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願いを魔法に  作者: 由吉
三章

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第3章 第12話 大地に消えた災厄

 目を開けると、台所から食器の触れ合う音が聞こえた。


 隣には、もうセシルはいない。ルナはしばらく天井を見つめてから、ゆっくり身体を起こした。


「起きた?」


「うん……おはよう」


「おはよう。顔を洗っておいで。もう食べられるから」


 卓上には、切り分けたパンと湯気の立つスープが並んでいた。


 顔を洗って戻ると、セシルがルナの髪を見た。


「後ろ、はねてる」


「え、どこ?」


「反対。もう少し上」


 手で押さえても、姉は首を振る。


「あとで直してあげるから、先に食べよう」


 ルナは諦めて椅子に座った。


 パンをちぎり、スープに浸す。向かいではセシルも同じように朝食を食べていた。


「今日はマグナスさんのところだったね」


「うん。ユニちゃんたちを迎えに行ってから」


「西で調べたことも話すの?」


「そのつもり」


「ダンジョンのことも?」


「……それも」


 セシルは、それ以上詳しく聞かなかった。昨夜、もう十分に話したからだろう。


「よろしく伝えてね」


「うん」


「それと、海へ行くなら、酔い止めも用意してね」


「まだ船に乗るって決めてないよ」


「でも、海は見たいんでしょう?」


「見たい」


「なら、覚えておいて」


「お姉ちゃん、先回りするようになったね」


「ルナの姉を何年やってると思ってるの」


「ずっと?」


「正解」


 セシルが笑った。


 食事を終えると、約束通り髪を直してもらった。


「はい。これで大丈夫」


「ありがとう」


 収納バッグから外套を取り出し、長杖を手にする。


 セシルと一緒に家を出ると、冷たい朝の空気が頬に触れた。


「じゃあ、行ってくるね」


「うん。いってらっしゃい」


 姉はパン屋のある通りへ、ルナは宿へ向かった。


 昨夜は何度も「おかえり」と言われた。


 今日は、いつものように「いってらっしゃい」と送り出された。


 それが、なんだか少し嬉しかった。


     *


 宿の食堂では、ユニがまだ朝食を食べていた。


 頭の上には、にゃん吉君がいる。


「おはよう」


「おはようございます」


「ワン」


 ルナは向かいの椅子に座った。


「待ってるね」


「食べますか?」


「お姉ちゃんと食べてきたよ」


「そうですか」


 ユニは差し出しかけたパンを自分の皿へ戻した。


 その手元を、にゃん吉君が上から覗き込む。


「ワン」


「にゃん吉君は食べました」


「ワン」


「私も食べています」


「それ、会話になってるの?」


「なっています」


 ユニはパンを小さくちぎり、頭の上へ差し出した。


 白い顔が少しだけ下がる。


 パンがなくなった。


「……結局あげるんだ」


「少しです」


 ルナは笑いながら、ユニとにゃん吉君が食べ終わるのを待った。


 宿を出る頃には、通りを行き交う人も増えていた。


 ルナは見覚えのある角を曲がり、道の先を見る。


 以前ここを歩いた時は、ユニの隣についていくだけで精一杯だった。


「こっちだったよね」


「はい」


 今は、自分でも道を覚えている。


     *


 マグナスを訪ねてきたことを入口で伝え、取り次ぎを待つ。


 ほどなくして、奥から見覚えのある姿が現れた。


「ルナ、ユニさん」


 エレナだった。


「エレナさん。お久しぶりです」


「戻っていたのね」


「はい。昨日、着きました」


 エレナはユニにも目を向け、それから頭の上を見た。


「にゃん吉君も」


「ワン」


 返事を聞いて、エレナの口元が少し緩んだ。


「西での話は、こちらにも届いているわ。第九十九層まで行ったそうね」


「……はい」


 ルナが頷くと、エレナはルナの長杖へ一度視線を落とした。


「話は中で聞きましょう。マグナス様もいらっしゃるから」


 案内されて廊下を進む。


 前にも通った場所なのに、思っていたより短く感じた。道を知っているからだろうか。


 エレナが扉の前で立ち止まり、来訪を告げる。


 中から返事があった。


「どうぞ」


 扉が開くと、机に向かっていたマグナスが顔を上げた。


「戻ったか」


「はい。お久しぶりです」


「久しぶりじゃな。ユニも、にゃん吉君も」


「お久しぶりです」


「ワン」


 マグナスが手にしていた書類を置く。


「座るとよい。西では、ずいぶん色々あったようじゃな」


 ルナは勧められた椅子へ向かい、座る前に収納バッグを開いた。


「あの、その前に。これ、お土産です」


 取り出したクッキーの包みを、机の端へ置く。


「旅の途中で買ったものなんです。よかったら、エレナさんも一緒に」


「わしらにか。気を遣わせたな」


「いえ。お世話になったので」


「ありがとう。あとでいただくわ」


 エレナが包みを受け取る。


 その隣で、ユニが何もない空間へ手を伸ばした。


「私もあります」


 机に、小さな木彫りが置かれた。


 丸い体。


 短い手足。


 頭には桶。


 ルナはそれを見つめた。


「……やっぱり買ってたんだ」


「はい」


 ラウベルの土産物屋で、ユニが手にしていたものだった。


 マグナスが木彫りを見る。


「これは?」


「ポル爺さんです」


「……ほう」


 説明を待つように、マグナスが少し黙る。


 ユニも黙っている。


 ルナが口を開いた。


「ラウベルにあった石像なんです。温泉の町で、それがお土産になっていて」


「なるほど。温泉の……」


 マグナスは木彫りを持ち上げた。


 正面から眺め、横へ向け、それからにゃん吉君を見る。


 ルナは、その視線の行き先に気づいた。


「似ておるな」


「ワン!」


 にゃん吉君が鳴いた。


「……嫌みたいです」


「そうか。それは失礼した」


 エレナが口元を押さえた。


 肩が少し動いている。


 マグナスは木彫りを机の隅へ置いた。


 桶を載せた顔が、こちらを向く。


「ここでよいか?」


「はい」


 ユニが頷く。


 にゃん吉君だけは、まだ木彫りを見ていた。


     *


 椅子に座ると、マグナスは改めてルナへ向き直った。


「さて。まず、検査の方はどうじゃった?」


 ルナは膝の上で手を揃えた。


「色々調べてもらいました。でも、魔法が使えない理由は、分かりませんでした」


 マグナスは黙って頷いた。


 ルナは、魔法都市で受けた検査について話した。


 確かめられたことや、何度試しても変わらなかったこと、その場では説明のつかなかったこと。途中で自分の記憶が曖昧になったところは、曖昧なままそう伝えた。


 マグナスは時々問い返したが、答えを急がせることはなかった。


「……それで、今回はそこまでです」


「そうか」


 机の上の紙には、いつの間にか幾つもの短い書き込みが並んでいた。


「せっかく紹介していただいたのに、すみません」


 マグナスが筆を置く。


「なぜ謝る?」


「せっかく紹介してもらったのに、答えが分からなかったから……」


「紹介状は、答えを買う券ではないぞ」


「……券」


「向こうで調べられるようにするためのものじゃ。答えが出なかったなら、それも結果じゃ」


「結果……」


「ああ。何を調べ、何が違い、何を確かめても分からなかったのか。それが残れば、次は同じ入口から始めずに済む」


 ルナは机の紙を見た。


 魔法が使えない理由は、まだ分からない。


 けれど、調べたことまで消えたわけではない。


「記録……」


「ん?」


「旅の途中で会った先生も、同じようなことを言ってました」


 ルナは少しだけ、ソフィアのことを話した。


 古い症例集に残された記録。


 今の症状とは原因が違っていたこと。


 それでも、似た状態を探したことで、一つの方法へ辿り着いたこと。


「昔の記録が残ってたから、試せるものが見つかったんです」


「なるほど」


 マグナスが頷く。


「なら、よい経験をしたな。お前さん自身にも使える考え方じゃ」


「……はい」


「向こうでの検査については、わしからも詳しく聞いておこう。その上で、ほかに調べられることがないか考えてみる」


「ありがとうございます」


 答えではない。


 でも、捨てるものでもなかった。


 ルナがもう一度紙を見ると、マグナスは筆を脇へ置いた。


「さて。もう一つの話を聞こうか」


     *


 アメリアと一緒に第九十九層へ進んだこと。


 そこでの戦いと、その先で起きたこと。


 ルナは順を追って話した。


 昨日、セシルに話した時よりも、何度も言葉を選び直した。自分が見たものと、その時に聞いて知ったことを混ぜないようにしたかった。


 その先で会った女性が何者なのかは分からない。


 そして、あとから古い記録で知った名前。


 十二災神。


 その名を口にしたところで、マグナスの手が止まった。


「……その名が出たか」


「ご存じなんですか?」


「記録の上ではな。続けてくれ」


 ルナは頷いた。


 話しながら、時々ユニを見る。


 ユニは隣で聞いていた。ルナが確かめたことには短く答え、それからまた黙った。


 エレナも、口を挟まずに聞いている。


 最後まで聞き終えると、マグナスはしばらく机を見つめていた。


 外を通る馬車の音が、窓越しに聞こえた。


「……よく戻ったな」


 その声に、ルナは膝の上の手を見た。


「はい」


 マグナスは椅子を引き、壁際の本棚へ向かった。


 厚い本を一冊抜き取り、机へ戻ってくる。


「お前さんたちの話とは別の記録じゃが、聞いておいた方がよいかもしれんな」


 本を開き、幾つかのページを通り過ぎる。


「東の海を渡った先に、小さな国がある」


 ルナは顔を上げた。


「東の海ですか?」


「ああ。どこの大国にも属さず、今も独立を保っておる。ユニは知っておるか?」


「はい」


「行ったことが?」


「あります」


「何をしに?」


「気を教えてもらいました」


 マグナスが止まる。


 ルナも隣を見る。


「……もしかして、旅に出る前に教えてくれた呼吸も?」


「そうです」


 旅に出る前、ユニに教わった呼吸を思い出した。


 ゆっくり息を吸って、長く吐く。


 あれは、遠い国で教わったものだったのだ。


 それが今、マグナスの開いた本とつながっている。


「あの国で、かつて十二災神の一体が現れたとされておる」


 ルナは本へ目を戻した。


「十二災神って……どれくらい危険なものなんですか?」


 マグナスは少しだけ考えた。


「今の冒険者ギルドが使う脅威区分へ当てはめるのであれば――神話級じゃ」


「神話級……」


 聞いたことはある。


 けれど、ルナにとっては古い本の中にしかないような言葉だった。


「普通の魔獣はEからAまでじゃ。その上に、単独の魔獣という枠では測りにくいものとして災害級、天災級。そしてさらに神話級という呼び方がある」


「神話級が、一番上なんですか?」


「人が使う区分の中ではな」


 マグナスが頷く。


「もっとも、神話級など今では伝承や古い記録の上でしか、ほとんど使われん。実際に確認された例が少なすぎる」


 ルナは少し考えた。


「黒龍は?」


「成体であれば、天災級とされる」


「……天災級」


「ああ」


 姉の手紙で読んだ、幼い黒龍。


 そして、それを探して暴れたという親の話が頭に浮かぶ。


「じゃあ、十二災神は……それより上?」


「脅威区分の上では、そうなる」


 マグナスは開いた本へ指を置いた。


「ただし、覚えておいた方がよい。神話級という名は、人が残された被害から付けた分類にすぎん。それで十二災神が何なのかまで分かるわけではない」


「……はい」


 マグナスがページへ視線を戻す。


「この国で起きたことも、その一例じゃ」


 ダンジョンの攻略の末に起きたこと。


 詳しい経緯は、この記録には残っていない。


 ただ、災いはダンジョンの中では収まらなかった。


「外へ出たそいつが、大地を揺らした」


 最初の揺れで、家々が崩れた。


 道が裂け、山の斜面が落ち、逃げ道を失った集落もあったという。


 揺れは、一度では終わらなかった。


 瓦礫の下から人を助け出そうとする最中にも、次の揺れが来た。


「それを……止められたんですか?」


「三日間、戦ったそうじゃ」


「三日も?」


「ああ。あの国には、三つの神器が伝わっておる。陽光刀、真実の鏡、そして万象の珠じゃ」


「神器……」


「神が造ったとされる武器や道具が、この世界には幾つか残っておる。その三つも、そう伝えられる品じゃな」


 ルナはユニを見た。


 ユニは何も言わず、マグナスの話を聞いていた。


「陽光刀は、日の光を受けている間、その力を大きく増す。真実の鏡は魔法を跳ね返し、万象の珠は集めた魔力を蓄える」


「そんなものがあるんですか」


「ああ」


 ルナは少し考えた。


「でも、三日間なら、夜もありますよね?」


「そのための蓄えじゃ。土地の巫女たちが集めていた魔力を、万象の珠から刀の使い手へ渡した。日が沈んだ後も、それで戦いをつないだ」


 昼は、日の光が刀へ力を与える。


 夜は、万象の珠に蓄えた魔力で戦いをつなぐ。


 けれど、朝が来ても戦いが終わらなければ、また夜が来る。


「……足りたんですか?」


 マグナスは、すぐには答えなかった。


「足りなくなった」


 ルナの指が、膝の上で止まる。


「巫女たちだけでは賄い切れず、ほかの者からも魔力を集めた。戦いが長引くにつれ、それも限界を超えた」


「それって……」


「命を落とした者が、大勢いたとある」


 部屋が静かになった。


 ルナは、数日前までいた部屋を思い出した。


 ベッドから腕を上げるだけで疲れてしまったソフィア。


 休んでも、なかなか戻らない魔力。


 それを、戻るのを待たずに使い続けたら。


「鏡では、地震を止められなかったんですか?」


「魔法を返せても、崩れ始めた山や、倒れてくる家まで元には戻せん。陽光刀を振るう者が十二災神を押さえている間に、人々を逃がすしかなかったんじゃろう」


 ルナは、本に並ぶ文字を見た。


 そこに書かれた町も、山も、知らない。


 けれど、崩れた家に帰れない人がいたことは分かった。


「三日目、ついに討伐まであと一歩というところへ追い詰めたとされておる」


 マグナスは指を止めた。


「じゃが、最後に大地が裂けた。十二災神は、その裂け目の底へ姿を消した。亡骸は見つからず、やがて揺れも収まった」


 ルナは本から顔を上げた。


「……倒したわけじゃないんですね」


「そうじゃ。逃げたのか、力尽きて落ちたのか。この記録からは分からん。討伐したという扱いにはなっておらぬ」


 三日間。


 昼も、夜も。


 そこまで戦っても、倒せたかどうかさえ分からない。


「町は、どうなったんですか?」


「失われた集落もあった。田畑や道の被害も大きく、戦いが終わってからも苦労は続いたそうじゃ」


 マグナスは一度、言葉を切った。


「それでも、十二災神による災害の記録の中では、被害を抑えた例として挙げられておる」


 ルナは顔を上げた。


「……それだけ亡くなっても、ですか?」


「ああ」


 マグナスは開いた本へ目を落とした。


「じゃが、その国の者が同じ言葉を使うとは思えんな」


 にゃん吉君は、ユニの頭の上でじっとしていた。


 ルナも、しばらく何も言えなかった。


「ユニちゃんが行ったのは、その後?」


「はい」


「国は……あったんだよね?」


「ありました」


 ユニがルナを見る。


「気を教えてくれた人も、そこで暮らしていました」


「そっか」


 ルナはもう一度、本を見た。


 記録の最後にある戦いの後も、そこで暮らしてきた人たちがいる。


 ユニが気を教わるまで。


 そして、きっと今も。


 マグナスは本を閉じた。


「お前さんたちが見聞きしたことも、残しておきたい。わしが知る記録と照らし合わせる必要がある」


「はい」


「分からぬところは、分からぬままでよい。思い出せんことを埋めようとせんでくれ」


 ルナは頷いた。


 マグナスは新しい紙を取り出した。


 今度は場所や順番を確かめながら、ルナたちはもう一度、あの日のことを話した。


 話が終わる頃には、窓から差し込む光の位置が変わっていた。


 マグナスが筆を置き、指をゆっくりと伸ばす。


「長く引き止めたな。助かった」


「こちらこそ、ありがとうございました」


     *


「それで」


 マグナスが尋ねる。


「次は?」


「海を見たいです」


「海」


「はい」


 昨夜、セシルにも話した。


「前に、海の向こうから来た騎士の人に会いました」


「ディルクか」


「知ってるんですか?」


「王都を通った騎士なら、話くらいはな」


「ソフィアさんのご両親も、海を渡ってました」


 ルナは少しだけ笑った。


「だから、一回、自分で見てみたいです」


「それだけか?」


「……それだけじゃないです」


 ルナはマグナスを見る。


「魔法を使えない理由も、まだ分かってません」


「それなら、海の向こうまで考えてみてもよいかもしれんな」


「海の向こうですか?」


 マグナスは立ち上がると、本棚の前へ向かった。


 先ほどとは別の薄い本と、丸められた地図を持って戻ってくる。


 机の上へ地図を広げた。


 中央には、ルナたちが今いる大陸が描かれている。


 その東には、先ほど話に出た小さな国。


 さらに視線を北東へ動かすと、海に囲まれた大きな陸地があった。


「これは……大陸ですか?」


「島大陸と呼ばれておる。周りを海に囲まれておるが、一つの国と呼ぶには広すぎる。幾つもの国と町がある」


 マグナスは、島大陸の中の一つの都市を指した。


「ここに、大きな魔法都市がある」


「魔法都市……」


 少し前まで滞在していた西の魔法都市が頭に浮かぶ。


「そこも、魔法を研究している町なんですか?」


「ああ。各地から研究者と記録が集まる場所じゃ。西で行った検査を繰り返せという意味ではないぞ」


「はい」


「今回、西で調べてもらったことで、少なくとも何を試して、何が分からなかったのかは残った」


「その記録を別の研究者が見れば、違うところに目をつけるかもしれない……?」


「そうじゃ。過去にも似た例がなかったか、別の記録から探すこともできる」


「似た例……」


「あるとは言っておらんぞ」


 マグナスはすぐに付け加えた。


「行けば答えが見つかるとも言えん。同じように、何も分からず帰ることになるかもしれん」


「……はい」


「それでも、今のお前さんには、まだ調べていない場所がある」


 ルナはもう一度、島大陸を見る。


 そこへ行けば、魔法を使えない理由が分かる。


 マグナスは、そうは言わなかった。


 答えがあるとも言わなかった。


 ただ、次に確かめられるものがある。


 西の魔法都市で答えを得られなかったからといって、旅を始めた理由までなくなったわけではない。


「行ってみたいです」


 ルナは言った。


「北東の島大陸へか?」


「はい」


 海を見たいと思った。


 その海の向こうに、まだ知らない場所がある。


「海を渡って、その魔法都市へ行きます。そこで、もう少し調べてみたいです」


 マグナスが頷いた。


「そうか」


「船は、どこから出ていますか?」


「まずは王都から北東の港を目指すとよい。島大陸へ向かう船が出ておる。ただし、陸路も船旅も短くはないぞ」


「はい」


 ルナは地図を見た。


 王都から北東へ伸びる道。


 その先にある港。


 さらに、その向こうに広がる海。


 目的地までのすべてが分かったわけではない。


 それでも、次に進む方向は見えた。


「出発する前に、必要なことを調べておきます」


「それがよい。こちらでも、港までの道くらいは確認しておこう。土産をもらった礼じゃ」


「ありがとうございます」


 マグナスは机の隅に置かれたポル爺さんへ目を向けた。


 桶を頭に載せた木彫りは、難しい本や書類の隣で正面を向いている。


 ユニも満足そうに頷いた。


「ワン」


 にゃん吉君だけが、少し顔をそらした。


     *


 エレナが入口まで送ってくれた。


「今日はありがとうございました」


「また王都に来たら、顔を見せてね」


「はい」


「ユニさんも、にゃん吉君も」


「はい」


「ワン」


 歩き出そうとすると、エレナが思い出したように声をかけた。


「お土産も、ありがとう。クッキーは休憩の時にいただくわ」


「お口に合うといいんですけど」


「楽しみにしてる」


 ユニがエレナを見る。


「ポル爺さんも、よろしくお願いします」


 エレナは一度瞬きをして、それから笑った。


「ええ。マグナス様の机に、ちゃんと座っているわ」


 ユニは小さく頷いた。


 通りへ出ると、昼の匂いがしていた。


 店先で鍋をかき混ぜる人がいる。


 荷車を押す人が、その横をゆっくり通っていく。


 ルナの目には、マグナスの机に置かれた木彫りが浮かんでいた。


 難しい本や書類の隣で、頭に桶を載せている。


「気に入ってもらえるといいね」


「はい」


「ワン」


 にゃん吉君も鳴いた。


 ルナは収納バッグへ手を添える。


「私も、家族とニーナにお土産を送らないと」


     *


 先に、街道便を扱う商会へ向かった。


 家族とニーナへの土産を一つの箱へ収める。


 ラウベルで選んだ品と、王都で買った日持ちする焼き菓子。


 最後に、短い手紙を添えた。


 元気に旅をしています。


 魔法を使えない理由は、まだ分かりませんでした。


 次は海を渡り、北東の島大陸へ向かいます。


 帰れる時には、ちゃんと帰ります。


 箱の蓋が閉じられる。


 リーネへ届くまでには、しばらくかかるという。


「お願いします」


 ルナが代金を渡すと、商会の男性が箱をほかの荷物の隣へ運んでいった。


 小さな箱は、王都からリーネへ向かう荷物の中に収まった。


「これで大丈夫」


「はい」


 すぐに会いに帰るわけではない。


 それでも、今いる場所と、これから向かう場所を伝えることはできる。


「お姉ちゃんにも、行き先を話しておこう」


「はい」


 ルナたちはパン屋へ向かった。


     *


 扉を開けると、焼けた小麦の匂いが流れてきた。


 棚の向こうにいたセシルが顔を上げる。


「おかえり。マグナスさんとは話せた?」


「うん。それと、次に行く場所も決めた」


 セシルの手が止まる。


「どこへ行くの?」


「北東の島大陸」


「大陸って……海の向こう?」


「うん。まずは港へ行って、そこから船に乗る」


 セシルはすぐには何も言わなかった。


「昨夜、海を見たいって言ってたけど」


「その先に、大きな魔法都市があるんだって。いろんなところから研究者や記録が集まってるらしいの」


「だから行くのね」


「うん。西の魔法都市では分からなかったけど、別の人が記録を見たら、違うことが分かるかもしれないって」


 セシルはルナを見て、それから小さく息を吐いた。


「出発は、いつ?」


「まだ決めてない。港までの道も、船のことも調べないといけないから」


「そう」


「でも、行くことは決めた」


「分かった」


 セシルは頷いた。


「決まったら、ちゃんと教えてね」


「うん」


 ルナは収納バッグへ手を添えた。


 次の旅は、海の向こうへ続いていた。

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