第4章 第4話 魔神と夕食
ヴェラがユニへ紙袋を差し出した。
「食べるか? 塩を振った木の実だ」
「ありがとうございます」
ユニは木の実を一つ取り、口へ運んだ。
「香ばしくて、おいしいですね」
ヴェラは紙袋を渡したまま、ユニの顔を見ていた。
「……お前、変わってるな」
「何か、気になることがありますか?」
ユニもヴェラを見た。
「……いや。今はいい」
ヴェラの指が、紙袋からゆっくり離れた。
何かを確かめたようにも、諦めたようにも見えたが、ルナにはその意味が分からなかった。
噴水の向こうでは、こぼした水を子供が箒で広げている。ミレアが通りかかり、桶を端へ寄せてやった。
「ヴェラさんは、この町を守ってるんですか?」
「困ったことがあれば手は貸す。だが、町を動かしてるのはここに住む奴らだ」
ヴェラは掃除をする子供へ顎を向けた。
「あれだって、私の仕事じゃない」
ミレアが戻ってきて、噴水の縁に地図の筒を置いた。
「こいつは五界域の一人だ。五つの領域で、それぞれ頂点と呼ばれる者たちがいる」
「五界域……」
「魔人側では、こいつを魔神と呼ぶ」
ルナはヴェラを見た。
木の実の殻が膝に落ちている。
「ギルドのランクとは違うんですか?」
「違う。ギルドが認定したわけじゃない」
ヴェラが答えた。
「じゃあ、ヴェラさんが何か言ったら、この町の人たちは従うんですか?」
ヴェラは膝に落ちた木の実の殻を拾った。
「聞くだろうな。私がどのくらいのことをできるか、知ってる奴もいる」
ルナは噴水の向こうへ目を向けた。
さっきまで駆け回っていた子供が、今は濡れた石を箒で掃いている。
「だから、あれもご自分では片づけなかったんですか?」
「あいつが倒した桶だ。自分で始末してるところへ、私が取り上げてどうする」
ヴェラはそう言って、殻を紙袋へ戻した。
ミレアが地図の筒を抱える。
「こいつに頼めば早いことは多い。だからといって、何でも頼んで済ませていたら、町の仕事が全部ここへ来る」
「お前の調べ物もな」
「それは、聞かないと分からんだろう」
「聞かれても分からんことはある」
ヴェラがルナを見た。
「お前たちが通った森も、そうだ。来る姿が少し見えたからって、その道を知ってるわけじゃない」
「……はい」
「それに、魔神と呼ばれる私が、この世界を作った神というわけでもないぞ」
ルナは顔を上げた。
「この世界の、神様……」
気づくと、長杖を両手で握っていた。
「その話、聞いてもいいですか?」
ヴェラは彼女を見て、立ち上がった。
「少し長い話になるな。夕飯の席で、落ち着いて話そう」
それまでの間、ミレアが川沿いの通りを案内してくれた。ルナたちは店を覗きながら歩き、夕方になってからヴェラと食堂へ入った。
*
連れていかれた食堂には、大きな窓があった。
川沿いの通りを見下ろす席へ座ると、店主が鍋を一つ運んできた。赤い豆と肉が煮えていて、表面に黄色い油が浮いている。
「いつものやつ。辛いのは別にしたよ」
「助かる」
ヴェラは小さな壺を自分の側へ引き寄せた。
ルナは先に一口食べた。豆は見た目より甘く、肉には少し煙の匂いがする。
「おいしい」
「辛い方も試すか?」
「どのくらい入れるんですか?」
ヴェラが匙を取ると、ミレアが横から言った。
「お前の一匙を勧めるなよ」
「分かってる」
ルナは匙の先に少しだけ取り、自分の椀の端で混ぜた。舌に熱さが残るが、香りも変わった。
「……これくらいが好きです」
「なら、そのくらいにしとけ」
ユニは壺の中の香草を見てから、自分の分にも少し加えた。にゃん吉君の小皿には、先に取り分けた肉と豆が冷ましてあった。
*
食べる手が一段落してから、ルナは話し始めた。
魔法を使えないこと。
願いの泉を探して、旅に出たこと。
いろいろな人に会い、アステリアの研究院でも調べてもらったが、理由はまだ分からないこと。
ヴェラは途中で口を挟まなかった。
「使えない、と言われたんじゃなく、使ったことがないんだな」
「はい。何度やっても」
ルナは自分の手を見た。
旅をして、できることは増えた。けれど、手のひらに小さな灯りを作ることさえ、一度もできていない。
「泉が本当にあるなら、行ってみたいんです」
ヴェラはパンを置いた。
「その名前は、こっちにも伝わってる」
「魔大陸にも?」
「ああ。神に願いを届ける泉だとか、失ったものを取り戻す水だとか。呼び方は同じでも、話の中身は少しずつ違う」
ルナは椀を両手で持ったまま、耳を傾けた。
「本当に神様がいると、思いますか?」
ヴェラはすぐには答えなかった。
窓の外で、荷車が橋を渡っていく。皿を片づける音が、卓の間を行き来していた。
「いると、私は思ってる」
低い声だった。
「私が知ってる限りでも、作った者の分からないものはある。古い記録には、別々の土地なのに同じ出来事が残ってることもある。全部を人の思い込みで片づける気にはなれん」
「会ったことは?」
「ない」
ヴェラは自分の椀へ水を少し足した。
「だから、そいつが誰の願いを聞くのか、何を望んでいるのかまでは言えない」
ルナは静かに頷いた。
神に会って、自分のことを尋ねられたら。
旅の初めには、考えたこともなかった。
「十二災神も、その神様なんでしょうか」
その名を口にすると、ミレアが顔を上げた。
ヴェラの表情から、食事中の軽さが消えた。
「あれと神の話を、名前だけで一緒にはできない」
ルナは古い本の言葉と、マグナスから聞いた東の国の話を思い出した。人々を逃がすために、災厄へ立ち向かった者がいた。
「記録に残る被害は、軽く見るなよ。何者か分からなくても、出会った人間が何を失ったかは残っている」
ヴェラはそれ以上、その話を広げなかった。
ルナも頷き、椀へ目を落とした。
知らないことには、ただ面白いだけでは済まないものもある。
*
食事を終えると、店主が小さな皿を運んできた。
白い蒸し菓子に、蜜が細くかかっている。
「遠くから来たお客さんに、おまけ」
「ありがとうございます」
ユニも礼を言い、にゃん吉君が見やすいように皿を真ん中へ寄せた。
ルナは菓子を割った。中から柔らかい果実がのぞく。
三つに分け、ユニとにゃん吉君の前へ置く。にゃん吉君が蜜のついた端へ顔を寄せるのを見て、ユニが小皿を支えた。
ヴェラが窓の外へ目を向けた。
「明日、時間はあるか?」
「はい」
「なら、地図を見ながら話そう。泉の場所を教えてやれるわけじゃないが、古いものが残る土地の話ならできる」
ルナは手の中の菓子を落とさないよう持ち直した。
「聞きたいです」
ヴェラは頷いた。
窓の下では、夕方の橋を人々が渡っていた。昨日まで名前も知らなかった町で、明日の約束が一つできた。




