↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
願いを魔法に  作者: 由吉


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
52/54

第2章 第25話「門の向こう」

開いた壁の向こうには、下へ続く階段があった。

誰も、すぐには動かなかった。

九十九階の広間には戦いの余韻が残っている。砕けた床、折れた柱、ところどころに残る魔法の痕跡。その中央で、アメリアさんは二本の剣を収めながら、じっと階段を見ていた。


「……まだ、先があるのね」


ルナも階段の奥を見る。

ここが最深部だと思っていた。少なくとも、これまで聞いた話では九十九階のさらに奥に何かがあるなんて、一度も聞いたことがない。


「アメリアさんも、知らなかったんですか?」

「知らないわ。二年前は、あんなものなかったもの。そもそも、ここを越えられなかったんだから、その先があるかどうかなんて確かめようもなかったけど」

「そうですよね……」


暗い階段だった。

九十九階まで続いていたダンジョンと、造りそのものは大きく変わらない。それなのに、ずっと昔からそこにあって、今までただ隠されていたような――そんな妙な感じがする。

そして、もう一つ。


「……にゃん吉君?」


返事がない。

にゃん吉君は、階段の奥をじっと見つめていた。

いつもなら名前を呼べば、すぐに「ワン」と返ってくる。けれど今は白く丸い体をふわふわと浮かせたまま、その先から目を離そうとしない。


「にゃん吉君」


もう一度呼ぶ。

ようやく、にゃん吉君が振り返った。


「ワン」

「……どうしたの?」

「ワン」

「何かあるの?」

「ワン」

「……どっちのワン?」


アメリアさんも、その様子を見ていた。


「……その子、何か知ってるんじゃない?」

「私も、そんな気がしてきました」

「ワン」


けれど次の瞬間、にゃん吉君が動いた。

ふわりとルナのそばを離れ、そのまま開いた壁の方へ向かっていく。


「え? にゃん吉君、待って」


にゃん吉君は階段の手前で止まった。

ルナが追いつくと、一度だけ振り返る。


「……行くの?」

「ワン」


今度の返事だけは、なぜか迷いがないように聞こえた。


「今日は戻るべきよ」


後ろからアメリアさんの声がした。


「私も気にはなる。でも、今すぐ行く理由はないわ。九十九階を越えられることは分かったんだもの。一度戻って、準備してから来ればいい」


それは正しい。

知らない場所へ勢いだけで踏み込まないこと。帰れるうちに帰ること。それも冒険者に必要な判断だと、ルナはここまでの旅で学んできた。


「……そうですね」


頷いた、そのときだった。

にゃん吉君は階段から離れなかった。

ルナは白い背中を見つめた。

ここまで何度も助けられた。灯りになってくれた。危ないときには守ってくれた。意味の分からない行動も多かったけれど、にゃん吉君がこうして自分から何かを求めることはほとんどない。

ルナは少し考えてから、アメリアさんを見る。


「少しだけ、見に行きませんか」

「ルナ」

「危ないと思ったら、すぐ戻ります。その先を確認するだけです」


アメリアさんはしばらくルナを見ていたが、やがて小さく息を吐いた。


「……本当に確認するだけよ。私はもう一戦する気なんてないんだから」

「はい」

「何かあったらすぐ戻る」

「はい」

「にゃん吉君もですよ」

「ワン」


ユニちゃんが階段へ向かう。


「ユニは迷わないのね」

「はい」

「……あなたはもう少し迷いなさいよ」


にゃん吉君を先頭に、四人は階段を下り始めた。

一段、また一段。

どれくらい下まで降りただろう。

九十九階の光はとっくに見えなくなっている。それでも階段は続いていた。


「……まだ続くの?」


アメリアさんの声が、階段に小さく響く。


「長いですね……」


ルナは長杖を握りながら、一段ずつ下りていく。

にゃん吉君だけは迷うことなく、ふわふわと先へ進んでいた。

やがて――階段が終わった。

その先にあったのは、長い橋だった。


「……橋?」


ルナは思わず足を止めた。

橋の下を覗いても、底は見えない。暗闇の中へ、そのまま吸い込まれていくようだった。

そして、橋の先には大きな門があった。

見たことのない形をしている。表面には文字のようなものが刻まれていたが、ルナには何と書かれているのか分からない。


「アメリアさん、これ読めますか?」

「……無理ね。魔法文字でもないわ」

「ユニちゃんは?」

「分かりません」


誰にも読めない。

ルナは門を見上げた。

理由は分からない。何かを見たわけでも、聞いたわけでもない。

それでも――ここに足を踏み入れてはいけない。そんな気がした。


「……戻った方がいいのかな」


小さく呟いたルナの横を、にゃん吉君がふわふわと進んでいく。


「にゃん吉君?」

「ワン」


にゃん吉君は門の前で止まった。

その様子を見て、ルナはユニちゃんとアメリアさんへ目を向ける。

アメリアさんはしばらく門を見上げていたが、やがて息を吐いた。


「……本当に、少しだけよ」


ルナは頷いた。

ルナが門へ手を伸ばした。

その指先が触れるより先に――。

巨大な門が、音もなく開き始めた。


「……え?」


ルナは思わず手を止める。

誰も触れていない。

それなのに、門はルナたちを迎え入れるように、ゆっくりと左右へ開いていった。

その先に広がっていた光景を見て、ルナは言葉を失った。


「……ここが、ダンジョンの中?」


とても広い空間だった。

どこから光が差しているのか分からない。それなのに中は明るく、遠くまで見渡すことができる。

モンスターはいない。宝箱もない。

これまでの階層にあったようなものが、何一つ見当たらなかった。

ただ、広い空間だけがどこまでも続いている。

四人は慎重に歩き始めた。

足音だけが、静かな空間に響く。


「……何もないですね」

「それが逆に嫌なのよ」


アメリアさんは周囲を警戒したまま歩いている。

ユニちゃんはいつもと変わらない。

そして、にゃん吉君は――やはり迷わなかった。ふわふわと少し前を進んでいる。

しばらく進んだ、そのときだった。

ルナは足を止めた。


「……あれ」


淡い光の向こうに、何かが見えた。

最初は、そこに何かがあるとしか分からなかった。けれど近づくにつれて、少しずつ輪郭が見えてくる。


「……人?」


アメリアさんが一歩前へ出る。


「ルナ、私より前に出ないで」

「はい」


さらに近づくと、その姿がはっきりと見えた。

若い女性だった。

年は二十歳前後に見える。長い髪に、整った顔立ち。こんな場所にいることの方がおかしいと思えるほど、美しい女性だった。

女性も、こちらに気づいていた。

けれど、警戒する様子はない。

ただ静かに四人を見ている。

やがて、女性が口を開いた。


「……私を、殺しに来たの?」

「え?」


思いもしなかった言葉に、ルナは足を止めた。


「違います」


女性は少しだけ首を傾げた。


「そう」


それだけだった。

女性は改めて四人を見た。


「じゃあ、あなたたちは何者?」

「私たちは――」


ルナが答えようとしたところで、女性の視線がアメリアさんに止まった。


「……すごい」

「何が?」

「あなた、とてもたくさん持ってるのね」


アメリアさんの表情が変わる。


「……魔力のこと?」


女性は小さく頷いた。


「人間にしては、とても多い」

「人間にしては……?」


アメリアさんの目が細くなる。


「その言い方、あなたは人間じゃないみたいに聞こえるけど」


女性は答えなかった。

アメリアさんの手が、ゆっくりと剣へ近づく。

女性はそれを気にする様子もなく、次にルナを見た。

その目が、長杖を持つルナの姿を静かに追う。


「……」


けれど、女性は何も言わなかった。

ルナはその視線を受けながら、長杖を握り直す。

やがて女性の視線は隣へ移った。

そして――止まった。

にゃん吉君。

女性が初めて目を見開く。


「……あなた」


にゃん吉君が、ふわふわと浮いたまま女性を見る。


「なんで、そんな姿をしてるの?」

「え?」


ルナは思わずにゃん吉君を見る。

白くて丸い、いつもの姿だ。


「どういうことですか?」


女性は答えない。にゃん吉君をじっと見つめている。


「ワン」


女性の眉がわずかに動いた。


「……それも、どうしたの?」


にゃん吉君は答えなかった。

女性の視線がゆっくりと動く。

最後に見たのは、ユニちゃんだった。


「……あなたも」


女性がユニちゃんを見つめる。

先ほどまでとは違い、その視線が長く止まった。


「あなたも、この子も、この世界の存在ではないみたいね」


ルナがユニちゃんを見る。

アメリアさんも、わずかに表情を変えた。

ユニちゃんだけは、いつもと何も変わらない。


「はい」

「……どこから来たの?」

「遠いところから来ました」

「遠いところ?」

「はい。とても遠いところです」


女性はしばらくユニちゃんを見つめた。


「そう。遠いところ……」


それ以上は聞かなかった。


「ちょっと待って」


アメリアさんが口を挟む。


「さっきから私たちのことばかり見てるけど、自分のことは何も話してないわよね」


女性がアメリアさんを見る。


「あなたは誰?」

「私?」

「そうよ。ここはダンジョンの最深部よりさらに奥。普通の人がいるような場所じゃないわ」


女性は少し考えるように首を傾げた。


「名前を聞いてるの?」

「それも含めてよ」

「名前……」


女性は、その言葉を確かめるように繰り返した。


「ずっと呼ばれてないから、忘れちゃった」

「……忘れた?」

「ええ」


あまりにも普通に答えるので、ルナは何も言えなかった。


「じゃあ、いつからここにいるの?」


アメリアさんが続ける。


「分からないわ」

「どれくらい?」

「数えてないもの」

「百年とか?」


女性は少しだけ首を傾げた。


「百年って、長いの?」


アメリアさんが黙った。

ルナも言葉を失う。

冗談を言っているようには見えなかった。

女性は何事もなかったように周囲を見渡した。


「昔は、もっといろいろあったのよ」

「いろいろ?」


ルナも広い空間を見る。

今は何もない。


「食べられるもの」


女性はそう答えた。

アメリアさんの表情が変わる。


「……食べられるものって?」

「いろいろ」

「ここには、もう何もないですよね」


ルナが尋ねる。


「ええ」


女性は少し考えた。


「もう、食べたから」


誰も言葉を返さなかった。

あまりにも普通の声だった。

自慢しているわけでも、脅しているわけでもない。ただ、そうだったから答えた。それだけに聞こえた。


「……全部?」

「たぶん」

「たぶん……?」

「昔すぎて、覚えてないもの」


女性は静かに微笑んだ。

アメリアさんの手が、今度ははっきりと剣の柄へかかる。


「あなた……何者なの?」

「だから、忘れちゃったの」

「そういう意味じゃないわ」


女性は不思議そうにアメリアさんを見る。

それから、また周囲へ視線を向けた。


「ずっと、お腹が空いてるの」


声の調子は変わらない。


「食べても、食べても、なくならないの」


ルナは何も言えなかった。

目の前にいるのは、見た目だけならどこにでもいそうな若い女性だ。

けれど、その言葉だけが、この場所の静けさとまるで噛み合っていなかった。

女性が、ふとルナたちを見る。


「あなたたち、この世界の魔力がどうやって生まれているか知ってる?」

「……魔力が?」


アメリアさんの表情が変わった。


「大気や大地に満ちているものじゃないの?」

「そういうことじゃないわ」


女性は静かに首を振る。


「それが、どこから来るのか」


アメリアさんは答えなかった。

女性はそんなアメリアさんを見て、少しだけ首を傾げる。


「知らないのね」

「……あなたは知ってるの?」

「ええ」

「どうして?」


女性はしばらく黙っていた。

そして、自分のお腹へ手を当てる。


「だって、それも私たちの役目だったもの」

「……私たち?」


ルナが聞き返す。

女性は答えなかった。


「他にも、あなたみたいな人がいるの?」


それにも答えない。

ただ、どこか遠くを見るように目を細めた。


「……外には出られないんですか?」


ルナが尋ねる。


「出られないわ」

「あの門からも?」

「ええ」

「誰かに閉じ込められたんですか?」


女性は少し考えた。


「たぶん」

「誰に?」


今度は、少し長い沈黙があった。


「……分からない」

「覚えてないんですか?」

「昔すぎるもの」


女性はそう言って、ルナたちが入ってきた方を見る。

そして――表情が止まった。


「……あら?」

「どうしたんですか?」


女性は門の方を見つめたまま答えない。


「何?」


アメリアさんが聞く。


「開いたのね」

「え?」

「あの門」


女性はゆっくりとルナたちへ視線を戻した。


「ずっと、開かなかったのに」

「……開かない門だったんですか?」

「ええ」


ルナは遠くに見える門を振り返った。

自分が触れるより先に、あの門は開いた。

誰も触れていないのに。


「じゃあ、どうして……」


女性は答えなかった。

ルナを見ていない。

その視線は、にゃん吉君へ向けられていた。


「あなたが来たから?」


にゃん吉君も、女性を見ている。


「ニャ」


聞き慣れない声が、静かな空間に響いた。

ルナは一瞬、何が起きたのか分からなかった。


「……え?」


にゃん吉君を見る。

白くて丸い姿も、ふわふわと浮かんでいるのも、いつもと何も変わらない。


「にゃん吉君……今、ニャって言った?」


返事はない。


「ワンじゃなくて?」


それでも、にゃん吉君は何も答えなかった。

女性だけが、その姿をじっと見つめていた。

やがて、小さく息を吐く。


「……そう」


それだけだった。


「何なんですか?」


ルナが尋ねる。


「にゃん吉君のこと、知ってるんですか?」


女性は首を振った。


「知らないわ」

「じゃあ、どうして……」

「分からないから見てるの」


女性はにゃん吉君を見つめたまま答えた。


「その子、この世界のものじゃないでしょう?」


ルナは答えられなかった。

にゃん吉君も何も言わない。

ルナは困ってユニちゃんを見る。


「ユニちゃんは?」

「分かりません」

「……本当に?」

「はい」


いつもと変わらない顔だった。

アメリアさんが小さく息を吐く。


「聞いても分からないなら、今はそれでいいわ」


そう言って、女性を見る。


「それより私たちは戻るわよ。最初から少し確認するだけのつもりだったんだから」

「……はい」


ルナも頷いた。

聞きたいことはいくつもある。

けれど、ここが何なのかも、目の前の女性が何者なのかも分からない。アメリアさんは九十九階で戦ったばかりだ。

これ以上ここに留まる理由はない。

そのときだった。


――ゴォン。


低い音が、広い空間の奥から響いた。


「……何?」


ルナが周囲を見る。

もう一度。


――ゴォン。


今度は、足元からも微かな震えが伝わってきた。

アメリアさんがすぐに剣へ手をかける。


「ルナ、こっちへ」

「はい」


ルナがアメリアさんのそばへ移動する。

ユニちゃんも周囲を見ていた。

女性だけは、その場から動かなかった。


「……あら」

「何?」


女性は、ルナたちが入ってきた門とは違う方向を見つめていた。

何もないように見える、遠くの壁。

そこに細い光が走った。


「……ひび?」


ルナが目を凝らす。

一本だった光が、ゆっくりと枝分かれしていく。

壁だけではない。床にも。さらに遠くの天井にも。

淡い光の筋が、少しずつ広がっていく。


「何なの、あれ」


女性が静かに答えた。


「壊れ始めてる」


アメリアさんが女性を見る。


「何が?」

「ここ」

「ここって……この部屋?」


女性は首を振った。


「私を、ここに置いているもの」


ルナは息を呑んだ。


「……封印?」


女性はその言葉を聞いて、少し考える。


「今は、そう呼ぶの?」

「あなた、自分が封印されてることも分かってなかったの?」

「外に出られないことは知ってるわ」


また低い音が響いた。

光のひびが、さらに伸びる。

アメリアさんが門を見る。


「まずいわ。戻るわよ」

「はい」


ルナも振り返る。

けれど、そこで足が止まった。

女性が動いていない。


「……来ないんですか?」

「今は、行かないわ」

「今は……?」


女性は、広がっていく光のひびを見つめた。


「でも、これがなくなれば――私はまた地上に戻る」

「また……?」


ルナは、その一言に引っかかった。

以前にも地上にいた。

そういう意味に聞こえた。

けれど、女性はそれ以上説明しない。


「あなた、自分が外に出たらどうなるか分かってるの?」


アメリアさんが尋ねる。


「たぶん」

「何が起きるの?」


女性は少し考えた。


「みんな、お腹が空くわ」

「みんな?」

「たくさん」


女性は自分のお腹へ手を当てる。


「食べても、足りなくなるの」


その瞬間だった。

ルナの腹部に、突然空腹を感じた。


「……え?」


朝から何も食べていないような、強い空腹。

けれど、それはほんの一瞬だった。すぐに消える。


「ルナ?」

「今……」


隣を見る。

アメリアさんも自分のお腹へ手を当てていた。


「……何よ、これ」


女性が二人を見る。


「あら」


その声には、ほんの少しだけ困ったような響きがあった。


「漏れてる」

「漏れてる!?」

「少しだけ」

「少しじゃないわよ!」


アメリアさんが女性から距離を取る。

女性は何もしない。

ただ立っているだけ。

それなのに――。


――ゴォン。


また封印にひびが走った。

女性は広がっていく光を見つめる。


「これが全部なくなったら、私は外に出る」


静かな声だった。


「そのときは――」


女性の視線がアメリアさんへ向く。

次にユニちゃんへ。

そして最後に、にゃん吉君で止まった。


「あなたたちは、私を止められるかしら」


誰も、すぐには答えなかった。

女性は答えを求めることもなく、再びひびへ目を向ける。

また、光が伸びた。


「どうすれば止められるの?」


アメリアさんが尋ねる。


「知らないわ」

「あなたの封印でしょ!?」

「私は閉じ込められてる方だもの」

「だったら誰が封印したのよ!」


女性は黙った。


「覚えてないの?」

「……ええ」

「何か一つくらい覚えてないの?」


女性は光のひびを見つめる。

長い沈黙のあと、首を振った。


「ごめんなさい」


また、ひびが伸びた。

ルナは長杖を握りしめる。

どうすればいい。

消魔鋼で触れていいものなのかも分からない。そもそも魔法による封印なのかさえ分からない。


「ユニちゃん」

「はい」

「これ、止められる?」


ユニちゃんは光のひびを見る。

少しの間を置いて、首を振った。


「分かりません」

「……そっか」


そのとき。

白いものが、ルナの横を通り過ぎた。


「にゃん吉君?」


にゃん吉君が、ひびの方へ向かっていく。

ふわふわと。ゆっくりと。けれど、迷いなく。


「待って、危ないよ!」


にゃん吉君は止まらない。

女性が目を見開いた。


「……直せるの?」


返事はない。

にゃん吉君は、最も大きくひび割れた場所の前で止まった。

そこをじっと見つめる。


「にゃん吉君?」


次の瞬間。

にゃん吉君の周囲から、何かが広がった。

光ではない。風でもない。音もない。

ルナには、それが何なのか分からなかった。

ただ――広がり続けていたひびが、止まった。


「……止まった?」


アメリアさんが呟く。

誰も動かない。

しばらく待っても、ひびはそれ以上広がらなかった。

消えてはいない。

壊れた場所が元に戻ったわけでもない。

ただ、崩れていく動きだけが止まっている。

女性が目を見開いた。


「……あなた、何なの?」


にゃん吉君は答えない。


「ワン」


女性はしばらく、その姿を見つめていた。


「……変な子」


にゃん吉君がルナのところへ戻ってくる。


「にゃん吉君……今、何したの?」

「ワン」

「直したの?」

「ワン」

「どっち……」


そこまで言って、ルナはやめた。

今聞いても、きっと分からない。


「……ありがと」

「ワン」


アメリアさんは剣を収めず、止まったひびを見ている。


「直ったわけじゃないのよね」

「たぶん、そうだと思います」

「また壊れ始める可能性もある」

「……はい」


女性は、止まった光のひびを見上げていた。


「止めたのね」


その声には、驚きとも納得ともつかない響きがあった。

そして、もう一度にゃん吉君を見る。


「さっき聞いたこと」

「……?」

「私が地上に戻ったら、止められるかって」


にゃん吉君は女性を見た。


「ワン」


女性は少しだけ首を傾げた。

それから、小さく笑った。


「どっちなのかしら」


にゃん吉君はもう答えなかった。

アメリアさんが門を見る。


「……今度こそ戻るわよ」

「はい」


四人は門へ向かう。

門の前まで来たところで、ルナは振り返った。

女性はまだ、広い空間の中央に立っている。

その向こうには、止まったままの光のひびが残っていた。

直ったわけではない。

何も分かったわけでもない。

女性が何者なのか。

「私たち」とは誰なのか。

この世界の魔力が、どこから生まれているのか。

そして、にゃん吉君が何をしたのか。

何一つ、答えは出ていない。

女性と目が合った。

女性は何も言わなかった。

ルナも、何も言わなかった。

ルナは前を向き、門の外へ歩き出した。

ユニちゃん、アメリアさん、にゃん吉君も続く。


全員が橋へ出た、その直後だった。

ルナの背後で、低い音が響いた。

振り返る。

巨大な門が、ゆっくりと閉じていく。


「……閉まる」


女性の姿が、少しずつ門の向こうへ隠れていく。

女性は逃げようとはしなかった。

ただ、さっきまでと同じ場所に立っている。

やがて、その姿も見えなくなった。

巨大な門は完全に閉じた。

誰も、しばらく何も言わなかった。


「……行くわよ」


アメリアさんが先に歩き出した。

ルナも頷き、長い橋を渡る。

来たときと同じ階段を、今度は上へ向かって歩いていく。

しばらく上った、そのときだった。

ふっと、目の前が淡い光に包まれた。


「……え?」


次の瞬間、ルナたちはダンジョンの入口近くに立っていた。


「戻ってきた……?」


アメリアさんが周囲を見回す。


「攻略されたからでしょうね」


それだけ言って、アメリアさんは出口へ目を向けた。

ルナたちが外へ出る。

そして、振り返った。


「……あ」


ダンジョンの入口が、淡い光に包まれていた。

長い間そこに存在していたはずのものが、少しずつ輪郭を失っていく。


「消えてる……」

「攻略されたダンジョンが消えるときと同じよ」


ルナは、その光を見つめた。

門の向こうに残った女性のことが頭に浮かぶ。


「……あの人は」

「分からないわ」


アメリアさんも、消えていく入口を見つめていた。

それ以上、誰にも答えられなかった。

あの女性が何者だったのか。「私たち」とは誰なのか。この世界の魔力が、どこから生まれているのか。なぜ、あの門が開いたのか。そして――にゃん吉君が何を止めたのか。

何一つ、分かっていない。


ふと隣を見る。

にゃん吉君はいつの間にかユニちゃんの頭の上へ戻り、いつもと変わらない様子でふわふわと浮かんでいた。


「ワン」


ルナは、その声を聞きながら、消えていくダンジョンを見つめていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。