第1章 第6.5話 初めての野営
翌朝。
「……身体が重い」
予想していた通りだった。
「昨日の疲れです」
「分かってる」
ルナは身体を伸ばす。足にも肩にも疲れが残っている。
「でも、歩ける」
「では行きましょう」
「うん」
休憩所を出て、再び街道へ戻る。
急がない。
疲れ切る前に休み、水を飲み、地図を確認してから、また歩く。
昨日より、自分がどのくらい歩けるのかを少しだけ分かっていた。
*
昼を過ぎた頃、道が二つに分かれていた。
「……あれ?」
ルナが立ち止まり、地図を開く。
「こっち……かな」
「どうしてですか?」
「えっと……」
地図と実際の景色を見比べる。
右手には林。少し離れた場所には低い丘があり、地図にも同じものが描かれている。
「あ」
ルナは右側の道を指した。
「こっち」
「理由は?」
「丘がこちらにあるから。それに、この先に川があるはず」
「はい」
「じゃあ、合ってる?」
「合っています」
「よし!」
ルナは地図を畳んだ。
地図だけを見るのではなく、実際の景色と照らし合わせる。
練習で覚えたことが、本当の旅の中で役に立ち始めていた。
*
午後もかなり過ぎた頃、街道の先に町の外壁が見えてきた。
「あれ……アルネ?」
「はい」
「やっと着いた……」
アルネには、ココラより多くの旅人や荷馬車が行き交っていた。
ルナは道の端へ寄り、地図を広げる。
「次は、セレナだよね」
「はい」
「ここから、どれくらい?」
「今のペースなら二日ほどです」
「二日か……」
ルナは荷物を下ろし、中身を確認した。
パン、干し肉、残っている水。
ココラで補給してきたが、このまま二日進むには心許ない。
「食べ物と水を補充しよう」
「はい」
ルナは地図を畳んだ。
*
アルネの店をいくつか回る。
「セレナまでは二日。だから二日分と、予備を一日分」
ルナは日持ちするパン、干し肉、固めのチーズを、自分で三日分選んだ。
「予定通りに着けるとは限らないから」
「はい」
雨が降るかもしれない。道で何か起きるかもしれない。思ったより歩けない日もある。
水も補充し、荷物を背負う。
肩へ、ずしりと重さがかかった。
「……重い」
「必要な重さです」
「分かってるけど、重いものは重いよ」
「はい」
「ワン」
にゃん吉君は、今日もユニの頭の上にいる。
「にゃん吉君は軽そうでいいなあ」
「ワン」
ルナは少し羨ましく思いながら、荷物を背負い直した。
*
買い物を終える頃には、日が傾き始めていた。
「宿を取りますか?」
ユニが尋ねる。
アルネには宿がある。暖かい食事も、柔らかいベッドもある。
今日は十分歩いた。泊まってもいい。
それでも、ルナは町の門へ目を向けた。
「今日は、外で寝てみたい」
「野営ですか?」
「うん」
「理由を聞いても?」
「この先、いつも日が暮れる前に町へ着けるとは限らないでしょ?」
「はい」
「世界樹まで行くなら、何日も町がない場所だってあるかもしれない」
「あります」
「だったら、町が近くにある今のうちに、一度ちゃんとやってみたい」
失敗しても、今ならアルネへ戻ることができる。
何もない場所で初めて挑戦するより、その方がいい。
「それに、宿代も節約できるし」
「それも大切です」
「でしょ?」
「分かりました」
ルナたちはアルネを出た。
*
町から少し離れた場所で、野営できそうな場所を探す。
ルナは川の近くに一度足を向けたが、地面の湿り気に気づいて止まった。
「ここは水辺に近すぎるね」
「はい」
もう少し高い場所へ移る。
街道から離れすぎていない。川からは距離があり、地面も乾いている。風は弱く、雨が降っても水が溜まりにくそうだった。
周囲を見渡すこともできる。
何かあれば、アルネの方へ戻れる。
「ここにする」
ユニが周囲を見た。
「いいと思います」
「よし」
ルナは荷物を下ろした。
手にしていた長杖は、すぐ取れる場所へ置く。
ここは町の外だ。
火を起こせれば、それで終わりではない。周囲に危険がないか、逃げるならどちらへ向かうかも覚えておく。
練習ではない。
今夜は、本当にここで眠る。
*
ルナは荷物から着火用の魔道具を取り出した。
細い枝、少し太い枝、薪。火が移りやすい順番に用意する。
「これで……」
着火具を使うと、小さな火が灯った。
その時、風が吹く。
炎が揺れ、そのまま消えた。
「……消えた」
「はい」
「練習の時もあったなあ、これ」
「では、どうしますか?」
「もう一回」
場所を少し変え、身体で風を遮る。
もう一度、小さな火を灯した。
今度は、すぐに太い薪へ移そうとしない。細い枝から、少しずつ火を育てていく。
炎が弱くなり、ルナはそっと息を吹きかけた。
小さかった炎が少し大きくなる。細い枝から、さらに太い枝へ火が移る。
やがて、薪が音を立て始めた。
「……ついた」
「はい」
「できた!」
ルナは焚き火を見つめた。
火口箱を使う必要はなかった。
けれど、荷物の中には入っている。もし着火用の魔道具が使えなくても、次の手段がある。
「魔道具があっても、一度でつくとは限らないんだね」
「場所や状況で変わります」
「うん。でも、前より慌てなかった」
「はい」
「少しは上手くなった?」
「なっています」
「本当?」
「はい」
「……よし」
ルナは嬉しそうに笑った。
*
夕食は、パンと干し肉、固めのチーズ。それから、小さな鍋で作った温かいスープだった。
「……おいしい」
「そうですか」
「家で食べるのとは全然違うけど、なんかおいしい」
「ワン」
隣では、にゃん吉君も食べている。
「にゃん吉君、それ私の干し肉だからね」
「ワン」
「もう食べてるし……」
ルナは笑った。
食事を終え、食器を片づける。明日の分の水と食料も確認した。
「明日から、セレナまで二日」
「はい」
「三日分あるから、一日遅れても大丈夫」
「はい」
「でも、予備があるからって無駄に食べたら駄目」
「その通りです」
ルナは残った食料を包み直し、荷物の中へ戻した。
*
日が沈むと、周囲の様子が変わった。
昼間には見えていた林や川が、暗闇の中へ溶けていく。
風に揺れる草の音。枝の擦れる音。遠くで鳴く、名前の分からない生き物。
町の中では気にしたことのない音が、すぐ近くから聞こえる。
ルナは長杖を手の届く場所へ引き寄せた。
「見張りは、どうする?」
「交代で行います」
「じゃあ、最初は私がやる」
「疲れていませんか?」
「疲れてるけど、今ならまだ起きていられるから」
「分かりました」
焚き火を小さく保ちながら、周囲を見る。
ユニは毛布のそばに座り、にゃん吉君はその頭の上で丸くなっていた。
しばらくすると、近くの草むらから音がした。
がさり。
ルナの身体が固まる。
長杖へ手を伸ばしかけ、途中で止めた。
息を吸い、ゆっくり吐く。
怖いからといって、何も確認せずに護身具を使ってはいけない。
草の動きを見る。
音は小さい。
近づいてくる様子もない。
やがて、小さな野兎が草むらから顔を出した。
「……兎」
野兎はルナを見ると、すぐに林の方へ走り去った。
ルナは息を吐く。
「びっくりした……」
「はい」
「ユニちゃん、起きてたの?」
「起きています」
「見張り、私がやる意味ある?」
「ルナが経験しています」
「……そういうことか」
何も起きなかった。
けれど、何も起きないと分かるまで、ルナには緊張を解くことができなかった。
練習の野営とは違う。
本当に町の外で夜を過ごすのだと、ようやく実感した。
*
「交代です」
ユニに声をかけられ、ルナは長杖から手を離した。
「もう?」
「十分たちました」
「そっか」
毛布に包まり、横になる。
すぐに眠れると思っていた。
けれど、目を閉じると、草や枝の音が余計に大きく聞こえた。
ルナはもう一度目を開き、空を見る。
「……わあ」
数え切れないほどの星が、夜空いっぱいに広がっていた。
町の中で見る空よりも多く、小さな星まではっきりと見える。
「綺麗……」
「はい」
家の窓や町の外れから、何度も夜空を見上げたことはある。
けれど、何もない場所で毛布に包まりながら見る星空は、初めてだった。
「ユニちゃん」
「はい」
「世界樹から見たら、もっと綺麗なのかな」
「着いたら、一緒に見ましょう」
「うん」
にゃん吉君が、ルナの近くで丸くなる。
「にゃん吉君も見る?」
「ワン」
「星、綺麗だよ」
「ワン」
「……寝るの?」
にゃん吉君は目を閉じた。
「寝るんだ……」
ルナは小さく笑い、もう一度空を見た。
世界樹は、まだ遠い。
願いの泉も、王都も、まだずっと先にある。
旅は始まったばかりだった。
思っていたより道は遠く、荷物は重い。火一つ起こすにも、思った通りにはいかない。
暗闇の中で聞こえる小さな音さえ、町にいた時より怖く感じた。
それでも、そのたびに見て、考えれば、少しずつ先へ進むことができた。
「……明日も歩こう」
「はい」
ユニの声が返ってくる。
ルナはもう少しだけ星を眺め、それからゆっくり目を閉じた。
リーネを旅立って二日目。
ルナは、自分で選んだ場所で初めて夜を過ごした。




