第3章 第17話 魔法都市アステリア
昼を少し過ぎた頃、甲板の方から船員の声が聞こえてきた。
「まもなくアステリア港へ入ります」
船室で荷物を確かめていたルナは、その声を聞くなり丸窓へ近づいた。
朝には海しか見えなかった窓の向こうに、遠く陸地の影が浮かんでいる。
「ユニちゃん、見えてきたよ」
「はい」
ユニも窓の外へ目を向けた。
その頭上には、にゃん吉君がいつものように浮いている。
「ワン」
「にゃん吉君も分かった?」
「ワン」
「ほんとかな」
ルナは笑いながら荷物を持ち上げた。
昨日から過ごした船室も、もうすぐ見納めになる。
初めて海の上で夜を越した。
揺れにも、少しだけ慣れた気がする。
*
甲板へ出ると、朝とはまるで違う景色が広がっていた。
水平線の向こうに見えていた陸地は、もうはっきりと街の形を見せ始めている。
海沿いには大きな港が広がり、いくつもの桟橋へ大小さまざまな船が並んでいた。
その後ろには石造りの建物が途切れることなく続き、さらに遠くには何本もの塔が空へ伸びている。
塔の上部では、昼間だというのに淡い光が明滅していた。
「……大きい」
ルナは手すりに近づき、街を見つめた。
アステリア。
島大陸の魔法都市。
今朝、海の上で教えてもらった中央史料院も、あの街のどこかにある。
船が港へ近づくにつれて、人々の姿も見えるようになってきた。
岸壁では船員たちが行き交い、積み荷を降ろしている。
その間を、大きな木箱が宙に浮いたままゆっくりと移動していた。
少し離れた場所では、荷物を積んだ台車が誰にも押されずに走っている。
それを見て驚いている者はいなかった。
「普通に使ってる……」
「はい」
ルナは動いていく木箱を目で追った。
魔法を使ってみたい気持ちは、今もある。
それでも、目を逸らすことはなかった。
船が大きく向きを変え、ゆっくりと岸壁へ寄っていく。
甲板に船員たちの掛け声が飛び、太い綱が港へ投げられた。
「着きますね」
ユニが言った。
「うん」
ルナは頷いた。
やがて渡り板が掛けられ、乗客たちが少しずつ船を降り始める。
列へ向かおうとすると、後ろから声を掛けられた。
「それじゃあ、ここでお別れね」
振り返る。
船で知り合った女性と、灰色の小さな獣がいた。
「朝は、ありがとうございました」
「どういたしまして。中央史料院、行ってみてね」
「はい」
灰色の獣は、ユニの頭上を見ている。
にゃん吉君も見下ろした。
「ワン」
灰色の獣の耳が動く。
「最後まで気になるんだね」
ルナが笑った。
女性も笑い、軽く手を振った。
「気をつけてね」
「そちらも」
それぞれ別の列へ向かう。
ルナは一度だけ振り返ってから、ユニと渡り板を降りた。
揺れていない地面へ足をつける。
「なんか変な感じ」
「まだ揺れている気がしますか?」
「少しだけ」
ルナは足元を確かめるように数歩歩いた。
「まず、宿を決めようか」
「はい」
*
港からそれほど離れていない通りで宿を取り、荷物を置いた。
長杖と腰鞄だけを持って、もう一度外へ出る。
広い石畳の通りの両側には、何階建てもの建物が並んでいた。
一階には店が続いている。
杖を並べた店。
大小の魔石を扱う店。
見たことのない魔道具を窓際へ展示している店もあった。
通りには大勢の人がいる。
杖を持って歩く人は珍しくなく、何冊もの本を抱えた学生らしい少年少女もいた。
建物の壁には光る文字が浮かび、店の名前や営業時間を表示している。
頭上では、小さな荷物が淡い光に包まれたまま、通りの反対側にある建物へ運ばれていった。
「……すごいね」
右を見ても、左を見ても魔法がある。
けれど、人々は普通に買い物をして、話をして、道を歩いていた。
ルナは少しだけ肩の力を抜く。
「あれ、なんだろう」
小さな広場の中央に、透明な水のようなものが浮かんでいた。
球体になった水がゆっくり回り、その中を小さな光が走っている。
近くでは子どもたちが眺めていた。
「観賞用でしょうか」
「そんなのもあるんだ」
「ワン」
気になるものはいくらでもあった。
杖の店の前で足を止め、魔石を加工している工房を窓越しに眺める。
学生たちが広げている本にも、つい目が向いた。
「ルナ」
「ん?」
ユニに呼ばれて顔を上げる。
大通りの横に、大きな案内板が立っていた。
「探していたものでは?」
「あ」
ルナはすぐに近づいた。
案内板には、アステリアの主要な施設が書かれている。
魔法学院。
中央研究院。
魔道具工房区。
中央広場。
そして――
「……中央史料院」
矢印は、大通りから北へ続く道を示していた。
「行こう、ユニちゃん」
「はい」
ルナは矢印の方向へ足を向けた。
*
大通りを離れると、人の数が少しずつ減っていった。
店の代わりに、大きな公共施設や古い建物が増えていく。
石畳の道の両側には背の高い木が並び、潮の匂いもいつの間にか薄くなっていた。
しばらく歩くと、前方にひときわ大きな建物が見えてくる。
ルナは歩く速度を落とした。
港から見えた塔のような派手さはない。
魔法の光で飾られているわけでもない。
灰色の石を積み上げて作られた、古く大きな建物だった。
正面には大きな扉があり、その上に深く文字が刻まれている。
――アステリア中央史料院。
「ここだ……」
今朝、海の上で初めて名前を聞いた場所。
この中に何が残っているのかは分からない。
ルナは建物を見上げ、それから扉へ目を戻した。
「入ろう」
「はい」
ルナは扉へ向かった。




