第4章 第14話 雨の日の食卓
雨は、昼を過ぎても弱くならなかった。
次の宿場へ着いたルナたちは、乗合車から屋根の下へ駆け込んだ。
雨具の裾から水が落ちる。
「間に合わなかったね」
「宿には着きました」
「うん。それはよかった」
にゃん吉君は、雨の筋を避けるように入口から入ってきた。
宿の主人が、床へ古い布を広げる。
「外套はこっちへ。靴も拭いていきな」
食堂には、同じ車に乗っていた人たちが集まっていた。
火鉢のそばで手を温める人。濡れた荷紐を取り換える人。
ルナは荷物を置き、窓際の席へ座った。
港までは、もう一度乗り継げば着くという。
今日は、ここで雨を待つことになりそうだった。
*
向かいの席に、長い耳の女性が座った。
布を巻いた筒を三本、大事そうに椅子の下へ入れる。
「隣、濡れていませんか?」
ルナが聞くと、女性は腰を上げて確かめた。
「大丈夫。ありがとう」
袖口に、葉のような模様の刺繍がある。
女性はルナの視線に気づき、袖を少し広げて見せた。
「気になる?」
「綺麗だなって。模様を縫ってるんですか?」
「ええ。こっちへ布を仕入れに来ていたの。私はネラ」
ルナも名乗った。
ネラはユニとにゃん吉君へも挨拶し、それから自分の濡れた髪を布で押さえた。
「あなたたちはどちらへ?」
「西の港です。人間の大陸へ渡って、そこから南の港を目指そうと思っています」
「ずいぶん長い旅ね」
「エルフの街へ行きたいんです。古い魔法の記録があると聞いて」
ネラの手が止まった。
「南の海を渡った先の街?」
「はい」
ネラは笑った。
「私、そこから来たのよ。ちょうど帰るところ」
ルナは思わず背筋を伸ばした。
*
料理が運ばれてきた。
根菜を煮た鍋と、平たいパン。それから、小さな塩の皿。
ネラは食べる前に、指を一度、胸元へ当てた。
隣の席の老人は、鍋の湯気へ手をかざしてから匙を取った。
ルナは二人の違う仕草を見た。
「今のは、お祈りですか?」
ネラが頷く。
「旅先で食卓につけたことへのお礼。母に教わったの」
老人もこちらへ顔を向けた。
「うちじゃ、火を絶やさなかった者に礼を言う。神様にも、人にもな」
宿の主人が皿を置きながら笑った。
「それなら、今日はうちの若いのに言っておくれ。朝から薪を運んでた」
奥にいた少年が、急に礼を言われて戸惑っていた。
ルナは微笑んで、自分も礼を言った。
ヴェラから聞いた神の話は、遠い昔のことばかりではない。
こうして、誰かが毎日の食事の前にも思い出している。
「願いの泉の話も、街にありますか?」
ネラは匙を止め、少し考えた。
「物語で読んだことはあるわ。でも、泉がどこにあるかは、私も知らないの」
「エルフの街にも、その名前は残っているんですね」
「ええ。子供の頃に読んだ本よ」
ルナは静かに頷いた。
「それでも、聞けて嬉しいです」
自分が追っている名前を、また別の土地の人が知っていた。
「題名を覚えていたら、教えてもらえますか?」
「今すぐには思い出せないけれど、どこで読んだかは覚えているわ。街へ戻ったら、確かめてみる」
「ありがとうございます」
*
食事のあと、ネラは濡れていない布を一本、机に広げた。
深い緑色の織物だった。
光の当たり方を変えると、細い金色の糸が見える。
「あの町の染め物なの。持ち帰って、街の糸と組み合わせるつもり」
「違う大陸のものを?」
「そう。いつも同じ布では、作れるものも同じになってしまうでしょう」
ネラはユニの袖へ目を向けた。
「青と赤。はっきりした組み合わせが似合うわね」
「ありがとうございます」
ユニは自分の袖を見た。
ルナは長杖の二色の紐を指した。
「私も、この大陸で色が増えました」
橋へ吊るすはずだった大灯籠を、河原へ運んだ話をした。
向こう岸から見えるか、ヘナが走らずに確かめに行ったこと。サジの祖父が台を作り、両方の岸から火を運んだこと。
ネラは布を畳む手を止めて聞いていた。
「それで、みんなの小さな灯籠も、周りへ並べたんです」
「見てみたかったわ」
「綺麗でしたよ」
ルナはそう答えてから、少し嬉しくなった。
ここへ来るまでは、自分が話を聞く方だった。
今は、誰かに見せたい景色を持っている。
*
夕方、雨が止んだ。
雲の下に、細い明るさが残っている。
宿の主人が外へ出て、明日の車の札を掛け直した。
「朝の便は出せそうだよ」
ネラも同じ車に乗るという。
ルナは部屋へ戻る前に、もう一つだけ尋ねた。
「世界樹を、見たことはありますか?」
ネラは頷いた。
「一度だけ。近づく前に、影の大きさに驚いたわ」
ルナは窓の外の木を見た。
雨粒が葉の先から落ちている。
その木とは、どれほど違うのだろう。
「港へ着いたら、もう少し聞いてもいいですか?」
「ええ。明日は道が揺れるから、地図は止まってから広げましょう」
ルナは笑って頷いた。
手帳へ、世界樹の名を書き留めた。
窓の外では、雨のしずくが葉を揺らしていた。




