありませんわ」


「これからどうします?」


「今まで通りです。あなたが知った事実だけ」


「もし明日、本当に何か決まったら?」


「その時に考えましょう」


マルタは頷いたが、まだ何か言いたそうだった。


「セラフィーナ様は、エステル様をどう思っているのですか」


思いがけない質問だった。


セラフィーナは少し考える。


嫌いか。


警戒しているか。


敵だと思っているか。


今の材料で言えることは多くない。


「優秀な方だと思っていますわ」


「それだけですか?」


「今は、それで十分でしょう?」


マルタは少し困った顔で退室した。


セラフィーナは机へ残った会議資料へ視線を戻す。


エステルが何を望んでいるのか。


ノルディアが最終的に何を求めているのか。


まだ答えは出ない。


しかし、自分が何を証明すれば安全なのかという問いは、もう少しずつ意味を失っていた。


無実だから残れる。


正しいから守られる。


そんな話をしているのではない可能性が高くなっている。


王宮で今日話し合われたのは、


セラフィーナが何をしたかではなく、


セラフィーナをどう扱えば国にとって都合がよいか。


だった。


ならば明日、自分に求められるのも弁明ではないかもしれない。


セラフィーナは用意させる三枚の記録を思い浮かべる。


王妃の記録。


贈答品の記録。


エステルの署名。


それ以上はいらない。


真実を確認するためなら、三つで十分だった。


それでも足りないと言われるのなら。


おそらく彼らが欲しいのは、真実ではない。


夜の王都は、昨日と変わらず静かだった。


けれど、セラフィーナのいない場所で、セラフィーナをどこへ置くかが話し合われた。


その事実だけは、もう消えなかった。


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