第2章 第22話 積み重ねたもの
アメリアさんとの決闘が終わった翌日から、私の訓練は始まった。
最初の三か月は、身体を動かすことが中心だった。
朝、荷物を背負って歩く。
歩き終わったら走る。
息が整う前に長杖を構え、消魔鋼と蓄魔珠を何度も切り替える。
「杖を見てはだめ。それでは敵を見失うわ」
アメリアさんの木剣が、私の長杖を軽く叩いた。
「相手から目を離さずに持ち替えなさい。手元を見なくても扱えるまで、何度でも繰り返すわよ」
「はい」
消魔鋼を向ける。
長杖を回し、反対側の蓄魔珠を向ける。
もう一度、消魔鋼。
何度も繰り返していると、腕が重くなる。指にも力が入らなくなってくる。
「右から魔法。左から魔物。どうする?」
「消魔鋼で魔法を受けて、後ろへ下がります」
「後ろには壁があるわ」
「前へ……いえ、魔物の横を抜けます」
「今は迷った分だけ、動きが止まったわね」
アメリアさんは、私の後ろにある壁を指した。
「すぐに決められない時は、無理に前へ出なくていい。身を守って、考える時間を作る。それも選択よ」
「はい」
疲れている時ほど、考えるのが難しくなる。
息が苦しい。
足が痛い。
腕が動かない。
そんな時でも、見て、考えて、決めなければならない。
「もう一度よ」
「はい」
答えられなくなれば、その日の訓練は終わった。
倒れるまで続けるのではない。
自分がどこまで動けるのか。
どこから判断が遅くなるのか。
それを覚えるための訓練だった。
「苦しくなる前に言いなさい」
「まだ動けます」
「動けるかどうかではなくて、いつもと違うところを教えて」
私は、自分の身体を確かめる。
「右足が重いです。あと、杖を持つ手が少し震えています」
「それでいいわ。小さな変化ほど、早く伝えなさい」
「はい」
訓練を始めた頃の私は、疲れていても大丈夫だと言っていた。
でも、それでは一緒にいる人が判断できない。
歩けるのか。
走れるのか。
杖を使えるのか。
言葉にしなければ、誰にも伝わらない。
それも、この三か月で覚えたことだった。
*
訓練が休みになった日。
私は、魔法研究所へ向かった。
本当なら、決闘が行われた日に来る予定だった場所。
あの日は行けなかったけれど、予約は取り直してもらっていた。
白い部屋の中央に、丸い水晶が置かれている。
「こちらへ両手を置いてください」
研究員の男の人に言われ、私は水晶へ触れた。
冷たい。
「力を入れる必要はありません。そのままお待ちください」
水晶の中には、細い銀色の線が何本も通っていた。
魔力があれば、その線へ光が流れるらしい。
私は、じっと待った。
でも、何も起きなかった。
研究員の人が水晶の横にある板を確かめる。
「もう一度、よろしいですか?」
「はい」
手を離し、置き直す。
何も起きない。
別の水晶。
魔力を受け取る薄い板。
指先から流れる魔力を測る細い輪。
いくつかの道具を使ったけれど、どれにも反応はなかった。
「故障ですか?」
「確認します」
研究員の人が、自分の手を水晶へ置いた。
すぐに青い光が広がった。
壊れてはいない。
「魔力を持たない人でも、ごく小さな反応が出ることはあります。しかし……」
男の人は、もう一度、記録用の板を見る。
「あなたからは、まったく検出できません」
「どうしてですか?」
「分かりません」
魔力が少ないわけではない。
魔力をうまく動かせないわけでもない。
最初から、何も見つからない。
「魔法を使えるようになる方法は?」
「今の検査結果だけでは、お答えできません」
水晶の中には、最後まで光が流れなかった。
魔法都市まで来れば、何か分かると思っていた。
どうして魔法を使えないのか。
どうすれば使えるようになるのか。
そのどちらも分からなかった。
研究所を出ると、ユニちゃんが入口で待っていた。
頭の上には、にゃん吉君がいる。
「終わりましたか?」
「うん」
「どうでした?」
「何も分からなかった」
私は自分の手を見る。
水晶へ触れた時と同じ手。
何も変わっていない。
「反応も、なかった」
「そうですか」
ユニちゃんは、それ以上何も言わなかった。
大丈夫とも、いつか使えるとも言わない。
私も、すぐには歩き出せなかった。
「少しだけ、期待してた」
「はい」
「ここまで来たら、何か分かると思ってた」
「はい」
悔しかった。
悲しかった。
何もないと言われたような気がした。
でも、長杖を握ると、片方の先にある消魔鋼が光を返した。
反対側には、蓄魔珠がついている。
魔法は使えない。
その事実は変わらなかった。
それでも、昨日までに覚えたことが消えたわけではない。
「帰ろう」
「はい」
「明日から、また訓練する」
「どやです」
「まだ何もしてないよ」
「戻ると決めました」
ユニちゃんは、少しだけ胸を張った。
頭の上で、にゃん吉君も胸を張る。
「ワン」
私は少しだけ笑って、屋敷へ戻った。
*
訓練だけをしていたわけではない。
私たちは、ギルドの依頼を受けながらダンジョンへ入った。
低い階層から始めて、少しずつ先へ進む。
薬草を集める。
壁や通路の変化を記録する。
指定された魔物を倒し、魔石や素材を持ち帰る。
依頼を終えるたびに、報酬が支払われた。
私たちは、アメリアさんの屋敷で暮らしていた。
部屋も食事も用意してもらっている。
それでも、旅を続けるにはお金が必要だった。
列車に乗る。
道具をそろえる。
傷んだ装備を直す。
この先も進み続けるために、貯めておかなければならない。
「今日の分よ」
ギルドから戻ったアメリアさんが、机の上へ四つの小袋を置いた。
「四つ?」
「ルナ。ユニ。私。それから、にゃん吉君」
「ワン」
にゃん吉君が、自分の袋の前へ降りた。
「にゃん吉君の分もあるんですね」
「一緒に依頼を受けたんだから、当然でしょ」
アメリアさんは、それが当たり前のように答えた。
「でも、にゃん吉君はお金を持てないですよ」
「なら、あんたが預かっておきなさい」
「私が?」
「使い道を決めるのは、にゃん吉君よ。勝手に使ったらだめだからね」
「分かりました」
「ワン」
私は、にゃん吉君の小袋を受け取った。
私の物ではない。
にゃん吉君が使いたい時まで、私が預かるお金。
四人で受けた依頼だから、報酬も四人で分ける。
アメリアさんにとっては、それが当たり前だった。
訓練と依頼を繰り返すうちに、私の袋に入るお金は少しずつ増えていった。
同時に、進める階層も少しずつ深くなった。
*
三か月を過ぎた頃から、訓練の内容が変わった。
身体を動かす訓練は続いている。
でも、それだけではなくなった。
見る。
聞く。
考える。
選ぶ。
そして、動く。
「魔物は何体?」
ダンジョンの曲がり角で、アメリアさんが聞いた。
姿は見えない。
でも、奥から爪が石を引っかく音がする。
「三体です」
「惜しいわ。もう一体いる」
「もう一体?」
「足音が聞こえない相手もいる。動いているものだけを数えないで」
私は、もう一度耳を澄ませた。
足音は三つ。
それ以外には何も聞こえない。
そう思った時、空気の流れが少しだけ途切れていることに気づいた。
「曲がり角の近くに、一体います」
「正解。どうして分かったの?」
「そこだけ、風が通っていません」
「なら、次は最初に気づけるわね」
「はい」
見えるものだけを信じない。
聞こえる音だけで決めない。
魔物が何を見ているのか。
何を狙っているのか。
逃げるなら、どの道を使うのか。
毎回、アメリアさんに問いかけられた。
間違えれば、見落としたものを一緒に確かめる。
正しくても、ほかの選び方がなかったか考える。
アメリアさんは答えを甘くしない。
でも、間違えた私を責めるのではなく、次に同じものを見落とさない方法を教えてくれた。
同じ場所。
同じ魔物。
同じ人数。
それでも、立つ位置や身体の疲れ方が違えば、選ぶ答えも変わる。
「決まった答えを覚えないで」とアメリアさんは言った。
「その時にあるものを使ってください」とユニちゃんは言った。
二人の言い方は違ったけれど、たぶん、教えようとしていることは同じだった。
*
私が訓練している間、アメリアさんもユニちゃんから何かを教わっていた。
それは、魔法ではなかった。
「また気づかれました」
庭の中央に立っていたユニちゃんが言う。
少し離れた場所で、アメリアさんが双剣を止めていた。
アメリアさんは、ものすごく速い。
踏み込んだ姿が見えたと思った時には、もう剣が届く場所にいる。
それでも、ユニちゃんには一度も触れられなかった。
「どうして分かるのよ」
「斬ると決めてから近づいているからです」
「決めなきゃ斬れないでしょ」
「その決意が、先に届いています」
ユニちゃんは、それを殺気と呼んだ。
魔法で探しているわけではない。
目で見ているわけでもない。
相手の意識が自分へ向いた時に生まれる、小さな変化。
身体へ力が入る。
呼吸が変わる。
足の向きが変わる。
視線が集まる。
それらが一つになる前に感じ取る。
それが、気を感じるということらしい。
そして、アメリアさんが覚えようとしていたのは、その反対だった。
自分の気を相手へ向けない。
敵を倒そうと考えたまま近づかない。
呼吸も、足音も、身体の力も変えない。
相手の意識に、自分を引っかけない。
気配と殺気を消し、意識の外側へ回る。
「速さではありません」
ユニちゃんが言った。
「アメリアは、速さに頼りすぎています」
「魔法で身体を強くして、一気に近づけばいいじゃない」
「速く動けば、速く気づかれます」
「じゃあ、どうしろっていうのよ」
「敵に、アメリアを探させないことです」
アメリアさんは、不満そうに剣を収めた。
それから、庭の端にいたにゃん吉君を見る。
「次は、あれに近づけばいいのね」
「はい。触れられたら成功です」
「ワン」
にゃん吉君は庭の中央へ浮かんだ。
アメリアさんが歩き出す。
にゃん吉君の耳が動いた。
「ワン」
振り返る。
「まだ何もしてないでしょ!」
「もう狙っていました」
「狙わないで近づいて、どうやって捕まえるのよ!」
「考えてください」
「少しくらい教えなさいよ」
「アメリアが見つけることです」
二人の訓練は、しばらく続いた。
最初の頃は、アメリアさんが一歩動くだけで、にゃん吉君が振り返った。
次は二歩。
次は三歩。
日が進むにつれて、少しずつ近づけるようになった。
でも、手を伸ばす直前になると、必ず気づかれる。
「ワン」
「また!?」
何度失敗しても、アメリアさんはやめなかった。
私が走っている隣で、気配を消して歩く。
私が杖を持ち替えている間、にゃん吉君へ近づく。
ダンジョンの中でも、魔物にどこまで気づかれず接近できるか確かめる。
魔法で速くなるのではない。
速く動く必要がない距離まで、気づかれずに近づく。
それが、アメリアさんの新しい戦い方になっていった。
*
半年目の終わり。
私たちは、訓練のためにダンジョンの十五階へ入った。
通路の先に、狼に似た魔物が三体いる。
灰色の毛。
長い牙。
地面へ伏せた身体。
でも、見えているのは三体だけだった。
「四体です」
私は小さな声で言った。
「どこ?」
「右側の岩の後ろです。姿は見えません。でも、さっきからあそこだけ風が通っていません」
「狙いは?」
三体は、アメリアさんを見ている。
岩の後ろにいる一体だけが、こちらへ顔を向けている気がした。
「私です」
アメリアさんは何も言わない。
私は長杖を握り直した。
「私が動けば、隠れている一体が来ます」
「そうね」
「通路が狭いので、ここで囲まれると逃げられません。後ろの分かれ道まで戻りたいです」
「その間は?」
「ユニちゃんとにゃん吉君に、見えている三体を止めてもらいます」
ユニちゃんを見る。
「倒さなくていいです。追ってこられないようにしてください」
「はい」
「にゃん吉君は、一番左をお願いします」
「ワン」
最後に、アメリアさんを見る。
「岩の後ろの一体が出てきたら、お願いします」
「私が倒していいの?」
「はい。でも、私が分かれ道まで戻ってからです」
アメリアさんの眉が少し上がった。
「その前に追いつかれたら?」
「蓄魔珠で距離を作ります」
「それでも止まらなかったら?」
「杖の柄で牙を受けて、逃げます」
「消魔鋼でも魔物の牙は消せない。それは忘れないで」
「はい」
「分かったわ。やってみなさい」
「はい」
私は、通路を横へ走った。
見えていた三体の魔物が動く。
その前へ、ユニちゃんとにゃん吉君が出た。
「ワン」
にゃん吉君が一体の鼻先を叩く。
魔物の身体が横へ転がり、残りの二体の進路を塞いだ。
同時に、右の岩陰から灰色の身体が飛び出した。
やっぱり、私を狙っていた。
私は後ろへ走る。
分かれ道まで、まだ遠い。
魔物の方が速い。
爪が地面を蹴る音が近づいてくる。
振り返らない。
音だけで距離を確かめる。
一歩。
二歩。
次の足音が、さっきより大きい。
「今」
私は立ち止まり、長杖を返した。
蓄魔珠を地面へ当てる。
淡い橙色の光が弾けた。
衝撃が通路へ広がる。
魔物の前足が浮き、身体が横へ傾いた。
倒れてはいない。
でも、止まった。
私は杖を持ち替え、そのまま分かれ道まで走った。
広い場所へ出る。
左右に退路がある。
ここなら、一つの道を塞がれても逃げられる。
「アメリアさん!」
呼んだ。
返事はなかった。
足音も聞こえない。
魔物が体勢を戻す。
牙を見せ、こちらへ走り出す。
でも、その魔物はアメリアさんを見ていなかった。
気づいていない。
アメリアさんは、通路の壁際を歩いていた。
速くない。
魔法で身体を強くしている様子もない。
双剣にも魔力はまとわせていない。
それなのに、魔物は一度も振り返らなかった。
アメリアさんの視線は、魔物へ向いている。
けれど、倒そうとする気持ちが伝わってこない。
気配もない。
殺気もない。
まるで、最初からそこに誰もいなかったみたいだった。
魔物の意識は、私だけに向いている。
アメリアさんが、静かに双剣を抜いた。
まだ、気づかない。
刃が首へ届く直前。
初めて魔物の耳が動いた。
でも、遅かった。
二本の剣が交差する。
魔物の身体が淡い光に包まれ、消えていく。
あとには、小さな魔石だけが残った。
速さで追いついたわけではない。
魔法で動きを上げたわけでもない。
気配と殺気を消し、相手の意識の外側から近づいた。
気づかれないまま、刈り取った。
アメリアさんは剣を鞘へ収める。
「今の、どうだった?」
いつもより少し得意そうに聞いてきた。
「全然、気づきませんでした」
「魔物が?」
「私もです」
「そう」
アメリアさんは口元だけで笑った。
少し離れた場所で、ユニちゃんが胸を張る。
「どやです」
「なんで、あんたが自慢するのよ」
「私が教えました」
「できるようになったのは私でしょ」
「半分どやです」
「ワン」
にゃん吉君も胸を張った。
「にゃん吉君まで何でよ」
三体の魔物は、ユニちゃんとにゃん吉君に押さえられたまま動けなくなっていた。
アメリアさんが双剣を抜く。
今度は正面から、一気に距離を詰めた。
三体の魔物が消えるまで、長くはかからなかった。
*
ダンジョンを出た後。
屋敷へ戻る前に、アメリアさんが私を呼び止めた。
「ルナ」
「はい」
「一緒に来てもいいわ」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「本当ですか?」
「ただし、三つだけ約束して」
アメリアさんが指を一本立てる。
「できない時は、できないと言うこと」
二本目。
「退けと言われたら、すぐに退くこと」
三本目。
「気づいたことは、どれだけ小さくても伝えること」
「はい。守ります」
アメリアさんは、しばらく私を見ていた。
「半年間、あんたが続けてきたことよ。今までどおりにすればいいわ」
「……はい」
「なら、決まりね」
「ありがとうございます」
やっと、認めてもらえた。
強くなったからではない。
魔物を倒せるようになったからでもない。
自分にできることを考えて、ほかの人へ伝える。
危なくなれば逃げる。
一人で全部をしようとしない。
半年かけて覚えてきたことを、今日、アメリアさんに見てもらえた。
「アメリアも合格です」
ユニちゃんが言った。
「私も?」
「ルナへ任せました」
「訓練なんだから当然でしょ」
「三か月前なら、先に倒していました」
アメリアさんは何も言わなかった。
少しだけ顔を背ける。
「……危なくなったら、助けるつもりだったわよ」
「はい」
「見捨てたわけじゃないから」
「分かっています」
アメリアさんは、私が失敗しないと信じたわけではない。
失敗するかもしれない。
それでも、私が考えて選んだことを、途中で奪わずに見ていてくれた。
必要になれば、すぐに助けられる場所で。
「それと」
アメリアさんが言う。
「出発は三日後よ」
「三日後?」
「準備は、もう終わってるでしょ」
私は、自分の荷物を思い浮かべた。
長杖。
消魔鋼。
蓄魔珠。
地図。
道具。
依頼で貯めてきたお金。
それから、半年間で覚えてきたこと。
「はい」
「目的のダンジョンには転移台から入る。七十階までは移動できるわ」
「七十階……」
今まで訓練で入った場所より、ずっと深い。
どんな魔物がいるのか。
どれくらい危険なのか。
まだ、私は知らない。
アメリアさんが、私たちを見る。
「今度は、訓練ではないわ」
「はい」
怖くないわけではない。
でも、半年前とは違う。
何もできないまま、ついていくのではない。
私は長杖を握る。
その時に必要なものを見つける。
考える。
選ぶ。
そして、みんなで帰ってくる。
「行きます」
私が答えると、ユニちゃんが隣へ並んだ。
「はい」
にゃん吉君が、ユニちゃんの頭の上で鳴く。
「ワン」
アメリアさんは一度だけうなずいた。
決戦まで、あと三日。
半年間の訓練が、終わった。




