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願いを魔法に  作者: 由吉


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第3章 第5話「それぞれの行き先」

 ラウベルで迎えた二日目の朝。


 宿を出たルナは、昨日とは少し違って見える町並みを眺めていた。


 朝の通りには、すでにたくさんの人がいる。


 店先に商品を並べる人。荷車に木箱を積み込む人。湯気の立つ籠を抱えて歩く人。


 昨日は町に着いたばかりで、温泉のことばかりに目が向いていた。


 けれど、こうして歩いてみると、ラウベルには温泉以外にもいろいろな顔がある。


「今日はお土産を探そうと思う」


 ルナは隣を歩くユニちゃんに言った。


「お土産ですか」


「うん。家族にも送りたいし、王都に戻った時にお姉ちゃんにも渡したいから」


「なるほど」


 ユニちゃんが頷く。


 その頭の上には、いつものようににゃん吉君。


「ワン」


「にゃん吉君も何か欲しい?」


「ワン」


「……どっちだろ」


「欲しいそうです」


「分かるの?」


「分かりません」


「分からないんだ……」


 三人で通りを歩いていく。


「あれ、見て」


 すれ違った子供が母親の袖を引いた。


「あの子、頭に何か乗ってる」


「こら。指を差しちゃ駄目よ」


「犬?」


「ワン」


「鳴いた!」


 子供が目を輝かせる。


 にゃん吉君はユニちゃんの頭の上で丸い体を少し揺らした。


 もう少し進む。


 今度は店先にいた二人の男がこちらを見た。


「……あの白いの、なんだ?」


「知らん。犬じゃないか?」


「犬は普通、人の頭に乗らんだろ」


「ワン」


「犬だな」


「鳴き声だけで決めないでほしいな……」


 さらに進むと、今度は年配の女性がユニちゃんを二度見した。


「白銀の髪に、青いコート……」


 その隣にいた男性も振り返る。


「新聞に載ってた子じゃないか?」


「十三人目の?」


「まさか、こんなところに?」


 声はすぐに人混みへ紛れていった。


 ルナは隣を見る。


「やっぱり、ユニちゃん目立つね」


「そうですか?」


「自覚ないの!?」


「普通に歩いています」


「歩き方の問題じゃないよ!」


「ワン」


 ユニちゃんは不思議そうに首を傾げた。



 通りを抜けると、小さな市場に出た。


 野菜や果物、乾燥させた香草。山で採れた茸や木の実。


 その間に、大きな荷車が何台も並んでいる。


「すごい荷物……」


 木箱だけではない。


 袋に詰められた穀物。薬草。瓶。布。


 旅人の荷物というには、あまりにも多い。


「商隊ですね」


 ユニちゃんが言った。


「これ全部?」


「たぶんです」


「ワン」


 荷車の横では、何人もの人が積み荷を確認していた。


「薬草は三箱だぞ! そっちは食料! 混ぜるなよ!」


「分かってるって!」


「前もそう言って間違えただろうが!」


 大きな声が飛び交う。


 ルナが見ていると、一人の男性が気づいた。


「お嬢ちゃん、悪いな。通りたいか?」


「あ、いえ。大丈夫です。すごい荷物だなって思って」


「ははっ、そりゃそうだ。これからしばらく走るからな」


 四十歳くらいだろうか。


 日に焼けた顔に短い髭。腰には大きな革袋を下げている。


「俺はローディ。こいつらのまとめ役みたいなもんだ」


「ルナです。こっちはユニちゃんと、にゃん吉君です」


「よろしくです」


「ワン」


「……本当に頭の上から鳴くんだな」


 ローディは少し笑った。


「どこまで行くんですか?」


「南東だ。ここからいくつか町を越えて、獣人たちの大きな都市まで行く」


「獣人の都市……」


 ルナは聞き返した。


 旅の途中で獣人を見かけたことはある。


 けれど、獣人が多く暮らす大きな都市には、まだ行ったことがない。


「遠いんですか?」


「歩きならかなりな。途中まで街道馬車を使っても、それなりにかかる。まあ、俺たちは荷車だからもっと遅いが」


 ローディは積み荷を軽く叩いた。


「最近、向こうは人が増えてるらしくてな。食料も薬も、いくらあっても足りないそうだ」


「何かあったんですか?」


「ダンジョンだよ」


 その言葉に、ルナの目がわずかに動いた。


「かなり大きいらしい。まだどこまで深いのかも分かってない。噂を聞きつけた冒険者が集まって、そいつら相手に商売しようって商人も集まってる」


「……また、ダンジョン」


「知ってるのか?」


「少しだけ」


 そう答えながら、ルナの頭には九十九階での出来事が浮かんだ。


 けれど、それはすぐにしまった。


 ローディの言うダンジョンは、あの場所とは違う。


 そこにはそこで、これから向かう人たちがいる。


「大変じゃないですか? そんな場所まで荷物を運ぶの」


「そりゃ大変だ」


 ローディはあっさり答えた。


「でも、物が要る奴がいる。運ぶ奴も要る。それだけさ。それに俺たちはダンジョンへ潜るわけじゃないからな」


 そして仲間たちを振り返る。


「街道を走って、荷物を届けて、代金をもらって帰る。いつもの仕事だ」


「いつもの……」


「ダンジョンが出ようが、魔物が増えようが、腹は減るだろ?」


「……はい」


「だったら飯を運ぶ奴がいる」


 ローディは笑った。


「冒険者だけじゃ、町は回らんよ」


 ルナは積み上げられた木箱をもう一度見た。


 ダンジョンが現れた。


 そう聞けば、以前ならまず冒険者を思い浮かべただろう。


 戦う人。


 攻略する人。


 けれど、その人たちが食べるものを運ぶ人もいる。


 傷を治す薬を運ぶ人もいる。


 それもまた、世界の一部なのだ。


「ローディ! 確認終わったぞ!」


「おう!」


 仲間から声が飛ぶ。


「じゃあな、お嬢ちゃんたち。旅してるなら、どこかでまた会うかもな」


「はい。気をつけて」


「そっちもな」


 ローディが去っていく。


 ルナはしばらく商隊を見ていた。


「いろんな人が動くんだね」


「はい」


「一つダンジョンができただけなのに」


「一つあるだけで、たくさんの人が関わります」


「……そっか」


「ワン」



 市場を離れ、今度は土産物屋が並ぶ通りへ向かった。


「これ、かわいい」


 ルナが手に取ったのは、湯気の模様が入った手拭いだった。


 白地に、細い線で三本の湯気が描かれている。


「お母さんにはこれかな……」


 隣には香草を使った石鹸も並んでいる。


 小さな箱を開けると、柔らかい香りがした。


「こっちはお姉ちゃんかな」


「ルナ」


「ん?」


「これは何ですか?」


 ユニちゃんが持っていたのは、小さな木彫りだった。


 丸い体。


 短い手足。


 頭には桶。


「……ポル爺さん?」


「似ています」


「昨日の道にいた石像だよね」


「はい」


「お土産になってるんだ……」


「ワン」


 にゃん吉君が木彫りを覗き込む。


「にゃん吉君にも似ています」


「ワン!」


「やっぱり嫌なんだ」


 その時。


「悪い、そこ取ってくれないか?」


 後ろから声をかけられた。


「あ、はい」


 ルナが棚の端にあった包みを取って渡す。


「助かった」


 受け取ったのは、二十代半ばくらいの女性だった。


 短く切った茶色い髪。背中には弓。


 その後ろには三人の男女がいる。


 全員、旅装だった。


「それ、何ですか?」


「温泉饅頭」


「お土産ですか?」


「自分用」


「自分用なんだ」


「旅は甘いものが大事だからね」


「分かります」


 ユニちゃんが即座に頷いた。


「ユニちゃん、そこだけ反応早いよ」


 女性が笑う。


「私はセリナ。冒険者よ。こっちは仲間」


「ダグだ」


「ミレイです」


 最後の一人が軽く手を上げた。


「カイ」


 その姿を見て、ルナは少しだけ目を留めた。


 灰色がかった髪の間から、獣のような耳が出ている。


 獣人だ。


 けれどルナが見ていたことに気づいたのか、カイの方から笑った。


「珍しい?」


「あっ……ごめんなさい」


「いいよ。この辺じゃ獣人は少ないからな」


「南東から来たんですか?」


「そう。今から帰るところだけど」


「帰る?」


 セリナが横から口を挟んだ。


「カイの故郷が、さっき話題になってた獣人の都市なのよ」


「もしかして、大きなダンジョンができたっていう……」


「もう聞いたんだ」


 カイが苦笑する。


「その近くだ。家族から連絡が来てさ。街自体が危ないってわけじゃないらしいけど、人が急に増えてるっていうから、一度顔を見せておこうと思って」


「それで皆さんも?」


「私たちは半分付き添い」


 セリナが答える。


「半分は仕事ね。冒険者が増えれば依頼も増える。ダンジョンの周辺調査、護衛、物資運搬。潜らなくても仕事はいくらでもあるから」


「俺は潜るけどな」


 ダグが言った。


「お前は報酬目当てだろ」


 カイが呆れたように返す。


「悪いか?」


「悪いとは言ってない」


「でかいダンジョンなんて滅多にないんだぞ。冒険者なら気になるだろ」


「私は無理しないからね」


 ミレイが釘を刺す。


「情報が揃うまでは上層だけ。危ないと思ったら帰る。前みたいに勝手に先へ行ったら置いて帰るから」


「あれはちょっと様子を見に――」


「置いて帰るから」


「……はい」


 ルナは思わず笑った。


 同じ場所へ向かう四人でも、理由は少しずつ違う。


 故郷へ帰る人。


 仲間についていく人。


 仕事を探す人。


 ダンジョンそのものに興味を持つ人。


「あれ?」


 セリナが突然ユニちゃんを見た。


 視線が髪から青いコートへ移り、最後に頭の上で止まる。


「……白銀の髪」


「はい」


「青いコート」


「はい」


「頭に白い生き物」


「ワン」


「ちょっと待って」


 セリナが一歩下がった。


 カイたちもユニちゃんを見る。


「おい」


「まさか……」


「新聞の?」


 ダグが目を丸くした。


「十三人目のS級冒険者――ユニ・N・スターチス?」


「はい」


「本物!?」


「たぶんです」


「たぶんって何!?」


 ルナは反射的に突っ込んだ。


 セリナたちが顔を見合わせる。


 そしてダグが、少し興奮した様子で聞いた。


「じゃあ、あんたたちもあのダンジョンへ行くのか? 十三人目のS級がいるってことは――」


「行きません」


「……え?」


 ユニちゃんの返事は早かった。


「行きません」


「いや、聞こえたけど」


 ダグが戸惑う。


「てっきり攻略に来たのかと……」


「違います」


 セリナがルナを見る。


「じゃあ、あなたたちはどこへ?」


 ルナは少しだけ考えた。


 具体的な目的地を聞かれると、まだうまく答えられない。


 予定は何度も変わる。


 列車だって止まった。


 そのおかげで、ラウベルへ来た。


 でも、一つだけ分かっている。


「私たちには、別の行き先があるんです」


 ルナはそう答えた。


「まだ、どこまで行くかは分からないですけど」


「……そっか」


 セリナはそれ以上聞かなかった。


「なら、お互い気をつけて旅しよう」


「はい」


 カイも頷く。


「もし気が変わって南東へ来ることがあったら、歓迎するよ。うちの町、飯はうまいから」


「温泉はありますか?」


 ユニちゃんが聞いた。


「そこ?」


「大事です」


「あるよ。ラウベルほどじゃないけどな」


「覚えておきます」


「ユニちゃん、行く気になってないよね?」


「行きません」


「ならいいけど……」


「ワン」



 店を出てからも、いろいろな人と出会った。


 護衛を探している旅人。


 腕の傷が治るまでラウベルに滞在し、明日から仕事へ戻るという冒険者。


 両手いっぱいに土産を抱えて、「娘に全部買わされた」と笑う商人。


 誰も、ルナたちのためにそこにいるわけではない。


 みんな、自分の予定がある。


 自分の待っている人がいる。


 自分の行き先がある。


 旅を始める前のルナにとって、世界は本の中に並ぶ地名だった。


 王都。


 森。


 魔法都市。


 知らない国。


 知らない町。


 けれど今は少し違う。


 その一つ一つに、人が暮らしている。


 誰かが出発して、誰かが帰ってくる。


 自分が通り過ぎた後も、その場所では毎日が続いていく。


「ルナ」


「ん?」


「止まっています」


「あ、ごめん」


 考えながら歩いていたら、ユニちゃんたちより少し遅れていた。


「どこ行く?」


 ルナが聞く。


 ユニちゃんが答える。


「蒸し風呂です」


「また!?」


「ワン」


「昨日入ったよね!?」


「今日もあります」


「それ昨日も聞いた!」


 しかし。


 この時のルナは知らなかった。


 昨日、ドーラが口にした一言が――


 すでにラウベルの一部で、妙な広がり方をしていたことを。



 浴場へ着いた時。


 ルナは入口で足を止めた。


「……なんでこんなに人がいるの?」


 昨日より多い。


 明らかに多い。


 しかも、何人かはこちらを見ている。


「あっ」


 一人がユニちゃんを見つけた。


「来たぞ!」


「本当に来た!」


「……何?」


 ルナは嫌な予感がした。


 その中心にいたのは――


「遅かったねえ!」


「ドーラさん!?」


 昨日の女性、ドーラだった。


「待ってたよ!」


「なんで!?」


「昨日の話をしたら、みんなやりたいって言い出してね!」


「何を!?」


「蒸し風呂勝負」


「増やさないでよ!」


「勝負していません」


 ユニちゃんが言った。


「細かいことはいいんだよ!」


「細かくないよ!」


「ワン!」


 周囲から笑い声が上がった。


「昨日ドーラが負けたんだろ?」


「負けてないよ! 私が勝手に勝負して、勝手に負けたんだ!」


「それを負けたって言うんじゃないのか?」


「うるさい!」


 ルナは額を押さえた。


「なんで一日でこんなことになってるの……」


「温泉の町だからねえ!」


「絶対それ関係ないよ!」


 ユニちゃんだけが静かに言った。


「勝負ではありません」


 けれど、その言葉は誰にも届いていなかった。



 それからしばらくして。


 蒸し風呂に入る前に、ドーラが集まった人たちをぐるりと見回した。


「いいかい。始める前に一つだけ言っとくよ」


 さっきまで騒いでいた声が少し静かになる。


「熱いと思ったらすぐに出る。無理はしない。出たら水を飲んで、ちゃんと休む。気分が悪くなるまで我慢するのは禁止だよ」


「勝負なのに?」


 誰かが聞いた。


「倒れるまでやるのは勝負じゃない。ただの馬鹿だよ」


「それはそうだな」


「じゃ、そういうことで!」


「急に雑!」


 ルナが突っ込む。


「ワン!」


 そして、蒸し風呂の扉が閉じた。



 中には、昨日よりずっと多くの人がいた。


 ルナの知らない顔もいくつか混じっている。


 その中に、一人だけ周囲の騒ぎに加わらず、静かに座っている少女がいた。


 ルナより少し年上に見える。


 少女は一度だけユニちゃんへ視線を向けた。


 けれど、それ以上は何も言わない。


 ルナもその時は、特に気に留めなかった。


「これくらいなら余裕だな!」


「昨日より熱くないか?」


「同じだよ!」


「ユニちゃんは?」


 ルナが隣を見る。


「…………」


 ユニちゃんはいつも通り座っていた。


 特に気合いを入れている様子もない。


 にゃん吉君も一緒だ。


「ワン」


「にゃん吉君まで平気そう……」


 ルナは額の汗を拭った。


 しばらくすると。


「……俺、出る」


 一人目が立ち上がった。


「早くないか?」


「暑いものは暑い!」


 扉が開く。


「私もそろそろ出るわ」


「俺も」


「無理すんなよ」


 一人。


 また一人。


 少しずつ人が減っていく。


 最初は張り切っていた人たちも、暑くなれば素直に出ていった。


「私は……もう無理」


 ルナも立ち上がる。


「ユニちゃん、まだいるの?」


「はい」


「無理してない?」


「していません」


「ならいいけど。暑かったらちゃんと出てね」


「はい」


「にゃん吉君もね」


「ワン」


 ルナは外へ出た。


 浴場に用意されていた水を飲み、椅子に腰を下ろして休む。


 先に出た人たちも、水を飲んだり、涼んだりしながら中の様子を気にしていた。


「まだ結構いるな」


「ドーラも残ってるぞ」


「昨日負けたのが悔しかったんじゃないか?」


 その声が聞こえたのか、少しして扉の向こうからドーラの声が飛んできた。


「聞こえてるよ!」


「元気だなあ……」


 また一人、外へ出てくる。


 さらに一人。


 そしてしばらくして、扉が勢いよく開いた。


「私はここまでだねえ!」


 ドーラだった。


「ドーラさんも出た!」


「いやあ、今日は昨日より頑張ったよ」


「何と戦ってるの……」


「自分自身さ!」


「ちょっと格好よく言わないで!」


 ドーラは笑いながら水を飲み、ルナの近くに腰を下ろした。


 その後も一人、また一人と外へ出てくる。


 やがて――誰も出てこなくなった。


「……ユニちゃん、まだいるよね?」


「いるねえ」


「ほかには?」


「どうだろうね」


 ルナは、さっき中で見かけた少女のことを思い出した。


「あの子も、まだ出てきてない……」


 中に残っているのは、二人だった。



 ユニちゃんは静かに座っていた。


 少し離れた場所には、先ほどの少女。


 周りの人たちが次々と出ていった中、その少女だけはまだ落ち着いている。


 無理に耐えている様子でもない。


 時折汗を拭いながら、静かに座っていた。


 ユニちゃんが少女を見る。


 少女もユニちゃんを見た。


「……やっと、二人になりましたね」


「そうですね」


「ずいぶん平気そうですね」


「あなたもです」


「私は慣れていますから」


「そうですか」


「……聞かないんですか?」


「何をですか?」


 少女は一瞬、言葉を失った。


「どうして慣れてるのか、とか」


「聞いてほしいのですか?」


「そういうわけじゃありませんけど……」


 少女は小さく息を吐いた。


「私は北東の国から来ました」


「はい」


「あちらでは寒い時期が長いんです。だから蒸し風呂は珍しいものじゃありません。小さい頃から何度も入っています」


「なるほど」


「だから、ここの人たちよりは慣れてます」


「そうですか」


「…………」


 少女の眉がわずかに動いた。


「本当に反応薄いですね」


「そうですか?」


「そうです」


 少女はユニちゃんをまっすぐ見た。


「でも――会えてよかったです」


「私にですか?」


「はい」


 さっきまでの軽い調子が少しだけ消える。


「ユニ・N・スターチス」


「はい」


「あなたの話、北東まで届いていますよ」


「そうですか」


「黒竜のことも。王都の特別試験のことも。それから、西で起きたことも少し」


 ユニちゃんは何も答えない。


 少女は続けた。


「どんな人なんだろうって、ずっと思ってました」


「普通です」


「普通の人は、あれだけ新聞に載りません」


「そうですか」


「そうです」


 少女は少しだけ笑った。


「それに、私――」


 一度、言葉を切る。


 そして、はっきりと言った。


「ユニちゃんに、勝ってみたかったんです」


 ユニちゃんが少女を見る。


「蒸し風呂でですか?」


「……最初からこれで勝とうと思ってたわけじゃありません!」


「そうですか」


「たまたまです。ここに来たら、ユニちゃんが蒸し風呂で勝負するって聞いたから……」


「勝負していません」


「それはさっきから聞いてます!」


 外から笑い声が聞こえた。


「やっぱり勝負してるじゃないか!」


「していません」


「してます!」


「していません」


「じゃあ今から勝負にします!」


「しません」


「なんでですか!」


「蒸し風呂だからです」


「理由になってません!」


 外でルナが首を傾げる。


「……誰なんだろ、あの子」


 ドーラも中を覗く。


「旅の子じゃないかねえ。昨日はいなかったと思うよ」


「ユニちゃんのこと知ってるみたいだけど……」


 その間にも、中では妙なやり取りが続いていた。


「絶対に勝ちますから」


「何にですか?」


「ユニちゃんにです」


「なぜですか?」


「それは――」


 少女は答えかけて、やめた。


「……今はいいです」


「そうですか」


「気にならないんですか?」


「話したくなったら聞きます」


「…………」


 少女はユニちゃんを見つめた。


 やがて、小さく笑う。


「やっぱり変な人ですね、ユニちゃん」


「よく言われます」


「言われるんだ……」


「はい」


 それから少しして。


 少女がゆっくり立ち上がった。


「私はここまでにします」


「はい」


「……悔しいですけど」


「無理はよくありません」


「分かってます。こういう場所には慣れてますから」


 少女は扉へ向かう。


 開ける直前、振り返った。


「でも、次は負けませんから」


「勝負していません」


「次は勝負させます」


「しません」


「します」


「しません」


 少女は少し頬を膨らませて、扉を開けた。


「暑っ……!」


「大丈夫?」


 ルナが声をかける。


「大丈夫です」


 少女は用意されていた水をゆっくり飲み、大きく息を吐いた。


 それから、まだ中にいるユニちゃんを見る。


「……やっぱり強い」


「蒸し風呂で判断することじゃないと思うけど……」


「それは分かってます」


「分かってるんだ……」


「でも、負けたくないんです」


「ユニちゃんに?」


「はい」


 少女は即答した。


 どうしてそこまでユニちゃんに勝ちたいのか。


 ルナには、まだ分からなかった。


 やがて、蒸し風呂の扉が開く。


 最後にユニちゃんが出てきた。


「終わりました」


「おお、本当に最後まで残ったぞ」


「結局、誰も勝てなかったな」


「だから勝負していません」


 ユニちゃんが言った。


 先に出ていた男が首を傾げる。


「じゃあ、俺たちは何してたんだ?」


「蒸されていました」


 一瞬。


 静かになった。


「……ぶはっ!」


 誰かが吹き出した。


 そこから一斉に笑い声が広がった。


「そりゃそうだ!」


「蒸されてただけか!」


「何の大会だったんだよ!」


「ワン!」


 ルナも我慢できずに笑った。


 ドーラは腹を抱えながら、それでもユニちゃんを指差した。


「やっぱり十三人目ってのは、蒸し風呂まで強いんだねえ!」


「勝負していません」


「ワン」


 また笑い声が広がった。


 その中で、北東から来た少女はユニちゃんをじっと見ていた。


「次は勝ちます」


「勝負していません」


「次はします」


「しません」


「絶対にします」


「しません」


「……覚えててくださいね」


「覚えておきます」


「そこは覚えるんですね!?」


 ルナはまた笑った。



 夕方。


 ルナたちは町の端にある小さな丘まで歩いた。


 そこからは、ラウベルを通る街道がよく見える。


 何本もの道が、町から違う方向へ延びていた。


「あ」


 ルナが気づいた。


 南東へ向かう街道。


 朝、土産物屋で会った四人が歩いている。


 セリナ。


 ダグ。


 ミレイ。


 そしてカイ。


 少し離れたところには、ローディたちの商隊も見えた。


 同じ方向へ進んでいく。


「行っちゃったね」


「はい」


 その道の先には、獣人たちの都市がある。


 さらにその近くには、大きなダンジョンが現れている。


 これから、たくさんの冒険者が向かうのだろう。


 商人も。


 旅人も。


 いろいろな人が集まる。


 きっと、あの道の先でも何かが始まる。


「ルナ」


「ん?」


「行きたいですか?」


 ユニちゃんが尋ねた。


 ルナはもう一度、南東へ続く道を見る。


 知らない都市。


 知らない人たち。


 大きなダンジョン。


 気にならないと言えば嘘になる。


 旅に出たのは、知らないものを知りたかったからだ。


 それでも。


「……ううん」


 ルナは首を横に振った。


「今は、行かない」


「そうですか」


「うん」


 行かないというのも、自分で選ぶことなのだ。


 全部を見ることはできない。


 全部の道を歩くこともできない。


 だから、自分が進む道を選ぶ。


「私たちは、私たちの道に行こう」


「はい」


「ワン」


 南東へ向かう人たちの姿が、小さくなっていく。


 あの道の先でも、これから何かが始まる。


 ルナの知らない出来事が起きて、ルナの知らない人たちが笑ったり、困ったり、何かを選んだりするのだろう。


 それでいい。


 同じ町で出会ったからといって、同じ場所へ向かう必要はない。


 それぞれに目的があって。


 それぞれに待っている人がいて。


 それぞれの行き先がある。


 ルナは南東へ続く道から目を離した。


 そして、自分たちがこれから進む道を見た。


 まだ、その先に何があるのかは知らない。


 でも――


 私たちが進むのは、別の道だった。

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