↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
願いを魔法に  作者: 由吉


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
55/58

第3章 第2話「予定にない町」

 列車が止まってから、数分が経った。けれど、動き出す気配はない。


 窓の外には、どこまでも緩やかな丘陵が続いていた。線路沿いには背の低い草が揺れ、その向こうには深い緑の山々が重なっている。


 駅らしき建物は、どこにも見えない。


「本当に止まっちゃったね」


 ルナは窓に顔を近づけた。


「止まっていますね」

「ワン」


 ユニちゃんは特に慌てた様子もなく、座席に座っている。その手には、さっきのお菓子があった。


「……まだ食べてるの?」

「はい」

「列車、止まったよ?」

「止まりましたね」

「気にならないの?」


 ユニちゃんは少しだけ考えた。


「そのうち分かります」

「それはそうだけど……」

「ワン」


 にゃん吉君も、いつも通りユニちゃんの頭の上にいる。


 ルナは二人を見てから、もう一度窓の外を見た。周囲の乗客たちはそうもいかないらしい。


「どうしたんだ?」

「何かあったのか?」

「こんなところで止まるなんて聞いてないぞ」


 車内のあちこちから声が上がる。立ち上がって窓の外を確認する人。荷物を抱き寄せる人。近くの乗客と話し始める人。


 小さな子どもを連れた母親もいた。


「お母さん、もう着いたの?」

「まだよ。ちょっと列車がお休みしてるみたい」

「列車も疲れるの?」

「そうかもしれないわね」


 母親は笑って答えていたが、その視線は何度も車両の前方へ向けられている。


 やがて、車両の扉が開いた。


「皆様、大変申し訳ございません!」


 制服姿の若い車掌が入ってくる。額にはうっすらと汗が浮かんでいた。


「ただいま、この列車に不具合が発生していることを確認いたしました。安全確認のため、しばらく停車いたします。原因については現在、機関士と整備担当者が確認しております」


 ざわめきが大きくなる。


「不具合って、どこのだ?」

「いつ動くんです?」

「次の駅で乗り継ぎがあるんだが」


 一斉に質問を浴びせられ、若い車掌が明らかに困った顔をする。


「申し訳ございません。現時点では、まだ復旧までのお時間をお伝えできる状況ではありません。詳しいことが分かり次第、すぐにお知らせいたしますので――」


「困るよ」


 通路側に座っていた大柄な男が声を上げた。


「俺は今日中にミレアまで行かなきゃならんのだ。夕方には取引先と会う約束がある。列車が遅れましたで済む相手じゃないんだよ」

「申し訳ございません」

「謝ってほしいわけじゃない。いつ動くのかを聞いてるんだ」

「それが、まだ――」


 車掌の顔がさらに強張る。


「あなた、そんなに責めても列車は直らないでしょう」


 別の声がした。窓側に座っていた老婦人だった。


 白髪を後ろでまとめ、小さな旅行鞄を膝の上に置いている。


「でもな、婆さん。こっちにも予定ってものがあるんだ」

「私にだってありますよ。孫が今日の夕食を一緒に食べようと待っています」

「だったら――」

「でも、壊れたものに怒鳴ったところで直りはしません。それに、原因も分からないうちに無理に走らせて、もっと大変なことになったらどうするんです?」


 大柄な男が口を閉じる。老婦人は少しだけ表情を緩めた。


「予定に遅れるのは困ります。でもね、遅れて帰るのと、帰れなくなるのなら、私は遅れて帰る方を選びますよ」

「……そりゃ、そうだが」

「でしょう?」


 男は頭を掻いた。


「悪かったよ。兄ちゃん」

「い、いえ!」


 車掌が慌てて頭を下げる。


「ただ、分かったらすぐ教えてくれ。今日中に動けないなら、それはそれで別の方法を考えなきゃならん」

「はい。必ずお伝えします」


 車掌は何度も頭を下げて、次の車両へ向かっていった。


 ルナはその背中を見送った。


「いろんな人がいるね」

「はい」

「怒ってた人も、別に悪い人じゃなさそうだった」

「そうですね」


 ユニちゃんが短く答える。


 老婦人がこちらを向いた。


「あら。聞こえてましたよ」

「あっ……すみません」

「いいんですよ。あの人も悪い人じゃありません。困っているだけです」


 老婦人はそう言って笑った。


「旅をしているとね、予定通りにいかないことなんて、いくらでもあります。若い頃は私も、そのたびに腹を立てていましたけど」

「よく旅をされるんですか?」

「昔はね。今はこの辺りを行ったり来たりするくらいですよ」


 老婦人は膝の上の鞄を撫でた。


「私はマーサ。マーサ・ベルンといいます。南の生まれです」

「私はルナです。こっちはユニちゃん。それから――」

「ワン」


 紹介される前に、にゃん吉君が鳴いた。


 マーサが目を丸くする。


「あらまあ」

「にゃん吉君です」

「猫……ではないの?」

「にゃん吉君です」


 ユニちゃんが答えた。


「そう。にゃん吉君なのね」

「ワン」


 マーサは数秒だけにゃん吉君を見つめたあと、あっさり受け入れた。


「かわいいわね」

「ワン」

「なんだか得意そう……」


 ルナが呟く。マーサが楽しそうに笑った。


「あなたたちは、どこまで行くの?」

「それが、まだ決めてないんです」

「あら」

「魔法都市から王都に戻るつもりだったんですけど、駅で南へ行く路線を見つけて。それで、こっちへ行ってみたくなって……」

「それで列車に?」

「はい」

「目的地も決めずに?」

「……はい」


 言葉にしてみると、やっぱり少し変な旅に聞こえる。けれどマーサは笑わなかった。


「いいじゃない」

「いいんですか?」

「もちろん。行き先を決めてから旅に出る人もいれば、旅に出てから行き先を決める人もいます。どちらが正しいなんてありませんよ」


 マーサは窓の外へ目を向ける。


「ただし、南は広いですからね。何も知らずに歩くと、本当にどこへ行くか分からなくなります。山の向こうへ行けば空気も変わるし、町によって食べるものも言葉の癖も少しずつ違う。海沿いまで行けば、同じ国なのかと思うくらい景色も変わります」

「そんなに違うんですか?」

「ええ。だから面白いんです」


 マーサは少し懐かしそうに笑った。


「若い頃、夫と二人でずいぶん歩きました。お金がなくて宿に泊まれなかったこともありましたし、道を間違えて知らない村に着いたこともあります。大雨で三日も足止めされたこともありました。それでも今になって覚えているのは、予定通り着いた日のことより、そういう日のことばかりなんですよ」

「……今日みたいな?」

「そうね。今日みたいな日も、いつかそうなるかもしれません」


 ルナは窓の外を見る。


 止まった列車。知らない土地。予定にはなかった時間。


 少し前の自分なら、不安の方が大きかったかもしれない。でも今は――ほんの少しだけ、この先が気になっている。


     ◇


 数両先。


「故障?」

「ああ」

「本当に?」

「車掌がそう説明している」


 二人の男は向かい合ったまま、しばらく黙っていた。


「……ただの故障か?」

「今のところは」

「こんな時に?」

「故障は時を選ばない」

「それはそうだが」


 一人が腕を組む。


「俺はてっきり、別の連中が動いたのかと」

「俺もだ」

「…………」

「…………」


 窓の外では、鳥が一羽、線路脇の杭に止まった。


 二人はそれを見る。


「……平和だな」

「そうだな」

「仕掛けた奴はいない?」

「今のところな」

「…………」

「…………」

「じゃあ、本当に故障なのか」

「その可能性が高い」


 男は深く息を吐き、背もたれに体を預けた。


「紛らわしい」

「列車に言え」


     ◇


 それから三十分ほど経った。


 列車はまだ動かなかった。乗客たちも最初ほど騒がなくなり、車内には妙な落ち着きが戻っている。


 大柄な男は誰かに見せるためなのか、鞄から書類を取り出して何度も確認していた。子どもは窓に張りついて、外を飛ぶ鳥を数えている。マーサは編み物を始めていた。


 そしてユニちゃんとにゃん吉君は――。


「にゃん吉君」

「ワン」

「最後の一つです」

「ワン」


 お菓子の袋を二人で覗いていた。


「もうなくなったの!?」

「なくなりました」

「結構大きい袋だったよね?」

「長旅でした」

「まだ全然進んでないよ!」

「止まっていますからね」

「それは知ってる!」


 マーサが編み物をしながら、肩を揺らして笑っている。


「仲がいいのねえ」

「はい」

「ワン」

「……否定はしないけど」


 ルナも笑った。


 その時、再び車両の扉が開いた。先ほどの若い車掌が入ってくる。


 今度は一人ではなかった。作業着姿の中年男性が一緒にいる。袖を肘までまくり、手には油汚れがついていた。


「皆様、お待たせして申し訳ございません」


 乗客たちの視線が一斉に集まる。


「原因が判明いたしました。動力を車輪へ伝える機構の一部に損傷が見つかりました。現在、応急修理を行っております」


 大柄な男がすぐに尋ねた。


「どのくらいかかる?」


 若い車掌が隣の男性を見る。作業着の男が前へ出た。


「整備主任のハインツ・ローデンです。正直に申し上げますと、すぐには動かせません」


 車内がざわめいた。ハインツはそれを待ってから続ける。


「部品そのものを交換できれば早いんですが、予備がありません。次の駅から保守用の車両と部品をこちらへ向かわせています。ただ、この辺りは単線区間が長い。到着して交換、それから安全確認まで含めれば――早くても数時間は見ていただきたい」

「数時間……」

「今日中には動くのか?」

「動かします。ただし、安全を確認できなければ走らせません」


 はっきりとした声だった。さっき怒っていた男も、今度は何も言わなかった。


 ハインツが続ける。


「それから、ここから次の停車駅まではそれなりに距離があります。原則として、車内でお待ちいただくのが一番安全です。ただし――」


 一度、言葉を切る。


「この列車が止まっている場所から少し南へ下ったところに、街道があります」


 ルナが顔を上げた。


「街道?」


「ええ。線路の保守用通路をしばらく進めば、街道へ出られます。そこから東へ行けば次の駅。反対に南西へ向かえば、小さな町があります」


 マーサが編み物の手を止めた。


「もしかして、ラウベル?」

「はい」

「あら。こんな近くまで来ていたのね」

「知ってるんですか?」


 ルナが尋ねる。マーサは頷いた。


「知っていますよ。昔からある小さな町です。山の麓にあってね」


 そこで、少し楽しそうに笑う。


「温泉があるの」


 ルナの動きが止まった。


 向かい側を見る。ユニちゃんもこちらを見ていた。


「…………」

「…………」

「ユニちゃん」

「はい」

「今、温泉って」

「言いましたね」

「ワン」


 マーサが二人を交互に見る。


「あら。温泉を探していたの?」

「さっき列車で会った人から、南には温泉があるって聞いたんです」

「まあ。それならちょうどいいじゃない」

「でも……」


 ルナは窓の外を見る。


 列車を降りる。予定にはなかったことだ。そもそも、今日どこへ行くのかさえ決めていなかった。


 車掌が乗客たちへ説明を続けている。


 列車に残って修理を待つ人。次の駅まで歩くことを考え始める人。予定を変更して、近くの町へ向かおうとする人。


 それぞれが、自分の次を考え始めていた。


「どうする?」


 ルナが尋ねた。


 ユニちゃんは答えなかった。ただ、ルナを見る。


 その視線の意味は、もう分かる。


 ――ルナは、どうしたいですか。


 言葉にされなくても、そう聞かれている気がした。


 ルナは少し考えた。


 列車が直るのを待つこともできる。王都へ向かうこともできる。


 でも、自分たちはさっき、知らない道へ行ってみようと決めたばかりだ。そして今、その知らない道のすぐ先に、知らない町がある。


「……行ってみたい」

「はい」

「温泉があるからじゃなくてね?」

「はい」

「……ユニちゃんは温泉が理由でしょ?」


 少しだけ間があった。


「長旅には大事です」

「やっぱり!」

「ワン」


 ルナは笑った。


 窓の外では、風に吹かれた草が波のように揺れている。


 地図にも予定にもなかった町――ラウベル。


 ルナたちの第三章最初の寄り道は、止まった列車から始まることになった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。