第3章 第23話 静かな魔法
翌朝。
ルナたちは、もう一度第二市民演習場を訪れていた。
昨日まで開け放たれていた入口には立入制限の札が置かれ、訓練に来る人の姿もない。
門の向こうから聞こえるのは、人の話し声と、ときおり機材を動かす音くらいだった。
受付で名前を伝えると、昨日ずっと三番の操作盤についていた係員が出てきた。
目の下には薄く影が残っている。
「朝から悪いな。昨日のことをもう一回だけ確認させてほしくてさ」
「大丈夫です。……寝ました?」
男は答えるまでに少し間を置いた。
「三時間くらい」
「それ、寝たって言うの?」
「俺は寝たことにしてる。そう思わないと今日働けない」
ルナが苦笑すると、男も少しだけ笑った。
「昨日あれだけ騒いだからな。見てた側の話もちゃんと残しておきたいんだ」
奥へ進む。
演習場には、まだ三番が走った跡が残っていた。
三番そのものは区画の端へ移され、周囲には簡易柵が組まれている。
胸の魔石は暗く、四本の脚も動いていない。
「昨日から、ずっとこのままなんですか?」
「ああ。歩いたり攻撃したりはしてない。ただ、中を調べようとすると妙な反応が出る」
「妙な反応?」
「検査具を胸部へ近づけた時だけ、魔石の中の魔力が一瞬跳ねることがある。昨日みたいな出力じゃないけどな」
近くの係員が続ける。
「外部からの供給は切ったまま隔離してる。内部に残ってる魔力も確認中だ。だから、まだ分解してない」
「慎重に調べてるんですね」
「昨日、停止したと思ったあとに動かれたからな。今度は急がない」
ルナは三番を見上げた。
*
そのあと、昨日の出来事を確認していった。
三番が最初に動き出した場所。
にゃん吉君が誘導を始めた位置。
一発目の魔法が放たれた方向。
そして、二発目を撃つ直前に三番が首を向けた先。
係員は手元の紙と現場を見比べ、ルナへ振り返った。
「ルナちゃんが気づいたのは、この辺りだったよな?」
「はい」
「光が変わったとか、音がしたとか?」
「そういうのじゃないです」
ルナは昨日の光景を思い返した。
「三番が、にゃん吉君を見なくなったんです。それまではずっと追ってたのに、急に首が違う方向を向いたから」
「それで、人がいる方へ撃つと思った?」
「撃つかもしれないって。見た時に、嫌な感じがして」
係員は頷き、紙へ書き込んだ。
「それも残しておこう」
「役に立ちますか?」
「今すぐ何か分かるとは限らない。でも、事故の記録は機械の数字だけじゃない。その場にいた人が何を見たかも残す」
ルナは小さく頷いた。
昨日、自分から残してほしいと頼んだ記録。
数字は読めなくても、自分が見たことなら話せる。
その時だった。
区画の端から、短い警告音が鳴った。
「何だ?」
「胸部の反応!」
係員たちが三番を見る。
脚は動いていない。
けれど、暗かった胸の魔石の奥を青白い光が一度だけ走った。
「検査具は?」
「まだ繋いでない!」
もう一度、光が揺れる。
「全員、いったん下がれ」
ルナもユニと一緒に距離を取った。
にゃん吉君がユニの頭上で身体を起こす。
三番の胸に三度目の光が灯りかけた。
「触らないで」
頭上から声が落ちてきた。
大きな声ではなかった。
それでも、係員たちの手が止まる。
ルナが顔を上げた。
一人の若い女性が、演習場の上空からゆっくり降りてくる。
淡い金色の髪を後ろでひとつにまとめ、濃い灰色の短い外套を羽織っていた。
杖も剣も持っていない。
「来たのか」
一人の係員が声をかける。
「呼んだでしょう」
「思ったより早かったな」
「飛んできたから」
「……そうだったな」
女性はそのまま三番の前へ歩いた。
「これが昨日の機体?」
「ああ。三番だ。外部供給は切ったまま隔離してる」
「なら、そのままで」
女性が一歩近づく。
「待て。さっきまた反応したばかりだぞ」
「見えてた」
「だったら――」
「三十秒だけ固定する。その間に遮断具を取り付けて」
係員たちの表情が変わった。
「ここでやるのか?」
「そのために呼んだんじゃないの?」
「……そうだけど」
「なら準備して」
二人の係員が、魔石から機体への魔力の流れを遮断する、銀色の輪のような器具を運んでくる。
女性は三番の胸を見たまま、右手を上げた。
指先に細い光の輪が生まれる。
輪が広がり、三番の胸を囲んだ。
ルナは目を凝らす。
魔石の奥で明るくなりかけていた青白い光が、その状態のまま動かなくなった。
消えてはいない。
弱くなったわけでもない。
ただ、その先へ進まない。
「……反応値、止まった」
操作盤の前から声が上がる。
女性が静かに言った。
「今。二十八秒」
「行くぞ!」
二人の係員が三番へ駆け寄った。
一人が銀色の輪を胸部へ当て、もう一人が留め具を開く。
「右、もう少し上!」
「分かってる!」
「十九秒」
「急かすな!」
「数えてるだけ」
「それが急かしてるんだよ!」
手は止まらない。
遮断具が魔石の周囲へ固定される。
「留めた!」
「接続する!」
「九秒」
「間に合う。離れてろ!」
小さな音が鳴り、器具の中央に緑色の光が灯った。
「入った!」
「じゃあ離れて」
係員たちが三番から距離を取る。
女性が指を下ろした。
止まっていた青白い光が、一度だけ揺れた。
遮断具が淡く光る。
魔石の光はそのまま弱まり、消えた。
「遮断できた」
操作盤を見ていた係員も頷く。
「内部反応も下がってる。これなら調べられる」
「原因は分かったのか?」
別の係員が女性へ尋ねた。
「知らない」
迷いのない返事だった。
「私は今の反応を固定しただけ。どうして三番がこうなったのかは、設備班で調べて」
「……まあ、そうだよな」
「昨夜からの記録も残してあるんでしょう?」
「ああ」
「なら、それと内部を見ればいい」
女性は三番から一歩離れた。
「すごい魔法……」
ルナの口から声が漏れる。
女性がこちらを見た。
「今の?」
「うん。あんなふうに止まる魔法、初めて見た」
「狭い範囲なら、それほど難しくないよ」
近くの係員がすぐに口を挟む。
「お前にとってはな」
「そう?」
「そうだよ」
女性は本当に不思議そうな顔をした。
ルナは隣のユニを見る。
「……ちょっと似てるかも」
「何がですか?」
「なんでもない」
*
三番の処置がひと段落すると、女性の視線がユニの頭上へ向いた。
「それが、昨日三番を誘導してた子?」
「ワン」
にゃん吉君が答えた。
女性は少しだけ眉を上げた。
しばらく白い身体を見ていたが、やがてユニへ視線を下ろす。
「あなた、ユニ・N・スターチス?」
「はい」
「十三人目のSランクの」
「そうです」
女性はユニを少し見てから、視線をルナへ移した。
ルナはそこで、まだ相手の名前を聞いていないことに気づく。
「あの、名前は?」
「ああ。言ってなかった」
「ネイ・オルディス」
「ネイさん?」
「さんはいらないよ」
「じゃあ、ネイ」
「それでいい」
「ネイは、この演習場の人じゃないんだよね?」
「違う。私は防衛局」
「防衛局?」
「街の外から魔獣が来れば戦う。近くのダンジョンで問題が起きれば行く。街の中で大きな魔法事故が起きた時に呼ばれることもある」
「昨日みたいな?」
「そう。昨日みたいなの」
ルナは、三番の胸に取り付けられた遮断具を見る。
「さっきの魔法って……時間を止めたの?」
ネイは首を横に振った。
「違う。時間そのものには触れてない」
「でも、魔石の光が途中で止まってた」
「起きていた変化を固定したから」
「固定?」
ネイが三番の胸を指す。
「物が動くことも、魔力が流れることも、術式が次の状態へ進むことも、全部変化でしょう?」
「うん」
「私は、狭い範囲だけ、その変化が先へ進まないように固定する」
ルナは、先ほどの三番を思い出す。
消えたのではない。
途中で止まったまま、そこにあった。
「ずっとは?」
「範囲や対象による」
「なるほど……」
「分かった?」
「少しだけ」
「それで十分」
ネイの視線が、ユニへ戻った。
「昨日の報告を読んで、一つ気になってた」
「何ですか?」
「三番が暴走している間、あなたはほとんど手を出してないでしょう」
「はい」
ネイは、その頭上のにゃん吉君を見る。
「どうして、あそこまで任せられたの?」
ユニも頭上を見る。
「にゃん吉君だからです。それで十分でした」
ネイは少し黙った。
それからユニへ視線を戻す。
「あなた、自分がどれくらい強いかには興味ないの?」
「ありません」
即答だった。
「Sランクなのに?」
「必要だったので取りました」
「何のために?」
ユニはルナを見る。
「旅を続けるためです」
「旅?」
「はい。ルナと一緒に」
突然名前が出て、ルナは目を瞬いた。
ネイもルナを見た。
それから、もう一度ユニを見る。
「……変な人」
「よく言われます」
「それも即答なんだ」
「はい」
ネイの口元が少し上がった。
「少し興味が出た」
「そうですか」
ネイはユニをしばらく見てから、その頭上へ視線を上げた。
にゃん吉君もネイを見ている。
「あなたは、もっと分からない」
「ワン」
ルナは小さく笑った。




