第2章 第10話 海の向こうの騎士
列車は西へ向かって走っている。
窓の外には、どこまでも畑が続いていた。時々、小さな家が見える。遠くに見えていた山は、少しずつ大きくなっている。
昨日までいた街は、もう見えない。三つの魔石も、もう持っていない。
それでも、何もなくなった気はしなかった。
私は膝の上に置いた鞄へ触れる。
「次の駅まで、どれくらい?」
「もう少しです」
向かいに座るユニちゃんが答える。
にゃん吉くんは、ユニちゃんの頭の上で丸くなっていた。列車が揺れるたび、白い身体も少しだけ揺れる。
「ワン」
「起きてたんだ」
「ワン」
同じ車両には、私たち以外にもたくさんの人が乗っていた。
大きな荷物を抱えた家族。何枚もの紙を読んでいる男の人。窓際で眠っている女の人。
通路を挟んだ向こうには、一人の旅人が座っている。
年は、お父さんより少し若いくらい。鎧は着ていないけれど、腰には剣を下げている。深い緑色の外套。胸元には、見たことのない紋章がついていた。
さっきから、その男の人が何度かユニちゃんを見ている。
知り合いなのかな。
ユニちゃんは気にしていない。いつもと同じように窓の外を見ていた。
やがて、男の人が立ち上がり、こちらへ歩いてくる。
「失礼だが」
男の人がユニちゃんを見る。
「はい」
「もしや、ユニ・N・スターチス殿では?」
「そうです」
男の人の表情が変わった。
「やはり」
「ユニちゃんを知っているんですか?」
私が聞く。
「ああ。王都で新聞を読んだ」
男の人はユニちゃんの青いコートを見る。
「白銀の髪に青いコート。そして、頭の上に白い生き物を乗せていると書かれていた」
「にゃん吉くんです」
「その頭の上にいるのが?」
「はい」
男の人は、にゃん吉くんを見る。
「犬なのか?」
「にゃん吉くんです」
「ワン」
男の人は少しだけ目を丸くした。
「そうか……」
たぶん、分かっていない。
私も最初は分からなかった。
「突然声をかけてすまない」
男の人は胸へ片手を当てた。
「私はディルクという。海を越えた先にある国で、騎士をしている」
「騎士……」
私は男の人の腰にある剣を見る。
鎧を着ていなくても、立っている姿がほかの旅人とは少し違って見えた。
「あの、海の向こうから来たんですか?」
「ああ」
「船で来たんですか?」
「そうだ」
ディルクさんは空いている席へ座った。
「私の国から、こちらの大陸まで船で渡る。それから港で列車に乗った」
「どれくらいかかるんですか?」
「海が穏やかなら、三日ほどだ」
「三日……」
三日間、周りに海しかない場所を進む。
私は見たことのない景色を想像する。
「怖くないんですか?」
「嵐に遭えば怖い。だが、船でなければ海は越えられない」
怖くても、そこを通らなければ辿り着けない場所がある。
歩くのとは少し違う。でも、どこか同じだった。
「ディルクさんは、これから海へ戻るんですか?」
「そのつもりだ。この列車で西へ進み、魔法都市を通って港へ向かう」
「魔法都市を?」
「ああ。君たちも、そこへ?」
「はい。私たちも、西の魔法都市を目指しています」
「では、このまま魔法都市まで?」
「いいえ」
私は首を振る。
「私たちは旅を急いでいないので、途中の駅で降りる予定です」
ディルクさんが少しだけ笑った。
「それも旅の楽しみ方だな」
「ディルクさんは、魔法都市へ行ったことがあるんですか?」
「何度か通ったことがある」
私は少しだけ身体を前へ向ける。
「どんなところですか?」
「一言で説明するのは難しいな」
ディルクさんは少し考える。
「まず、とても大きな街だ。この路線でも、特に多くの列車が集まる」
いくつもの方向から列車がやってくる。人を乗せ、荷物を運び、また別の場所へ向かう。
「街には、魔法を学ぶ者や研究する者が各地から集まっている」
「魔法を研究するんですか?」
「ああ。新しい魔法や魔道具も、あの街で数多く生まれているそうだ」
みんなが使っている魔法を、もっと詳しく調べる人たちがいる。
私には、使うことさえできないものを。
「魔道具を扱う店も多い。私の国では見ない物も売られている」
「海の向こうにもない物があるんですか?」
「ああ。あの街でしか作れない物もあるらしい」
「すごいですね」
「それだけではない」
ディルクさんは声を少しだけ低くする。
「魔法都市には、魔法使いとして史上最年少でSランクになった女性がいる」
「女の人ですか?」
「ああ。まだ若いが、扱える魔法の数も、魔力量も並ではないと聞いている」
Sランク。
ユニちゃんと同じ。
でも、その人はたくさんの魔法を使える。
私は自分の手を見る。
魔法を使えないのは、私だけ。
その人と同じ街に立った時、私は何を思うんだろう。
まだ分からない。
「ユニちゃんは、その人を知ってる?」
「知りません」
「会ったこともない?」
「ありません」
「そうなんだ……」
魔法を一つも使えない私。
たくさんの魔法を使える人。
まだ会ったこともないのに、その人のことが少しだけ気になった。
「その者も有名だが」
ディルクさんがユニちゃんを見る。
「今、王都ではあなたの話をする者が多い」
「そうですか」
「新聞には、測ることのできない力を持つ新しいSランクと書かれていた」
「間違いではありません」
「ずいぶん落ち着いているな」
「いつもどおりです」
「ワン」
ディルクさんが笑う。
「新聞で読んだより、不思議な人だ」
「よく言われます」
「それも、いつもどおりか」
「はい」
列車が大きく揺れた。
車輪の音が変わる。
窓の外に細い川が見えた。その向こうには、赤い屋根の建物が並んでいる。線路の近くを、何人もの人が歩いていた。
「間もなく、リーベル駅です」
車掌の声が車両の中へ響く。
私は座席の前に置いていた鞄を持つ。
「この駅で降りるのか?」
「はい」
「魔法都市までは、まだいくつも駅があるぞ」
「知っています」
私は窓の外を見る。
知らない街が、少しずつ近づいてくる。
「でも、急いでいませんから」
ディルクさんは静かに頷いた。
「よい旅を」
「ありがとうございます。ディルクさんも、お気をつけて」
ディルクさんは、今度はユニちゃんを見る。
「いつか海を越えることがあれば、我が国にも立ち寄ってほしい」
「覚えておきます」
「歓迎しよう」
列車の速度が少しずつ落ちていく。
「ルナ」
「うん」
私は鞄を背負う。
ユニちゃんも座席から立ち上がった。その頭の上で、にゃん吉くんの身体が揺れる。
「ワン」
列車が止まり、扉が開いた。
外から、たくさんの声が入ってくる。
私たちはホームへ降りた。
振り返ると、窓の向こうにディルクさんが見える。
私は小さく手を振った。ディルクさんも片手を上げる。
扉が閉まり、しばらくして列車が動き始めた。
ディルクさんを乗せた列車は、西へ向かう。
魔法都市を通って、その先の港へ。そして、海の向こうへ。
列車が見えなくなるまで、私はホームに立っていた。
「海か……」
「見たいですか?」
ユニちゃんが聞く。
「分からない」
私は正直に答える。
「でも、どんな場所なのかは知りたい」
「そうですか」
「いつかね」
「はい」
今は、まだ行かない。
私たちが目指している魔法都市も、ここからずっと先にある。
でも、その先にも港がある。海がある。海を越えた先にも、知らない国がある。
「行こう」
「どこへですか?」
「まずは、街を見てみよう」
「はい」
「ワン」
*
駅を出る。
目の前には広い通りが続いていた。
赤い屋根の建物。店の前に並ぶ木箱。荷車を引く人。焼いたパンの匂いが、風に乗って流れてくる。
前の街とは、道の色も建物の形も違う。
駅の近くには、大きな案内板が立っていた。
宿。市場。道具屋。冒険者ギルド。
私は案内板に描かれた矢印を見る。
「まず、ギルドへ行こう」
「依頼を受けるのですか?」
「まだ決めてないよ」
鞄の中には、前の街でもらった報酬がある。すぐに困るほど、お金がないわけじゃない。
それでも、この街に何があるのか。何を必要としている人がいるのか。先に知っておきたい。
「見てから決める」
「はい」
私たちは案内板の矢印に従って歩き始めた。
駅前の通りを抜け、何度か角を曲がる。
やがて、剣と盾が描かれた看板が見えた。
「ここだ」
前の街にあったギルドより少し小さい。
けれど、開いた扉の向こうから大勢の声が聞こえる。
私は中へ入った。
受付に並ぶ冒険者。壁に貼られた地図。依頼書を眺める人たち。
知らない街。知らない人たち。
壁には、知らない依頼が並んでいる。
私は一枚ずつ、掲示板を見ていった。




