第3章 第20話 魔法の街の日常
翌朝。
宿の食堂で朝食を終えても、中央研究院からの連絡はまだ来ていなかった。
昨日、エリスが見せてくれた記録のことを、ルナは何度か思い返していた。
「今日も研究院へ行く?」
ルナが聞くと、向かいに座っていたユニは首を傾けた。
「行ってもいいですが、結果が早く出るわけではないと思います」
「そっか」
エリスは昨日の記録を、過去の測定結果と照らし合わせると言っていた。
朝から研究院へ行っても、今はできることがなさそうだった。
「じゃあ……街、見てみようかな」
「はい」
ユニが頷く。
その頭上では、にゃん吉君がいつものように浮いていた。
「ワン」
「にゃん吉君も行く?」
「ワン」
ルナは少し笑った。
*
朝のアステリアは、昨日とはまた違って見えた。
中央研究院や史料院のような大きな建物だけではない。
通りに並ぶ店にも、家の軒先にも、魔法が当たり前のように使われている。
道の脇には細い柱が一定の間隔で立ち、その上部には小さな魔石が埋め込まれていた。
淡い光が、石の中をゆっくり巡っている。
「これ、昨日もあったよね」
「はい」
「灯りじゃないみたいだけど……何だろう」
ちょうど近くの店先で箱を並べていた男性が顔を上げた。
「供給柱だよ」
「供給柱?」
「ああ。街の魔道具へ魔力を送るためのものだ。全部があの柱から直接ってわけじゃないけど、あちこちで繋がってる」
男性は通りの先を指した。
よく見ると、同じような柱が先まで続いている。
「家の中にも?」
「もちろん。照明や冷却箱なんかは特にな。アステリアじゃ、ない方が困るくらいだ」
「へえ……」
ルナはもう一度、供給柱を見る。
魔力というものが、ここでは暮らしの中で使われている。
「ありがとうございます」
「いいって。観光か?」
「そんな感じです」
「なら楽しんでいきな」
男性は手を振り、また箱を並べ始めた。
少し先では、大きな荷台が地面から浮いたまま通りを進んでいる。
荷台を引く馬はいない。
積まれた木箱を揺らしながら、人の歩く速度に合わせて静かに進んでいた。
「便利そう」
「そうですね」
「あれも供給柱から魔力をもらってるのかな」
「そうかもしれませんね」
通りを歩いていると、今度は菓子屋の前でルナの足が止まった。
透明な箱の中に、色とりどりの菓子が並んでいる。
その下から白い冷気が薄く漂っていた。
「冷たいお菓子?」
店先の女性が笑う。
「食べてみる?」
「これ、魔法で冷やしてるんですか?」
「魔道具よ。暑い日はよく売れるの」
ユニが箱を覗き込む。
「中だけ冷えていますね」
「食べ物を冷やすのにも使うんだ……」
ルナは青い果実を使った小さな菓子を一つ買った。
一口食べる。
「冷たっ」
「冷たいですか?」
「冷たいよ。ユニちゃんも食べる?」
「いただきます」
もう一つ買おうと財布へ手を伸ばしたところで、頭上の白いものが少し下がってきた。
「ワン」
「にゃん吉君も?」
「ワン」
「食べられるの?」
「ワン」
「それ、どっち?」
結局、二つ買い足した。
にゃん吉君はユニの頭上で、少しずつ食べた。
「食べるんだ……」
「食べますね」
「ユニちゃんも知らなかったの?」
「これを食べるのは初めてです」
「そっちか」
店を離れてさらに歩く。
道具屋では、棚そのものがゆっくり回転していた。
客が手元の板を触ると、奥にあった商品が正面まで運ばれてくる。
広場では、小さな子どもたちが指先に灯した光を見せ合っていた。
一人が丸い光を作ると、別の子がそれを真似しようとして失敗する。
「あー!」
「また消えた!」
「もう一回やればいいじゃん!」
笑い声が広がる。
ルナは少しだけ足を止めた。
「やってみたいですか?」
ユニが聞いた。
「うん」
ルナは頷く。
「使えるなら、やってみたいよ。ああいうの」
「はい」
ユニはそれ以上、何も言わなかった。
ルナも歩き出した。
*
昼前。
ルナたちがたどり着いたのは、第二市民演習場と書かれた大きな施設だった。
入口の向こうには、いくつもの訓練区画が広がっている。
剣を振る者。
的へ向けて魔法を放つ者。
防御魔法を何度も展開している者。
冒険者だけでなく、普通の服を着た若者の姿も多かった。
「誰でも使えるのかな」
「受付で聞いてみましょう」
中へ入ると、係員が簡単に説明してくれた。
市民向けの訓練施設で、利用料を払えば基本的な魔法訓練ができるらしい。
見学だけなら無料だった。
「じゃあ見ていこう」
「はい」
奥の区画へ進んだところで、ルナは奇妙なものを見つけた。
「あれ……何?」
広い砂地の中央に、灰色の獣が立っている。
四本脚。
大きさは馬より少し大きい。
けれど、生き物ではなかった。
表面は金属とも石ともつかない素材で覆われ、胸の中央には青白い魔石が埋め込まれている。
「訓練用の魔道獣ですよ」
近くにいた係員が教えてくれた。
「魔道獣?」
「実際の魔獣を相手にする前の訓練に使うんです。動きもある程度再現してあります」
「動くんですか?」
「ええ。あれは三番です」
「三番……」
ちょうど一人の少女が訓練を始めるところだった。
係員が操作盤に触れる。
三番の胸にある魔石が光った。
首が持ち上がり、四本の脚が動き出す。
「おお……」
思ったより速い。
三番が少女へ向かって駆ける。
少女は横へ避け、手を前へ出した。
風の魔法が三番の横腹へ当たる。
灰色の身体が少しよろめいた。
「ちゃんと反応するんだ」
「攻撃を受けた方向も判断します。もちろん本物ほど複雑には動きませんけどね」
三番が方向を変える。
今度は距離を取った。
「あれ、魔法も使えるんですか?」
「使えます。ただ、訓練用なので出力はかなり抑えてあります。的を狙って撃つ練習をするための設備ですから」
係員がそう答えた直後、三番の口元が開いた。
小さな青白い光が集まり、すぐに光弾となって飛ぶ。
少女は片手を前へ出した。
薄い光の壁が広がり、光弾がそこへぶつかって淡く弾ける。
「なるほど……」
「今みたいに、防ぐところまで含めて訓練です。あの程度なら、きちんと防御できれば問題ありません」
三番が再び動き出した。
少女も構え直す。
何度か攻防が続いたあと、係員が操作盤に触れた。
「ここまで!」
三番の胸の光が弱くなる。
足が止まり、首も下がった。
少女が大きく息を吐く。
「ありがとうございました!」
「さっきより良かったよ。次は距離を取りすぎないようにね」
「はい!」
少女は笑顔で訓練区画を出ていった。
ルナは停止した三番へ目を向ける。
「胸の魔石で動いてるんですか?」
「そうです。あそこに魔力を蓄えて動きます」
係員は操作盤を片づけながら答えた。
「普段は演習場の供給から補充して、こっちの設備で動きを制御しています」
「街の供給柱と同じもの?」
「元を辿れば同じですよ。ここは演習場用に分けてありますけどね」
「へえ……」
ルナが三番を眺めていると、止まっていたはずの首がほんの少し動いた。
「……あれ?」
「どうしました?」
係員が振り返る。
「今、三番が動いたような」
「三番が?」
係員が近づき、操作盤を確認する。
三番はもう動いていない。
「停止状態ですね」
「見間違いかな……」
「念のため今日は三番を休ませます」
「いいんですか?」
「こういうのは、少しでも変だと思ったら使わない方がいいんですよ」
係員はそう言って、三番の前に使用停止の札を置いた。
「午後の訓練は別の機体にします」
「ちゃんとしてるんですね」
「事故が起きてからじゃ遅いですから」
ルナはもう一度だけ三番を見た。
胸の魔石は暗い。
首も動かない。
*
演習場を出る頃には、昼を過ぎていた。
「お腹すいた」
「何か食べますか?」
「うん」
近くの広場で簡単な昼食を買い、空いている長椅子へ座る。
ユニの頭上では、にゃん吉君もいつもの位置に浮いていた。
ルナはパンを食べながら、青い果実を絞った飲み物を口にする。
「これもおいしい」
「朝のお菓子と同じ果実ですね」
「こっちだとよく使うのかな」
「そうかもしれませんね」
にゃん吉君が、ルナの持っている杯を見る。
「……飲む?」
「ワン」
「これは無理じゃない?」
「ワン」
ユニが自分の杯を少し持ち上げた。
「にゃん吉君」
「ワン」
「飲みますか?」
「ワン」
「ユニちゃんも同じじゃん」
「そうですね」
「なんで分かってる顔してるの」
ルナが笑った、その時だった。
広場の端で、小さな音がした。
ぱち、と何かが切れるような音。
「あれ?」
店先に浮かんでいた看板の光が消えた。
同時に、向かいの道具屋で回っていた棚が止まる。
通りを進んでいた浮遊荷台も、わずかに高度を落とした。
「うわっ」
荷台を操作していた男性が慌てて手を伸ばす。
積んでいた箱が傾いたが、落ちる前に荷台が持ち直した。
消えていた看板にも、すぐに光が戻る。
道具屋の棚も何事もなかったように回り始めた。
「今の何?」
近くの店員が通りへ顔を出す。
「供給が落ちた?」
「一瞬だけだろ」
「珍しいな」
周囲の人たちは少し気にしたものの、それ以上騒ぐ様子はなかった。
荷台の男性も積み荷を確認してから、また道を進んでいく。
ルナは供給柱を見る。
魔石は、もう普通に光っていた。
「さっきの演習場も、これと繋がってるのかな」
「分かりません。分けてあるとも言っていました」
供給の異常は、それきりだった。
広場にはすぐにいつもの声が戻り、人々もそれぞれの用事へ戻っていった。
ルナも昼食の残りを食べる。
けれど、昼前に一瞬だけ動いた三番の首が、少し頭に残っていた。
*
それからも街を歩いた。
小さな魔道具を売る店を覗き、橋の上から街を流れる水路を眺めた。
気づけば、空は夕方の色に変わっている。
「そろそろ宿へ戻ろうか」
「はい」
来た道とは少し違う通りを選ぶ。
地図で見れば、こちらからでも宿へ帰れるはずだった。
しばらく歩いたところで、ルナは見覚えのある高い壁に気づいた。
「あれ、演習場じゃない?」
「そうみたいですね」
昼間にいた第二市民演習場だった。
正面ではなく、裏側の通りに出たらしい。
高い柵の向こうには、いくつかの訓練区画が見える。
利用時間が終わりかけているのか、人影は少なかった。
「三番、今日はもう使わないって言ってたよね」
「はい」
ルナは柵の向こうを見る。
昼間、三番が置かれていた区画。
そこに、灰色の大きな影が立っていた。
「……え?」
ルナは足を止める。
ユニも止まった。
三番だった。
昼間と同じ四本脚。
同じ灰色の身体。
けれど、停止していた時とは違う。
頭が上がっている。
「ユニちゃん」
「はい」
「あれ……三番だよね」
「そうですね」
「止めたんじゃなかったの?」
返事はなかった。
三番の胸に埋め込まれた魔石が、淡く光っている。
一定ではない。
明るくなったり、弱くなったり。
不規則に揺れていた。
にゃん吉君がユニの頭上から少しだけ身体を起こす。
「ワン」
三番の首が動いた。
ゆっくりと、こちらを向く。
そして。
一歩。
砂を踏んだ。




