↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
願いを魔法に  作者: 由吉
三章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
82/147

第3章 第26話 止まった世界で

 翌朝。


 防衛局の訓練場へ着いたルナは、入口の前で足を止めた。


「……人、多くない?」


 昨日、ネイから聞いていたのは、ここでユニと手合わせをするということだけだった。


 けれど、低い石壁の向こうには、すでに十人を超える人が集まっている。防衛局の制服を着た者。白い上着を着て鞄や杖を確認している者。紙束や記録端末を手にした人たちまでいた。


「昨日、こんな話してたっけ?」


「してない」


 先に来ていたネイが答えた。灰色の外套はもう脱ぎ、淡い金色の髪を後ろで束ねている。


「私も朝来て知った」


「ネイも?」


「訓練場を使いたいって申請しただけなんだけどね」


「少し話が大きくなっただけじゃよ」


 横から、知らない声がした。


 振り向くと、白い髪を短く整えた老人が立っていた。かなり年上に見えるが、背筋は真っすぐだった。


「今日の立会いで、都市側の代表を務める者の一人じゃ」


「代表……?」


「何人か来ておる。防衛局、研究関係、それから訓練場の安全を預かる者たちじゃな」


 ネイが少し離れたところから言った。


「私は呼んでないからね」


「分かっておる」


 老人は苦笑し、訓練場へ視線を向けた。


「防衛局の若手の中でも抜けておるネイ・オルディスと、十三人目のSランク、ユニ・N・スターチスが手合わせをする。見届けたい者が出るのも不思議ではなかろう」


 ルナは、紙や記録端末を持っている人たちを見る。


「じゃあ、あの人たちは?」


「記者じゃよ」


「新聞の?」


「そうじゃ」


 ネイが少し嫌そうな顔をした。


「それも朝知った」


 ほかにも治療班や、防護設備を確認する者たちがいる。


 白い上着の者たちは鞄の中を確かめ、訓練場の周囲では細長い柱を一つずつ見て回る者がいる。手合わせというより、何か大きな試験でも始まるような準備だった。


「……思ったより大ごとになってない?」


「なってる」


 ネイは即答した。


「帰る?」


「帰らない」


「ですよね」


「私が言ったんだから」


 そう答えてから、ネイはルナの横に浮かぶにゃん吉君を見る。


「本当に入ってこないよね?」


「ワン」


 ネイは少しだけ眉を寄せた。


     *


 開始が近づくと、訓練場の周囲も静かになった。


 都市側の代表たちは石壁の外へ下がり、記者たちは少し離れた場所で紙や端末を構えた。治療班はすぐに動ける位置へ残り、老人はルナの近くに立っている。


 中央にはネイとユニ。


 ルナがネイの手元を見て尋ねた。


「やっぱり杖、使わないんだ」


「持ってないから」


「なくても大丈夫なの?」


「今のところは」


 二人の間に、防衛局の立会人が入った。制服の袖を肘までまくった男性だった。


 にゃん吉君はルナの反対側でふわふわと浮き、訓練場へ入る様子はない。


「確認するぞ。訓練だ。相手を殺すような攻撃は禁止。本人が続行不能と判断した場合、もしくは俺が危険だと判断した場合は終了。外へ出ても終わりだ」


「分かった」


「はい」


「あと、設備を壊すなよ」


 男性の視線がネイへ向く。


「何で私だけ見るの?」


「心当たりがあるだろ」


「直した」


「整備班がな」


 ルナが吹き出した。


 けれど、ネイが中央へ戻った瞬間、空気が変わった。


 結んだ金色の髪が風に揺れる。


 ネイの顔から、さっきまでの余計なものが消えていた。笑っても、怒ってもいない。ただユニだけを見ている。


「準備は?」


「できています」


 立会人が片手を上げる。


「始め!」


 その声とほとんど同時に、ネイが地面を離れた。


 一直線に上がり、ユニの斜め上へ回り込む。片手を振ると、三つの光が別々の角度から落ちてきた。


 ユニが右へ一歩。身体を傾け、最後の一本には半歩だけ下がって避ける。


 だが、三本の光は地面へ届く前に、空中で止まった。


「……?」


 光は消えていない。


 その間にも、ネイは急降下していた。地面すれすれを横へ走り、ユニの進む先へ石柱を次々と生み出す。


 一本目。


 二本目。


 さらに三本目。


 ユニが四本目を避けた瞬間、さっき止めていた光の一つが背後から動いた。


 ユニが振り返らないまま身体をずらす。


 前から石柱。右から光。左にはネイ。


 ユニが後ろへ下がる。


 けれど、そこにも止めていた光が一本残っていた。


「……いつ置いたの?」


 ルナにはもう分からなかった。ユニを追っていると、どの魔法がいつ止まったのかまで見失う。


 ルナは視線をネイへ移した。


 ユニが身体を沈める。頭上を光が抜け、その向こうから火が来た。


 ユニは地面を蹴り、その間を前へ抜ける。


 ネイは真上へ跳ねるように上昇し、空中で身体を反転させながら三本の氷を落とした。


 ユニが一歩、もう一歩と位置を変える。


 三本目の氷だけが、地面へ届く直前で止まった。


 ネイがそれを蹴る。


「え?」


 空中に固定された氷を足場にして身体の向きを変え、そのままユニの死角へ入った。


 空中に残った氷は、消えていなかった。放たれて、止まって、それでもまだそこにある。


 風が鳴る。


 ユニが頭を下げた時には、ネイはもう別の位置にいる。


 魔法が飛んでくる場所と、ネイ本人のいる場所が一致しない。避けたはずのものが空中に残り、忘れた頃にまた動く。


 それでもユニは大きく跳ばない。必要な分だけ身体をずらし、ネイの作った隙間を抜けていく。


 記者たちの筆の音が、少しずつ途切れていった。


     *


 薄い水が地面を走り、ユニの足元を横切った先で白く凍った。


 ユニが進路を変える。


 そこへ風が走り、砂が舞った。


 一瞬だけ姿が隠れる。


 砂煙から青いコートが出たと同時に、横から石の壁。正面から光。上から氷。


 ユニは石壁へ片手をつき、身体を浮かせて横を抜ける。


 その瞬間。


 コートの裾だけが、不自然に後ろへ引かれた。


「え?」


 青いコートの端が、空中の一点へ縫い付けられたように動いていない。


 ネイが止めた。


 その間にも、ネイはもう次の魔法を作っている。


 すぐ横から光が迫る。


 ユニは無理に引っ張らなかった。固定された裾を中心に身体を回し、半歩だけ位置を変える。


 光が目の前を通過した。


 次の瞬間、コートが再び風に揺れる。


 ネイの眉がわずかに動いた。


 それでも止まらない。


 今度は、ユニが踏み込んだ場所の砂だけを固定した。


 靴の周囲で、蹴り上げられるはずだった砂粒が浮いたまま止まる。


 ユニの足が一瞬遅れた。


 そこへネイ自身が降りてくる。


 今までで一番近い。


 空中から片手を伸ばす。


 ユニが上体を反らす。


 ネイの手は胸元の少し前を通り過ぎた。


 届かない。


 着地するより早く、ネイは反対方向へ飛ぶ。


 そのまま右手を返し、すぐ次の風を放った。


 風はユニへ真っすぐ向かわない。手前の砂を巻き上げ、視界を削るためだけに使われた。


 その向こうで、ネイがまた高さを変える。


 高く上がったと思えば、一気に地面近くまで落ちる。途中で方向を変え、止めた光と自分の位置を入れ替えるように攻め続ける。


 ユニが何かを避けるたび、そこには次の選択が用意されていた。


     *


 そこからネイの戦い方が変わった。


 今まで以上に速くなったわけでも、魔法が大きくなったわけでもない。


 それでも、一度放った魔法を残しながら、ユニが立てる場所を少しずつ削っていく。


「……逃げるところがなくなってく」


 ユニの左に石壁。右に止まった氷。後ろには火。上にはネイ。


 正面だけが空いている。


 ユニがそこへ出た瞬間、ネイもほとんど同時に動いた。


 今までのように、ユニが動いたあとを追ったのではない。


 出る場所を読んで、先にそこへ重ねた。


 ユニの手が伸びる。


 ネイが薄い光の壁を挟む。


 触れた瞬間、壁が砕けた。


 けれど、その一瞬で十分だった。


 ネイは横へ抜け、ユニの背後から右手を伸ばす。


 空気が揺れた。


 ユニの片足が止まった。


 今までとは違う。


 服でも、砂でもない。踏み出そうとしていた足の周囲だけが、途中の状態で固定されている。


 ネイの顔が変わった。


 止めていた二つの光が左右から動き、正面から風が迫る。


 ユニは固定された足を軸にして、上半身を低く落とした。もう片方の足で地面を蹴り、身体を円を描くように回して固定の外へ重心を逃がす。


 光が頭上で交差する。


 次の瞬間、固定が解けた。


 ネイが着地する。


「……っ、は……」


 肩が一度、大きく上下した。額から落ちた汗が頬を伝う。


 それでも視線はユニから外さず、次の魔法を作る。


 火。


 風。


 石。


 三つが同時に浮かんだ。


 火は正面。風は少し遅れて横から。石は地面すれすれを走る。


 ユニが火を避ければ風が進路を変え、石がその足元を狙う。


 ネイは一つの魔法で決めようとはしていない。


 次の動きを作るために、一つずつ置いている。


 それからも攻防は続いた。


 ネイは固定したものを解除し、別のものを止めながら攻め続ける。


 ルナには、もう一つずつ追うことはできなかった。


 ただ、最初よりユニの立てる場所が狭くなっていることだけは分かる。


 それでも、届かない。


 やがてネイは地面へ降りた。


「……は……」


 膝には手をつかない。背筋も伸びたまま。ただ、胸が少し速く上下している。


 ユニは数歩離れた場所に立っていた。


「一つ聞いていい?」


「はい」


「まだ、本気じゃない?」


 ルナは息を止めた。


 ユニは少し考えた。


「本気、というのがよく分かりません」


「……そう来ると思った」


「そうですか?」


「うん」


 ネイが笑う。


「じゃあ、聞き方を変える。私に勝つために、まだ何もしてないよね」


「勝つ必要がありますか?」


「……ないの?」


「ネイは確かめたいと言いました」


「言った」


「ですから、確かめています」


 ネイが一度、目を閉じた。


 短く息を吐く。


「そっか」


 目を開ける。


「じゃあ、もう一つだけ確かめる」


 その声を聞いた瞬間、立会人が一歩前へ出た。


「ネイ。そこまででいいだろ」


 ネイはユニを見たまま答える。


「範囲は絞る」


 老人が、初めて僅かに眉を寄せた。


「……あれまで使うか」


「何ですか?」


 ルナが老人を見る。


 けれど、老人は答えない。視線は訓練場へ向いたままだった。


 防護設備の担当者と治療班が動く。柱の数値を見直す者、鞄を開く者。都市側の代表たちも話をやめた。


 記者たちまで、誰も声を出さない。


「訓練で使うものじゃない」


「知ってる」


「一度使ったら、今日はもう終わりだぞ」


「それも知ってる」


 ネイは深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。肩から余計な力が抜ける。


「ここまでやって、まだ一度も届いてない」


 それからユニを見る。


「使っていい?」


「私に聞いていますか?」


「あなた以外に誰がいるの」


「構いません」


「怖くない?」


「何がですか?」


 ネイが一瞬だけ黙る。


 それから、ほんの少し笑った。


「……もういい」


 立会人を見る。


「一回だけ」


 男は訓練場と周囲の設備を確認した。


「……一度だけだ。範囲を越えるな。解除の指示には従え」


「分かってる」


 ネイが中央へ戻った。


 ルナの横で、にゃん吉君がふわりと位置を変える。


「ワン」


 参加する気はないらしい。けれど、さっきまでより少しだけ訓練場の中央を見ているように見えた。


     *


 ネイが両手を下ろした。


 何も構えない。


 詠唱もしない。


 しばらく、本当に何も起こらなかった。


 風が吹く。


 砂が地面を転がる。


 ユニの髪が揺れる。


 ネイが息を吸う。


 一度。


 止める。


「《零刻領域》」


 光が走った。


 大きくない。


 ネイの足元から淡い線が円を描くように広がり、ユニのところまで届く。さらに少し向こうへ進んだところで止まった。


「……?」


 ルナは最初、何が起きたのか分からなかった。


 音はある。


 ルナも動ける。立会人も動いている。にゃん吉君も、いつも通り浮いている。


 円の外は何も変わっていない。


 なのに。


 内側だけが違う。


 風に揺れていたユニの髪が、毛先を曲げた形のまま止まっていた。


 地面から舞い上がった砂も、一粒ずつ空中に浮かんでいる。さっきの戦いで欠けた小さな石も、消えかけていた光の粒も、その場所から動かない。


「……え」


 一昨日、三番の胸で見たもの。


 あれよりずっと広い。


 でも、同じだ。


 時間が止まったように見える。


 外では風が吹いている。ルナの髪も揺れている。


 その円の境目だけを挟んで、世界が二つに分かれたようだった。


 けれど。


 ネイは動いた。


 一歩。


 止まった砂の横を通る。


 二歩。


 ユニへ近づく。


「……は……」


 呼吸は、さっきまでより明らかに重い。


 それでも領域は崩れない。


 ネイが歩いている間も、息をしている間も、円の内側は止まったままだった。


 砂も。


 風も。


 光も。


 ユニも。


 何一つ動かない。


 ルナは横を見ることができなかった。


 老人も。代表たちも。記者も。治療班も。


 誰も声を出さなかった。


 訓練場にいる全員が、円の中だけを見ている。


 ネイが数歩手前で止まる。


 ユニを見る。


 待つ。


 一秒。


 もう一秒。


 白銀の髪は動かない。


 青いコートも揺れない。


 瞬きすら、ルナには見えなかった。


 ネイの口元が、わずかに動く。


「……入った」


 その声には、初めて安堵に近いものが混じっていた。


 捕まえた。


 ルナにも、そう思えた。


 今度こそ。


 これは避けられない。


 速いとか。


 見えているとか。


 そういう話ではない。


 だって。


 そこではもう、何も動いていない。


 そのはずだった。


 風も。


 砂も。


 光も。


 落ちかけた石さえ止まっている世界で。


 ユニが。


 何でもないように。


 一歩だけ、前へ歩いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。