第4章 第5話 地図の向こうの名前
約束の場所へ行く途中、ルナたちは大きな布の下をくぐった。
青と赤の旗が、通りの両側から掛けられている。片方を引くと、もう片方が弛むらしく、梯子の上の二人が言い合っていた。
「そっち、引きすぎ!」
「こっちは結んだだけだぞ!」
ユニが旗の陰へ入る。青い光が銀色の髪に重なった。
「お祭りかな」
ルナは立ち止まりかけ、時間を思い出して歩き出した。
*
ミレアはギルドの脇の部屋にいた。
広い机の上に、地図が二枚並んでいる。ヴェラは椅子を後ろへ傾け、窓の外を眺めていた。
「来たか。そっちが今の地図だ」
古い方は、紙の端が欠けていた。海岸の形も少し違う。
ルナは、海の向こうにある小さな印を指した。
「これ、全部島ですか?」
「そうだ。描いた人間が行っていない場所も含まれてる」
ミレアが新しい地図を近づけた。
「同じ島でも、大きさや位置がずれている。古い地図だけ持って船に乗るなよ」
「さすがに、それはしません」
ヴェラが椅子を戻し、一つの島へ指を置いた。
「神に見放された島。この呼び名は聞いたことがあるか?」
ルナは首を横に振った。
「ずいぶん、怖い名前ですね」
「古い遺跡や、今じゃ見ないものが残ってるという話だ。島といっても広い。海岸を見ただけで、全部知ったつもりにはなれん」
「ヴェラさんは行ったんですか?」
「いや。行ったという奴から話を聞いた」
ルナは島の輪郭を見つめた。
海に囲まれた、見知らぬ土地。
「どうして、神様に見放されたんでしょう」
「嵐が多いからだと言う奴もいれば、昔の争いのせいだと言う奴もいる。名前だけが残って、理由が後から増えたのかもしれん」
ヴェラは肩をすくめた。
ルナは島の名前を手帳へ書いた。すぐに行こうと決めたわけではない。ただ、忘れたくなかった。
ミレアが地図の別の場所へ目を向ける。
「古い記録なら、エルフの街もある。あんたが最初に目指していたところだな」
「はい。アステリアで聞きました」
その名前を聞くと、少し安心した。
思いがけず遠くへ来たが、元の旅がなくなったわけではなかった。
「世界樹の話も、そこで聞くといい」
ヴェラが言った。
「世界樹……大きな木の?」
「古い世界の記憶を残す木、とも呼ばれる。エルフたちが守り伝えている話だ。そこへ向かうなら、まず街で道と決まりを聞け」
「木が、記憶を持っているんですか?」
「そういう伝承だよ。木そのものの話なのか、守っている者たちの記録なのか。私が教えられるのは、そこまでだ」
ルナは長杖へ目を落とした。
自分の知らない時代にも、魔法を使えない人はいたのだろうか。
その人は、どんなふうに暮らしたのだろう。
願いの泉を探した人も、いたのだろうか。
「エルフの街から、世界樹のことも調べられるんですね」
「順番としては、その方がいい」
ミレアが頷いた。
ルナは手帳の島の名前の下へ、もう一行書き加えた。
*
帰りの道も、同じ机で教わった。
魔大陸の西の港まで乗合の車を乗り継ぎ、人間の大陸の大きな港へ船で渡る。
そこから南へ向かう道を選び、南の港でエルフの街への船を探す。
ルナは地図の上を指で辿った。
「ずいぶん大回りなんですね」
「定期的に船が出る道は限られてる。海を真っ直ぐ渡ればいいというものでもない」
ミレアが答える。
「西の港まで、何日くらいですか?」
「乗り継ぎが合えば数日。町に泊まって便を待つこともあるし、船も毎日出るわけじゃない」
ルナは地図の途中に描かれた町を見た。
一つずつ、違う名前がついている。
ラウネへは、ユニの力で戻れる。ここから急いで海を渡らなければならないわけではない。
それでも、地図の上を辿った指を戻せなかった。
「ユニちゃんは、エルフの街へ行ったことはないんだよね」
「はい」
「私も、まだないものね」
ルナは西へ続く街道を見た。
あの豆のパンとは違う食べ物が、次の町にはあるのだろうか。
今朝の旗の下には、どんな人が集まるのだろう。
「私、この大陸を旅してから行きたい」
ユニが顔を向けた。
「港まで車に乗って、途中で気になった町にも寄って。それから船で渡るの」
「いいですね」
「時間はかかるけど」
「途中も、見てみたいです」
ルナは頷き、ミレアへ向き直った。
「あの、寄り道するなら、気をつけた方がいいことはありますか?」
「町の名前と、次の便だな。乗った車が全部港へ行くわけじゃない」
「はい」
ヴェラが笑った。
「今度は降りる前に聞けよ」
「ラウネでも、聞きました」
「聞いて、左へ行ったのか」
ルナは返事に困り、地図へ目を落とした。
ミレアが小さく笑っている。
ルナは話を変えた。
「ユニちゃんは、この町で見たいところある?」
「朝、旗の下で大きな鍋を運んでいました。何を作るのか気になります」
ミレアが窓の外を指した。
「明日の灯火祭の準備だ。川の両岸で店を出す」
「お祭りなんですね」
「ああ。残るなら見ていけ。ヴェラも暇そうだし」
「私に案内させる気か?」
ヴェラはそう言いながら、椅子から立ち上がった。
*
外へ出ると、旗はさっきより高く、真っ直ぐに張られていた。
橋の向こうでは、木の骨組みを組んでいる人たちが見える。
ルナは手帳を収納バッグにしまった。
ラウネへ戻ることもできる。
けれど、今日はこの橋を渡ってみたい。
ルナは、旗の向こうに集まる人たちへ目を向けた。
旗の下で、小さな角のある女の子が、落とした布を拾おうとしていた。両腕には、丸い木枠をいくつも抱えている。
「拾うね」
ルナが布を渡すと、女の子は顔を上げた。
「ありがとう。ねえ、もう一つお願いしてもいい?」
そう言って、腕の木枠を見た。
ルナは一本受け取り、少女と一緒に橋の方へ歩き始めた。




