第3章 第1話「知らない道へ」
第3章 第1話
その名が知られるようになるまで、それほど長い時間はかからなかった。
十三人目のSランク冒険者――ユニ・N・スターチス。
白銀の髪に、青いコート。
そして、頭の上には白く丸い、不思議な生き物。
王都から遠く離れた街でも、その姿を伝える新聞は売られていた。
「また、この少女か」
広げられた新聞を前に、男が呟く。
「黒竜の一件で名が広まったのが、半年前だったな」
「ああ。その後、王都で行われた特別試験を経て、十三人目のSランクになった。どこまでが事実か分からない噂まで、今じゃあちこちで聞く」
「それで、今度は西か」
紙面の隅には、西の魔法都市についての小さな記事が載っていた。
男はしばらくそれを眺め、新聞を畳んだ。
「ずいぶんと動く十三人目だ」
◇
そこから遥か北東。
一年の大半を雪と氷に覆われた国にも、同じ新聞は届いていた。
高い窓の向こうでは、今日も静かに雪が降っている。
白く染まった城下町を見下ろす城の一室で、一人の女性が椅子に腰掛け、新聞を広げていた。
この国を治める女王。
そして同時に、十二人のSランク冒険者の一人でもある。
彼女の視線が、一枚の写真で止まる。
白銀の髪。
青いコート。
頭の上には、白く丸い生き物。
「十三人目……ユニ・N・スターチス」
名前を口にして、記事を読み進める。
やがて、その口元がわずかに緩んだ。
「ユニちゃん、有名人ですね~」
誰に聞かせるでもなく、そんなことを言う。
窓の外では、変わらず雪が降り続いていた。
彼女はもう一度、新聞の写真を見る。
「また、会えるでしょうか」
それだけ呟いて、次の頁をめくった。
◇
西の魔法都市。
朝の中央駅は、これから街を出る者と、列車から降りてきた者で賑わっていた。
その人混みの中を、ルナたちは大きな案内板を見上げながら歩いていた。
「王都は……こっちだね」
ルナが路線を指で追う。
西の魔法都市から王都へ続く線路。
来る時にも通った道だ。
「これなら、一度王都に戻ってマグナスさんに報告できるね」
「はい」
「ワン」
そこで、ルナの指が止まった。
「あれ?」
王都へ向かう線とは別に、もう一本の線路が西の魔法都市から延びていた。
大きく南へ下り、いくつもの町を通っている。その先で東へ曲がり、さらにいくつもの路線へ枝分かれしていた。
知らない町の名前ばかりだった。
ルナが案内板を眺めていると、近くにいた駅員が声をかけてきた。
「王都へ行かれるんですか?」
「はい。そのつもりだったんですけど……この線は?」
「ああ、南部を回る路線ですね。こちらからでも途中で乗り継げば王都方面へ向かえますが、かなり遠回りになりますよ」
「どのくらいですか?」
「どこで降りるかにもよりますね。南部には支線も多いですから。王都へ戻るだけなら、こちらをおすすめします」
駅員が示したのは、やはり来た時と同じ路線だった。
「そうですか……」
ルナはもう一度、南へ延びる線を見る。
◇
「西のダンジョンが消えた?」
別の場所で、一枚の報告書が机の上を滑った。
「正確には、攻略者たちが地上へ戻った後に消失したそうです」
「攻略者は?」
「複数名。その中にアメリア・レヴァンテ。そして――十三人目のSランクがいたとの報告があります」
報告書を受け取った人物の手が止まる。
「ユニ・N・スターチスか」
「はい」
「また、あの少女がいるのか」
しばらくの沈黙の後、紙が静かに閉じられた。
「次はどこへ行く」
「分かりません」
「……分からない?」
「彼女の行動に、決まった経路が見えませんので」
◇
ルナはまだ、案内板を見ていた。
南へ続く線路。その横には、知らない駅の名前がいくつも並んでいる。
王都へ戻る。
それが一番早い。
けれど――。
『誰かが行くからじゃなくて。誰かに言われたからでもなくて』
昨日聞いたアメリアの声が、ふと蘇った。
『あなたが行きたいところへ』
ルナは少しだけ考えた。
それから、隣に立つユニちゃんを見る。
「ユニちゃん」
「はい」
「……私、こっちに行ってみたい」
南へ延びる線を指差す。
「はい」
「王都には、すぐ戻れなくなるけど」
「はい」
「遠回りだよ?」
「そうですね」
ユニちゃんはそれだけ答えた。
ルナは少し待ってみる。
「……何も聞かないの?」
「ルナが行きたいのでしょう?」
「うん」
「では、行きましょう」
「ワン」
にゃん吉君がユニちゃんの頭の上で鳴いた。
ルナはもう一度、路線図を見る。
今度は迷わなかった。
「うん。行こう」
◇
切符を買い、乗り場へ向かう途中。
ユニちゃんが、ふと足を止めた。
「ユニちゃん?」
その視線の先には、駅の売店があった。
焼き菓子やパン、飲み物が所狭しと並んでいる。
しばらくして、ユニちゃんは大きなお菓子の袋を抱えて戻ってきた。
「……そんなに買ったの?」
「移動にはエネルギーがいるのです」
「列車に乗ってるだけじゃない?」
「長旅です」
「ワン」
「にゃん吉君まで……」
ユニちゃんは袋の中を覗き込んだ。
「にゃん吉君、こっちも美味しそうですよ」
「ワン」
「では、列車で食べましょう」
「ワン」
「もう食べる気満々だ……」
◇
列車が魔法都市を離れてから、しばらく経った。
車内には向かい合わせの座席が並び、その間には小さなテーブルが備え付けられていた。
窓際に座ったルナは、そのテーブルに便箋を広げていた。
左には、一枚の写真。
ルナとアメリア。
ユニちゃんと、にゃん吉君。
写真の中のアメリアは、ほんの少しだけ笑っている。
ルナはそれを見てから、ペンを動かした。
『お父さん、お母さんへ。
元気にしています。
西の魔法都市まで来ました。
魔法を使えない理由についても調べてもらいましたが、まだ分かっていません』
そこで一度、ペンが止まる。
理由は分からなかった。
それだけを書けば、この旅には何もなかったように見えてしまう。
でも、違う。
『それでも、来てよかったです。
魔法都市では、たくさんのものを見ました。
それから、アメリアさんという人と出会いました。
とても強い魔法使いです。
負けず嫌いで、すぐに怒るところもあります。
でも、本当はすごく周りのことを見ている人です』
カサッ、と音がした。
ルナが顔を上げる。
向かいでは、ユニちゃんがお菓子の袋を抱えていた。
その中を、にゃん吉君が覗き込んでいる。
ユニちゃんが一つ取り出す。
「にゃん吉君、こっちも美味しいですよ」
「ワン」
「どうぞ」
「ワン」
にゃん吉君が食べる。
ユニちゃんも一つ食べる。
また袋が鳴った。
「……ユニちゃん」
「はい」
「それ、駅で買ったばっかりだよね?」
「はい」
「もう結構食べてない?」
「移動にはエネルギーがいるのです」
「それ、さっきも聞いたよ」
「大事なことです」
「ワン」
「にゃん吉君も?」
「ワン」
ルナは二人を見て、それから写真を見る。
少し笑って、また手紙に戻った。
『怖いこともありました。
でも、ちゃんと帰ってきました。
私にもできることがあると、前より少しだけ思えるようになりました。
まだ分からないことはたくさんあります。
だから、もう少し旅を続けます。
今は、来た時とは違う道を進んでいます。
知らない町がたくさんあるので、少し楽しみです』
最後まで書き終えたところで、ルナはペンを置いた。
「失礼。少しいいかな」
知らない声に顔を上げる。
一人の男が立っていた。
旅慣れた服装をしているが、冒険者には見えない。
年齢は父より少し上くらいだろうか。
「はい?」
「この席、空いているだろうか」
男が示したのは、通路側の空席だった。
「あ、はい。どうぞ」
「ありがとう」
男は荷物を棚へ置き、席に腰を下ろした。
しばらく窓の外を眺めていたが、やがて口を開く。
「南へ行くのは初めてかい?」
「分かるんですか?」
「景色を見るたびに顔が動いているからね」
「そんなにですか?」
「ああ。さっきから右を見たり左を見たり、忙しそうだ」
ルナは少し恥ずかしくなった。
「初めてなんです。急にこっちへ行ってみようって決めたので」
「急に?」
「はい。王都へ戻るつもりだったんですけど、駅で路線図を見ていたら、知らない町がたくさんあって」
「それで遠回りを?」
「……変ですか?」
「いや」
男は小さく笑った。
「むしろ羨ましいくらいだ。大人になると、行き先より先に、そこへ行く理由を考えるようになる」
「理由……」
「仕事があるから。誰かに会うから。何かを買うから。そういう理由がなければ、知らない土地へ行かなくなる者も多い」
男は窓の向こうを流れていく景色を見る。
「行ってみたいから行く。それだけで列車に乗れる時期は、案外貴重なのかもしれないよ」
ルナは少し考えてから頷いた。
「この先には、どんな場所があるんですか?」
「さて、どこまで行くつもりだい?」
「まだ決めてません」
「本当に決めていないのか」
「はい」
男が声を上げて笑った。
「それなら説明するのも難しいな。南は広い。山を越えるだけで料理の味付けも変わるし、町ごとに祭りも違う。海へ向かう路線もあれば、山の中へ入っていく支線もある。少し足を延ばせば、温泉で知られた土地もあるよ」
「温泉?」
「知らないかい?」
「聞いたことはあります。でも、行ったことはなくて」
「なら、一度くらい入ってみるといい。長旅の疲れにはよく効く」
その言葉を聞いて、向かい側から声がした。
「長旅には大事ですね」
ユニちゃんだった。
男がそちらを見る。
「そうだな」
「ルナ。覚えておきましょう」
「まだ行くって決めてないよ?」
「はい」
「……その顔、行く気じゃない?」
「ワン」
「にゃん吉君まで……」
男が楽しそうに笑った。
「賑やかな旅だな」
「いつもこんな感じです」
「そうか。それは退屈しそうにない」
そこで男の視線が、テーブルの左に置かれた写真へ移った。
「友達かい?」
「はい」
ルナは写真を見る。
「魔法都市でできた、大切な友達です」
「そうか」
男はそれ以上聞かなかった。
だが、次に向かい側へ目を移した時、その視線がわずかに止まった。
白銀の髪。
青いコート。
頭の上の白い生き物。
「……なるほど」
「?」
ルナが首を傾げる。
「いや。なんでもないよ」
◇
同じ列車の、数両離れた車両。
「南へ向かった」
「ああ」
二人の男が、声を落として話していた。
「一度、王都へ戻るのではないかと思っていたが」
「外れたな」
「なぜ南へ?」
「分からん」
「ダンジョンを攻略したばかりだ。何か目的があるのかもしれない」
「次はどこへ行くつもりだ……」
一人が窓の外を見る。
「どうする。仕掛けるか?」
「まだだ」
「だが、このまま好きに動かせば――」
「だからこそ、見る。何を目的に動いているのか、それすら分かっていない」
男は低い声で続けた。
「接触は、その後だ」
◇
列車はいくつもの駅に停まった。
ルナたちに話しかけてきた男も、やがて荷物を棚から下ろした。
「私はここで降りるよ」
「もうですか?」
「ああ。仕事があるんだ」
男は通路へ出ると、ルナたちを振り返った。
「よい旅を。行き先が決まっていないなら、それも悪くない」
「ありがとうございます」
「はい」
「ワン」
男は最後にユニちゃんを一度だけ見て、列車を降りていった。
扉が閉まり、再び列車が動き出す。
ルナは窓から遠ざかっていく駅を眺めた。
「面白い人だったね」
「そうですね」
「温泉かぁ……」
「長旅には大事です」
「それ気に入ったの?」
「はい」
「ワン」
「にゃん吉君も行きたい?」
「ワン」
「……じゃあ、どこかで行ってみようか」
「はい」
列車はさらに南へ進んでいく。
魔法都市の姿は、もうどこにも見えない。
窓の外には、ルナの知らない景色が広がっていた。
その時。
ガタン、と車体が大きく揺れた。
「え?」
車輪の音が変わる。
列車がゆっくりと速度を落としていき、周囲の乗客たちも顔を上げた。
「どうしたんだ?」
「駅じゃないぞ」
やがて列車は、何もない線路の途中で完全に止まった。
ルナが窓の外を見る。
「……止まった」
「止まりましたね」
「ワン」
◇
数両先。
二人の男が同時に立ち上がった。
「おい」
「ああ」
「もう仕掛けたのか?」
「いや」
「なら、これはなんだ」
返事はない。
一人が窓の外を睨む。
「……俺たち以外にもいるのか?」
列車は動かない。
何が起きたのか。
まだ、誰にも分からなかった。




