第2章 第14話 魔法都市ルクシア
翌朝。
私は、新しくなった長杖を持って、冒険者ギルドへ向かった。
片方には、淡い青緑色の消魔鋼。光に当てると、結晶の奥で銀色の筋が細く輝く。
反対側には、丸い蓄魔珠。中には、橙色の光が浮かんでいた。
歩くための杖に、二つの役目が増えた。
でも、まだ一度も使ったことがない。
持っているだけでは、何もできない。
「緊張していますか?」
隣を歩くユニちゃんが聞く。
「少しだけ」
「そうですか」
「失敗して壊したりしないかな」
「そのための練習です」
「そうだけど」
「ワン」
にゃん吉くんが、私の頭の上で鳴いた。
「にゃん吉くんも応援してくれる?」
「ワン」
たぶん、してくれている。
私たちは、ギルドの扉を開けた。
*
受付へ行くと、昨日の女の人が待っていた。
「おはようございます」
「おはようございます」
「杖は問題ありませんか?」
「はい。まだ使ってはいませんけど」
「では、訓練場へ行きましょう」
ギルドの奥を通り、建物の裏へ出る。
そこには、土の地面に囲まれた広い訓練場があった。
何本もの木の柱。矢が刺さった的。傷だらけの人形。朝から、何人かの冒険者が身体を動かしている。
女の人は、訓練場の端で立ち止まった。
「まずは、蓄魔珠から試します」
「はい」
私は、橙色の珠がついた方を前へ向ける。
珠の根元には、細い銀色の輪がついていた。
「その輪を回してください」
指で触れる。少し固い。
力を入れると、小さな音がした。橙色の光が、さっきよりも強くなる。
「それが使用できる状態です。杖の先を地面へ向けてください」
「こうですか?」
「はい。そのまま、珠を地面へ触れさせてください」
私は、ゆっくり杖を下ろした。
丸い珠が地面へ触れる。
その瞬間。
空気が弾けた。
「わっ」
杖の先から、見えない何かが広がる。
足元の土が、円を描くように押しのけられた。私は思わず一歩下がった。
「今のが、蓄えられた魔力の放出です」
「びっくりした……」
「相手を倒すほどの力はありません。ただし、近くにいる相手を驚かせたり、距離を作ったりすることはできます」
戦うためではない。
離れるための力。
今まで教わってきた、長杖の使い方と同じだった。
「使ったあとは、輪を元の位置へ戻してください」
「はい」
銀色の輪を回す。橙色の光が弱くなった。
「これで勝手に出たりしないんですね」
「通常は出ません。ただ、使わない時は必ず戻してください」
「分かりました」
私は、銀色の輪の位置を確かめた。
次に長杖を持ち替え、消魔鋼がついた方を前へ向ける。
「こちらは、動いている魔法へ当てる練習をします」
女の人が、訓練場の中央へ手を向ける。
白い光が、小さな球になって現れた。
「これは練習用の魔法です。当たっても痛くありません」
「はい」
「では、始めます」
白い光が、ゆっくりこちらへ飛んでくる。
速くはない。見えている。
私は消魔鋼を光へ向けた。
でも、杖の先は光の下を通り過ぎた。
白い球が私の肩に触れ、そのまま小さな光になって消えた。
「外した……」
「もう一度です」
新しい光が現れる。
今度は、さっきより杖を高く出した。
でも、早すぎた。杖を戻そうとした時には、光が腕へ触れていた。
「難しい……」
見えているのに、うまく合わせられない。
長い杖の先が、自分で思っていた場所と少しずれている。
「もう一度お願いします」
「はい」
三つ目の光が現れる。
私は、すぐには動かなかった。
光を見る。杖の先を見る。
距離が縮まる。
今。
私は、消魔鋼を前へ出した。
淡い青緑色の結晶が、白い光へ触れる。
音はしなかった。
光だけが消魔鋼へ吸い込まれるように崩れ、何も残さず消えた。
「できた……」
「はい」
女の人が頷く。
「今の距離とタイミングを覚えてください」
私は、消魔鋼を見る。
触れれば、魔法を消すことができる。
でも、持っているだけでは守ってくれない。私が見て、正しい場所へ出さなければならない。
「もう少し練習してもいいですか?」
「もちろんです」
「お願いします」
四つ目の光が現れる。
私は、もう一度長杖を構えた。
*
練習を終え、ギルドの受付へ戻る。
女の人が、一枚の紙を持ってきた。
「昨日のダンジョンについて、確認が終わりました」
「どうなっていましたか?」
「皆さんが入った左側の通路は、見つかりませんでした」
「なくなったんですか?」
「その可能性が高いです。奥まで調査しましたが、地図にない分岐も、転移陣も確認できませんでした」
昨日、確かにあった道。
私たちが入った通路。
それが、もうどこにもない。
「六つ目の案内板は?」
「元の場所へ戻っていました」
「戻った……」
見つからなかった案内板が、また同じ場所に立っている。
何が起きたのか。どうして私たちが転移したのか。
結局、何も分からなかった。
「しばらくは調査を続けます。何か分かれば、冒険者証を通じて知らせます」
「お願いします」
「持ち帰られた消魔鋼については、装備として登録されています。ほかの街で確認されても問題ありません」
私は、長杖の先を見る。
偶然持ち帰った、小さな欠片。
今は、私の杖の一部になっている。
「ありがとうございます」
ギルドを出る。
朝よりも、街の中を歩く人が増えていた。
駅へ向かう道では、店の人たちが声を上げている。荷車が通り、焼いたパンの匂いがする。
少し前まで知らなかった街。
でも、もう何も知らない街ではなかった。
「行くんですね」
ユニちゃんが言う。
「うん」
私は、長杖を握り直した。
「次へ行こう」
*
列車が、リーベル駅を離れる。
赤い屋根が、窓の外を流れていく。
大きな通り。冒険者ギルド。昨日まで歩いた場所。
それらが、少しずつ小さくなる。
私は窓際の席に座り、新しくなった長杖を倒れないように支えていた。
「その杖、気に入ったのか?」
近くに座っていた男の人が聞く。
「はい」
私は、消魔鋼がついた先を見せないように、杖を少しだけ自分へ寄せた。
珍しい物だと教わった。
必要もないのに、見せて歩く物ではない。
列車は西へ向かって進む。
山を越え、川を渡り、次の駅へ向かった。
*
それから、私たちは途中の駅で何度か降りた。
小さな町で食料を買った。駅の近くにある宿で一晩を過ごした。朝の市場を歩き、見たことのない果物を見つけた。
「食べられるのかな」
「売られているので、食べられます」
「それはそうだけど」
半分に切ってもらう。
中は、薄い紫色だった。
一口食べる。
「酸っぱい……」
「ワン」
にゃん吉くんも、小さな欠片を食べる。
身体が、ほんの少し震えた。
「にゃん吉くんも酸っぱかった?」
「ワン」
別の町では、駅の裏に大きな風車が並んでいた。
風が吹くたび、白い羽根がゆっくり回っている。
少しだけ歩き、夕方の列車へ乗った。
降りずに通り過ぎた駅もあった。
名前だけを見た町。遠くから屋根だけが見えた村。煙の上がる工場。畑の中を走る細い道。
すべての場所で、何かが続いていた。
人が暮らし、働き、次の日を迎えている。
私たちは、旅を急いでいない。
それでも、列車へ乗れば少しずつ西へ進んでいく。
目的地は、前よりも近くなっていた。
*
ある朝。
列車は、長い坂を上っていた。
窓の外には高い山が迫っている。線路は、その山へ向かって真っすぐ伸びていた。
「この先です」
向かいに座るユニちゃんが言う。
「魔法都市?」
「はい」
にゃん吉くんは、ユニちゃんの頭の上で丸くなっている。
「ワン」
列車が、山の中へ入った。
窓の外が、一瞬で暗くなる。車内の魔道灯が灯った。
壁に反射した車輪の音が、何度も重なって聞こえる。
長い、暗い道。
でも、列車は止まらない。
やがて、遠くに小さな光が見えた。
光が、少しずつ大きくなる。
列車がトンネルを抜けた。
「……わあ」
私は、窓へ顔を近づけた。
山の向こう。
広い平地に、大きな街が広がっている。
今まで見たどの街よりも大きい。
高い塔。幾つもの駅。空中に浮かぶ光。建物と建物の間を走る小さな乗り物。
街の中央には、青白い光を放つ、ひときわ高い塔が立っていた。
何本もの線路が、その街へ集まっている。
「見えてきました」
「うん」
西の魔法都市。
ルクシア。
私たちが、ずっと目指していた街だった。
*
列車は、大きな駅へ入っていく。
何本もの線路が同じ場所に並んでいる。反対側のホームにも、別の列車が止まっていた。
人が降りる。人が乗る。
大きな荷物を運ぶ人。杖を持った人。同じ色の服を着た学生たち。
扉が開く。
私たちは列車を降りた。
「人が多い……」
王都の駅も大きかった。
でも、ここは少し違う。
天井には、幾つもの光る文字が浮かんでいた。
列車の行き先。出発する時間。乗り場の番号。
文字が、一定の間隔で切り替わっていく。
壁にかかった地図も、触れた場所だけが光る。荷物を載せた台車が、誰にも押されずに動いていた。
どこを見ても、魔法と魔道具が使われている。
私は長杖を握る。
魔法が、当たり前に存在する街。
その中で、私だけが使えない。
「ルナ」
「大丈夫」
私は答えた。
「まだ何も聞いていません」
「……そうだったね」
ユニちゃんが私を見る。
いつもと同じ顔だった。
「行きますか?」
私は駅の出口を見る。
鞄の中には、マグナスさんから預かった紹介状がある。
この街へ来た理由。
私が魔法を使えない理由を、調べるため。
「行こう」
「はい」
「ワン」
歩き始めようとした時、大きな掲示板が目に入った。
一枚の紙が、ほかの案内よりも目立つ場所に貼られている。
何色もの魔法に囲まれた、一人の若い女の人。
その下に、大きな文字が書かれていた。
『史上最年少のSランク魔法使い』
名前は、アメリア・レヴァンテ。
「この人……」
列車の中で、名前は聞かなかった。
たくさんの魔法を使う、若いSランクの女の人。
その人が、この街にいる。
「知っているのですか?」
ユニちゃんが聞く。
「ううん。会ったことはないよ」
私は、掲示板の女の人を見る。
「でも、少しだけ聞いたことがある」
魔法を一つも使えない私。
たくさんの魔法を使える人。
同じ街へ来た。
胸の奥が、少しだけ落ち着かない。
でも、ここまで来たのは、その人に会うためだけではない。
「まずは、紹介状を届けよう」
「はい」
私たちは駅を出た。
*
外へ出る。
広い道の両側に、高い建物が並んでいる。
店の看板が色とりどりに光る。箒に乗った人が、建物の間を飛んでいく。
道の端では、小さな人形が自分で地面を掃いていた。
水路には透き通った水が流れ、その上を青い光が魚のように泳いでいる。
「すごい……」
見たことのないものばかりだった。
何が魔法で、何が魔道具なのか。私には分からない。
道を歩く人たちは、誰も驚いていない。
ここでは、これが普通なのだ。
私は鞄から紹介状を取り出す。
封筒の表には、行き先が書かれていた。
魔法研究院。
街の中央にある、高い塔の近く。
「まずは、そこだね」
「はい」
「迷わず行けるかな」
「地図があります」
「そうだった」
駅でもらった地図を開く。
私たちは、大通りを歩き始めた。
知らない魔法。
知らない人。
まだ分からない、私のこと。
確かめるために。
私は、魔法都市ルクシアへ最初の一歩を踏み出した。




