第2章 第3話 黒龍が残したもの
ガタン。ゴトン。
ガタン。ゴトン。
朝からずっと聞いていた音が、少しずつゆっくりになっていく。窓の外を見ると、さっきまで流れていた景色も、だんだん形を取り戻していた。
家がある。畑がある。その向こうには、大きな駅。
「着くの?」
「はい」
ユニちゃんが立ち上がる。頭の上では、にゃん吉くんが小さく揺れていた。
「ワン」
「にゃん吉くん、ずっとそこにいたね……」
「ワン」
何の返事なのかは分からない。
私は荷物を持って、もう一度窓の外を見る。
ここが、黒龍が暴れた場所から、そう遠くない街。
お姉ちゃんの手紙で読んだ場所が、今、目の前にある。
*
列車を降りた瞬間、思っていたのと違うと感じた。
「……普通だ」
人が歩いている。荷物を運ぶ人。駅前で客を待つ馬車。大きな声で何かを売っている商人。子供たちまで走り回っている。
もっと暗い街を想像していた。
壊れた建物ばかりで、人も少なくて。そんな場所なのかと思っていた。
「ルナ」
「なに?」
「止まってます」
「あ」
いつの間にか、ユニちゃんたちは少し先へ進んでいた。
「待って!」
慌てて追いかける。
駅を出て、大きな通りへ。そこにも店が並んでいた。
焼いた肉の匂い。果物を積んだ荷車。冒険者らしい人たち。
王都ほどではないけれど、思っていたよりずっと賑やかだ。
「ちゃんと、みんな暮らしてるんだ……」
「はい」
ユニちゃんは短く答えた。私は少しだけ安心した。
その時だった。
「危ないぞ!」
「え?」
腕を引かれる。
次の瞬間。
ガラガラガラッ!
目の前を、大きな木材を積んだ荷車が通り過ぎた。
「わっ……」
「前を見てください」
ユニちゃんだった。
「ご、ごめん」
「旅先でよそ見をすると危ないです」
「はい……」
さっき列車の中でも、似たようなことを言われた気がする。
「ワン」
「にゃん吉くんまで……」
私は今度こそ、ちゃんと前を向いた。
そして、気づいた。
「あれ……?」
通りの向こう。一軒の建物を、何人もの人が囲んでいる。壁には足場が組まれ、新しい木材が運び込まれていた。
その隣には、新しく塗られた壁。屋根だけ色の違う家。さらに向こうでは、道に石を敷き直している。
「もしかして……」
「復旧工事ですね」
ユニちゃんが言った。
さっきまで、普通の街に見えていた。でも、よく見ると違う。
新しい壁。新しい屋根。途中まで直された道。建物がなく、空き地になっている場所もある。
「これ……全部?」
ユニちゃんは答えなかった。
代わりに、近くで木材を運んでいた男の人の声が聞こえた。
「そっちはもう少し右だ!」
「分かってる!」
何人もの人が働いている。
壊れたものを、少しずつ元に戻すために。
私は立ち止まった。
お姉ちゃんの手紙には、黒龍が暴れたと書いてあった。
文字で読んだ。怖い事件だったんだと思った。
でも、文字だけじゃ分からなかった。
壊れたものは、事件が終わったからといって、すぐ元に戻るわけじゃない。
「……まだ、終わってないんだ」
私が呟くと、ユニちゃんがこちらを見た。
「事件は終わっています」
「え?」
「でも、元に戻るには時間がかかります」
「……そっか」
終わったことと、元に戻ることは同じじゃない。
私は、修復途中の建物を見上げた。
*
「まず、ギルドに行く?」
「その方がいいと思います」
「宿も探さないとね」
「はい」
「ワン」
私たちは通りを歩き始めた。
その途中、ユニちゃんが急に足を止めた。
「どうしたの?」
「見られています」
「え?」
私は辺りを見る。
最初は分からなかった。でも、少し離れた場所にいた男の人が、こちらを見ている。
作業着を着た、年配の人だった。
正確には、私じゃない。ユニちゃんを見ている。
男の人は手に持っていた道具を下ろすと、じっとユニちゃんを見た。
白銀の髪。エメラルドグリーンの瞳。青いコート。そして、頭の上にいる白くて丸いにゃん吉くん。
男の人が、ゆっくりと近づいてきた。
「……あんた」
「はい」
ユニちゃんが答える。
男の人は、もう一度ユニちゃんを上から下まで見る。
「もしかして……ユニ、か?」
「ユニです」
「やっぱり……」
男の人の顔が変わった。
「新聞の写真を見たんだ。Sランクになったって」
「あ」
そうだ。王都で撮った写真は、新聞に載って各地へ届けられると言っていた。
もう、この街まで届いてるんだ。
「それに、その髪と目……間違いない」
男の人が一歩近づいた。
「黒龍の時の子だろ?」
私は息を止めた。
ユニちゃんは、いつもと変わらなかった。
「はい」
「……そうか」
男の人はそれだけ言うと、深く頭を下げた。
「ありがとう」
「……」
私は男の人を見る。ユニちゃんも何も言わずに、その人を見ていた。
「ここは直接やられたわけじゃない」
男の人が言う。
「だが、あれだけの黒龍が近くで暴れりゃ、何も起きないわけがない。街道は潰れる。建物は壊れる。物も人も入ってこなくなる」
私は周りを見る。
修復されている建物。敷き直されている道。
「それでも、あのまま続いていたら、こんなもんじゃ済まなかった」
男の人はユニちゃんを見る。
「だから、ありがとう」
少しだけ間があった。
ユニちゃんは首を傾げる。
「子供を返しただけです」
「……は?」
「黒龍の子供を、親に返しました」
「いや、それは知ってるが……」
「なので、私は倒していません」
男の人が黙る。私も黙る。
「……そこ、気にするんだ」
「大事です」
「ワン」
男の人は、しばらくユニちゃんを見ていた。
そして、大きな声で笑った。
「はははっ! そうか!」
「?」
ユニちゃんは首を傾げたままだ。
「まあ、あんたがどう思ってても、こっちは助かったんだ」
そう言って、男の人はもう一度、軽く頭を下げた。
今度はユニちゃんも、小さく頭を下げた。
その様子を、周りにいた人たちも見ていた。
「あの子……」
「新聞に載ってた……」
「十三人目の……?」
少しずつ声が増えていく。
私はユニちゃんを見る。
王都では、Sランクになったユニちゃんを、たくさんの人が祝っていた。
でも、ここでは少し違う。
この人たちは、ユニちゃんがSランクだから見ているんじゃない。
あの日、黒龍の子供を返した少女だから見ている。
*
人が集まりすぎる前に、私たちはその場を離れた。
「すごかったね」
「何がですか?」
「みんな、ユニちゃんのこと知ってた」
「新聞に載りましたから」
「それだけじゃないよ」
ユニちゃんが私を見る。
「みんな、覚えてたんだよ」
「そうですか」
それだけ。
ユニちゃんは前を向いて歩き続ける。やっぱり、自分がすごいことをしたとは思っていないらしい。
「あの」
後ろから声がした。
振り返ると、さっきとは別の人が立っていた。買い物袋を持った、若い女の人だった。
「少しいいですか?」
「はい」
ユニちゃんが止まる。
女の人は少し迷ってから、声を落とした。
「黒龍のこと……どこまで知っていますか?」
「どこまで?」
私が聞き返す。
「どうして、あの黒龍が暴れたのか」
「子供が連れ去られたから……ですよね?」
お姉ちゃんの手紙に書いてあった。
女の人は頷いた。
「そう。私の兄は、あの時、北へ続く街道の警備をしていたの」
「街道の警備……?」
「黒龍が現れる少し前、見慣れない連中が街道を通ったそうよ。北から来て、何かを荷車に隠していたって」
女の人は周りを気にするように、一度辺りを見た。
「そのあと、黒龍の子供が連れ去られていたと分かった。この辺りでは、あの連中が子供を運んでいたんじゃないかって言われてる」
「その人たちは、どこへ?」
「分からない。でも、北から来た連中だったって」
女の人は北の方角を見る。
街の向こう。さらに、ずっと遠く。
「もっと北に、大きな国がある」
「その国が……黒龍の子供を?」
女の人は首を横に振った。
「そこまでは分からない。国が命令したのか、勝手にやった連中なのか。それも分からない」
分からない。
また、その言葉だった。
でも、一つだけ、お姉ちゃんの手紙にはなかったものが見えた。
黒龍は、ただ突然暴れたわけじゃない。
その前に、誰かが子供を連れ去った。
そして、その誰かは、北から来た。
「……北の国」
私は小さく呟いた。
知らない国。まだ名前すら知らない場所。
世界樹。死海。西の魔法都市。ダンジョン。そして、北にある大きな国。
王都を出て、まだ半日。
それなのに、私の知らない世界が、また一つ増えた。
*
夕方。
私たちは、街のギルドへ向かって歩いていた。
西へ傾いた陽が、修復途中の建物を照らしている。
新しい木材。古い壁。直された屋根。
私は歩きながら、もう一度振り返る。
壊れた場所で、人が働いている。笑い声も聞こえる。子供たちも走っている。
街は、止まっていなかった。
「ルナ」
少し先から、ユニちゃんの声がした。
振り返ると、ユニちゃんが待っていた。頭の上には、にゃん吉くん。
「ワン」
西へ傾いた陽が、新しい屋根と古い壁を、同じ色に染めていた。
「今行く!」
私は、ユニちゃんたちの後を追った。




