第2章 第20話 同じ屋根の下
「とりあえず、家へ戻ってお昼にしましょう」
アメリアさんが、折れた剣を拾い上げた。
残った一本も鞘へ収める。
「アメリアさんの家ですか?」
「ええ。ここから近いわ」
私たちは、アメリアさんと一緒に街へ戻った。
*
街の中心から少し離れると、建物の間が広くなった。
石畳の道を進んだ先に、高い塀が見えてくる。
塀の向こうには赤い屋根。その奥にも、いくつもの建物が並んでいた。
門の前には、二人の衛兵が立っている。
アメリアさんの姿を見た二人が、すぐに背筋を伸ばした。
「お帰りなさいませ、アメリア様」
「ただいま」
アメリア様。
これまで、そんな呼ばれ方をしているところは見たことがなかった。
門が開く。
その先には、広い庭が続いていた。
きれいに切りそろえられた木。水の流れる噴水。何台もの馬車が通れそうな道。
道の先には、白い壁の大きな屋敷が建っている。
「ここが、アメリアさんの家……?」
「そうよ」
「大きいですね」
「この辺りを治めているのが、うちだから」
アメリアさんは、何でもないことのように言った。
「治めている?」
「レヴァンテ家は、この街と周辺の土地を預かっているのよ」
私は、もう一度屋敷を見る。
アメリアさんが貴族だとは知らなかった。
Sランク冒険者で、魔法も剣も使えて、そのうえ領主の家の人。
知れば知るほど、私とは違うところが増えていく。
「何よ、その顔」
「アメリアさんって、すごい人だったんですね」
「今さら?」
アメリアさんが眉を寄せる。
「Sランクだと知った時の方が驚いていたでしょう」
「それと、これは別です」
「同じようなものよ」
たぶん、違うと思う。
玄関へ着く前に、大きな扉が内側から開いた。
一人の女の人が、階段を下りてくる。
黒い服の上に、白い前掛け。長い髪は後ろで一つにまとめられていた。
年齢は、アメリアさんより少し上に見える。
「お帰りなさいませ、アメリア様」
女の人は、アメリアさんの前で静かに頭を下げた。
「ただいま。急だけど、二人を連れてきたわ」
「承知いたしました」
女の人は、私とユニちゃんへ向き直った。
「ようこそお越しくださいました」
「ルナです。よろしくお願いします」
「ユニ・N・スターチスです」
「ワン」
にゃん吉君が、ユニちゃんの頭の上で鳴いた。
「にゃん吉君です」
「にゃん吉様ですね」
女の人は、にゃん吉君にも同じように頭を下げる。
「どうぞ、ごゆっくりお過ごしください」
「ワン」
ユニちゃんは、女の人を見ていた。
いつもと変わらない顔。
でも、その視線は女の人の足元から手元へ、ゆっくりと動いていた。
「先ほどは、遠くまで来ていましたね」
ユニちゃんが言った。
女の人の目が、わずかに細くなる。
「……お気づきでございましたか」
「はい」
「何の話?」
アメリアさんが二人を見る。
「お帰りが遅かったため、様子を確認しに参りました」
「どこまで来てたの?」
「訓練場を見渡せる丘の上まで」
「そんなに離れた場所から見てたの?」
「はい」
アメリアさんは、女の人の顔を見つめた。
「私、まったく気づかなかったんだけど」
「気づかれないようにしておりましたので」
「それでユニには気づかれているじゃない」
「まだまだ未熟でございます」
女の人は静かに頭を下げた。
「お怪我はございませんか?」
女の人が、アメリアさんの持っている剣を見る。
「ないわ。剣は折れたけど」
「左様でございますか」
女の人は、それ以上何も聞かなかった。
折れた剣を受け取る動きにも、少しの迷いもない。
「お食事の用意はできております」
「ちょうどよかったわ。案内して」
「かしこまりました」
女の人が屋敷の中へ入る。
私たちも、その後に続いた。
*
玄関の先には、広い階段があった。
高い天井から、大きな照明が下がっている。
壁には、知らない人たちの肖像画が並んでいた。
立派な服を着た男の人。椅子へ座った女の人。剣や杖を持っている人もいる。
階段を上りかけたところで、私は一枚の絵に目を止めた。
ほかの絵よりも大きい。
赤金色の髪をした女の人が、床へ立てた大剣の柄に両手を添えている。
髪も、目元も、アメリアさんによく似ていた。
でも、その表情はアメリアさんより少しだけ穏やかだった。
「この人が……」
「姉さんよ」
アメリアさんは立ち止まらなかった。
けれど、肖像画の前を通り過ぎる時だけ、その足が少し遅くなった。
女の人も何も言わず、先へ進む。
私も肖像画から目を離し、二人を追いかけた。
絵の中の大剣。
九十九階層で使われた武器も、あれだったのだろうか。
聞きたいことはあった。
でも、今は聞けなかった。
*
案内された部屋には、長い机が置かれていた。
窓の外には、さっき歩いてきた庭が見える。
席へ着くと、温かい料理が次々に運ばれてきた。
パン。野菜の入ったスープ。焼いた肉。見たことのない色の果物。
「遠慮しなくていいわよ」
「はい」
そう言われても、どれから食べればいいのか迷う。
並んでいるナイフと匙も、宿で使っていたものより多い。
私が隣を見ると、ユニちゃんは何の迷いもなく匙を取っていた。
にゃん吉君は、ユニちゃんの頭の上から料理を見ている。
「ワン」
「これは、にゃん吉君のではないみたいです」
「ワン」
その時、女の人が細長い皿を運んできた。
「にゃん吉様の分はこちらでございます」
皿の上には、大きな琥珀色の棒付き飴が載っていた。
「ワン!」
にゃん吉君が、ユニちゃんの頭の上から飛び下りた。
飴の棒を抱え、その場で嬉しそうに転がり始める。
「食べないの?」
私が聞く。
「ワン」
にゃん吉君は飴を抱えたまま、もう一度転がった。
向かいに座っているアメリアさんが目を細める。
「食べる前から遊んでるじゃない」
「いつものことです」
「いつも、あんなに大きな飴を持ってるの?」
「もっと大きい時もあります」
「どこで売ってるのよ」
「分かりません」
アメリアさんは何か言いかけたけれど、諦めたようにパンをちぎった。
食事が進んだところで、アメリアさんが私を見る。
「明日は、ルナの道具を全部確認する。そのあと、最初に入るダンジョンを決めるわよ」
「分かりました」
「返事はいいわね。嫌いじゃないわ」
アメリアさんは、そこでユニちゃんへ目を向けた。
「ところで、ルナたちは、ひと月ずっと宿から通うつもり?」
「その予定でした」
「それなら、ここに泊まりなさい」
「いいんですか?」
「九十九階層へ連れていけるか見極めるのよ。目の届かない宿に置いておくより、ここにいた方が都合がいいわ」
アメリアさんは、すぐに女の人を呼んだ。
「客室は空いている?」
「いつでもお使いいただけます」
「今日から使えるようにして」
「かしこまりました」
急に決まった。
私はユニちゃんを見る。
「泊まってもいいの?」
「ルナが決めてください」
ユニちゃんは、いつものように答えた。
ここから九十九階層へ向かうまでのひと月。
アメリアさんと一緒に準備をするなら、近くにいた方がいい。
「お世話になってもいいですか?」
「私が言い出したのよ」
「ありがとうございます」
アメリアさんはパンをちぎりながら、少しだけ目をそらした。
「食べ終わったら、宿へ荷物を取りに行くわよ」
*
昼食の後、私たちは一度宿へ戻った。
部屋に置いていた荷物を鞄へ詰める。
服。旅の道具。地図。魔道灯。残っている食料。
長杖を持ち、鞄を背負う。
「忘れ物はありませんか?」
「たぶん、大丈夫」
「たぶんは危険です」
「じゃあ、もう一度見る」
私はベッドの下と棚の中を確認した。
窓際にも、何も残っていない。
「今度こそ大丈夫」
宿の人へ事情を話し、残っていた分の代金を精算する。
それから、もう一度アメリアさんの家へ戻った。
門をくぐると、女の人が待っていた。
「お荷物をお預かりいたします」
「自分で持てます」
「では、お部屋までご案内いたします」
女の人は、無理に鞄を取らなかった。
私たちに用意されたのは、二階の客室だった。
寝台が二つ。机と椅子。大きな衣装棚。
窓からは、木々に囲まれた訓練場らしい場所が見える。
「広い……」
宿の部屋より、ずっと広い。
私の家なら、この部屋だけで居間と寝室が入りそうだった。
「浴室の準備が整いましたら、お呼びいたします」
「ありがとうございます」
女の人が出ていく。
私は鞄を寝台の横へ置いた。
ここで、ひと月暮らす。
そう思うと、急に落ち着かなくなった。
「緊張していますか?」
「少しだけ」
「私もです」
ユニちゃんが言った。
「ユニちゃんも?」
「はい。どちらの寝台で寝るか、まだ決めていません」
私は二つの寝台を見る。
「それで緊張してるの?」
「大切なことです」
ユニちゃんは、窓側の寝台と扉側の寝台を交互に見た。
それから、窓側を指す。
「こちらにします」
「決まってよかったね」
「はい」
ユニちゃんが寝台へ腰を下ろす。
にゃん吉君も、頭の上で満足そうに鳴いた。
「ワン」
*
日が傾き始めた頃、浴室の準備ができたと知らされた。
私とアメリアさんは、一緒に浴室へ入った。
浴槽は、何人も入れそうなくらい広かった。
白い湯気が天井へ上がっている。
「家のお風呂まで大きいんですね」
「いちいち驚かないでよ」
「だって、大きいです」
身体を洗ってから、湯船へ入る。
温かいお湯が肩まで広がった。
朝から歩いて、アメリアさんとユニちゃんの戦いを見て、屋敷と宿を往復した。
身体の奥に残っていた疲れが、少しずつほどけていく。
「明日は、何をするんですか?」
「言ったでしょう。まずはルナの道具を見るわ」
アメリアさんは、浴槽の縁へ背中を預けた。
「そのあと、地図を見ながら最初に入るダンジョンを決める」
「すぐには入らないんですね」
「必要な物も道も確認していないのに、入れるわけがないでしょう」
「はい」
湯気の向こうにいるアメリアさんを見る。
髪を下ろすと、階段に飾られていた肖像画の女の人によく似ていた。
「肖像画のお姉さん、アメリアさんによく似ていました」
「昔から言われていたわ」
「お姉さんは、大剣を使っていたんですよね」
「ええ。姉さんは、正面から全部まとめて斬る人だった」
アメリアさんが、お湯の中で両腕を広げる。
「あんなに大きな剣、私は振り回す気になれなかったけど」
「だから、アメリアさんは二本の剣を使うんですか?」
「私には、こっちの方が合っていたのよ」
姉と同じ剣を選ばなかった。
それでも、アメリアさんは姉のいた九十九階層へ向かおうとしている。
「どうしたの?」
「何でもありません」
今度は、肖像画を見ても足を止めなかったアメリアさんの横顔を思い出した。
*
夕食を終えた後、私たちは明日の時間だけ決めた。
道具と地図の確認は、朝食の後。
足りない物があれば、その日のうちに街でそろえる。
「そろそろ寝ます」
ユニちゃんが椅子から立ち上がった。
私も立ち上がり、アメリアさんへ頭を下げる。
「おやすみなさい、アメリアさん」
「ええ。寝坊しないでよ」
「はい」
客室へ戻ろうとした時、ユニちゃんの頭の上にいたにゃん吉君が、ふわりと浮かんだ。
そのまま、アメリアさんの頭の上へ移動する。
「ちょっと、何よ」
「ワン」
アメリアさんが頭上へ手を伸ばすと、にゃん吉君はその手へ身体を預けた。
「今日は、アメリアと寝たいみたいです」
「私と?」
「ワン」
アメリアさんは、両手でにゃん吉君を抱える。
「……仕方ないわね。今日だけよ」
そう言いながら、その顔は少しだけ嬉しそうだった。
*
翌朝。
私はユニちゃんと一緒に食事の部屋へ向かった。
扉を開ける。
アメリアさんは、すでに席へ着いていた。
「おはようございます、アメリアさん」
「……おはよう」
いつもより、声に力がない。
赤金色の髪も、少しだけ乱れている。
その頭の上には、満足そうなにゃん吉君が乗っていた。
「眠れなかったんですか?」
「この子、夜中に何度も転がってきたのよ」
アメリアさんが、にゃん吉君を指さす。
「最初は隣で丸くなっていたのに、気づいたら枕の真ん中にいるし、押し戻したら顔の上に乗ってくるし」
「ワン」
「最後には、毛布まで取られたわ」
「ワン」
「悪いと思っていないでしょう」
「ワン」
ユニちゃんが、にゃん吉君を見る。
「いつものことです」
「先に言いなさいよ!」
にゃん吉君が、アメリアさんの頭の上からユニちゃんの頭の上へ戻る。
「ワン」
アメリアさんは、何もなくなった頭の上へ手を伸ばした。
「もう一緒には寝ないんですか?」
私が聞く。
「それは……嫌じゃないけど」
アメリアさんは、ユニちゃんの頭の上にいるにゃん吉君を見る。
「今夜は、もう少し大人しく寝なさいよ」
「ワン」
食事を終えると、女の人が机の上を片づけた。
代わりに、大きな紙が何枚も運ばれてくる。
ダンジョンの地図だった。
アメリアさんは、その横へ私の鞄の中身を並べさせた。
水筒。保存食。縄。魔道灯。布。小さな薬。地図を書くための道具。
そして、両端に消魔鋼と蓄魔珠のついた長杖。
アメリアさんは、一つずつ手に取って確かめる。
「最低限はあるわね。でも、薬が少ない。予備の灯りも必要。縄も、もう少し長いものへ替えた方がいいわ」
「買いに行きます」
「午後からね。先に行き先を決める」
アメリアさんは、机の上へ三枚の地図を広げた。
「九十九階層のあるダンジョンへは、まだ行かない」
アメリアさんの指が、一枚目の地図から二枚目へ動く。
「ここは浅いけど、人が多すぎる。こっちは魔物が少ない代わりに、道が複雑ね」
最後に、三枚目の地図を開く。
街から少し離れた場所にある、二十五階層まで確認されているダンジョン。
「ここなら、浅い階層にも魔物が出る。道も単純すぎない。それに、途中で引き返せる場所も多い」
アメリアさんが、地図の一点を指した。
「最初は、ここへ行くわ」
地図の上に置かれた指を見る。
九十九階層とは違う場所。
でも、そこへ向かうための最初の一歩。
私の準備は、ここから始まる。




