第1章 第23話 まだ、見ている
「お待たせしました」
ユニが小さく頭を下げる。
「ワン」
その頭の上で、にゃん吉君が鳴いた。
「……」
マグナスは、ユニとにゃん吉君を見て、しばらく黙っていた。
やがて、口元を緩める。
「相変わらずだな」
「?」
「いや。何でもない」
マグナスが一歩、後ろへ下がる。ユニもその場から離れていく。
二人の間に、十分な距離ができた。
『それでは、試験について説明します!』
闘技場に声が響く。
『今回行われるのは、ユニ・N・スターチスのSランク昇格特別試験!』
観客席から歓声が上がる。
『試験官マグナスが、候補者の戦闘能力、判断力、対応力――その他、Sランク冒険者として必要な能力を総合的に判断します!』
「勝ったら合格じゃないんだ」
ルナが呟いた。
「ああ」
ガルドが答える。
「昇格試験だからな」
「じゃあ、ユニちゃんが負けても?」
「内容次第じゃ合格することもあるさ」
「そうなんだ……」
ガルドは、闘技場の中央へ目を向ける。
「まあ、今日は勝ち負けだけ見てても仕方ない」
「どういうこと?」
「マグナスが何を見るのか。それに、ユニがどう応えるのか」
「……」
「そっちの方が大事だろうな」
「そっか……」
ルナも中央を見る。
マグナス。
その向かいにはユニ。
そして、にゃん吉君。
「……にゃん吉君は、あそこにいていいの?」
「はは」
ガルドが笑った。
「悪いな、お嬢ちゃん。それは俺にも分からん」
「ガルドさん、Sランクなのに?」
「Sランクだって、知らないものくらいあるさ」
「そっか」
「ああ」
「ワン」
遠くから、にゃん吉君の声が聞こえた。
「……聞こえた」
「元気そうで何よりだ」
「ふふっ」
ルナが少しだけ笑った。
*
マグナスがユニを見る。
「準備はいいか?」
「はい」
「そいつも?」
視線が少し上へ向く。
「ワン」
「……まあいい」
マグナスが右手を上げる。
「まずは」
その周囲に魔力が集まり始めた。
「見せてもらおう」
『――試験、開始!』
その瞬間、マグナスの前に三つの火球が現れた。
「!」
ルナが息を呑む。
三つ同時。
それぞれが、人の頭ほどの大きさ。
「速い……!」
火球が一斉に放たれる。
一つは正面。
一つは右。
一つは左。
逃げ道を塞ぐように、ユニへ迫る。
「ユニちゃん!」
直撃する。
そう思った次の瞬間。
「……え?」
ユニが一歩、横へ動いた。
一つ目が通り過ぎる。
身体をほんの少し傾ける。
二つ目が銀色の髪を揺らして、横を抜ける。
そして三つ目。
ユニが半歩だけ下がった。
火球が目の前を通過する。
爆音。
三つの火球が後方の地面へ着弾し、炎が上がる。
「……」
観客席が一瞬、静かになる。
「避けた……?」
ルナが呟く。
「ああ」
ガルドが答える。
「全部な」
「簡単そうに見えたけど……」
「そこがすごいところだ」
「え?」
「あの三発、全部同じように飛んでたわけじゃない」
ガルドが、中央を見たまま説明する。
「一発目を避けた先へ、次が来るようにずらしてある」
「じゃあ普通は?」
「もっと大きく避けるだろうな」
「……」
「だが」
ガルドが少しだけ笑う。
「あの子は必要な分しか動かなかった」
闘技場の中央に、ユニが立っている。
試験開始前と、ほとんど変わらない場所に。
「やっぱり面白い子だな」
「……うん」
ルナが少し嬉しそうに答えた。
*
「なるほど」
マグナスが小さく笑った。
「なら」
右手をもう一度上げる。
今度は五つ、火球が現れた。
「増えた……」
ルナが呟く。
「それだけじゃないみたいだな」
ガルドが言った。
「え?」
火球が放たれる。
同時に、マグナスの左手が地面へ向いた。
地面が光る。
「下!」
ルナが叫ぶ。
ユニの足元から、石の柱が突き出した。
「!」
上には火球。
下からは石。
ユニが地面を蹴る。
身体が宙へ浮き、火球がその下を通り過ぎる。
しかし。
「まだだ」
マグナスが指を動かす。
通り過ぎたはずの火球が軌道を変えた。
「曲がった!?」
五つの炎が、空中のユニへ向かう。
逃げ場がない。
「ユニちゃん!」
炎がユニを包む。
轟音。
爆発。
闘技場に熱風が広がった。
「……!」
ルナが思わず席から立ち上がる。
「大丈夫だ」
「え……?」
隣から落ち着いた声がした。
ガルドだった。
「座ってな、お嬢ちゃん」
「でも、ユニちゃんが――」
「ちゃんと見てやれ」
「……」
「あの子と一緒に旅してきたんだろ?」
「……うん」
「なら」
ガルドが少しだけ笑う。
「この中で誰よりもユニを知ってるのは、お嬢ちゃんだ」
「……」
「俺じゃない」
ガルドが闘技場を見る。
「マグナスでもない」
そして、隣のエレナへ一瞬だけ目を向ける。
「監視役のお嬢さんでもな」
「……否定はしません」
エレナが答えた。
「だから、座って見てな」
「……うん」
ルナがゆっくりと席へ戻る。
ガルドは小さく笑った。
「それでいい」
炎が少しずつ消えていく。
「ほら」
ガルドが言う。
「出てくるぞ」
「……え?」
炎が消える。
そこにユニはいなかった。
「……どこ?」
「上だ」
ガルドが空を見る。
「……!」
さらに上。
ユニがいた。
何もない空中に立っている。
「……」
ルナが口を開ける。
「飛行魔法……?」
「違います」
答えたのはエレナだった。
「え?」
「少なくとも」
エレナは、ユニから目を離さない。
「私の知っている飛行魔法とは違います」
「どういうこと?」
「分かりません」
「……また?」
「だから困ってるんです」
エレナが小さく息を吐いた。
「魔力の流れが見えない」
「そうなの?」
「はい」
ルナがガルドを見る。
「ガルドさんは?」
「俺か?」
「うん」
ガルドは空中のユニを見上げる。
しばらく見て、肩をすくめた。
「参ったな」
「分からない?」
「ああ」
ガルドが笑う。
「今日はそればっかりになりそうだ」
「ふふっ」
「悪いな、お嬢ちゃん。分からんものを分かったふりするよりいいだろ?」
「うん」
「だろ?」
空中で、ユニは少し下を見る。
「……」
その頭には。
「ワン」
にゃん吉君。
「にゃん吉君も普通にいる……」
「あの子はもっと分からんな」
「私も」
「そうか」
「うん」
「なら仕方ないな」
「仕方ないのかなぁ……」
ルナが小さく笑った。
*
「面白い」
マグナスが空中のユニを見上げる。
「飛べるのか」
「はい」
「飛行魔法か?」
「違います」
「ほう」
「飛んでません」
「……何?」
「立ってます」
「……」
マグナスが空を見る。
何もない。
「そこに?」
「はい」
「……そうか」
マグナスは、それ以上聞かなかった。
聞いたところで、今は答えが出ない。
「なら」
杖を地面へ向ける。
初めて、マグナスが杖を使った。
「こちらも少し上げよう」
「……」
ガルドが静かに身体を起こす。
「どうしたの?」
ルナが聞く。
「いや」
ガルドは、マグナスを見たまま少しだけ笑った。
「ここから、もっと面白くなりそうだ」
マグナスの周囲の空気が変わった。
一つ。
二つ。
三つ。
炎が浮かぶ。
その隣に水。
さらに風。
そして、地面が小さく震え始める。
「……四つ?」
ルナが呟く。
「同時に……?」
「ああ」
ガルドが答える。
「マグナスの得意分野だ」
四つの属性が、それぞれ同時に形を持つ。
「普通はできないの?」
「一つずつならな」
「じゃあ、四つは?」
「できる奴はいるさ」
「いるんだ」
「ああ」
ガルドが中央を見る。
「だが」
炎。
水。
風。
大地。
四つが互いを邪魔することなく、完全に制御されている。
「ここまで綺麗に同時に扱える奴は、そうはいない」
「……」
「さすがだよ」
その声には、素直な敬意があった。
マグナスが杖を振る。
*
風が最初に動いた。
空中のユニへ、巨大な風圧が襲いかかる。
同時に、水が無数の刃へ変わる。
さらに炎。
下では、地面から石柱が伸びる。
上。
下。
左右。
すべてがユニへ向かう。
「……」
ユニがそれを見る。
一歩。
何もない空中を歩く。
風が横を抜ける。
二歩。
水の刃が、髪のすぐ横を通る。
三歩。
炎。
避ける。
しかし、その先には石柱がすでに伸びていた。
「……!」
ルナが息を呑む。
ユニが足を止める。
石柱が迫る。
その瞬間、ユニの姿が消えた。
「……おお」
ガルドが小さく声を漏らす。
次の瞬間、ユニは数十歩離れた場所に立っていた。
「転移……?」
ルナが聞く。
「さて」
ガルドが首を傾げる。
「ガルドさんでも分からない?」
「ああ」
「また?」
「はは」
ガルドが笑った。
「参ったな。本当に今日はそればっかりだ」
「転移魔法じゃないの?」
「そう見える」
「じゃあ――」
「だが」
ガルドがユニを見る。
「俺の知ってる転移とは、何か違う気がする」
「何が違うの?」
「そこが分からん」
「もう」
「悪い悪い」
ガルドは楽しそうに笑った。
エレナが隣で小さく頷く。
「分かります」
「だろ?」
「はい」
「監視役のお嬢さんも大変だな」
「本当に」
「でも」
ガルドがエレナを見る。
「楽しそうじゃないか」
「……そう見えますか?」
「ああ」
「気のせいです」
「そういうことにしとくか」
「お願いします」
ルナが二人を見て、少しだけ笑った。
*
マグナスも笑っていた。
「はは」
小さく、楽しそうに。
「そうか」
ユニが空中からマグナスを見る。
「?」
「やはり」
マグナスが杖を握り直す。
「お前は面白い」
「そうですか?」
「ああ」
「ありがとうございます」
「褒めている」
「はい」
「……」
マグナスが一度、息を吐いた。
「だが」
目が変わる。
「まだだ」
「?」
「お前はまだ」
杖の先がユニへ向く。
「何もしていない」
「……」
「避けた」
一歩、マグナスが進む。
「逃れた」
もう一歩。
「だが」
魔力が再び集まる。
先ほどより、遥かに濃い。
「一度も儂へ攻撃していない」
「はい」
「なぜだ?」
ユニが少し考える。
「まだ」
「まだ?」
「見ています」
「……儂をか?」
「はい」
「……」
マグナスが笑う。
「なるほど」
そして、杖を下ろした。
その瞬間、闘技場を覆うほどの巨大な魔法陣が、マグナスの足元から広がった。
「……」
ガルドがゆっくりと立ち上がる。
「ガルドさん?」
「すまんな、お嬢ちゃん」
「え?」
ガルドの目は、マグナスから離れない。
「これは座って見てろって言った俺でも、立ちたくなる」
「そんなに……?」
「ああ」
先ほどまでの穏やかな笑みは消えていた。
けれど、そこに恐れはない。
ただ、一人の冒険者として、目の前の魔術師を見ている。
「久しぶりに見るな……」
エレナも息を呑んでいた。
「マグナス様……」
「何なの?」
ルナだけが分からない。
ガルドが小さく息を吐く。
「よく見てな、お嬢ちゃん」
「……うん」
「あの人が」
ガルドの目が細くなる。
「元Sランクと呼ばれる理由だ」
マグナスがユニを見上げる。
その顔から、試験官としての笑みが消えていた。
「ならば」
静かな声が闘技場へ響く。
「儂も見せよう」
空気が震える。
「お前が」
巨大な魔法陣が光を増していく。
「見る価値があると思うものを」
ユニのエメラルドグリーンの瞳が、静かにマグナスを見つめていた。




