第3章 第19話 一瞬の反応
翌朝、ルナたちはアステリア中央研究院を訪れた。
昨日訪れた中央史料院とは、建物の雰囲気からしてまるで違う。
史料院が長い時間を積み重ねたような石造りだったのに対し、研究院には白い石と金属が多く使われていた。
壁の一部には細い光が走り、入口の横に立てられた透明な板では、文字や図が絶えず入れ替わっている。
ルナは建物の前で足を止め、上を見た。
「……高い」
何階まであるのか、下からではよく分からない。
隣でユニも見上げる。
「高いですね」
「そのままだね」
「高いので」
にゃん吉君は、ユニの頭上で丸くなっていた。
「にゃん吉君は興味ない?」
「ワン」
「あるんだ」
「ワン」
「今のどっち?」
にゃん吉君は顔だけ反対側へ向けた。
「逃げた」
少し笑ってから、ルナは研究院の入口をくぐった。
*
受付で、ルナはマグナスの紹介状と、史料院で教えてもらった整理番号を差し出した。職員は一度奥へ下がった。
それほど待たず、一人の女性が姿を現した。
白い上着の胸元には小さな金属板が留められ、片手には薄い記録端末を持っている。
「お待たせしました。エリスです。この階で人体の魔力測定を担当しています」
「ルナです。こっちはユニちゃんと、にゃん吉君です」
「ワン」
エリスの目が、ユニの頭上へ一瞬だけ向いた。
それ以上は触れず、端末へ視線を戻す。
「史料院で古い測定記録を見つけたそうですね」
「はい」
ルナは、昨日見つけた記録について説明した。
器具や場所を変えても、明確な数値が得られなかったこと。
当時の研究者が、二つの可能性を残していたこと。
「魔力を取り込めないのか、取り込んでも身体に残せないのか……そこまでは書いてありました」
エリスは整理番号を端末へ入力した。
「ああ。これですね」
画面を送りながら、眼鏡を少し押し上げる。
「かなり古い記録です。当時は、身体の周囲で起きた変化と、身体の内側に対応する位置で記録された変化を、細かく分けて測ることができませんでした」
「今なら分かるんですか?」
「今なら、別々に記録できるものは増えています」
「じゃあ――」
「ただし」
エリスが続けた。
「記録できることと、意味まで分かることは別です」
「あ……はい」
エリスは端末を閉じた。
「それでも調べますか?」
「調べたいです」
エリスが頷く。
「では、まず通常の測定から確認しましょう」
*
最初の部屋には、透明な水晶が置かれていた。
「あ、これなら知ってます」
「一般的な魔力測定器です。以前にも?」
「何度か。全部、何も出ませんでした」
「分かりました。右手を置いてください」
ルナは水晶へ手を乗せた。
ひんやりとした感触。
待つ。
けれど、水晶は光らなかった。
表示板にも数字は出ない。
「もう一度お願いします」
手を離し、置き直す。
結果は変わらなかった。
エリスは水晶を確認し、別の機器を持ってくるよう外へ声をかけた。
「壊れてるんですか?」
「それを先に疑います」
やがて別の水晶が運ばれてきた。
同じように測る。
やはり、何も表示されない。
エリスは二つの記録を見比べた。
「機器側の問題ではなさそうですね」
「やっぱり、何もない?」
「通常測定では、数値は確認できません」
エリスはそれ以上の意味をつけず、次の画面を開いた。
「では、もう一つ試します」
*
次の部屋は広かった。
中央に椅子が一脚。
その周囲を囲うように、三つの細い金属輪が立っている。
床には円形の線が描かれ、その縁に小さな水晶がいくつも埋め込まれていた。
「……ちょっと怖そう」
「痛みはありません」
「まだ何も聞いてないです」
「よく聞かれるので」
「痛くないならいいですけど……」
エリスは装置の横へ立った。
「こちらは、通常の測定とは見ているものが違います」
金属輪の一つを指す。
「周囲で記録される変化、身体の表面に対応する位置、身体の内側に対応する位置。それぞれを時間ごとに分けて表示します」
「身体の中が見えるんですか?」
「いいえ。位置を対応させて記録しているだけです。そこで何が起きているのかまで、直接見えるわけではありません」
「なるほど……」
「比較用に、先に私の記録を取ります」
エリスが椅子へ座る。
装置を起動すると、床の水晶が淡く光った。
表示板に三本の線が現れる。
最初の一本が動き、その少し後に二本目、さらに遅れて三本目にも変化が出た。
三本目はすぐには消えず、しばらく形を変えながら続いている。
「これが普通なんですか?」
「これは私の記録です。まず、比較できるものを一つ作りました」
エリスが立ち上がり、椅子をルナへ譲った。
ルナが座る。
「普段通りで構いません。何かしようとしなくて大丈夫です」
「はい」
両手を膝へ置く。
少し離れた場所にはユニ。
にゃん吉君も、その頭上からこちらを見ていた。
「始めます」
水晶が光る。
金属輪に細い光が走った。
ルナ自身には、何も感じない。
エリスが表示板を見る。
一本目。
二本目。
そして――
三本目の線が、ほんの一瞬だけ動いた。
エリスの指が止まる。
「もう一度、同じ条件で測らせてください」
「何か出たんですか?」
「再現するか確認します」
「珍しいんですか?」
「珍しいかどうかを決めるのは、再現してからです」
「……はい」
もう一度測る。
先ほどとほとんど同じ位置に、一瞬だけ線が現れた。
すぐに途切れる。
エリスは二つの記録を並べた。
「やっぱり、何か出てます?」
「表示は出ています」
「じゃあ……私にも魔力があるってことですか?」
エリスはすぐには答えなかった。
「そこまでは言えません」
「……そっか」
エリスは二つの記録を指す。
「確認できたのは、身体の内側に対応する位置へ短い表示が出て、再測定でもほぼ同じ位置に現れたことです」
ルナは画面を覗き込む。
「エリスさんの記録と同じところ?」
「位置は対応しています。ただ、同じものだとは判断できません」
ルナは昨日の記録を思い出した。
「じゃあ……持っていられないっていう方?」
「候補から外す理由は、今のところありません」
エリスが答える。
「ただ、それを選ぶ理由も、まだありません」
「そっか」
*
検査は続いた。
座る位置を変える。
装置を一度切り替える。
周囲の条件を少しだけ変える。
エリスは一つずつ記録し、同じ表示が出るか確かめていった。
何度目かの測定が終わった頃には、ルナも疲れていた。
「次は少し休んでからにしましょう」
「まだやるんですか?」
「嫌なら今日は終わりにします」
「……ちょっと休んだらやります」
ルナが椅子へ深く座り直す。
その時、ユニの頭上にいたにゃん吉君がふわりと動いた。
「ん?」
そのままルナの膝へ降りる。
丸い身体が、両手の間へ収まった。
「どうしたの?」
「ワン」
にゃん吉君は膝の上で丸くなる。
「寝る場所変えただけ?」
「ワン」
「そっか」
ルナは白い身体を一度だけ撫でた。
向かいでは、エリスが休憩中も記録を見ている。
「エリスさん」
「はい」
「そんなに気になるんですか?」
「気になります」
「でも、珍しいかどうかはまだ決めないんですよね」
エリスの指が止まった。
「……よく覚えていましたね」
「さっき言ってたから」
「なら、もう一度同じ条件で測らせてください」
「休憩終わるの早くないですか?」
エリスが壁の時計を見る。
「まだでした」
「ですよね」
にゃん吉君が、ルナの膝の上で大きくあくびをした。
*
休憩を挟んで、さらに数回測った。
結果は完全に同じではなかった。
線が少し長い時もあれば、ほとんど見えない時もある。
それでも、身体の内側に対応する位置へ短い表示が出る記録は、複数回残った。
エリスは最後の測定を終えると、端末を閉じた。
「今日はここまでにしましょう」
「分かったことはありますか?」
「短い表示は、複数回記録できました」
「それが何なのかは?」
「まだ分かりません。装置側の記録と、過去の測定も照らし合わせてみます」
「分かりました」
エリスに宿の名前を伝え、調べた結果が分かれば連絡をもらうことになった。
研究室を出る頃には、廊下へ差し込む光が傾いていた。
にゃん吉君は、いつの間にかユニの頭上へ戻っている。
「結局そこなんだ」
「ワン」
「私の膝、休憩所にされた?」
「ワン」
「否定しないね」
ルナは少し笑った。
廊下を歩きながら、自分の手を見る。
いつもと変わらない手だった。
「ねえ、ユニちゃん」
「はい」
「さっきの、何だったんだろうね」
「分かりません」
「うん」
ルナは手を下ろした。
今日は、そこまでだった。




