第3章 第13話 海へ続く切符
翌朝、王都には冷たい風が吹いていた。
落ち葉が石畳の上を転がり、通りを歩く人たちは外套の襟を寄せている。
ルナたちは駅へ向かった。
昨日、マグナスから教えてもらった北東の港へ行くためだった。
駅舎へ入ると、外の冷気が遠ざかり、代わりに人々の声と足音が押し寄せてくる。
ルナは頭上の案内板と、手元の紙を見比べた。
「北東方面は……あっちかな」
「そうです」
ユニが指した先に、切符売り場があった。
二人で列へ並び、順番を待つ。
「北東の港まで、二人分お願いします」
「明日の朝の便でよろしいですか?」
「お願いします」
港までは途中の町で一泊し、翌朝の列車へ乗り継ぐという。
窓口の男性は二枚の切符を用意したあと、ユニの頭上を見た。
「そちらの白い子も一緒ですか?」
「にゃん吉君です」
ルナが言う。
「ワン」
「……にゃん吉君ですね。小さな従魔であれば、別の切符は必要ありません。ただ、車内ではほかのお客様の迷惑にならないようにお願いします」
ユニが満足そうに頷いた。
ルナは代金を払い、二枚の切符を受け取った。
紙は薄く、指先に触れると少し冷たかった。
「これで港まで行けるね」
「行けます」
切符を収納バッグへしまう。
行き先が、少しだけ形になったような気がした。
*
そのまま冒険者ギルドへ向かった。
扉を開けると、受付嬢がすぐに二人へ気づいた。
「おはようございます。出発の準備ですか?」
「明日の朝、港へ向かいます」
「切符は取れましたか?」
「今、買ってきました」
「それなら、次は船に乗る準備ですね」
受付嬢は紙を取り出し、必要な物を書いてくれた。
酔い止め。
防水用の布。
携帯灯。
濡れた時のための着替えと、少し多めの保存食。
「船でも食事は出ますが、天候によって到着が遅れることがあります。海の上は風も強いので、外套もすぐに取り出せるようにしてください」
「海って、そんなに寒いんですか?」
「季節にもよりますが、陸より冷えることは多いですよ」
ルナは自分の外套を見る。
今朝の王都でさえ、風が吹けば指先が冷たい。
「それから、海の魔獣が現れても、まずは船員や護衛の指示に従ってください。乗客が勝手に魔法を使う方が危険なこともありますから」
「分かりました」
受付嬢がユニを見る。
「ユニさんも、お願いしますね」
ユニが小さく頷く。
「にゃん吉君も」
「ワン」
受付嬢は紙をルナへ渡した。
「気をつけてね。また王都に来たら、顔を見せてください」
「もちろんです」
「また来ます」
「ワン」
にゃん吉君もユニの頭上で返事をした。
*
ギルドを出たあと、マグナスのもとを訪ねた。
入口で名前を告げると、エレナが迎えに来てくれた。
「もう出発するの?」
「明日の朝です」
「早いのね」
「港に着いてからも、船を探さないといけないので」
「そう。マグナス様がお待ちよ」
案内された部屋では、マグナスが机の上に地図を広げていた。
書類の端には、昨日ユニが渡した木彫りが置かれている。
ユニがそれを見る。
「ポル爺さんです」
「ちゃんとおるぞ」
ユニが満足そうに頷く。
「ワン」
にゃん吉君だけは、ポル爺さんから顔を背けた。
マグナスは地図を丸め、紐で留める。
「港までの道と、島大陸へ向かう船を扱う商会を書き込んでおいた。出港日は天候によって変わる。着いたら直接確かめるとよい」
「ありがとうございます」
「港に着いたら、この印を商会へ見せるんじゃ。多少は話が早くなるじゃろう」
地図と一緒に、小さな木札を渡された。
表面には、見覚えのない印が刻まれている。
「なくさないようにします」
「それと、これもじゃ」
マグナスは、封をした一通の書状を差し出した。
「島大陸の魔法都市へ着いたら、中央研究院を訪ねるとよい。この紹介状を見せれば、中へは通してもらえるじゃろう」
「また書いていただけるんですか?」
「ああ。西で検査を受けたことも書いておいた。詳しい経過は、お前さんから話すとよい」
ルナは地図と紹介状を両手で持った。
答えが書かれているわけではない。
それでも、まだ知らない記録や研究へ続くものだった。
「大切にします」
地図と木札、紹介状を収納バッグへ収める。
「では、行ってきます」
「出発は明日じゃろう」
「……そうでした」
「今日は準備を済ませて、よく休め。旅を急ぐ必要はない」
ルナは少し恥ずかしくなりながら頷いた。
帰りは、エレナが入口まで送ってくれた。
「気をつけてね」
「ありがとうございます」
ルナとユニが頭を下げる。
「ワン」
「また王都に来たら、顔を見せて」
「また来ます」
ユニの返事に、エレナは笑って頷いた。
*
そのあとは、ギルドで教えてもらった店を順に回った。
薬屋で酔い止めを買い、道具屋で防水布を選ぶ。
携帯灯の状態も確かめ、保存食と水を少し多めに用意した。
必要な物を揃えてから、最後にセシルの働くパン屋へ向かった。
「準備は終わった?」
店へ入ると、セシルが棚の向こうから尋ねた。
「うん。明日の朝に出るよ」
「もう?」
「途中の町で一泊して、それから港へ向かうの。港に着いたら、船の出る日を調べる」
セシルは少し黙ってから、店の奥へ入った。
戻ってきた手には、布で包まれた荷物がある。
「これ、列車で食べて」
「パン?」
「日持ちするものを選んであるの。ユニさんと、にゃん吉君の分も入ってるから」
「ありがとう」
「ありがとうございます」
「ワン」
ルナが受け取ると、包みにはまだ少し温かさが残っていた。
「島大陸に着いたら、手紙を出してね」
「うん。ちゃんと知らせる」
「ならいい」
セシルはそれ以上言わなかった。
けれど、包みから手を離すまでに、ほんの少しだけ時間がかかった。
「明日の朝、駅まで行くから」
「仕事は?」
「少しくらい待ってもらう。妹を見送る日なんだから」
「そっか」
外では冷たい風が吹き、店の窓を小さく鳴らした。
*
その夜、ルナはセシルの部屋でもう一度荷物を確かめた。
切符を確かめ、腰鞄と収納バッグを順に開く。
最後に、マグナスから預かった地図と木札、紹介状を見る。
「何回目?」
寝床を整えていたセシルが尋ねた。
「三回目くらい」
「それなら、もう大丈夫でしょう」
「たぶん」
「足りない物があっても、港で買えるよ」
「うん」
ルナは収納バッグを閉じ、壁へ長杖を立てかけた。
明日の朝には、王都を離れる。
海の向こうへ続く旅が始まる。
楽しみなはずなのに、灯りを消してからも、なかなか眠りにつけなかった。
*
翌朝。
駅の大きな屋根の下には、白い息を吐く人たちが集まっていた。
三番乗り場には、北東へ向かう列車が止まっている。
「忘れ物はない?」
「ないよ」
「酔い止めと切符は、すぐ出せる?」
「うん。大丈夫」
セシルはルナの外套の襟を整えた。
「なら、よし」
ルナは少し笑った。
「お姉ちゃん、昨日も確認したよ」
「初めて海を渡るんだから、何回でも確認するよ」
「……はい」
「それと、海へ落ちないようにね」
「落ちないよ」
「落ちるつもりで落ちる人はいないの」
「気をつけます」
出発を知らせる鐘が鳴った。
ルナは列車の扉を見る。
海の向こうへ進むための最初の一歩が、目の前にある。
楽しみだった。
それでも、セシルと離れると思うと、胸の奥に小さな寂しさが残った。
「いってらっしゃい」
「いってきます」
ルナはセシルを抱きしめた。
背中へ回された姉の腕は、昨日もらったパンの包みと同じように温かかった。
身体を離し、ユニと列車へ乗る。
「ユニさん。ルナをお願いします」
「一緒に行きます」
「うん。それで十分」
「ワン」
窓際の席へ座ると、乗り場に立つセシルが見えた。
列車がゆっくり動き始める。
ルナは窓越しに手を振った。
セシルも手を振り返す。
その姿が人の間へ隠れるまで、ルナは窓の外を見続けた。
やがて駅の屋根が途切れ、晩秋の王都が遠ざかっていく。
「行こうか」
「行きましょう」
「ワン」
列車は、北東の港へ向かって走り始めた。




