第1章 第24話 白い相棒
光が闘技場を覆っていた。
マグナスの足元から広がった、巨大な魔法陣。
「……」
先ほどまで歓声に包まれていた観客席が、静まり返っている。
誰も声を上げない。
ただ、見ていた。
中央に立つ、一人の魔術師を。
*
「すごい……」
ルナが小さく呟いた。
何が起きているのか分からない。それでも、一つだけ分かる。
さっきまでとは違う。
「ガルドさん」
「ん?」
「これ……何?」
「マグナスが得意としてるのは、四属性の同時制御だ」
「さっきの?」
「ああ」
炎。
水。
風。
大地。
「だが、あれは」
ガルドが巨大な魔法陣を見る。
「四つを別々に使う魔法じゃない」
「え?」
「重ねるんだ」
「重ねる……?」
「ああ」
ガルドが少しだけ笑った。
「よく見てな、お嬢ちゃん」
「……うん」
「あの人が本気で魔法を使うところなんて、そう何度も見られるもんじゃない」
その声には、恐れよりも敬意があった。
*
マグナスが杖を持ち上げる。
炎が生まれる。
水が生まれる。
風が渦を巻く。
地面が震える。
四つ。
しかし、先ほどとは違う。
炎と風が混ざる。
水が細かな粒となり、その周囲へ広がる。
大地から、いくつもの岩が浮かび上がる。
「……」
ユニは空中に立ったまま、それを見ていた。
「まだ見ているか?」
マグナスが聞く。
「はい」
「そうか」
マグナスが笑う。
「なら」
杖を振り下ろした。
「見ていろ」
*
最初に風が動いた。
轟音。
巨大な風が闘技場を駆け抜け、その中を炎が走る。
「……!」
炎が一気に広がった。
巨大な壁。
逃げ場を塞ぐように、ユニを囲む。
さらに水。
無数の水滴が空中で止まる。
次の瞬間、凍った。
「氷……?」
ルナが呟く。
「ああ」
ガルドが答える。
無数の氷がユニへ向く。
そして、地面から浮かんだ岩がその外側を囲む。
炎。
氷。
岩。
風。
四方。
上下。
すべて塞がれた。
「……逃げるところがない」
ルナが思わず呟く。
「そう見えるな」
ガルドが答えた。
「でも」
ルナがユニを見る。
「……大丈夫」
ガルドが少しだけルナを見る。
「そう思うか?」
「うん」
「どうして?」
「分かんない」
ルナは小さく笑った。
「でも、ユニちゃんだから」
「……」
ガルドも笑った。
「それでいいさ」
*
マグナスが杖を握る。
「行くぞ」
「はい」
炎が迫る。
氷が降り注ぐ。
岩が四方から押し寄せる。
風が逃げ道を奪う。
ユニは動かない。
「……」
ただ、見ている。
「ユニちゃん……」
ルナが小さく名前を呼ぶ。
そして、すべてがユニへ届く。
その直前。
「分かりました」
ユニが言った。
*
右手を上げる。
それだけだった。
――止まった。
「……え?」
ルナが目を瞬く。
炎が止まっている。
氷も。
岩も。
風も。
すべて、ユニの周囲で止まっていた。
「……」
ガルドが言葉を失う。
エレナも何も言わない。
観客席から音が消えた。
何万人もの人が同じものを見ている。
なのに、誰も何が起きたのか分からない。
「……何をした?」
マグナスが聞く。
「止めました」
「それは見れば分かる」
「はい」
「どうやって止めた?」
「……」
ユニが少し考える。
「こうです」
「……」
上げていた右手を、ほんの少し動かす。
炎が消える。
氷が水へ戻る。
岩がゆっくりと地面へ降りる。
風が静かになる。
まるで、最初から何もなかったように。
「……」
マグナスが自分の杖を見る。
そして、ユニを見る。
「魔法を消したのか?」
「違います」
「なら何をした」
「戻しました」
「……戻した?」
「はい」
「何を?」
ユニが少しだけ首を傾げる。
「危なくないように」
「……」
マグナスが黙った。
*
「エレナさん」
ルナが小さな声で呼ぶ。
「……はい」
「今の分かりました?」
「いいえ」
即答だった。
「ガルドさんは?」
「……」
ガルドはしばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと席へ座る。
「参ったな」
「分からない?」
「ああ」
ガルドが苦笑する。
「でも」
「ん?」
「なんだか嬉しそう」
「そう見えるか?」
「うん」
「そうか」
ガルドは中央を見る。
「なら、そうなのかもしれんな」
「どうして?」
「俺はな、お嬢ちゃん」
ガルドが静かに言う。
「強い奴は何人も見てきた」
「うん」
「速い奴も。魔法が上手い奴も。俺より強い奴だっている」
「……」
「でも」
ユニを見る。
「ああいうのは初めてだ」
「ユニちゃん?」
「ああ」
ガルドが少しだけ笑う。
「知らないものを見るのは、悪くない」
「……うん」
ルナも笑った。
*
「なるほどな」
マグナスが呟く。
「……」
そして笑った。
大きくではない。
ただ、本当に楽しそうに。
「ようやく」
杖をもう一度構える。
「お前が少し見えた」
「そうですか?」
「ああ」
「よかったです」
「だが」
マグナスの目が鋭くなる。
「まだ足りん」
「?」
「今のは防いだだけだ」
「はい」
「Sランクは」
マグナスが一歩、前へ出る。
「守るだけでは務まらん」
「……」
「魔獣を倒すこともある」
一歩。
「誰かを守るために、敵を止めなければならんこともある」
一歩。
「逃げるだけでは、救えん命もある」
ユニが静かに聞いている。
「だから」
マグナスが杖を向けた。
「次は、お前から来い」
「……」
「儂に」
マグナスが笑う。
「お前の魔法を見せてみろ」
「……」
ユニは、しばらくマグナスを見ていた。
「魔法ですか?」
「ああ」
「……」
少し考える。
「困りました」
「何?」
「……」
ルナが首を傾げる。
「ユニちゃん?」
マグナスも眉を上げた。
「何が困る?」
ユニが答える。
「どれが魔法か、分かりません」
「……」
マグナスが固まった。
*
「……え?」
ルナが目を瞬く。
エレナも固まっている。
「……」
ガルドだけが数秒黙ったあと。
「はは」
笑った。
「そう来たか」
「ガルドさん?」
「いや」
ガルドが楽しそうに中央を見る。
「やっぱり、お嬢ちゃんの友達は面白いな」
「……うん」
ルナも思わず笑った。
*
「……分からない?」
マグナスが聞き返す。
「はい」
「魔法を使っているのに?」
「使ってるんでしょうか?」
「儂に聞くな」
「?」
「……」
マグナスが額に手を当てる。
「まったく」
そして笑った。
「こんな試験は初めてだ」
「すみません」
「謝るな」
「はい」
「なら」
マグナスが杖を構える。
「魔法でなくてもいい」
「はい」
「攻撃でなくてもいい」
「……」
「お前なりに」
マグナスがユニを見る。
「儂を止めてみろ」
「止める?」
「ああ」
ユニがマグナスを見る。
しばらく考える。
そして。
「分かりました」
ユニが地面へ降りる。
静かに、マグナスの正面へ立つ。
「では」
ユニが一歩、前へ出た。
その瞬間。
「……!」
マグナスの表情が変わった。
*
何も起きていない。
魔法陣もない。
光もない。
風もない。
ただ、ユニが一歩歩いただけ。
なのに、マグナスは動けなかった。
「……」
額から一滴、汗が落ちる。
「どうしました?」
ユニが聞く。
「……いや」
マグナスが杖を握り直す。
「何でもない」
もう一度構える。
ユニが、さらに一歩近づく。
「……っ」
マグナスの足が初めて、一歩後ろへ下がった。
*
「……」
ガルドが笑うのをやめた。
「ガルドさん?」
「……」
「どうしたの?」
「悪いな、お嬢ちゃん」
「え?」
「俺にも分からん」
「また?」
「ああ」
ガルドが少しだけ笑う。
「だが」
すぐに、その目がマグナスへ戻る。
「マグナスには、何か分かったらしい」
「何が?」
「さあな」
ガルドが、向かい合う二人を見る。
「俺たちにも見せてくれるといいんだが」
*
「……そういうことか」
マグナスが呟いた。
「?」
ユニが足を止める。
「いや」
マグナスが大きく息を吐く。
そして、空を見る。
「最後に一つ」
「はい」
「試したいことがある」
「分かりました」
マグナスが杖を空へ向ける。
「……?」
ユニも上を見る。
魔力が集まる。
これまでとは比べものにならないほど巨大な魔力。
「……おいおい」
ガルドが低い声を漏らした。
「ガルドさん?」
「まさか」
エレナが立ち上がる。
「マグナス様……?」
空。
遥か上空に、巨大な魔法陣が現れた。
*
最初は小さな点だった。
赤い光。
それが少しずつ大きくなる。
「何……あれ」
ルナが空を見上げる。
赤い光が雲を突き抜ける。
そして、姿を現した。
巨大な岩塊。
「……」
ルナが言葉を失う。
燃えている。
あまりにも大きい。
空そのものが落ちてくるようだった。
観客席から悲鳴が上がる。
『防護結界、展開!』
闘技場を覆うように、いくつもの光の膜が重なっていく。
「ガルドさん……」
「ああ」
「大丈夫……だよね?」
「……」
ガルドは、すぐには答えなかった。
「闘技場には防護結界がある」
「じゃあ――」
「だが」
ガルドが空を見上げる。
「あの大きさだ」
「……」
「欠片一つでも王都へ落ちれば、ただじゃ済まん」
「……!」
ガルドが困ったように笑う。
「まったく。あの人も、とんでもないものを出してきたな」
「止められるの?」
「俺か?」
「うん」
「……」
ガルドは少し考えた。
「正面からなら」
空を見上げる。
「俺でも止められるか分からんな」
「……」
ルナが再び中央を見る。
*
「ユニ・N・スターチス!」
マグナスの声が響く。
「はい」
「これが最後だ!」
「はい」
「あれを」
杖が空を指す。
「どうする!」
「……」
ユニが見上げる。
巨大な隕石が、王都へゆっくりと落ちてくる。
「……」
ユニは逃げない。
構えない。
ただ見上げていた。
「ユニちゃん……」
ルナが小さく名前を呼ぶ。
その時。
「ワン」
「……え?」
ユニの頭から、白いものがふわりと浮かび上がった。
「にゃん吉君?」
ユニも見上げる。
「ワン」
にゃん吉君が、上へ、上へと昇っていく。
「……あいつ」
ガルドが目を細めた。
「何する気だ?」
「にゃん吉君!」
ルナが叫ぶ。
しかし、にゃん吉君は止まらない。
巨大な隕石。
その正面へ、小さな白い身体が向かっていく。
あまりにも大きさが違う。
「ワン」
そして。
隕石に、ひびが入った。
「……え?」
一つ。
二つ。
三つ。
ひびが一瞬で隕石全体へ広がっていく。
次の瞬間。
砕けた。
「……!」
巨大な岩塊が、数えきれないほどの破片へ変わる。
だが、終わらない。
破片がさらに砕ける。
小さく。
さらに小さく。
岩が砂へ。
砂が、さらに細かく。
やがて。
塵になった。
空いっぱいに広がった塵が、風に溶けるように消えていく。
何も。
落ちてこなかった。
*
「……」
誰も声を出さない。
王都中央闘技場。
何万人もの観客が、同じ空を見上げていた。
さっきまで、そこにあった巨大な隕石。
それがない。
「……はは」
ガルドが小さく笑った。
「参ったな」
「……」
「本当に」
空を見上げたまま首を振る。
「今日はそればっかりだ」
「……ガルドさん」
「ん?」
「今のも分からない?」
「分からんな」
「そっか……」
「ああ」
ガルドがルナを見る。
そして、優しく笑った。
「でも、あの子の友達なんだろ?」
「……うん」
「なら」
再び空を見る。
「すごい友達が、もう一人いたってことだ」
「……うん!」
エレナは何も言えず、空を見上げている。
ギルドの受付の女性だけが、静かに小さな白い姿を見ていた。
*
「ワン」
にゃん吉君が、ふわふわと降りてくる。
何事もなかったように、ゆっくり、ゆっくり。
そして、いつもの場所へ戻った。
ユニの頭の上。
「……」
マグナスがそれを見る。
「……お前」
「?」
「今のは」
「はい」
「お前がやったのか?」
「違います」
「……」
ユニが頭の上を指す。
「にゃん吉君です」
「ワン」
「……」
マグナスがにゃん吉君を見る。
にゃん吉君もマグナスを見る。
「ワン」
「……そうか」
マグナスが杖を下ろした。
「そいつも」
小さく笑う。
「とんでもないな」
「はい」
ユニが、にゃん吉君を見上げる。
「にゃん吉君」
「ワン」
「すごいです」
「ワン」
そして、ユニが少しだけ胸を張った。
「どやです」
「なんでユニちゃんが得意そうなの!?」
ルナの声が、静まり返った闘技場に響いた。
*
少し遅れて、笑い声がどこかから聞こえた。
一つ。
また一つ。
やがて、それは大きな歓声へ変わっていく。
ユニとにゃん吉君。
そしてマグナスへ。
降り注ぐような大歓声。
「……」
マグナスがそれを聞きながら、目の前の少女を見る。
白銀の髪。
青いコート。
エメラルドグリーンの瞳。
そして頭の上には、白く丸い、何なのかいまだに分からない存在。
「ユニ・N・スターチス」
「はい」
「……」
マグナスは少しだけ考えた。
そして笑った。
「いや」
「?」
「続きは」
杖をゆっくりと下ろす。
「試験が終わってからにしよう」
「はい」
「ワン」
歓声は、まだ鳴り止まなかった。




