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願いを魔法に  作者: 由吉


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第2章 第24話「先の、その先へ」

 九十六階、九十七階、九十八階。三人は足を止めることなく進んだ。決して敵が弱かったわけではない。それでも、半年間積み重ねてきたアメリアの力と、ここまでの階層で磨かれたルナとの連携は、以前とは比べものにならないほど噛み合っていた。


 そして――九十九階へ続く階段の前で、アメリアは足を止めた。上から吹き下ろしてくる風が、三人の髪をわずかに揺らす。ルナには、その先に何があるのかは分からない。魔力を見ることも、感じ取ることもできない。けれど、アメリアの横顔を見れば、ここが今までの階層とは違うことくらいは分かった。


「最後に確認するわ」


 アメリアが振り返る。ルナの頭の上では、にゃん吉君がいつものように丸くなっていた。


「私は最初から全力でいく」

「最初からですか?」

「ええ。二年前と同じなら、あいつの障壁は壊してもすぐに戻る。様子を見ながら戦ってたら、こっちが先に削られる」


 攻撃して、壊して、それでも戻る。二年前はそれを何度も繰り返した。


「だからルナ。あなたはあいつじゃなくて、障壁を見てて」

「障壁を?」

「私が何度も叩く。そのたびに壊れて、修復されるはずよ。光り方が違うとか、壊れ方がおかしいとか、他より戻るのが遅いとか……ほんの少しでも違うところがあったら教えて」

「私に分かるでしょうか……」

「分からなかったら、それでいいわ。でも、あなたは私とは違うものを見ることがあるから」


 ルナは少し驚いてから、頷いた。


「……分かりました。見てみます」

「お願い」


 アメリアはユニへ顔を向けた。


「それとユニ。前に言ってた退路のことなんだけど」

「はい」

「作らなくていいわ」

「いいんですか?」

「ええ。必要なら逃げる。それは冒険者として当たり前の判断よ。でも、今日は違う」


 アメリアは階段の先を見る。


「二年前、私は姉さんが作ってくれた道を逃げた。だから今日だけは、最初から逃げ道があると思いたくない」

「アメリアさん……」

「私が倒す。そして、私がみんなの退路を作る」


 ユニは何も言わず、アメリアを見ていた。


「……これは私のわがままよ」

「そうですね」

「そこは否定しなさいよ」

「わがままでも、自分で決めたのでしょう?」


 アメリアが一瞬黙り、小さく息を吐いた。


「……ええ」

「では、いいと思います」

「相変わらずね、あんた」


 アメリアは前を向く。だが、一歩を踏み出す前にもう一度ユニを見た。


「ユニ」

「はい」

「見ていて」


 助けて、ではない。守って、でもない。ただ、見ていて。


「はい」


 ユニは短く答えた。


「行くわよ」

「はい」

「ワン」


 三人と一匹は、九十九階へと続く最後の階段を上った。


 ◇


 階段を抜けた瞬間、ルナは思わず足を止めた。


「……広い」


 これまでの階層とは、まるで違っていた。巨大な円形の空間。何階分もの高さがある吹き抜けのような造りで、遥か上に天井が見える。周囲には太い石柱が並び、高い位置に灯る淡い光が広大な空間を照らしていた。


 中央には遮るものがほとんどない。まるで最初から、巨大な何かが暴れ回ることを想定して作られたかのようだった。そして床にも、柱にも、壁にも、無数の古い傷が残っている。深く抉られた石床、途中から折れた柱、壁を斜めに走る巨大な亀裂。二年という時間を経ても消えない、戦いの痕跡。


 アメリアの足が止まった。


「……」

「アメリアさん?」

「大丈夫よ」


 それだけ答え、再び歩き出す。広大な空間の中央に、巨大な影があった。それが動く。低い音とともに床が震え、全身を包むように幾重もの光が浮かび上がった。


「……あれが」

「ええ。二年前と同じよ」


 アメリアが双剣を抜く。魔物の周囲を光が巡り始める。循環障壁。


「久しぶりね」


 返事はない。


「まあ、私のことなんて覚えてないでしょうけど」


 右の剣を下げ、左の剣をわずかに前へ出す。


「私は覚えてるわ。一日だって――忘れたことない」


 アメリアが魔力を解放した。その瞬間、髪が根元から色を変えていく。赤に金色が混じり、炎を透かした黄金のような鮮やかな赤金色へ。吹き抜けを抜ける風に、その髪が大きく翻った。


 ルナも以前に見たことがある。アメリアが、本気で戦う時の姿。


「いくわよ!」


 床を蹴る。


「《ケレリタス》!」


 姿が消えたように見えた。次にルナが捉えた時には、アメリアはすでに魔物の正面にいた。


「《イグニス》!」


 右の剣を振り抜くと同時に炎が爆発し、循環障壁へ正面から叩きつけられる。障壁が大きく歪んだところへ、左の剣が走った。


「《グラキエース》!」


 頭上に生まれた無数の氷槍が一斉に降り注ぐ。炎で揺らいだ一点へ次々と突き刺さり、障壁が砕けた。


「壊れた……!」


 だが、その奥にも光の層があった。砕けたのは、幾重にも重なる障壁の表層だけだった。内側に残った光が外へ広がると同時に、砕けた部分へ周囲から新たな光が流れ込んでいく。アメリアが剣を届かせるより早く、裂け目が閉じた。


「もう……戻った」

「そういう障壁なのよ」


 アメリアは舌打ちし、再び床を蹴った。


「一枚の壁じゃない。何層も重なって、内側から外側へ絶えず作り直されてる。表面を壊した時には、もう次の層が塞ぎ始めてるの」

「そんな……」

「だから見るの。どこか一つでも、循環が遅れる場所を!」

「はい!」


 ルナは魔物そのものから視線を外した。怖くないわけではない。巨大な魔物がすぐそこにいるのに、それを見ないのだから。それでも、自分が頼まれたのは戦うことではない。見ることだ。


「《ウェントゥス》!」


 巨大な風刃が障壁を斜めに切り裂く。表層が裂けた瞬間、アメリアは生まれた隙間へ飛び込み、雷を纏った双剣を内側の層へ叩き込んだ。


「《フルグル》!」


 閃光とともに二層目が弾ける。だが、さらに奥から光が押し寄せる。アメリアが三層目へ剣を届かせるより早く、背後ではすでに最初の層が再生を始めていた。


「くっ……!」


 魔物の腕が振り下ろされる。アメリアは裂け目から飛び退いた。直後、閉じた障壁の向こうで攻撃が石床を砕く。表層は、もう元通りになっていた。


 空中で身体を捻り、近くの柱へ着地する。そのまま柱を蹴り、今度は上から炎を放つ。追撃をかわして再び接近し、氷。さらに雷。巨大な吹き抜けを、アメリアは縦横に駆け回った。


 魔物が追う。腕を振るう。空を切る。振り返った時には、すでに別方向から斬撃が障壁へ入っている。追えば、また消える。それでも、障壁だけはアメリアを通さない。


「すごい……」


 ルナは思わず呟いて、すぐに首を振った。違う。見るべきなのは、そこじゃない。障壁。


 炎で砕け、戻る。氷で割れ、戻る。雷で弾け、それでも戻る。ルナに魔力の流れそのものは見えない。だが、障壁の光なら見える。亀裂がどこから塞がるのか、どれくらいの時間で元に戻るのか。それなら自分にも見られる。


「……同じ」


 どこを壊しても、同じように内側の光が広がり、外側を塞いでいく。


 アメリアは一度大きく距離を取ると、石柱を蹴って高く跳んだ。


「《グラキエース》!」


 巨大な氷塊が落下する。障壁へ激突した瞬間、アメリア自身も真上から双剣を叩き込んだ。表層が砕ける。二層目に亀裂が走る。その奥から、また光が押し寄せる。


「……あれ?」


 ルナの目が止まった。今、何かが違った。


「アメリアさん! もう一度、今の場所を!」

「どこ!」

「左です! もう少し下!」

「分かった!」


 即座に向きを変える。


「《フルグル》!」


 雷撃が同じ位置へ直撃した。障壁が砕け、再び内側から光が集まっていく。ルナは瞬きもせず見つめた。


「そこです!」


 アメリアが再び風刃を叩き込む。亀裂。修復。そして――。


「遅い!」


 ほんの一瞬。本当にわずかな差だった。


「アメリアさん! そこだけ、他より塞がるのが遅いです!」

「……何?」


 アメリア自身が、もう一度同じ場所を叩く。壊れる。戻る。やはり僅かに遅い。その時、アメリアの表情が変わった。


「……これ」

「アメリアさん?」

「知ってる……」


 障壁に残る、小さなクラック。傷とも呼べないほどの僅かな歪み。けれど、アメリアは覚えていた。二年前、同じ場所へ何度も姉が剣を振り下ろしていた。


「……姉さん」


 双剣を握る手が、僅かに震える。


「残ってたんだ……」


 壊せなかった。届かなかった。何も残せなかった。ずっと、そう思っていた。


「姉さんがつけた傷……まだ、残ってたんだ」


 修復されていく光を見ながら、アメリアが呟く。


「二年前も、姉さんは何度も障壁を破った。でも――抜けられなかった」

「破ったのに……?」

「ええ。姉さんが表層を壊して、私が最速で飛び込んだ。それでも間に合わなかった」


 何層にも重なった障壁。その一枚を破った時には、内側の層が次の壁となり、さらに奥から新しい光が流れ込んでくる。


「姉さんと私、二人でやっても速度が足りなかった。奥まで抜け切る前に障壁が塞がるの。何度やっても同じだった」


 壊して、飛び込んで、塞がれる。また壊して、また飛び込む。そうしている間にも魔力は削られ続け、魔物の攻撃は止まらない。


「だから二年前は……先に私たちの方が限界になった」


 けれど今、ルナが見つけた場所だけは違う。ほんの僅かに、他より再生が遅い。


 アメリアの目が細くなる。


「……ここなら」


 魔物が動く。


「アメリアさん!」

「――っ!」


 アメリアが横へ跳び、直後に石床が大きく砕けた。着地したアメリアの目は、もう揺れていない。


「場所は分かった!」


 ルナは長杖を握り直した。その片端に取り付けられた消魔鋼へ目を落とす。


「あそこに、これを使えば……」

「ルナ。あなたはそこで待ってて」

「でも、消魔鋼なら――」

「もう十分よ。あなたは見つけてくれた。ここからは私がやる」

「でも、あそこまで持っていかないと循環を止められません」

「近すぎる!」


 アメリアが魔物の攻撃をかわしながら叫ぶ。


「ここから先は、何が飛んでくるか分からない!」


 ルナは長杖を強く握った。怖い。アメリアの魔法一つで石床が砕け、魔物の攻撃は太い柱さえ壊す。その中へ自分が行く。怖くないはずがない。


「アメリアさん」

「何!」

「私が自分で決めた選択です」


 アメリアの視線がルナへ向く。


「怖いです。でも、ここまで来るって決めたのも、あそこまで行くって決めるのも、私です」

「ルナ……」

「私も、一人の冒険者です」


 アメリアは何も言わなかった。恐怖がないわけではない。力があるわけでもない。それでも、自分で選び、自分の足で進もうとしている。その顔を見て、アメリアは小さく息を吐いた。


「……分かった。ただし、絶対に止まらないで」

「はい!」

「あいつは私が引きつける。行って!」

「はい!」


 アメリアの赤金色の髪が大きく広がり、先ほど以上の魔法が循環障壁へ叩き込まれた。魔物の意識が、完全にアメリアへ向く。


 ルナは走った。長杖を握り、にゃん吉君を頭に乗せたまま、自分の足で。


 敵にとって最大の脅威は、間違いなくアメリアだった。対してルナからは、通常の魔力として捉えられるものがほとんどない。だからといって、安全なわけではない。


 炎が走り、石床が砕ける。衝撃で高い天井の一部が崩れ、石片がルナへ落ちてきた。


「っ!」

「ワン」


 落下してきた石片が横へ弾かれる。


「にゃん吉君、ありがとう!」

「ワン」


 止まらない。魔法の余波が横から迫る。


「ワン」


 それもルナには届かなかった。にゃん吉君は魔物を攻撃しない。場所を教えることも、ルナを運ぶこともしない。ただ、ルナの頭の上にいる。進むのは、ルナ自身だ。


「もう少し……!」


 クラックが近づく。その時、魔物の顔が僅かに動いた。視線がルナへ向く。


 アメリアの赤金色の髪が翻った。一気に正面へ飛び込み、双剣を障壁へ叩き込む。


「こっちを――見なさい!」


 閃光。魔物の意識がアメリアへ戻った。


「ルナ!」

「はい!」


 最後の一歩を踏み込み、長杖を突き出す。


「届いて……!」


 その片端の消魔鋼をクラックへ押し当てた。瞬間、障壁を巡っていた光が乱れた。絶えず傷を修復していた循環が、その一点だけ途切れる。


「アメリアさん!」


 アメリアは聞いていた。ゆっくりと息を吐く。そして――気配が消えた。


 殺気も、あれほど九十九階を圧していた魔力の存在感さえも、一瞬にして沈む。魔物の視線が揺れた。アメリアを見失った。ほんの一瞬。それだけで十分だった。


 アメリアは双剣を揃え、まるで一本の巨大な剣のように頭上へ掲げた。


「……リリアナ姉さん。私に、力を……」


 二年前、自分の前に立っていた背中。最後まで剣を離さず、自分たちを守り続けた人。そして今もここに残っていた、小さな傷。


「……《コンヴェルゲンティア》」


 アメリアの魔力が双剣へ集まり始める。炎にも、氷にも、雷にも、風にも変えない。散らさない。膨大な魔力を、ただ一つの目的のために二本の剣へ集束させていく。


 剣を包む光が膨れ上がった。魔物がアメリアの存在を再び捉える。だが、もう遅い。


「《ウルティマ・ウィース――」


 小さかった声が、次第に大きくなる。一歩、踏み込む。二本の剣を、一つの巨大な刃として。


「――アブソルータァァァッ!!!》」


 振り下ろした。


 爆発的な光とともに、巨大な斬撃が九十九階を走る。狙う場所は、ただ一つ。二年前にリリアナが残した傷。ルナが見つけたクラック。消魔鋼によって、今だけ循環を失った一点。すべてが重なる。


 激突。


 吹き抜け全体が震えた。障壁が大きく歪み、修復しようと光が集まる。だが、消魔鋼に阻まれ、いつもの速さで戻ることができない。


「いっけぇぇぇぇっ!!」


 アメリアが押し切る。クラックが広がった。一本、二本。そこから無数の亀裂が障壁全体へ走っていく。


「姉さんが――残したんだからぁぁぁっ!!」


 次の瞬間、循環障壁が砕け散った。光の破片が巨大な吹き抜けへ舞い上がる。


「開いた……!」


 ルナの声が響く。アメリアは双剣を下ろし、短く息を整えた。まだ終わっていない。魔物そのものは健在だ。だが、もう二年前とは違う。


 今度は――剣が届く。


 魔物が踏み込んだ。アメリアがかわす。追撃を、もう一度かわす。


 その時、アメリアの脳裏に一人の少女が浮かんだ。白銀の髪。緑の瞳。


 半年前、自分はあの少女に何度も攻撃を仕掛けた。炎を放った時には、もうそこにいなかった。氷で逃げ道を塞いだはずなのに、その前から別の場所にいた。岩を落としても、ユニは落下先から逃げたのではない。最初から、そこへ来なかった。何をしても届かなかった。


 あの時は、ただ速いのだと思っていた。自分より遥かに速い。反応も、判断も、何もかもが自分より上だから追いつけない。そう思っていた。


 魔物が右へ踏み込む。アメリアは追おうとして――止まった。


「……違う」


 追えば、相手はどうする。自分の剣を避けるなら、どこへ逃げる。そこへ先回りしたら、次はどう動く。さらに、その次は。


 アメリアの目が、魔物の動きを追う。


「速いんじゃない……」


 ユニは、攻撃されてから避けていたんじゃない。自分が何をするのか。それを見た自分が、次に何をするのか。さらに、その先まで。だから、いつもそこにいなかった。


 魔物がアメリアの追撃を警戒し、左へ切り返す。その瞬間、アメリアは床を蹴った。追うのではない。相手が向かう、その先へ。


 魔物が左へ踏み込む。そこにはもう、アメリアがいた。


「……あの子は、ずっと先を見てたんだ」


 一閃。右の剣が魔物を捉える。


 反撃が来るより先に離れ、次の動きを見る。魔物が距離を取る。


「《イグニス》!」


 炎が走った。魔物は右へかわす。だが炎が爆ぜたのは、魔物がいた場所ではない。逃げた先だった。


 魔物が上へ跳ぶ。


「《グラキエース》!」


 すでに氷槍が待っている。身体を捻って回避し、着地する。そこへアメリアの双剣。右、左。二つの斬撃を避け、魔物が腕を振るう。


 空を切った。アメリアはすでに背後へ回っている。一閃。魔物が振り返る頃には、またいない。


「《ケレリタス》!」


 赤金色の軌跡だけが残る。敵には、もうアメリアの影すら追えていなかった。


 けれど、単純に速くなったわけではない。魔物が何をするのか。そこへ自分が何をすれば、相手はどう反応するのか。その反応に対して、次に何をするのか。


 一手先。さらに、その先。


 アメリアは見て、考え、相手が辿り着くより先にそこへ行く。


 右から剣を振るう。魔物が右を守った瞬間、アメリアは剣を止めた。


「《フルグル》!」


 逆側から雷撃。身体が揺れたところへ踏み込み、下から斬り上げる。魔物が後退する。


 追わない。


「《ウェントゥス》!」


 退いた先へ風刃が直撃した。魔物が横へ逃れる。そこにはもう、アメリアがいる。


 一閃。


「……すごい」


 ルナは息を呑んだ。


 速いだけじゃない。魔物がアメリアを追っているように見えて、違う。追わされている。逃げれば、その先にアメリアがいる。防げば別の属性が飛び、反撃すれば死角へ回られる。


 双剣と、炎、氷、雷、風。今までアメリアが磨いてきたものすべてが、一つの戦い方へ繋がっていく。


 魔物の右側へアメリアが踏み込んだ。斬撃。防がれる。だが、左の剣は振らない。


「《イグニス》!」


 足元から炎が噴き上がる。魔物が跳ぶ。それも、アメリアの予想通りだった。同時に床を蹴る。空中で交差し、一閃。


 先に着地したアメリアが振り返る。


「私は、姉さんじゃない」


 魔物が後退する。その先を風刃が塞ぐ。


「ユニでもない!」


 別方向へ逃れた魔物の前に、アメリアが現れる。二本の剣が交差した。


「私は――アメリア・レヴァンテよ!」


 魔物が大きく腕を振り上げる。アメリアは動かない。


 見る。


 振り下ろす。左へ避ければ追撃が来る。その次は右。さらに避ければ、核を守るために身体を捻る。


「……見えた」


 魔物の一撃が振り下ろされた。左へ。追撃。右へ。さらに一歩。


 魔物が身体を捻る。


 予想通り。その一瞬、核が露出した。


「そこっ!」


 アメリアが踏み込む。右の剣が走る。一閃。左。二閃。


 魔物が防ごうと腕を動かす。それさえも読んでいた。身体を沈め、腕の下を抜ける。背後へ。魔物が振り返るより先に、双剣を交差させた。


「これで――終わりよ!」


 振り抜く。


 一瞬、巨大な九十九階から、すべての音が消えたように感じた。


 アメリアは魔物に背を向けたまま、双剣を下ろす。魔物の核に一本の亀裂が走った。さらに一本。亀裂は瞬く間に広がり、内側から淡い光が溢れ出す。


 核が砕けた。


 巨大な身体の輪郭が崩れ、淡い光の粒へ変わっていく。やがて完全に消え、石床に魔石だけが残った。


 誰も、すぐには口を開かなかった。


「……終わった」


 アメリアが小さく呟く。


「姉さん……」


 勝った。仇を討った。そんな言葉は出なかった。二年前、ここで止まっていたものが、ようやく少しだけ先へ進んだ。


「アメリアさん!」


 ルナが駆け寄る。アメリアは双剣を下ろしたまま、ゆっくり息を吐いた。


「……終わったわね」

「大丈夫ですか?」

「これくらい平気よ」


 そう言って、アメリアは双剣を鞘へ戻した。


 もちろん疲れていないわけではない。あれだけの魔法を放ち、姉から受け継いだ大技まで使ったのだ。けれど、ルナが想像していたほど疲れてはいなかった。膝をつくこともなければ、剣を杖代わりにすることもない。


 半年前なら、こうはいかなかったのかもしれない。この日のためにアメリアが積み重ねてきた半年間がある。そして今回は、二年前のように壊しても壊しても戻る障壁へ延々と魔力を削られ続ける必要もなかった。


 リリアナが残した傷をルナが見つけ、消魔鋼で循環を止めた。その一瞬を、アメリアが自分の力で突破した。障壁さえなくなれば、今のアメリアにとって届かない相手ではなかった。


「……ユニ」


 アメリアが振り返る。少し離れたところで、ユニが立っていた。


「見てた?」

「はい」

「全部?」

「はい」


 アメリアは少しだけ胸を張る。


「どうだった?」


 ユニはアメリアを見つめた。以前、何度攻撃されても、ただ静かに受け止めていた時と同じ緑色の瞳。


「強くなりましたね」


 アメリアの目がわずかに開く。


「体も、技も」


 ユニはそこで少しだけ間を置いた。


「……心も」


「…………」


 アメリアはしばらく何も言わなかった。やがて、顔を少しだけ横へ向ける。


「……当たり前でしょ」

「どやです?」

「なんであんたが得意げなのよ!」

「ワン」

「にゃん吉君まで!」


 ルナが笑う。張り詰めていた空気が、ようやく少しだけ緩んだ。


 その時だった。九十九階の奥から、低い音が響いた。石壁が震えている。


「……何?」


 アメリアが振り返る。壁だと思っていた場所が、ゆっくりと左右へ開いていく。その向こうに現れたのは、さらに奥へと続く道。


「まだ……先があるんですか?」


 ルナがその道を見つめる。ユニも何も言わない。


 そして、ルナが気づいた。


「にゃん吉君?」


 頭の上。さっきまでいつも通り鳴いていた白い相棒が、今は何も言わない。ただ静かに、開かれた道の先を見つめていた。

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