第1章 第8話 届かない距離
「……写真の少女って、お前か?」
少し離れた場所から、低い声がした。
ルナが振り返る。
使い込まれた防具を身につけた男が立っていた。年齢は三十前後だろうか。頬が赤く、近づいてくると酒の匂いがした。
男はユニと新聞の写真を見比べている。
「白銀の髪に青い服。頭には、白くて丸いの」
「ワン」
「鳴くのか……」
男は一瞬だけ黙ったが、すぐにユニへ視線を戻した。
「黒龍の子供を親元へ返したっていう少女、本当にお前なのか?」
「はい」
「それで、Sランク試験の候補者?」
「そう書いてあります」
「記事の話をしてるんじゃねえ。お前自身が、それだけの奴なのかって聞いてるんだ」
ユニは少し考えた。
「分かりません」
「……は?」
「試験は、まだ受けていませんから」
「自分が強いかどうかも分からないっていうのか?」
「何と比べるかによります」
男の眉が動いた。
ルナには、ユニが男を挑発しているようには見えなかった。
本当に、聞かれたことへ答えているだけだ。
「王都日報は話を大きく書くからな」
男は新聞へ目を向けた。
「白銀の少女が一人で黒龍事件を終わらせた。今度はSランクの候補者。ずいぶん出来すぎた話じゃねえか」
「一人ではありません」
「何?」
「幼い黒龍がいました」
「そういう意味じゃねえよ」
「そうですか」
男の顔が険しくなる。
「俺は長いこと冒険者をやってる。何度も怪我をして、仲間が倒れるところだって見てきた。それでも、まだBランクだ」
男は腰に下げた登録証を握った。
「それなのに、こんな小さな子供が、いきなりSランクの候補者だと? 簡単に納得できると思うか?」
その声には怒りだけでなく、悔しさのようなものも混じっていた。
「そう思うのであれば、それで構いません」
「……何?」
「あなたが納得するかどうかは、あなたが決めることです」
「俺に認められなくても構わないって?」
「はい」
「……気に入らねえな」
「そうですか」
「だったら証明してみろ」
「何をですか?」
「Sランクの候補に選ばれるだけの実力があるってことをだ」
「必要ありません」
「逃げるのか?」
「戦う理由がありません」
「口では何とでも言える」
「そう思うのであれば、それで構いません」
男の顔がさらに赤くなった。
ルナは一歩前へ出る。
「もういいでしょ。ユニちゃんは試験を受ける候補に選ばれた。それなら、そこで確かめればいいじゃない」
男がルナを見る。
「お前は何だ?」
「一緒に旅をしてる、ルナ」
「こいつが本当に何者か、知ってるのか?」
「……今、知らないことがたくさんあるって分かったところ」
「知らねえのかよ」
「でも、ユニちゃんが嘘をつく子じゃないことは知ってる」
男はしばらくルナを見つめ、それからユニへ視線を戻した。
「本当に、記事の少女なんだな?」
「はい」
男が一歩近づく。
「だったら、そのくらいは確かめさせろ」
男の手が、ユニの肩へ伸びた。
「ちょっと!」
ルナが長杖を握る。
しかし、男の手はユニへ届かなかった。
「……あ?」
ユニの肩まで、あとわずか。
ほんの少し腕を伸ばせば触れられるはずなのに、その距離が縮まらない。
男がもう一歩踏み出す。
それでも、指先は届かなかった。
「なんだ、これ……」
酔いの浮かんでいた男の顔に、困惑が広がる。
ユニは動いていない。
避けてもいない。
ただ、そこに立っている。
「ユニちゃん……?」
「はい」
「何かしてるの?」
「何もしていません」
「本当に?」
「はい」
男はもう一度だけ手を伸ばした。
やはり届かない。
「そこまでです」
受付から鋭い声が飛んだ。
男の動きが止まる。
先ほどルナの対応をしていた受付の女性が、こちらを見ていた。
「ギルド内で、ほかの冒険者や利用者へ無断で触れる行為は禁止しています。離れてください」
「俺は、ただ確かめようと……」
「本人の許可なく触れることを、確かめるとは言いません」
「……」
「離れてください」
男はユニから手を引いた。
困惑したまま、自分の手を見つめている。
「俺は別に、傷つけるつもりじゃなかった」
「分かっています」
「……分かってるのかよ」
「はい」
男の勢いが少しだけ弱くなった。
受付の女性は近くにいた職員へ声をかける。
「お水をお願いします」
「酒はもう飲んでねえ」
「だから水を飲んでください」
「……分かったよ」
男は渋々、近くの椅子へ座った。
それでも、ユニを見る目には疑いが残っている。
「試験、本当に受けるんだろうな」
「王都へ行けば分かると思います」
「また、はっきりしねえ答えだな」
「まだ受けると返事をしていませんから」
「候補者本人が新聞で初めて知ったのかよ……」
男は額を押さえた。
「どうなってんだ、王都は」
ルナも同じことを思った。
*
「ルナさん」
受付から名前を呼ばれた。
「あ、はい!」
「登録証ができましたよ」
ユニの正体と新聞に気を取られ、登録のことを忘れかけていた。
ルナは慌てて受付へ向かう。
「こちらが冒険者登録証です」
「……これが」
受け取った小さな登録証には、ルナの名前と出身地が刻まれている。
そして、その下に書かれた文字。
Eランク。
「私、冒険者になったんだ……」
「はい。今日から正式に冒険者です」
ルナは登録証を見つめた。
世界に十二人しかいないSランク。
その特別試験の候補者。
そんな話を知った直後だから、登録証に刻まれたEという文字が、とても小さく見える。
「……Eからなんですよね」
「はい。新規登録者は、原則として全員Eランクから始まります」
「みんな?」
「はい」
「そっか」
最初から。
それでいい。
ルナは登録証を大切にしまった。
「ユニちゃん」
「はい」
「私、Eランクになった」
「はい」
「ユニちゃんは、Sランク試験の候補者」
「そうみたいです」
「……差がすごいね」
「比べる必要はありません」
「え?」
「ルナは、今日冒険者になったばかりです」
「……うん」
「なら、今日のルナはEランクです」
ルナは登録証へ触れた。
「そっか」
「はい」
「じゃあ、ここからだね」
「はい」
「ワン」
世界に十二人しかいないSランク。
その十三人目になるかもしれない少女が、今まで当たり前のように隣にいた。
黒龍の子供を親元へ返し、事件を終わらせた少女。
ルナが半年間、ユニちゃんと呼んできた少女。
知らなかったことは、まだたくさんある。
それでも。
ルナ自身の冒険者としての旅は、今日、Eランクから始まった。




