第2章 第1話 一枚の写真
「勝ったあああああ!」
試験が終わったというのに、闘技場の熱気は少しも冷めていなかった。むしろ、さっきまでとは違う種類の騒がしさが広がっている。
「ユニだ! ユニに賭けたぞ、俺は!」
「払い戻しはどこだ!?」
「待て待て、押すな!」
観客席の一角では、大人たちが我先にと出口へ向かっていた。その様子を見ながら、私は思わず苦笑する。
試験が始まる前。ユニちゃんが勝つと言っていた人は、決して多くなかった。それなのに今では、
「俺は最初から信じてた!」
なんて声まで聞こえてくる。
「……本当かな」
小さく呟く。
しばらくして、試験を終えたユニちゃんが私たちのところへ戻ってきた。その頭の上では、にゃん吉くんが丸い身体を揺らしている。
「ユニちゃん、お疲れさま」
「はい」
「すごい騒ぎだね」
「人は勝ったあとなら、なんとでも言えるものです」
ユニちゃんは、いつもと変わらない顔で出口へ向かう人たちを眺めている。そのほとんどが、賭けの話をしていた。
それを見ていて、ふと気になった。
「ねえ、ユニちゃんは誰かに賭けたの?」
「はい」
「誰に?」
「私です」
「……自分に?」
「はい」
あまりにも普通に答えた。
「いくら?」
「けっこうです」
「けっこう……」
なんだか嫌な予感がする。
「合格するつもりだったので」
「それ、自分で賭けて、自分で合格したってことだよね……?」
「はい」
ユニちゃんは当然のように頷いた。
「ワン」
頭の上のにゃん吉くんまで、なぜか得意げに鳴いた。私は少しだけ笑った。
ついさっき、この小さな女の子が、とんでもない試験を終えた。そして――十三人目のSランクになった。
まだ、その言葉がどこか現実のものに思えない。
「ユニさん!」
声をかけられ、私たちは振り返った。ギルドの職員がこちらへ駆けてくる。その後ろには、見慣れない人たちが何人かいた。
大きな鞄を抱えた人。紙とペンを持った人。そして、三脚のようなものを運んでいる人。
「少しよろしいでしょうか。新聞に掲載する写真を撮らせていただきたいのですが」
「新聞?」
私の方が先に反応してしまった。職員は頷いた。
「新たなSランクの誕生ですから。王都だけでなく、各地へ知らせることになります」
各地へ。私は改めてユニちゃんを見る。
「そうですか」
本人は、やっぱりいつも通りだった。
「では、こちらへお願いします」
用意された場所へユニちゃんが立つ。にゃん吉くんも当然のように頭の上にいる。写真を撮る人が、大きな機械を調整した。
「それでは、まずユニさんお一人で――」
「みんなで撮ります」
「え?」
ユニちゃんは周りを見た。
私。お姉ちゃん。マグナスさん。ガルドさん。エレナさん。受付嬢さん。
「一緒でいいです」
記者の人は少し驚いた顔をしたけれど、すぐに頷いた。
「分かりました。では皆さん、こちらへ!」
「えっ、私も?」
突然呼ばれて、私は慌ててユニちゃんのところへ向かう。
「ルナ、もう少しこっち」
「う、うん」
お姉ちゃんの隣に並ぶ。
「俺までいいのか?」
ガルドさんは笑いながら列に加わり、受付嬢さんも少し照れた様子でその隣に並んだ。マグナスさんも、ゆっくりとこちらへやってくる。
その真ん中にはユニちゃん。そして頭の上には、にゃん吉くん。
「にゃん吉くん、動かないでね」
「ワン」
「皆さん、もう少し寄ってください!」
言われるまま、みんなで少しずつ近づく。なんだか、試験を見ていた時より緊張してきた。
「では、撮ります!」
私は慌てて前を向いた。
パシャッ――。
その瞬間が、一枚の写真に残った。
「写真ができましたら、皆さんの分もギルドへ届けておきます」
記者の人がそう言った。どんな写真になるんだろう。少しだけ、楽しみだった。
*
その日の夜。王都のギルドは、いつも以上に騒がしかった。
「十三人目のSランクに!」
「乾杯!」
いくつもの杯が掲げられる。料理が次々と運ばれ、冒険者たちがユニちゃんの周りに集まっていた。
「いやあ、すげえ試験だった!」
「俺は最初からいけると思ってたぞ!」
「嘘つけ! お前、マグナスに賭けてただろ!」
「……途中からは信じてた!」
「それを最初からとは言わねえよ!」
どっと笑い声が上がる。私は料理を食べながら、その光景を眺めていた。
村を出てから、まだそれほど経っていない。なのに、本当にいろんなことがあった。
知らない町を歩いた。王都へ来た。たくさんの人と出会った。そして今、私は十三人目のSランクになったユニちゃんの祝いの席にいる。
村にいた頃の私に話しても、きっと信じないだろう。
そんなことを考えていると、ギルドの扉が開いた。
「ずいぶん盛り上がってるわね」
聞き覚えのある声に、私は振り返った。
「エレナさん!」
エレナさんが片手を上げながら、こちらへ歩いてくる。そして、もう片方の手には――ずっしりと膨らんだ袋。
歩くたびに、じゃらじゃらと硬貨の音がする。
「それ……」
「払い戻し」
エレナさんは嬉しそうに袋を持ち上げた。
「私はユニさんに賭けてたからね」
そう言って、どこか得意げにユニちゃんの隣へ腰を下ろす。
「お酒、一つもらえる?」
運ばれてきた杯を受け取ると、エレナさんは一口飲んだ。そして、膨らんだ袋を大事そうに抱えながらユニちゃんを見る。
「ありがとう、ユニさん」
「?」
「おかげで、ずいぶん増えました」
「よかったですね」
「うん。本当に」
エレナさんは満足そうに袋を抱え直した。ふと、何かを思い出したようにユニちゃんを見る。
「そういえば、ユニさんも自分に賭けてたんでしょ?」
「はい」
「どれくらい増えたの?」
ユニちゃんは少し考えてから、椅子の横を指差した。
「これくらいです」
「……え?」
私もエレナさんと一緒に覗き込む。
袋。袋。袋。その後ろにも――袋。
「…………」
エレナさんが、自分の手にある袋を見る。それから、ユニちゃんの袋を見る。もう一度、自分の袋を見る。
「ユニさん」
「はい」
「いくら賭けたの?」
「けっこうです」
「けっこうって何!?」
「合格するつもりだったので」
ユニちゃんは少しだけ胸を張った。
「どやです」
「ワン」
「……私の袋が急に小さく見えてきた」
エレナさんが自分の袋を見つめる。私はとうとう我慢できず、吹き出した。周りからも笑い声が上がる。
Sランクになったばかりだというのに。ユニちゃんは、やっぱりユニちゃんだった。
しばらくして、さっきまで楽しそうに笑っていたエレナさんが、ユニちゃんの方を見た。
「……ユニさん」
「はい」
エレナさんは手にしていた杯を置いた。
「Sランク、おめでとう」
今度は、お金の話じゃなかった。
「ありがとうございます」
「本当に、すごかった」
エレナさんは笑っていた。でも、その目元がほんの少しだけ潤んでいるように見えた。
試験が始まる前から、エレナさんはユニちゃんを信じていた。だからきっと、お金が増えたこととは別の何かがあるんだと思う。
エレナさんは、もう一度杯を持ち上げた。
「十三人目のSランクに」
それに気づいた周りの冒険者たちも、次々と杯を掲げる。
「乾杯!」
声が重なる。私は笑いながら、その輪の中で杯を掲げた。
きっと、この夜のことは、ずっと忘れないと思う。
*
翌朝。目を覚ました私は、しばらく天井を眺めていた。
今日は――何もない。
移動しなくていい。試験もない。急いで起きる必要もない。
「……もう少し寝ようかな」
布団を引き上げる。旅に出てから初めてかもしれない。何もしなくていい一日。
その日は王都をゆっくり歩いた。食べたことのないものを食べて、気になった店を覗いて、疲れたら休んで。
それだけだった。でも、今の私にはそれが必要だった。
*
さらに翌日。王都の通りには、朝から新聞売りの声が響いていた。
「号外! 十三人目のSランク誕生!」
その声に足を止める。一部買って、紙面を開く。
大きく書かれた見出し。
『十三人目のSランク誕生』
そして、その下には――。
「あ」
みんなで撮った写真。
真ん中にはユニちゃん。頭の上には、にゃん吉くん。その周りに、お姉ちゃん、マグナスさん、ガルドさん、エレナさん、受付嬢さん。そして私。
少し緊張した顔まで、ちゃんと写っている。
「……お父さんとお母さんにも見せたいな」
新聞を閉じた私は、そのままギルドへ向かった。受付では、先日撮った写真が人数分用意されていた。
私は自分の分を受け取ると、折れないように大切に鞄へしまった。
その日の夜。私は机に向かい、便箋を広げた。
何から書こう。
しばらく考えてから、ペンを動かした。
『お父さん、お母さんへ。
私は元気です。
王都では、本当にいろんなことがありました。』
そこまで書いて、一度ペンを止める。
王都へ無事に着いたこと。ユニちゃんがSランクになったこと。初めて見たもの。驚いたこと。楽しかったこと。
書きたいことは、思っていたよりたくさんあった。一つずつ思い出しながら、私は続きを書いていく。
そして最後に、これからも旅を続けたいと思っていることを書いた。
手紙を書き終えると、私はギルドでもらった一枚の写真を手に取る。今日の新聞にも載っていた、みんなで撮った写真。
少しだけ眺めてから、それを手紙と一緒に封筒へ入れた。
これなら、言葉だけより、少しは安心してくれるかな。
封を閉じる。
次に手紙を書く時、私はどこにいるんだろう。
窓の外には、王都の灯りが広がっていた。私はしばらく、その景色を眺めていた。




