第4章 第13話 灰の町の工房
朝、腰の鞄を持ち上げると、蓋が開いた。
中から薬の包みが覗く。
ルナは慌てて押さえ、寝台へ戻した。
「昨日、閉めたはずなんだけど……」
留め具を掛け直す。
軽く引くだけで、また外れた。
金属の輪を支える小さな鋲が浮いている。
朝食に下りたところでカイルへ見せると、彼は通りの向こうを指した。
「工房ならすぐそこにある。この町で道具を直せないと、近くじゃどこへ行っても直せないぞ」
昨夜は暗くて分からなかったが、町には煙突が多かった。
灰色の屋根の間から細い煙が上がり、金属を打つ音が、通りの両側から響いていた。
*
工房の主人は、腰の鞄の留め具を指で動かした。
「ここが緩んでるな。革はまだ使える」
「直りますか?」
「ああ。中身を出して待っててくれ」
ルナは水筒と携帯灯、薬の包みを取り出し、借りた籠へ移した。
携帯灯は、ほかのものにぶつからないよう布で包んでおく。
「その輪は、残せますか?」
「同じものを使えるよ。留め直すだけだ」
ルナは頷き、鞄を作業台へ渡した。
その横には、大小の兜が並んでいた。
角を通す穴が二つあるもの。長い耳を逃がす形のもの。頭の後ろを深く覆うもの。
同じ兜でも、並べると全部違っている。
「形を合わせるの、大変そうですね」
「頭が違うんだから、道具も違うさ。同じ角でも、曲がる向きが違うからな」
奥の若い職人が、出来上がった兜をかぶって見せた。客の男性がそこを指で叩き、笑って首を横に振る。
主人も笑った。
「あいつの頭に合ってどうするんだ」
客の方は、角がずっと後ろへ伸びていた。
ルナもつられて笑った。
*
待っている間、工房を見せてもらった。
大きな炉のそばでは、一人の職人が魔力を流し、火の色を整えている。
隣の炉では、別の職人が足で板を踏んでいた。繋がった革袋が縮み、風を送り込むたびに炭が明るくなる。
「あっちは、足で動かすんですね」
「細かく風を調整したいからな。使いやすい方を使ってる」
ルナは近くの小さな送風具を見た。
取っ手を握れば、革袋が膨らむ。
許可をもらって動かすと、灰の欠片が一つ、炉の内側へ転がった。
「勢いをつけすぎるなよ」
「はい」
ゆっくり押した。
火が、指先の動きに合わせて明るくなった。
その向こうで、魔法を使う職人の掌から淡い光が生まれた。
ルナの手が止まる。
「どうした?」
「いえ。綺麗だなって」
職人は手を下ろした。
「炉の色か?」
「手の、光です」
ルナは革の取っ手を置いた。
自分にも扱える道具はある。そのことは嬉しい。
けれど、掌から生まれたあの光を見たい気持ちは、消えなかった。
自分の手にも、あんなふうに灯ったら。
思わず、指を開いていた。
*
昼前、鞄が戻ってきた。
主人は蓋を閉じ、ルナへ渡した。
「引いてみな」
輪を押さえ、蓋を軽く引く。
今度は外れなかった。
「大丈夫そうです」
「革の裏にも当てを入れた。重いものを入れたまま、蓋だけ持つなよ」
「はい」
ルナは中身を戻し、腰につけ直した。
携帯灯を出して、またしまう。
留め具が、小さな音を立てて閉じた。
「ありがとうございました」
代金を渡そうとして、作業台の端へ目が留まった。
小さな金属の輪が並んでいる。
ルナは収納バッグから、硝子の葉を包んだ布を取り出した。
「これを吊るす金具も、作れますか?」
主人は葉を光にかざした。
「穴に直接金属を通すと当たるな。紐を残して、その外側を輪にしよう」
細い革と金属で、取り外せる留め具を作ってくれた。
旅の間は布へ包み、宿に着いたら窓へ吊れる。
ルナは葉を持ち上げた。
青緑の光が、灰色の作業台へ落ちる。
「自分で削ったんです」
「なるほど。片側が丸いのは、そのせいか」
「分かります?」
「手の癖は残るからな」
主人はそれを直そうとはしなかった。
ルナも、丸いまま受け取った。
*
午後、カイルは自分の荷車で別の町へ向かった。
今度積んでいるのは、修理した道具と金具だった。
「帰りも仕事なんですね」
「空で走ったら、家畜だけ働かせることになるだろ」
カイルは笑い、手綱を持った。
「港まで、いい旅を」
「カイルさんも」
荷車を見送ったあと、ルナたちは宿へ戻った。
窓に吊った硝子の葉が、壁へ小さな色を落とす。
ルナは寝台の端へ座り、自分の掌を見た。
ユニが隣の椅子から尋ねる。
「手が痛みますか?」
「ううん。今日の工房のことを考えてた」
ルナは指を閉じた。
「ああいう道具を使うの、楽しかった。でも、やっぱり魔法も使ってみたい」
言ってから、少し黙った。
どちらかだけに決めなければいけない気がしていたのかもしれない。
ユニは窓の葉を見上げた。
「どちらも、やってみたいんですね」
「……うん」
その返事は簡単だった。
ルナはもう一度、掌を開いた。
今は光らない手に、硝子を通った青緑の色が落ちていた。




