第2章 第11話 ないはずの場所
掲示板には、何枚もの依頼書が並んでいた。
荷物の運搬。店の手伝い。街道の見回り。薬草の採取。魔獣の討伐。
前の街でも見たことのある依頼が多い。けれど、依頼を出した人も、向かう場所も違う。
ルナは一枚ずつ内容を読んでいく。
「どれにしようかな」
「ワン」
にゃん吉君が、ユニの頭上から鳴いた。
「にゃん吉君も見る?」
「ワン」
ルナは掲示板へ目を戻す。
その中で、一枚の依頼書が目に留まった。
『第一層 案内板確認』
「これ……」
ダンジョンの第一層に設置された案内板を確認する依頼だった。
古くなった案内板や、倒れている標識がないか調べる。異常があれば、渡された地図へ場所と状態を書き込む。
魔獣を倒すことが目的の依頼ではない。
「これなら、できるかも」
前の街で初めてダンジョンへ入った。
危険がない場所ではなかった。それでも、何を持っていけばいいのか、どこを見ればいいのかは、入る前より少し分かっている。
ルナはユニを見る。
「これ、受けてみたい」
「はい」
掲示板から依頼書を外し、受付へ持っていく。
「この依頼を受けたいです」
受付の女性が依頼書と二人の冒険者証を確認する。
「案内板の確認依頼ですね」
「はい」
「作業内容はEランク相当ですが、場所はダンジョン内です。入るにはCランク以上の責任者が必要になります」
女性がユニの冒険者証を見る。
「今回はユニさんを責任者、ルナさんを補助者として申請できます」
「お願いします」
女性は頷き、一枚の地図を机へ広げた。
「作業するのは第一層の管理区域内です。魔獣が入り込むこともありますから、見つけた場合は無理に近づかないでください」
「はい」
地図には、入口から続く道と、途中にある分かれ道が描かれている。
確認する案内板は全部で六か所。地図には、それぞれ黒い点で場所が示されていた。
「この赤い線より奥へは行かないでください」
女性の指が、地図に引かれた線をなぞる。
「その先は、今回の依頼には含まれていません」
「分かりました」
「それから、このダンジョンでは、まれに地図と通路の形が一致しなくなったという報告があります」
「道が変わるんですか?」
「詳しい理由は分かっていません。ただ、地図にない道を見つけた場合は、入らずに戻って報告してください」
前のダンジョンでも、管理所の人に何度も言われた。
異変があれば、依頼より帰ることを優先する。
「案内板を見るだけでも、大切な依頼なんですね」
「はい。次に入る冒険者が迷わないために必要な仕事です」
ルナは地図と依頼書を受け取った。
「行ってきます」
「お気をつけて」
ギルドを出る。
「ワン」
にゃん吉君が、ユニの頭上で鳴いた。
ルナの鞄には、携帯灯が二つ入っている。
水と食料。傷薬と包帯。
前の街で初めてダンジョンへ入った時に必要だったものも、一通り確かめてある。
前とは少し違う。
何を用意すればいいのか、自分で確認できるようになっていた。
ルナたちは地図に描かれたダンジョンへ向かった。
街の北門を出て、しばらく街道を歩く。
道の先には低い岩山が見えていた。ダンジョンの入口は、その麓にあるらしい。
前に入った場所より街から近く、道も平らだった。
途中で何人かの冒険者とすれ違う。
剣を持った人。大きな袋を背負った人。泥のついた外套を着た人。
みんな、岩山の方から歩いてきている。
「ダンジョンから戻ってきた人たちかな」
「そうだと思います」
「それなら、今日も人は入ってるんだね」
「はい」
少しだけ肩の力が抜ける。
やがて、岩山の下に大きく開いた入口が見えた。その横には、小さな管理所が建っている。
ルナは中にいた男性へ依頼書と冒険者証を見せた。
「案内板の確認か」
「はい」
男性は依頼書を読み、ユニの冒険者証も確認する。
「責任者はユニ、補助者がルナ。第一層の管理区域までだな」
「はい」
男性が机の上の記録を見る。
「今朝も何組か入ってる。今のところ、第一層で異常の報告はない」
「分かりました」
「地図の赤い線より奥へは行くなよ。それと、地図にない道があったら、その場で戻ってこい」
「はい」
ギルドでも聞いたことだ。
確認を終え、ルナたちは入口へ向かった。
大きく開いた岩の隙間。その奥は、昼なのに暗い。
ルナは鞄から携帯灯を取り出し、灯りをつける。予備も入っていることを、もう一度だけ確かめた。
「行こう」
「はい」
「ワン」
ダンジョンへ入ると、にゃん吉君はユニの頭上を離れ、ルナの頭上へ移った。
危ない場所へ入る時は、いつもこうしてルナのそばにいる。
白い身体から淡い光が広がり、携帯灯と一緒に暗い通路を照らした。
ルナたちは、その光の中を進んでいった。
最初の案内板は、入口からそれほど離れていない場所にあった。
木で作られた板に、入口へ戻る方向と、奥へ進む方向が描かれている。
少し汚れているが、文字は問題なく読めた。
ルナは地図にある一つ目の黒い点の横へ、小さく丸をつける。
「異常なし」
「はい」
二つ目も問題はなかった。
三つ目は、少し傾いている。
ルナは案内板の前でしゃがみ込んだ。
支柱の根元が、地面から少し浮いている。
「これ、緩んでるね」
「そうですね」
依頼は確認と報告だ。
ルナは触らず、三つ目の黒い点の横へ状態を書き込んだ。
『支柱に緩みあり』
「これで分かるかな」
「分かると思います」
「よし」
完全に壊れる前に直してもらえるかもしれない。
「あと三つ」
さらに奥へ進む。
通路は緩やかな下り坂になっていた。天井から時々水が落ち、携帯灯とにゃん吉君の淡い光が濡れた岩へ反射する。
前のダンジョンと似ているところもある。
でも、同じではない。
岩の色も、通路の広さも違う。
四つ目の案内板を確認する。
五つ目も、地図と同じ場所にあった。
「最後は、この先だね」
ルナは地図を見る。
少し進んだところに小さな分かれ道があり、その手前に六つ目の黒い点がある。
そこに案内板があるはずだった。
地図に従って歩いていく。
やがて、二つに分かれた道が見えてきた。
ルナの足が止まる。
「……ない」
案内板が見つからない。
壁際にも、地面にもない。
倒れた跡も、壊れた木片も見当たらなかった。
ルナは携帯灯を動かし、周囲を確かめる。
「場所を間違えた?」
「地図では、ここです」
ユニが答える。
もう一度、地図と目の前の通路を見比べる。
右へ続く道。
そして、左へ続く道。
地図に描かれているのは、右の道だけだった。
「左の道……地図にないよ」
「はい」
受付で言われた言葉を思い出す。
地図にない道を見つけた場合は、入らずに戻って報告する。
ルナは左の通路を見た。
その先は暗く、携帯灯とにゃん吉君の光も途中までしか届かない。
「行かない方がいいね」
「はい」
「場所だけ地図に書いて、戻ろう」
ルナは新しい通路の位置を地図へ簡単に書き込み、鞄へ戻した。
「ワン」
にゃん吉君が、少し強く鳴いた。
「どうしたの?」
ルナが顔を上げる。
にゃん吉君はルナの頭上に浮いたまま、足元を見ていた。
「足元?」
ルナも視線を落とす。
硬い岩の床。
その一部に、細い線が走っている。
自然に割れたものには見えない。
何本もの線が、ルナの足元を囲むように円を描いていた。
「これ……」
ルナは動かず、ユニを見る。
「ゆっくり、ここから出た方がいいよね」
「はい」
「じゃあ、このまま――」
一歩、後ろへ下がろうとした、その時だった。
足元の線に、淡い青い光が走った。
「え?」
一本だった光が、次の線へ。
さらにその隣へ。
円全体が一瞬で明るくなる。
「ルナ」
ユニがすぐに円の中へ踏み込み、ルナの隣に並んだ。
にゃん吉君もルナの頭上から離れない。
淡い光を放ったまま、白い光に包まれる。
ルナが振り向くより早く、白い光が三人を包んだ。
ルナは反射的に鞄を抱えた。
壁が遠ざかる。
通路が消える。
足元の感覚まで、一瞬だけなくなった。
次に足が触れたのは、硬い地面だった。
「……っ」
ルナはよろめき、杖を地面へついて身体を支える。
「ユニちゃん?」
「ここです」
すぐ近くから声が聞こえた。
顔を上げる。
ユニが立っている。
にゃん吉君も、ルナの頭上に浮いていた。
白い身体から広がる淡い光も、消えていない。
「ワン」
「よかった……」
ルナは大きく息を吐いた。
誰も欠けていない。
けれど、さっきまでいた通路ではなかった。
壁も床も、淡い光を帯びている。
水色。
青緑。
薄い紫。
透明な結晶が、岩の隙間から無数に伸びていた。
小さなものもあれば、ルナの腕ほどの長さがあるものもある。
天井近くまで伸びている結晶もあった。
その内部を、銀色の筋がゆっくり流れているように見える。
「きれい……」
思わず声が出た。
ダンジョンの中なのに、夜の空をそのまま閉じ込めたようだった。
ルナは携帯灯を向けながら、周囲を見回す。
携帯灯は、転移する前と変わらずついている。にゃん吉君の淡い光も、頭上から結晶を照らしていた。
来た道はない。
入口もない。
さっき足元にあった円も見当たらない。
ただ、知らない通路だけが続いている。
「転移したのかな」
「そのようです」
ルナは地図を開く。
目の前の場所と似た区画は、どこにも描かれていなかった。
「ここ、地図のどこにもないね」
「はい」
「戻る道は?」
ユニが周囲を見る。
「ここから見える範囲にはありません」
「そっか……」
ルナはもう一度、結晶に囲まれた通路を見る。
何も考えずに奥へ進むのは違う。
まず、自分たちがどこにいるのか。
戻れる場所が近くにないか。
確かめる必要がある。
「まず、この辺りだけ見てみよう。遠くには行かないで」
「はい」
「ワン」
返事を聞いて、ルナは少しだけ息を吐いた。
それでも、心臓はまだ速い。
「ユニちゃん」
「はい」
「これ、結構大変だよね」
「はい」
ユニはいつもと変わらない顔で頷いた。
「こりゃ大変。あわあわです」
「……全然あわあわしてない」
「そうですか」
「ワン」
ルナは呆れて、それでも少しだけ笑った。
地図にはない場所。
戻る道も、まだ見つからない。
そして、見たことのない結晶。
ルナは携帯灯を握り直し、頭上から降りるにゃん吉君の淡い光の向こうへ目を向けた。




