第4章 第11話 谷へ降りた獣
西へ抜ける乗合車は、明日も出せるか分からなかった。
カイルは薬草の包みを抱え、町のギルドへ向かった。ルナたちも、そのあとに続く。
掲示板には、街道へ出た岩背獣の絵が貼られていた。
背中を硬い板で覆った、大きな四足の獣だ。
「この群れですか?」
カイルが尋ねると、受付の男性が頷いた。
「上の水場が枯れたらしい。街道の桶をひっくり返してる。荷車まで押し倒された」
「ずっと、道にいるんですか?」
「朝からな。近づけなくて、山の奥もまだ見に行けてない」
奥から、短い外套を着た女性が出てきた。
片方の角に古い傷がある。腰には剣を下げていた。
「明朝、道を空けに行く。水を探しているなら、追い払うだけじゃ戻ってくるだろうね」
女性はルナとユニを見た。
「冒険者か?」
ユニが冒険者証を出した。
女性の目が、記されたランクで止まる。
「手を貸してもらえるなら、ありがたい。私はアレッタ。護衛をまとめる」
ルナはユニへ顔を向けた。
「ユニちゃん、どうする?」
「お手伝いしたいです。通れなくて困っている方がいますから」
カイルが荷を下ろした。
「この町には、小さな荷車を預けてある。道具を運ぶなら使ってくれ」
「助かる。崖から石も落ちてるから、道の職人も連れていく」
ルナは薬草の包みを見た。
明日、車が出るまで待つつもりだった。
けれど、その車が通る道を、これからこの人たちが確かめに行く。
「私にも、運ぶものはありますか?」
アレッタがルナの手元を見た。
「ある。ただし、獣の前には出ないこと。道具を運ぶ場所は、こちらで決める」
「はい」
ルナは頷いた。
*
翌朝、谷へ向かったのは二台の荷車だった。
薬草は町へ預け、板や縄、職人の道具を積んである。
ルナは御者の隣から山を見た。
赤い斜面に草が生え、低いところだけ色が薄い。道沿いの石槽には、底に泥が残っているだけだった。
「ここも水がありませんね」
「昨夜、獣が飲み切った。普段は谷の奥で飲んで、ここまでは下りてこないんだが」
職人が石槽の縁を叩いた。
曲がり角の向こうで、石を擦る音がした。
アレッタが手を上げる。
車が止まった。
大きな岩背獣が現れた。
背中の板には砂が詰まり、鼻先には乾いた泥がついている。後ろには二頭、小さなものがいた。
大きな獣の鼻が、荷車へ向く。
「車を下げろ。盾、前へ」
護衛が左右へ分かれた。
ユニは怯えた家畜のそばへ移り、手綱を取った。
「ゆっくりで大丈夫です」
御者が車輪の向きを変える。
その音に、獣が頭を下げた。
地面を蹴る音が、急に近づいた。
*
アレッタの盾へ、硬い額がぶつかった。
重い音がした。
彼女は斜めに身を引き、隣の護衛が盾を重ねる。獣の頭が道の外側へ逸れ、爪が土を掻いた。
「押し合うな! 横へ流せ!」
もう一人が長い槍を構えた。
獣が向き直る先へ穂先が出る。鼻を振り、岩背獣は一歩退いた。
小さな二頭が、その足元へ寄ってきた。
「追うな。ここで止める」
アレッタの息が聞こえた。
盾の縁には、白い傷が残っている。
ルナは荷車を降り、転がりかけた道具箱を抱え直した。
ユニが車を岩陰へ導いている。家畜の足が止まると、御者が車輪へ止め木を差し込んだ。
「ユニ、車の後ろを頼む。こっちへ抜けそうなら知らせてくれ」
「分かりました」
ユニは獣と荷車の両方が見えるところへ立った。
岩背獣は、護衛たちの前で足踏みしていた。
すぐに突っ込んではこない。
けれど、道を空ける気配もなかった。
*
小さな岩背獣が、石の窪みを舐めた。
ルナは水筒へ手を伸ばしかけ、止めた。
「水を置いたら、離れてくれるでしょうか」
「ここで飲ませたら、次の車にも寄ってくるかもしれない。場所を考えたいね」
アレッタは獣から目を離さずに答えた。
ルナは水筒を戻した。
小さな獣の鼻を追ううちに、その向こうの崖へ目が留まった。
岩肌に、黒っぽい筋がある。
斜めに伸び、草の陰へ隠れ、少し先でまた現れている。周りの割れ目とは違って、ずっと同じくらいの幅だった。
「あれは、何でしょう」
職人が振り返る。
「どこだ?」
「あの草の下です。溝みたいに見えるんですけど」
ルナは荷車の横へ回った。
ここからなら、草の下に隠れた石の縁が見える。
職人も同じところへ立ち、しばらく眺めた。
「……古い水路だな。上の道を直す前から、あそこを通ってる」
「どこから来てるんですか?」
「湧き口から。この先で分かれて、街道の石槽と、谷の水場に入る。昔の図面にあった」
ルナは線を目で追った。
崖の上で一度隠れ、その少し横に、濃い色の草がまとまって生えている。
草の先から、小さな光が落ちた。
もう一度、同じところが光る。
「水場が枯れたって、確かめたんですか?」
職人が顔を向けた。
「谷に水がないのは確かだ。だが、湧き口までは見てない」
「あそこ、濡れているように見えるんです。水は出ていて、途中で止まっているのかもしれません」
職人は目を細めた。
草の下から、また滴が落ちた。
「……見に行こう」
アレッタが群れを確かめる。
大きな岩背獣は小さな二頭の前へ立ち、鼻を鳴らしていた。
「横の道を使ってくれ。護衛を一人つける。ここから獣の前を横切るなよ」
「はい」
*
ルナは職人の後ろを歩いた。
長杖で足元を確かめ、草を避けて石の道へ足を置く。
途中で下を振り返ると、荷車は岩陰に止まっていた。
ユニがこちらを見て、頷いた。
にゃん吉君も低い枝を避けながら、ルナのあとをついてくる。
崖の上へ出たとき、水音が聞こえた。
「あ……」
岩の間から、流れが出ていた。
だが、その先では崩れた石が溝へ倒れ込み、水は脇へ溢れている。岩の割れ目を伝い、街道とは反対側へ消えていた。
「出てるな。こいつに塞がれてたのか」
職人が膝をつき、溝の縁を確かめた。
さっき見た草へ向かって、わずかな水だけが細く漏れている。
「下から見えたのは、これだったんですね」
「ああ」
職人は下へ声をかけた。
「道具を上げてくれ! 水は止まってない!」
ルナは石の向こうを見た。
乾いた溝が、谷の奥へ続いている。
下から、盾を打つ音が一度響いた。
ルナは振り返りかけたが、護衛が手を上げた。
「こっちは大丈夫だ。上を頼む!」
ルナは道具を受け取る場所へ移った。
水を戻すには、まだ、この石を動かさなければならなかった。




