第3章 第14.5話 浮きが沈むまで
出港まで、あと二日。
船に乗るための準備は、ほとんど終わっていた。
宿で朝食を済ませたルナたちは、港の市場を歩いていた。
木箱には、銀色の細い魚や、口の大きな魚、大きな貝が並んでいる。
そのまま港の端まで歩くと、小さな石積みの岸壁が見えた。
何人かが間を空けて腰を下ろし、海へ長い竿を伸ばしている。
ルナが足を止めた時、一人の老人の竿がしなった。
「あ」
水面から、小さな魚が跳ね上がる。
「釣れた……」
「釣れましたね」
魚は手際よく針から外され、水の入った桶へ移された。
「やってみるかい」
老人がこちらを見る。
「いいんですか?」
「そこの店で竿を貸してるよ。船を待つ客が、よく借りに来る」
ルナはユニを見る。
「少し、やってみたい」
「では、借りましょう」
「ユニちゃんも?」
「私もです」
「ワン」
にゃん吉君は、老人の桶をじっと見ていた。
「……にゃん吉君は、そっちが気になるみたいだね」
「ワン」
*
借りた竿は、長杖よりもずっと細かった。
教わった通りに餌をつけ、糸を海へ下ろす。
赤い浮きが横倒しになり、それからゆっくり立ち上がった。
「最初は、浮きが沈んでも慌てんことだ」
「はい」
老人は自分の竿へ戻っていった。
ルナは小さな腰掛けへ座り、水面を見る。
隣ではユニも竿を下ろしている。
にゃん吉君は、その頭上から赤い浮きを追っていた。
右へ。
左へ。
白い顔も動く。
「見失わないね」
「ワン」
その時、ルナの浮きが小さく沈んだ。
「あっ」
慌てて竿を上げる。
針だけが、水から飛び出した。
「……食べられた」
「そうですね」
「今の、早かった?」
「早かったですね」
「教えてよ」
「上げるのも早かったです」
少し離れたところで、老人が笑った。
「最初はそんなもんだよ」
ルナはもう一度、餌をつけた。
次は、待とう。
*
「……釣りだな」
「ああ」
岸壁へ続く道の脇で、二人の男が立ち止まっていた。
西の魔法都市を出た列車にも乗っていた二人だった。
「船は明後日だそうだ」
「時間があるわけか」
「それで、釣りか」
岸壁では、ルナがもう一度竿を上げている。
今度は、濡れた海藻がぶら下がっていた。
「……いつまで見ているつもりだ」
「西を出てから、まともに話もしていない」
「お前が仕掛けるなどと言うからだ」
「なら、どうする」
男は少し考えた。
「聞く」
*
三度目の餌をつけ直したところで、後ろから声がした。
「少し、話を聞かせてもらえるか」
ルナが振り返る。
二人の男が立っていた。
旅装の外套に、歩き込んだ靴。
釣り道具は持っていない。
「私たちですか?」
「ああ。西のダンジョンを攻略した一行だろう」
ルナは竿を握り直した。
「……そうですけど」
「第九十九層の先について調べている。攻略のあと、何があった?」
ルナはすぐには答えなかった。
「まず、あなたたちは誰なんですか?」
二人の男が顔を見合わせる。
けれど、どちらも名乗らない。
「中であったことは、ギルドへ報告しています」
ルナは二人を見る。
「お名前も立場も分からない方には、詳しくお話しできません」
波が石へ当たり、足元で音を立てた。
一人が少し眉を動かす。
もう一人が、その腕へ触れる。
「悪い。問い詰めるつもりじゃなかった」
それからユニを見る。
「次の土地でも、ダンジョンへ入るのか?」
「まだ決めていません」
「では、何をしに海を渡る?」
「調べたいことがあるんです」
ルナが答えた。
「何を?」
「それも、お話ししないといけませんか?」
男はしばらくルナを見ていたが、やがて首を横へ振った。
「いや」
「ルナ」
ユニが呼ぶ。
「浮きです」
「え?」
振り向くと、赤い先端が水の下へ消えかけていた。
ルナは竿を持ち上げる。
手元が引かれた。
「いる!」
細い竿の先が曲がる。
「慌てるなよ!」
老人の声が飛んだ。
ルナは両手で竿を支える。
水の中で銀色のものがひるがえる。
少しずつ引き上げると、魚が水面を離れた。
「釣れた!」
「釣れました」
「ワン!」
掌ほどの魚だった。
老人が糸を押さえ、魚を外してくれる。
ルナは濡れた鱗を見る。
「……きれい」
にゃん吉君も、ユニの頭上から身を乗り出していた。
「……食べたい?」
「ワン」
「まだだよ」
「ワン」
老人が笑った。
「食べるなら、近くに持ち込みで焼いてくれる店があるよ」
「ほんとですか?」
「ああ。もう一匹くらい釣ってから行くといい」
ルナは魚を桶へ移した。
*
二人の男は、少し離れたところで待っていた。
「邪魔をしたな」
「もう、いいんですか?」
「ああ。まずはギルドの報告を確認する」
それだけ言って、二人は町の方へ歩いていった。
姿が見えなくなってから、ルナは息を吐く。
「……ちょっと緊張した」
「はい」
ルナは二人が消えた道を見る。
「ユニちゃん」
「はい」
「あの人たち、前にも見たことある?」
「はい」
「いつ?」
「西の魔法都市を出た列車にもいました」
「え?」
「ラウベルの近くにもいました」
ルナはユニを見る。
「そんな前から?」
「はい」
「なんで言わなかったの?」
ユニは海へ浮かぶ赤い浮きを見ながら答えた。
「今、お伝えした方がよさそうでしたので」
「……次からは、気づいた時に教えてね」
「はい」
「ワン」
ルナはもう一度、二人が消えた方を見る。
何者なのかは、結局分からなかった。
ルナは竿を持ち直した。
「もう一匹、釣ろう」
「はい」
*
結局、ルナが釣った魚は二匹だった。
ユニは三匹。
「いつの間に三匹も釣ったの?」
「ルナが話している間です」
「……全然見てなかった」
「釣っていました」
「それは見れば分かるよ」
「ワン」
借りた道具を返し、魚は老人に教わった食堂へ持っていった。
焼かれて皿に乗ると、自分で釣った魚は少し小さく見える。
それでも、骨から外した身を口へ運ぶ。
「おいしい」
「はい」
にゃん吉君の分は、小骨を確かめてから皿へ分けた。
「待った甲斐あったね」
「ワン」
*
出港前日は町を歩き、洗った服を宿で乾かして過ごした。
夕方、海運商会で予定通り出港すると確認し、そのまま埠頭へ向かう。
大きな船へ、最後の荷物が運び込まれていた。
ルナは船を見上げる。
「次は、あれに乗るんだね」
「はい」
海の向こうは、ここからでは見えない。
ルナは外套の襟を寄せた。
「寝坊しないようにしないと」
「起こしましょうか?」
「普通に起こしてね」
「はい」
「ワン」
「にゃん吉君も、普通にね」




